問題一覧
1
江戸時代の治世に関する記述として正しいものは、次のうちどれか。
将軍徳川綱吉は「生類憐みの令」を発布し、特に犬を保護した。
2
明治時代に関する記述として正しいものは、次のうちどれか。
自由民権運動は、板垣退助らの民撰議院設立の建白書の提出をきっかけにして急速に高まった。
3
日本では、9世紀から11世紀にかけて従来の文化を基礎として、日本の風土や生活感情に合った国風文化が生まれた。これに関する記述として正しいものは、次のうちどれか。
かな文字が普及し、「土佐日記」「枕草子」などの日記、随筆が生み出された。
4
法規とその内容の記述の組合せとして正しいものは、次のうちどれか。
分国法…戦国大名は領国内を強力に支配したが、その支配基準としたものが分国法である。武田氏の「信玄家法」、伊達氏の「塵芥集」は有名である。
5
わが国と中国の王朝との交流に関する記述として正しいものは、次のうちどれか。
足利義満は明と貿易を開き、倭寇と区別するため正式な貿易船に勘合符を与えた。
6
江戸時代の三大改革において共通して実施された政策は、次のうちどれか。
質素・倹約の奨励
7
明治政府発足直後10年ほどの間に起きた事項とその説明の組合せとして適切なものは、次のうちどれか。
自由民権運動一板垣退助、後藤象二郎らは、民撰議院設立建白書を政府に提出し、国会の設立を求めた。これが自由民権運動の口火となった。
8
次の略年表中の空欄A~Dに入る語句の組合せとして正しいものはどれか。 1600年ー関ヶ原の戦い。 1603年ーAが征夷大将軍になる。 1615年ー大坂Bの陣で豊臣氏が滅亡。 1635年ー将軍Cにより参勤交代が制度化された。 1637年ーDの先導のもと島原の乱が起こる。
徳川家康 夏 徳川家光 天草四郎
9
自由民権運動についての記述として正しいものは、次のうちどれか。
板垣退助は里士佐で立志社を結成、大阪では全国的組織として愛国社を設立し、民権運動の先頭に立って活動した。
10
第二次世界大戦後のわが国の国内政治についての記述として正しいものは、次のうちどれか。
サンフランシスコにおいて連合国側の国々と平和条約を結んだが、すべての国々と結んだものではなかった。
11
大化の改新に、年代的に一番近い出来事は、次のうちどれか。
班田収授の法の実施
12
近世初頭の対外関係についての記述として正しいものは、次のうちどれか。
江戸幕府は、キリスト教の布教を行なわない国としてオランダ人のみ、長崎の出島に渡来することを認め鎖国を完成させた。
13
摂関政治に関する記述として正しいものは、次のうちどれか。
11世紀、藤原氏は天皇の外戚という関係を利用し、政権を独占した。
14
仏教に関する次の記述のうち、正しいものはどれか。
大和の人で律宗の忍性は鎌倉に入り、極楽寺を開いた。彼は貧民救済や道路・橋梁の構築を行い、また悲田院や施薬院をつくるなどの社会事業も行った。
15
次のA~Hは鎌倉時代から室町時代にかけての文化上の出来事であるが、このうち、室町時代のものだけをあげているのはどれか。
雪舟が水墨画を大成した。, 一休が奇行・狂詩で社会を風刺した。, 狩野正信・元信が狩野派を確立した。, 世阿弥が「花伝書」を著した。
16
次の文章のA~Eに入る語句の組合せとして正しいものはどれか。 朝鮮をめぐる日清の対立のなかで、まず1882年にAが起こり、次いでBと呼ばれるクーデターが起こった。さらに1894年朝鮮にCが起こると日清両国は出兵してついにDとなり、翌1895年にE条約が結ばれることになった。
壬午事変 甲申事変 東学党の乱 日清戦争 下関
17
江戸時代の商品貨幣の流通状態を表わしているものを次から選べ。
金・銀・銅の3貨を中心とする貨幣制度が確立し、貨幣経済が一般化して諸種の金融機関の活動もめざましかった。
18
律令体制に関する記述で妥当なものはどれか。
政府は、723年、「三世一身の法」を施行し、田地の開墾を農民へ奨励したものの期待した成果が上がらず、苦慮した政府は、「三世一身の法」に代わって743年に「墾田永年私財法」を発布し、墾田の永久私有を認めた結果、有力者らによる私有地拡大が競って行われ、公地公民制が実質的に崩壊した。
