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鎌倉時代
87問 • 1年前
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    問題一覧

  • 1

    1180年から始まった源平の合戦のことを(◽️◽️)の乱という。

    治承・寿永

  • 2

    1180年、(◽️◽️)は後白河法皇の皇子(◽️◽️◽️)を奉じて平氏打倒の兵をあげた。

    源頼政

  • 3

    源頼朝は、西暦(◽️)年[=( )四年]に(◽️)で挙兵した。

    1180

  • 4

    1180年、(◽️◽️◽️)が東大寺・(◽️◽️)などの奈良の諸大寺を焼失させた。これを(◽️◽️)という。

    平重衡

  • 5

    平氏滅亡の戦いで指揮をとったのは、(◽️◽️)と(◽️◽️)である。

    源義経

  • 6

    源頼朝は、(◽️◽️)から国衙の実権を握る(◽️)を支配する権利を獲得した。

    後白河法皇

  • 7

    守護・地頭の設置は(◽️◽️)の献策である。

    大江広元

  • 8

    守護は、当初は( )や( )などとよばれた。

    惣追捕使

  • 9

    源頼朝は1184年には一般政務を担当する(◽️◽️)と、裁判業務を司る(◽️◽️◽️)を設けた。

    公文所

  • 10

    源頼朝は、親幕府派の公卿であった(◽️◽️)を(◽️◽️)公卿に指名し、幕府の意思が朝廷に伝わるようにした。

    九条兼実

  • 11

    摂関家においては、まず近衛・九条の両家に分立し、さらに近衛家から( )家が分かれ、九条家からは( )・( )各家が分立し、いわゆる五摂家の成立となった。

    鷹司

  • 12

    1200年、(◽️◽️)は鎌倉を追放され戦死した。

    梶原景時

  • 13

    1205年に、(◽️◽️)・( )の父子が北条時政に倒された。

    畠山重忠

  • 14

    1205年、(◽️◽️)は、源実朝の殺害と、後妻の娘婿である(◽️)の将軍擁立を図って失敗したため、引退させられて伊豆に帰った。

    北条時政

  • 15

    将軍(◽️◽️◽️)は、(◽️)年に暗殺され、源氏は断絶した。

    源実朝

  • 16

    (◽️◽️◽️)によると、新補地頭の得分は、田地(◽️◽️)町につき1町の免田、1段あたり5升の(◽️◽️)をとる権利、山や川の収益の半分であった。

    新補率法

  • 17

    執権(◽️◽️◽️)は、西暦(◽️◽️)年[=(◽️◽️◽️)元年]に御成敗式目を制定した。

    北条泰時

  • 18

    北条泰時は、弟である(◽️)に消息文[=手紙]を送り、御成敗式目制定の趣旨を述べた。

    北条重時

  • 19

    御成敗式目の制定は、1231年の(◽️)の大飢饉による社会不安・紛争増加への対応が契機とも考えられる。

    寛喜

  • 20

    5代執権(◽️◽️◽️)は、(◽️◽️)の孫である。

    北条時頼

  • 21

    北条時頼は(◽️)年の宝治合戦で(◽️◽️◽️)一族を滅ぼして反北条勢力を一掃した。

    1247

  • 22

    執権(◽️◽️)は、(◽️)天皇の子(◽️◽️)を最初の皇族将軍として迎えた。

    北条時頼

  • 23

    北条時宗の子の(◽️◽️◽️)が9代執権になると、幕府の実権は彼一人に握られた。

    北条貞時

