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歴史教科書
  • 龍真

  • 問題数 51 • 10/5/2024

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    問題一覧

  • 1

    1950年代では景気後退に見舞われたが、1960年代には経済が順調に成長し豊かな社会を実現した。この事柄を何と言うか

    黄金の60年代

  • 2

    冷戦のもと、強い反共主義の中で1950年から何と言う思想運動が起きたか

    赤狩り旋風

  • 3

    1945年以降政権は 民主党の(1) 共和党の(2) 民主党の(3) 民主党の(4) と交代した。

    トルーマン, アイゼンハワー, ケネディ, ジョンソン

  • 4

    1945年、アメリカの政権は基本的にはどういう路線か

    ニューディール的な大きな政府路線

  • 5

    人種差別を撤廃した法律を何と言うか

    公民権法

  • 6

    1965年には全ての国に開かれた移民制度が実現し、結果的に(1)及び(2)からの移民が飛躍的に増加した。

    ラテンアメリカ, アジア

  • 7

    西ヨーロッパ諸国はアメリカからの(1)を受けて、かなり経済成長をした

    マーシャル・プラン

  • 8

    アイゼンハワーは、軍部と軍需産業の不当な影響力について警告した(1)批判で有名

    軍産複合体

  • 9

    民主党は、(1)政府 共和党は、(2)政府

    大きな, 小さな

  • 10

    ベネルクス三国の名称を答えよ

    ベルギー, オランダ, ルクセンブルク

  • 11

    おもに労働者あるいは労働組合の支持を受けた政党が主導権を握ったが、保守系の政党も、ある程度高度な(1)を受けいれた。

    福祉国家路線

  • 12

    フランスの外務大臣の(1)の提案で(2)、(3)、(4)、ベネルクス三国を中心に(5)が結成される。(ECSC)

    シューマン, フランス, 西ドイツ, イタリア, 石炭鉄鋼共同体

  • 13

    石炭鉄鋼共同体が結成され、西ドイツとフランスが新しい強調の関係を確立していった。 この動きが(1)に繋がった

    ヨーロッパ統合

  • 14

    フランスでは政治的不安定が続き、1958年には(1)を解決できず第四共和政は崩壊したが新たに、第五共和政のもと、大統領になった(2)はアルジェリア独立を認めた。

    アルジェリア独立問題, ド=ゴール

  • 15

    フランスのド=ゴールは、(1)の保有、(2)の承認(1964年)、NATOへの(3)など(4)から距離を置いた制作を実践した

    核兵器, 中華人民共和国, 軍事協力拒否, アメリカ

  • 16

    その頃の西ドイツの首相(1)は、奇跡と言われた(2)をとげた。1955年には(3)に加入し、(4)との国交も回復した。

    アデナウアー, 経済的復興, NATO, ソ連

  • 17

    一方、イギリスは1960年代の(1)と(2)切り下げ問題に悩まされた。 また、第2次(3)で(4)から撤兵するなど、世界での影響力を縮小させつつあった。

    経済危機, ポンド, 中東戦争, スエズ以東

  • 18

    西ヨーロッパと東ヨーロッパを比べると、東側は経済的自由が制限されただけではなく経済的にも停滞しつつあった。特に格差の象徴が酷かったのは(1)である。

    東西ベルリン

  • 19

    東ドイツで(1)が建てられたのは(2)年である

    ベルリンの壁, 1961

  • 20

    1953年にスターリンが死亡するとその後に実験を握った(1)が(2)を行った

    フルシチョフ, スターリン批判

  • 21

    スターリン批判に触発されて(1)や(2)では自由化が進み、ソ連からの解放を求める動きが怒った。

    ポーランド, ハンガリー

  • 22

    ソ連は1955年(1)を行い(2)路線を打ち出した

    ジュネーブ四巨頭会談, 平和共存

  • 23

    1959年には、フルシチョフがアメリカに訪問する(1)を印象付けた

    雪どけ

  • 24

    しかしフルシチョフは、平和共存路線を打ち出した一方で、(1)に(2)基地を建設するなどしていた。(1962年)

    キューバ, ミサイル

  • 25

    1968年(1)政府は国民の支持を受けながら政治と経済の自由化に着手した。     ⤴︎⤴︎⤴︎⤴︎⤴︎⤴︎⤴︎      この事柄を何と言うか

    チェコスロバキア, プラハの春

  • 26

    しかし、プラハの春は(1)が率いるソ連の(2)を動員してこの動きを押さえ込んだ

    ブレジネフ第一書記, ワルシャワ条約機構軍

  • 27

    色々な国のデモが起こってからソ連圏の国は、ソ連の意思に反する決定を行うことが許されずそれを実行しようとするならば軍事力で抑え込まれた。この抑え込もうという考えを何と言うか