19
室町幕府に関する記述として、正しいものは、次のうちどれか。
足利義政が将軍職にある時に起こった応仁の乱によって、戦場となった京都は荒廃するとともに、戦火は地方にも広まり、幕府の権威は失墜した。
20
第1次世界大戦後、国際協調の気運が高まり、国際会議がたびたび開かれた。次の①から⑤はa~eの国際会議と関連する事項である。会議名と事項の組合せが正しいものはどれか。 aパリ講和会議(1919年) bワシントン会議(1921〜22年) cジュネーブ軍縮会議(1927年) dパリ会議(1928年) eロンドン軍縮会議(1930年) ①国際連盟成立、山東半島利権継承 ②不戦条約、満州某重大事件 ③統帥権干犯問題、浜口雄幸内閣退陣 ④日英同盟破棄、石井・ランシング協定破棄 ⑤対華積極政策、第1次山東出兵
① ④ ⑤ ② ③
21
鎌倉時代の政治・経済に関する記述として正しいものは、次のうちどれか。
商工業は座を中心に発達した。それに伴って定期市が開かれるようになったり、問丸が商品管理、輸送を行なったり、宋銭も輸入されて流通した。
22
江戸時代の五人の将軍に関する記述として正しいものは、次のうちどれか。
徳川家康は明やシャムなどと書簡を交換して親善を図る一方、朱印船制度を設けて積極的に貿易を行ない、朝鮮とは善隣外交政策を行なった。
23
わが国の貨幣制度の歴史に関する記述として正しいものは,次のうちどれか。
江戸幕府は金座,銀座,銭座を設けて全国共通の貨幣を鋳造し,鋳貨権を独占したが,鋳貨権を持たない諸藩でも財政難を補うために藩内のみで通用する紙幣(藩札)が発行された。
24
明治時代の後半から大正時代の前半にかけて,史実を正しい願序で並べたものはどれか。 A 日米新通商航海条約調印(関税自主権回復) B 日露戦争勃発 C ハーグ密使事件 D 第一次世界大戦に参戦
B→C→A→D
25
わが国の封建制を形づくった室町時代に関する記述として正しいものは,次のうちどれか。
将軍の下に将軍を補佐し幕府の諸機関を統轄する管領が置かれ,将軍家一門から任ぜられていた。
26
第一次世界大戦後のわが国の国際協調外交に関する記述として正しいものは,次のうちどれか。
軍部の一部にあった強い反対を抑えて欧米諸国と軍縮条約を結び,海軍の兵力の削減に努めた。
27
室町時代の東山文化に関する記述として妥当なものは,次のうちどれか。
東山文化は将軍足利義政の時代に開花した文化で,慈照寺観音殿(銀閣)がその代表的な建築物である。
28
日露戦争に開す左記述として妥当なものは,次のうちどれか。
日本とロシアは,アメリカ大統領セオドア=ルーズベルトの斡旋により,ポーツマスで講和条約に調印した。
29
養老律令による律令制度に関する記述として,妥当なのはどれか。
律令制度では,税として,田地に課される租のほかに,郷土の産物を納める調,都の労役に代えて布などを納める庸,国司の指揮下で土木事業などに一定日数従事する雑徭があった。
30
わが国の古代の歴史に関する記述として,妥当なのはどれか。
中大兄皇子は,都を近江の大津宮に移して天智天皇として即位し,最初の全国的な戸籍である庚午年籍を作成した。
31
平安時代に関する記述として,妥当なのはどれか。
嵯峨天皇は,蔵人所を設置し,蔵人頭に藤原冬嗣を任じたほか,平安京の治安を守るため,検非違使を設置した。
32
鎌倉時代に関する次の記述のA~Dに入る語句の組合せとして,最も妥当なのはどれか。 源頼朝は,鎌倉を拠点とする武家政治をはじめ,国ごとにAを荘園や公領ごとにBを置くことを朝廷に認めさせた。その後奥州藤原氏をほろぼした頼朝は,1192年に朝廷から征夷大将軍に任命され,全国の武士を従える地位に就いた。鎌倉幕府を支えたのは,将軍と将軍に従う武士(御家人)との結びつきであり,彼らは自分達の土地を守ってもらうために将軍に忠誠を誓い,その一方でAやBに任命され,新たな土地をもらえることを期待した。このような土地を仲立ちとして主従関係を結ぶしくみを封建制度という。頼朝の死後,有力な御家人のあいだで政治の主導権をめぐる争いが続き,そのなかで勢力を伸ばした北条氏は,やがて幕府の実権をにぎった。この北条氏の地位のことをCという。3代Cである北条泰時は,御家人と荘園領主の間で領地をめぐる争いが増えると,土地争いの裁判を公平に行うための基準を示すために,1232年にDを定めた。