  • 24

    1285、内管領(◽️◽️◽️)が有力御家人(◽️◽️◽️)を滅ぼした。

    平頼綱

  • 25

    幕府は御家人救済のために、諸陵の売買・質入れの禁止を定めた、(◽️◽️◽️)を発布した。

    永仁の徳政令

  • 26

    永仁の徳政令は、(◽️)年、執権(◽️◽️◽️)のときに出された。

    1297

  • 27

    佃の耕作は、(◽️◽️)や(◽️◽️)とよばれる農民が行った。

    下人

  • 28

    紀伊国の(◽️◽️)は、鎌倉時代の農民が地頭の悪行を訴えた文書である。

    阿氐河荘民訴状

  • 29

    法然が著した『(◽️◽️◽️)』は、専修念仏の教義を説いた書物である。

    選択本願念仏集

  • 30

    『(◽️◽️)』は、親鸞の主著である。

    教行信証

  • 31

    親鸞の悪人正機の教えは、(◽️◽️)の作といわれる『(◽️◽️◽️)』に記されている。

    唯円

  • 32

    法然は( )国に流され、親鸞は( )国に流された。

    土佐

  • 33

    日蓮は(◽️)国出身であった。

    安房

  • 34

    はじめ(◽️)宗を学んだ日蓮は、(◽️◽️)経が仏法の正しい教えであることを悟り、(◽️◽️◽️)を唱えることによって救われると説いた。

    天台

  • 35

    日蓮は、『(◽️◽️◽️)』を著して(◽️◽️)に献上し、法華経を信じなければ国難を招くと予言したため( )に流された。

    立正安国論

  • 36

    佐渡に流された日蓮は、自らが法華信仰のにない手であることを説いた『( )』を著した。

    開目鈔

  • 37

    臨済宗の開祖は(◽️◽️◽️)である。

    栄西

  • 38

    栄西は13世紀はじめ、鎌倉に(◽️)寺、京都に(◽️◽️)寺を開いた。

    寿福寺

  • 39

    『正法眼蔵随聞記』は(◽️)の作で、( )世紀につくられた。

    懐奘

  • 40

    北条時宗の帰依を受けた(◽️◽️◽️)は、鎌倉に(◽️◽️◽️)を開いた。

    無学祖元

  • 41

    旧仏教では、解脱上人とよばれた(◽️◽️)が法相宗を、高山寺の(◽️◽️)が華厳宗を、泉涌寺の(◽️)が律宗を再興した。

    貞慶(解脱)

  • 42

    (◽️◽️◽️)は、1205年に興福寺奏状を起草して法然の専修念仏を厳しく批判した。

    貞慶(解脱)

  • 43

    明恵[高弁]は、法然の教義を批判する内容を含んだ『(◽️)』を著した。

    摧邪輪

  • 44

    明恵[高弁]は、京都の栂尾の旧寺を再興して(◽️)寺をおこした。

    高山

  • 45

    律宗の(◽️◽️)は、大和の西大寺で戒律の復興と民衆化につとめた。

    叡尊(思円)

  • 46

    忍性[良観]は、のちに鎌倉に招かれ、(◽️)の再興に尽力した。

    極楽寺

  • 47

    伊勢神宮の外宮神宮(◽️◽️◽️)は、神道が根本にあってこそ儒教や仏教があることを説き、『(◽️◽️)』を著した。

    度会家行

  • 48

    神仏習合の考え方に依拠し、真言宗の思想のもとで形成された神道を(◽️)、天台宗の思想のもとで形成された神道を(◽️)という。

    両部神道

  • 49

    東大寺の再興にあたった(◽️◽️◽️)は、(◽️)として各地を回り、費用や資財の調達につとめた。

    重源(俊乗坊)