    制限主権論

  • 28

    冷戦期の米ソ対立の中核的部分は、両国の軍事的対立、とくに(1)を中心とした対立であった。

    核兵器

  • 29

    アメリカの核兵器独占はすぐに崩れ、その後は核弾頭を搭載した(1)になった

    ミサイルの開発競争

  • 30

    アメリカの(1)政権は、国防費を抑制し、安価と考えられた核兵器に依存する戦略を採用した。

    アイゼンハワー

  • 31

    ソ連が1957年に人類初の(1)の打ち上げに成功した。核弾頭の数は上回っていたアメリカを驚愕させ、アメリカでは(2)が提起された

    人工衛星スプートニク1号, ミサイル=ギャップ論

  • 32

    ケネディ政権のもと、通常兵器と核兵器の両方の開発が進められ核ミサイルは飛躍的に進化したが、政府を圧迫した。 このような時におこったのが(1)らによる(2)が樹立されていたキューバにおける(3)であった

    カストロ, 社会主義革命政府, キューバ危機

  • 33

    また、ソ連が秘密裏にキューバに(1)を作っていたことが1962年の秋に発覚した。

    ミサイル基地

  • 34

    キューバのミサイル基地建設が発覚したのでアメリカはキューバの(1)を実施した

    海上封鎖

  • 35

    キューバミサイル基地建設は、核戦争の恐怖がにわかに高まった瞬間であり、最も緊張した瞬間でもあった。しかしソ連が譲歩し(1)を撤去認め事件は幕を終えた。

    ミサイル

  • 36

    ミサイル建設が終焉を迎えた後、両国は関係改善に乗り出し、1963年に(1)、(2)、(3)、三国間の(4)が締結された (1)、(2)、(3)は1文字で表せ

    米, 英, ソ, 部分的核実験禁止条約

  • 37

    1954年には、日本のマグロ漁船の(1)が (2)でアメリカの(3)によって被爆した。

    第五福竜丸, ビキニ岩礁, 水素爆弾実験

  • 38

    第五福竜丸が、水素爆弾実験により被爆したことで(1)で(2)が開かれた

    広島, 第1回原水爆禁止世界大会

  • 39

    カナダ:また、科学者の(1)や哲学者の(2)らの呼びかけを受けて、多数の科学者が参加した(3)が開催された(1957)

    アインシュタイン, ラッセル, パグウォッシュ会議

  • 40

    1969年にアメリカ合衆国大統領に就任した(1)は、(2)をしたので、(3)と休戦協定を結んだ

    ニクソン, ベトナム戦争, 北ベトナム

  • 41

    激しい中ソ対立の中、(1)が(2)を訪問しソ連を揺さぶった

    ニクソン, 中国

  • 42

    ニクソンが中国を訪問したことで、1972年に米ソ両国は(1)を締結し、弾道ミサイルを増加させないことで合意した (1)の別名も答えよ、(アルファベット)

    戦略兵器制限交渉, SALTI

  • 43

    ニクソンがソ連と戦略兵器制限交渉を行いそれぞれ競争を辞めようとした。 このような政策をなんというか 2つあるので2つ答えなさい

    デタント政策, 緊張緩和政策

  • 44

    西ドイツでは社会民主党の(1)首相が、ソ連や東ヨーロッパの社会主義国との関係改善をはかる(2)を行った。 1972年には東西ドイツは相互に承認しあい、翌年両国ともに(3)へ加盟した

    ブラント, 東方外交, 国際連合

  • 45

    1975年には、フィンランドの(1)で(2)が開かれた。

    ヘルシンキ, 全欧安全保障協力会議

  • 46

    全欧安全保障協力会議では(1)、(2)、科学・人間交流の協力をうたった(3)が採択された

    国家主権の尊重, 武力不行使, ヘルシンキ宣言

  • 47

    キューバ危機を経験した1960年代には国連において核兵器保有国が増えるのは良くないという考え方が浮上した。 その結果.当時(1)ヶ国によって調印されたのが、(2)である (2)の別名も答えよ(アルファベット)

    62, 核拡散防止条約, NPT

  • 48

    核拡散防止条約で核保有国と認められた国5つ答えなさい、(正式名称で)

    アメリカ, ソ連, イギリス, フランス, 中国

  • 49

    また、1979年に起こったアメリカの(1)は、原子力管理の難しさがあらわになった。

    スリーマイル島原子力発電所事故

  • 50

    ソ連は、キューバやヨーロッパ諸国とともに、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国の左派政権と強い関係を築いたがこれを脅威とみなしたアメリカとの対立が深まった。 その結果アメリカとソ連は1979年に(1)に調印した。(1)の別名も答え(アルファベット

    第2次戦略兵器制限交渉, SALTII

  • 51

    しかし、同年12月ソ連が(1)の波及を恐れて(2)へ軍事介入したことにより、アメリカ上院での批准は絶望的となった。 ここに(3)も終焉を迎えることになった

    イラン=イスラーム革命, アフガニスタン, デタント