守護 地頭 執権 御成敗式目
33
源平の争乱と鎌倉幕府の成立に関する次の出来事ア~オを年代の古い順に並べたものとして,妥当なのはどれか。 ア 源頼朝らが,以仁王の令旨を受けて挙兵した。 イ 源義仲が,源範頼と義経に討たれた。 ウ 源頼朝が,奥州藤原氏を滅ぼした。 エ 源頼朝が,征夷大将軍に任じられた。 オ 源義経らが,壇の浦で平氏を滅ぼした。
アーイーオーウーエ
34
室町幕府の政治に関する記述として,最も妥当なのはどれか。
足利義満は,1391年の明徳の乱で山名氏清を,1399年の応永の乱で大内義弘をやぶり,幕府の権力を確立した。
35
鎌倉仏教の諸宗派等に関する組合せとして,妥当なのはどれか。 宗派 開祖 中心寺院
時宗 一遍 清浄光寺(神奈川)
36
室町時代の文化に関するA~Dの記述のうち,妥当なものを選んだ組合せはどれか。
一寸法師,浦島太郎,物ぐさ太郎などの御伽草子と呼ばれる短編物語が,庶民のあいだで普及した。, 幸若舞,古浄瑠璃,小歌などが庶民に愛好され,小歌の歌集である閑吟集がつくられた。
37
江戸時代の政策に関する記述として最も妥当なのはどれか。
松平定信は,寛政の改革を行い,旧里帰農令を出して江戸に流入した没落農民の帰村や帰農を奨励した。また,寛政異学の禁を発し,朱子学を正学とした。
38
織豊政権に関する記述として,最も妥当なのはどれか。
長篠の戦いで武田勝頼の軍に対し,鉄砲を使った戦術で勝利した織田信長は,その後,近江に安土城を築いた。
39
近世のヨーロッパ人の来航に関する記述中の空所A~Cに当てはまる語句の組合せとして,最も妥当なのはどれか。 1549年,Aの擁護と東洋方面への布教を使命とした修道会であるイエズス会のフランシスコ=ザビエルが鹿児島に渡来した。以後,多くの宣教師たちが来日し,布教をおこなった。戦国大名のなかにもキリスト教の信仰にひかれ改宗する者もあらわれた。そのような大名をキリシタン大名という。1582年には,キリシタン大名の大友義鎮(宗麟)・大村純忠・Bは,伊東マンショら4名の少年をローマ教皇のもとに派遣した。これをCという。
カトリック 有馬晴信 天正遣欧使節
40
A~Eは江戸時代に起きた出来事であるが,年代の古い順に並べた組合せとして,最も妥当なのはどれか。 A 日本人の海外渡航を禁止する。 B オランダ商館を平戸から長崎出島に移す。 C 全国にキリスト教の禁教令を出す。 D ポルトガル船の来航を禁止する。 E 島原・天草一揆が起こる。
C-A-E-D-B
41
江戸時代の農民に関する記述として,妥当なのはどれか。
分割相続による経営規模の縮小によって農民が没落するのを防ぐために,1673年に分地制限令が出された。
42
江戸幕府の職制のうち郡代・代官を統轄するものとして,妥当なのはどれか。
勘定奉行
43
江戸時代に関する記述として,最も妥当なのはどれか。
幕府や領主は,年貢などの負担を村の責任で納入させる村請制をとり,さらに村統治の組織として五人組制度を設け,連帯責任をとらせた。
44
江戸時代中・後期の文化に関する記述として,妥当なのはどれか。
国学では,賀茂真淵の門人の本居宣長が,古事記の研究を行い,『古事記伝』を著して日本古来の精神に返ることを主張した。
45
幕末の出来事に関する記述として,妥当なのはどれか。
薩長同盟は,土佐藩出身の坂本竜馬や中岡慎太郎らの仲介で,薩摩藩の西郷隆盛と長州藩の木戸孝允が結んだ密約である。
46
日露戦争に関する記述として,最も妥当なのはどれか。
日本では,戦争による人的な損害や増税に対して,領土や権益の獲得不足や賠償金がないことに国民の不満が爆発し,日比谷焼打ち事件という暴動が起きた。
47
明治維新の歴史に関する記述として,妥当なのはどれか。
蝦夷地を北海道と改称して開拓使を置き,士族救済の一つの事業として屯田兵制度をもうけ,屯田兵に北海道の農地開拓と警備にあたらせた。
48
自由民権運動に関する記述として,妥当なのはどれか。