  • 50

    禅宗寺院の建築様式に用いられた禅宗様は、(◽️◽️)ともよばれ、鎌倉の(◽️◽️)などが有名である。

    唐様

  • 51

    石山寺多宝塔の建築様式は(◽️◽️)である。

    和様

  • 52

    観心寺金堂の建築様式は(◽️◽️)である。

    折衷様

  • 53

    運慶を筆頭とする慶派仏師は、その活動基盤をなした場所にちなんで(◽️)仏師ともよばれる。

    奈良

  • 54

    東大寺南大門の(◽️◽️◽️)像は鎌倉時代の代表的彫刻で、(◽️◽️)・(◽️◽️)などの合作である。

    金剛力士

  • 55

    (◽️◽️)は、(◽️◽️)寺の『無着・世親像』などの写実的で力強い木彫像をつくった。

    運慶

  • 56

    三十三間堂には(◽️)が最晩年につくった千手観音像が安置されている。

    湛慶

  • 57

    六波羅蜜寺の『空也上人像』は、(◽️◽️)の作といわれる。

    康勝

  • 58

    (◽️◽️)寺にある『天灯鬼像』・『竜灯鬼像』は(◽️)らの作である。

    興福

  • 59

    鎌倉時代の肖像彫刻には、鎌倉明月院の『(◽️)』がある。

    上杉重房像

  • 60

    鎌倉時代の肖像彫刻には、東大寺の『(◽️)』がある。

    重源上人像

  • 61

    北野天神縁起絵巻は( )の筆といわれる。

    藤原信実

  • 62

    藤原氏の氏神の霊験談を主題に描かれた鎌倉時代後期の絵巻物を『(◽️◽️)』という。

    春日権現験記

  • 63

    『春日権現験記』は、春日神社の縁起を描いたもので、宮廷の絵師である( )が制作した。

    高階隆兼

  • 64

    一遍の生涯を描いた『(◽️◽️)』は( )筆のものである。

    一遍上人絵伝

  • 65

    武蔵国坂東に住む地方武士の生活を描いた絵巻物を『(◽️◽️)』という。

    男衾三郎絵巻

  • 66

    京都( )寺に伝えられている『源頼朝像』の作者は(◽️)である。

    神護

  • 67

    鎌倉時代末、伏見天皇の皇子である(◽️◽️)が、宋や元から伝えられた書風をとり入れて(◽️◽️)という新しい書道の一派を創始した。

    尊円入道親王

  • 68

    鎌倉時代における甲冑製作の名家に(◽️)がいる。

    明珍

  • 69

    鎌倉時代の代表的な刀工には、京都の(◽️)、相模の(◽️)、備前の(◽️)がいる。

    粟田口吉光

  • 70

    南宋に渡って製陶法を学んだとされる加藤景正は(◽️◽️)の開祖といわれる。

    瀬戸焼

  • 71

    (◽️)が著した『万葉集註釈』は鎌倉時代における公家社会の懐古趣味の表れとされている。

    仙覚

  • 72

    漢文体のわが国最初の日本仏教史である『(◽️◽️)』は(◽️◽️)の著である。

    元亨釈書

  • 73

    1205年には、(◽️◽️◽️)の命で『(◽️◽️◽️)』という勅撰和歌集が編纂された。

    後鳥羽上皇

  • 74

    新古今和歌集の撰者は、(◽️◽️)や(◽️)らである。

    藤原定家

  • 75

    無住によって書かれた仏教説話集は『(◽️)』である。

    沙石集

  • 76

    『(◽️)』は、橘成季の撰で1254年[=建長六年]に成立した説話集である。

    古今著聞集

  • 77

    『(◽️)』は、源親行の作との説がある紀行文である。

    東関紀行

  • 78

    後醍醐天皇の倒幕計画で、1324年のものを(◽️◽️◽️)、1331年のもの(◽️◽️◽️)とよんだ。

    正中の変

  • 79

    倒幕の挙兵を、播磨国で行った有力御家人は(◽️)である。

    赤松則村

  • 80

    隠岐を脱出した後醍醐天皇を奉じて挙兵した伯耆国の豪族は(◽️)である。

    名和長年

  • 81

    鎌倉幕府が滅亡した「(◽️)三年」とは西暦(◽️◽️)年のことである。

    元弘

  • 82

    後醍醐天皇による新政は、西暦(◽️)年に改元された年号をつけて(◽️◽️◽️)とよばれた。

    1334

  • 83

    後醍醐天皇は(◽️)造営計画などの大規模な土木事業を計画し、(◽️)の銘文をもつ貨幣および紙幣の発行などを企画した。

    大内裏

  • 84

    建武政権が設置した所領に関する訴訟機関を(◽️◽️◽️)という。

    雑訴決断所

  • 85

    (◽️)は、後醍醐天皇の皇子(◽️)親王を奉じて鎌倉将軍府をつくった。

    足利直義

  • 86

    (◽️)は、後醍醐天皇の皇子(◽️)親王を奉じて陸奥将軍府をつくった。

    北畠顕家

  • 87

    二条河原の落書は『(◽️◽️)』に収められている。

    建武年間記

  • シス単1021-1080

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    古文単語58-76

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    6問 • 1年前
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    問題一覧

  • 1

    1180年から始まった源平の合戦のことを(◽️◽️)の乱という。

    治承・寿永

  • 2

    1180年、(◽️◽️)は後白河法皇の皇子(◽️◽️◽️)を奉じて平氏打倒の兵をあげた。

    源頼政

  • 3

    源頼朝は、西暦(◽️)年[=( )四年]に(◽️)で挙兵した。

    1180

  • 4

    1180年、(◽️◽️◽️)が東大寺・(◽️◽️)などの奈良の諸大寺を焼失させた。これを(◽️◽️)という。

    平重衡

  • 5

    平氏滅亡の戦いで指揮をとったのは、(◽️◽️)と(◽️◽️)である。

    源義経

  • 6

    源頼朝は、(◽️◽️)から国衙の実権を握る(◽️)を支配する権利を獲得した。

    後白河法皇

  • 7

    守護・地頭の設置は(◽️◽️)の献策である。

    大江広元

  • 8

    守護は、当初は( )や( )などとよばれた。

    惣追捕使

  • 9

    源頼朝は1184年には一般政務を担当する(◽️◽️)と、裁判業務を司る(◽️◽️◽️)を設けた。

    公文所

  • 10

    源頼朝は、親幕府派の公卿であった(◽️◽️)を(◽️◽️)公卿に指名し、幕府の意思が朝廷に伝わるようにした。

    九条兼実

  • 11

    摂関家においては、まず近衛・九条の両家に分立し、さらに近衛家から( )家が分かれ、九条家からは( )・( )各家が分立し、いわゆる五摂家の成立となった。

    鷹司

  • 12

    1200年、(◽️◽️)は鎌倉を追放され戦死した。

    梶原景時

  • 13

    1205年に、(◽️◽️)・( )の父子が北条時政に倒された。

    畠山重忠

  • 14

    1205年、(◽️◽️)は、源実朝の殺害と、後妻の娘婿である(◽️)の将軍擁立を図って失敗したため、引退させられて伊豆に帰った。

    北条時政

  • 15

    将軍(◽️◽️◽️)は、(◽️)年に暗殺され、源氏は断絶した。

    源実朝

  • 16

    (◽️◽️◽️)によると、新補地頭の得分は、田地(◽️◽️)町につき1町の免田、1段あたり5升の(◽️◽️)をとる権利、山や川の収益の半分であった。

    新補率法

  • 17

    執権(◽️◽️◽️)は、西暦(◽️◽️)年[=(◽️◽️◽️)元年]に御成敗式目を制定した。

    北条泰時

  • 18

    北条泰時は、弟である(◽️)に消息文[=手紙]を送り、御成敗式目制定の趣旨を述べた。

    北条重時

  • 19

    御成敗式目の制定は、1231年の(◽️)の大飢饉による社会不安・紛争増加への対応が契機とも考えられる。

    寛喜

  • 20

    5代執権(◽️◽️◽️)は、(◽️◽️)の孫である。

    北条時頼

  • 21

    北条時頼は(◽️)年の宝治合戦で(◽️◽️◽️)一族を滅ぼして反北条勢力を一掃した。

    1247

  • 22

    執権(◽️◽️)は、(◽️)天皇の子(◽️◽️)を最初の皇族将軍として迎えた。

    北条時頼

  • 23

    北条時宗の子の(◽️◽️◽️)が9代執権になると、幕府の実権は彼一人に握られた。

    北条貞時

  • 24

    1285、内管領(◽️◽️◽️)が有力御家人(◽️◽️◽️)を滅ぼした。

    平頼綱