1874年に,江藤新平や副島種臣らは,国会の開設を要求する民撰議院設立の建白書を左院に提出した。
49
日清戦争および日露戦争に関する記述として,最も妥当なのはどれか。
朝鮮で起こった甲午農民戦争(東学党の乱)の際,出兵した日清両国が朝鮮の内政改革をめぐって対立を深め,日清戦争がはじまった。
50
第一次世界大戦と大正デモクラシーなどに関する記述として最も妥当なのはどれか。
大正時代には,大正デモクラシーと呼ばれる民主主義的,自由主義的な風潮が強まり,憲法学者の美濃部達吉は天皇機関説を唱え,政治学者の吉野作造は民本主義思想を展開した。
51
わが国の大正時代に関する記述として,最も妥当なのはどれか。
1923年に発生した関東大震災で当時の東京市と横浜市の大部分が地震と火災により壊滅状態となった。
52
昭和初期から太平洋戦争までの歴史に関する記述として,妥当なのはどれか。
五・一五事件で,青年将校らが首相官邸を襲撃して犬養毅首相を殺害した後,挙国一致内閣が誕生し,政党政治は終わりを告げた。
53
GHQによる日本の占領政策に関する記述として,妥当なのはどれか。
労働組合の結成を促すGHQの政策に基づき労働組合法が制定され,労働者の団結権・団体交渉権・ストライキ権が保証された。
54
第二次世界大戦後の我が国の外交に関する記述として,妥当なのはどれか。
佐藤栄作内閣は,沖縄返還協定を結び,翌年の協定発効をもって沖縄の日本復帰が実現されたが,広大なアメリカ軍基地は存続することになった。
55
わが国の土地制度に関する記述として,最も妥当なのはどれか。
墾田永年私財法とは,墾田の永久使用を認めた法令であり,これにより資力に恵まれた貴族・豪族らの土地私有がすすみ,荘園が成立していった。
56
次のA~Dの記述はわが国の租税の歴史に関するものであるが,これらを古いものから順に並べたものとして最も妥当なのはどれか。 A 天正の石直しでは,土地測量の基準を統一し,全国の郷村の面積と等級を定め,それに基づいて生産高(石高)を見積もり,その石高に応じて年貢を決定した。 B 全国の土地を測量してその地価を決定し,全国一律に地価の3%を地租と定め,土地所有者がこれを金納することとした。 C 農民の負担する租税は本年貢(本途物成)が中心であり,田畑の収穫から米で納めるのを原則とし,その率は石高に対して4公6民,または5公5民であった。 D 租税には,租・庸・調・雑徭などがあった。租は,口分田に課せられる税で,収穫高の約3%であり,大部分は地方財政に充てられた。
D→A→C→B
57
わが国の外交史に関する記述として,最も妥当なのはどれか。
フェートン号事件後もイギリス船やアメリカ船がしばしば日本近海に出没し,幕府は異国船に薪水や食糧を与えて帰国させていたが,その方針を変えて異国船打払令を出した。
58
わが国における政治と宗教の歴史に関する記述として最も妥当なのはどれか。
平安時代,桓武天皇の仏教改革の姿勢に対応して仏教界に革新の動きが起こり,最澄や空海が唐から新しい仏教の教えを伝えた。空海が伝えた真言密教は現世利益を願う貴族社会に浸透した。
59
明治時代以降の我が国の外交に関する記述として最も妥当なのはどれか。
北清事変を契機にロシアが満州を占領すると,警戒感を強めたわが国は,英国と日英同盟協約を締結した。
60
わが国の争乱に関する記述として最も妥当なのはどれか。
19世紀の新政府成立後の旧幕府勢力と新政府軍の争いは戊辰戦争と呼ばれ,新政府軍は京都の鳥羽・伏見や会津若松,箱館などで旧幕府勢力を破り,ほぼ国内を統一した。
61
日本の文化に関する記述として,最も妥当なのはどれか。
16世紀末から17世紀初頭にかけての文化を桃山文化と呼び,この文化を象徴するのが城郭建築である。この時代の城郭は平地につくられ,重層の天守閣をもつ本丸をはじめ,石垣で築かれ,土塁や濠で囲まれた複数の郭をもつようになった。
62
わが国における律令体制の形成に伴って行なわれた事柄として妥当なものは,次のうちどれか。
戸籍が作成され,班田収授の法が実施されたこと
63
次に挙げる歴史上の事柄のうち,相互に直接的な関係のあるものの組合せとして正しいのはどれか。
安政の大獄一桜田門外の変