  • 25

    幕府は御家人救済のために、諸陵の売買・質入れの禁止を定めた、(◽️◽️◽️)を発布した。

    永仁の徳政令

  • 26

    永仁の徳政令は、(◽️)年、執権(◽️◽️◽️)のときに出された。

    1297

  • 27

    佃の耕作は、(◽️◽️)や(◽️◽️)とよばれる農民が行った。

    下人

  • 28

    紀伊国の(◽️◽️)は、鎌倉時代の農民が地頭の悪行を訴えた文書である。

    阿氐河荘民訴状

  • 29

    法然が著した『(◽️◽️◽️)』は、専修念仏の教義を説いた書物である。

    選択本願念仏集

  • 30

    『(◽️◽️)』は、親鸞の主著である。

    教行信証

  • 31

    親鸞の悪人正機の教えは、(◽️◽️)の作といわれる『(◽️◽️◽️)』に記されている。

    唯円

  • 32

    法然は( )国に流され、親鸞は( )国に流された。

    土佐

  • 33

    日蓮は(◽️)国出身であった。

    安房

  • 34

    はじめ(◽️)宗を学んだ日蓮は、(◽️◽️)経が仏法の正しい教えであることを悟り、(◽️◽️◽️)を唱えることによって救われると説いた。

    天台

  • 35

    日蓮は、『(◽️◽️◽️)』を著して(◽️◽️)に献上し、法華経を信じなければ国難を招くと予言したため( )に流された。

    立正安国論

  • 36

    佐渡に流された日蓮は、自らが法華信仰のにない手であることを説いた『( )』を著した。

    開目鈔

  • 37

    臨済宗の開祖は(◽️◽️◽️)である。

    栄西

  • 38

    栄西は13世紀はじめ、鎌倉に(◽️)寺、京都に(◽️◽️)寺を開いた。

    寿福寺

  • 39

    『正法眼蔵随聞記』は(◽️)の作で、( )世紀につくられた。

    懐奘

  • 40

    北条時宗の帰依を受けた(◽️◽️◽️)は、鎌倉に(◽️◽️◽️)を開いた。

    無学祖元

  • 41

    旧仏教では、解脱上人とよばれた(◽️◽️)が法相宗を、高山寺の(◽️◽️)が華厳宗を、泉涌寺の(◽️)が律宗を再興した。

    貞慶(解脱)

  • 42

    (◽️◽️◽️)は、1205年に興福寺奏状を起草して法然の専修念仏を厳しく批判した。

    貞慶(解脱)

  • 43

    明恵[高弁]は、法然の教義を批判する内容を含んだ『(◽️)』を著した。

    摧邪輪

  • 44

    明恵[高弁]は、京都の栂尾の旧寺を再興して(◽️)寺をおこした。

    高山

  • 45

    律宗の(◽️◽️)は、大和の西大寺で戒律の復興と民衆化につとめた。

    叡尊(思円)

  • 46

    忍性[良観]は、のちに鎌倉に招かれ、(◽️)の再興に尽力した。

    極楽寺

  • 47

    伊勢神宮の外宮神宮(◽️◽️◽️)は、神道が根本にあってこそ儒教や仏教があることを説き、『(◽️◽️)』を著した。

    度会家行

  • 48

    神仏習合の考え方に依拠し、真言宗の思想のもとで形成された神道を(◽️)、天台宗の思想のもとで形成された神道を(◽️)という。

    両部神道

  • 49

    東大寺の再興にあたった(◽️◽️◽️)は、(◽️)として各地を回り、費用や資財の調達につとめた。

    重源(俊乗坊)

  • 50

    禅宗寺院の建築様式に用いられた禅宗様は、(◽️◽️)ともよばれ、鎌倉の(◽️◽️)などが有名である。

    唐様

  • 51

    石山寺多宝塔の建築様式は(◽️◽️)である。

    和様

  • 52

    観心寺金堂の建築様式は(◽️◽️)である。

    折衷様

  • 53

    運慶を筆頭とする慶派仏師は、その活動基盤をなした場所にちなんで(◽️)仏師ともよばれる。

    奈良

  • 54

    東大寺南大門の(◽️◽️◽️)像は鎌倉時代の代表的彫刻で、(◽️◽️)・(◽️◽️)などの合作である。

    金剛力士

  • 55

    (◽️◽️)は、(◽️◽️)寺の『無着・世親像』などの写実的で力強い木彫像をつくった。

    運慶

  • 56

    三十三間堂には(◽️)が最晩年につくった千手観音像が安置されている。

    湛慶

  • 57

    六波羅蜜寺の『空也上人像』は、(◽️◽️)の作といわれる。

    康勝

  • 58

    (◽️◽️)寺にある『天灯鬼像』・『竜灯鬼像』は(◽️)らの作である。

    興福

  • 59

    鎌倉時代の肖像彫刻には、鎌倉明月院の『(◽️)』がある。

    上杉重房像

  • 60

    鎌倉時代の肖像彫刻には、東大寺の『(◽️)』がある。

    重源上人像

  • 61

    北野天神縁起絵巻は( )の筆といわれる。

    藤原信実

  • 62

    藤原氏の氏神の霊験談を主題に描かれた鎌倉時代後期の絵巻物を『(◽️◽️)』という。

    春日権現験記

  • 63

    『春日権現験記』は、春日神社の縁起を描いたもので、宮廷の絵師である( )が制作した。

    高階隆兼

  • 64

    一遍の生涯を描いた『(◽️◽️)』は( )筆のものである。

    一遍上人絵伝

  • 65

    武蔵国坂東に住む地方武士の生活を描いた絵巻物を『(◽️◽️)』という。

    男衾三郎絵巻

  • 66

    京都( )寺に伝えられている『源頼朝像』の作者は(◽️)である。

    神護

  • 67

    鎌倉時代末、伏見天皇の皇子である(◽️◽️)が、宋や元から伝えられた書風をとり入れて(◽️◽️)という新しい書道の一派を創始した。

    尊円入道親王

  • 68

    鎌倉時代における甲冑製作の名家に(◽️)がいる。

    明珍

  • 69

    鎌倉時代の代表的な刀工には、京都の(◽️)、相模の(◽️)、備前の(◽️)がいる。

    粟田口吉光

  • 70

    南宋に渡って製陶法を学んだとされる加藤景正は(◽️◽️)の開祖といわれる。

    瀬戸焼

  • 71

    (◽️)が著した『万葉集註釈』は鎌倉時代における公家社会の懐古趣味の表れとされている。

    仙覚

  • 72

    漢文体のわが国最初の日本仏教史である『(◽️◽️)』は(◽️◽️)の著である。

    元亨釈書

  • 73

    1205年には、(◽️◽️◽️)の命で『(◽️◽️◽️)』という勅撰和歌集が編纂された。

    後鳥羽上皇

  • 74

    新古今和歌集の撰者は、(◽️◽️)や(◽️)らである。

    藤原定家

  • 75

    無住によって書かれた仏教説話集は『(◽️)』である。

    沙石集

  • 76

    『(◽️)』は、橘成季の撰で1254年[=建長六年]に成立した説話集である。

    古今著聞集

  • 77

    『(◽️)』は、源親行の作との説がある紀行文である。

    東関紀行

  • 78

    後醍醐天皇の倒幕計画で、1324年のものを(◽️◽️◽️)、1331年のもの(◽️◽️◽️)とよんだ。

    正中の変

  • 79

    倒幕の挙兵を、播磨国で行った有力御家人は(◽️)である。

    赤松則村

  • 80

    隠岐を脱出した後醍醐天皇を奉じて挙兵した伯耆国の豪族は(◽️)である。

    名和長年

  • 81

    鎌倉幕府が滅亡した「(◽️)三年」とは西暦(◽️◽️)年のことである。

    元弘

  • 82

    後醍醐天皇による新政は、西暦(◽️)年に改元された年号をつけて(◽️◽️◽️)とよばれた。

    1334

  • 83

    後醍醐天皇は(◽️)造営計画などの大規模な土木事業を計画し、(◽️)の銘文をもつ貨幣および紙幣の発行などを企画した。

    大内裏

  • 84

    建武政権が設置した所領に関する訴訟機関を(◽️◽️◽️)という。

    雑訴決断所

  • 85

    (◽️)は、後醍醐天皇の皇子(◽️)親王を奉じて鎌倉将軍府をつくった。

    足利直義

  • 86

    (◽️)は、後醍醐天皇の皇子(◽️)親王を奉じて陸奥将軍府をつくった。

    北畠顕家

  • 87

    二条河原の落書は『(◽️◽️)』に収められている。

    建武年間記