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日本建築史記述
  • 五味美月

  • 問題数 23 • 7/10/2024

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    問題一覧

  • 1

    掘立柱について述べよ

    掘立柱の利点は単純で自立できることであるが、しかし柱根が腐食しやすい欠点をもつ。遺構によると通常の柱穴はほぼ1mの大きさで深さは1m程度である。柱穴に柱を立てるには直接底に柱を立てたのち土で埋めるのが一般的であるが、柱根元に玉石を詰めて固める礎盤をおく、あるいは柱下に枠木を十字形に組むなど工夫が施したものである。

  • 2

    下地窓について述べよ

    窓の形式の1つで、土壁の一部を塗り残し、下地の木舞といわれる格子状に組んだ竹や葭を見せた窓である。千利休が田舎家の塗りさしの窓を見て、風炉先窓(ふろさきまど)にあけたのが始まりといわれる。もとは民家に使われていたが、茶室や数寄屋造りに取り入れられ、広く用いられるようになった。「塗り残し窓」「塗りさし窓」ともいい、円形または方形にあけるものがある。 風炉先窓(ふろさきまど)は、窓の位置による名称のひとつで、点前座の風炉を置く場所の向こうの壁面に配置した窓のことです。

  • 3

    重源について述べよ

    13歳で醍醐寺に入り出家し、その後、高野山に別所を構えると共に大陸への関心を高め、仁安(にんなん)2年に宋へと渡った。宋から帰国すると重源は治承4年の兵火に罹った南都東大寺の復興にその生涯を尽くすこととなる。罹災の翌年、朝廷は東大寺再建事業の統括責任者として重源を造営大勧進職に任命した。

  • 4

    大社造りについて述べよ

    神社本殿形式のひとつ。2間4方の平面で、妻入り、非対称の形式をもち、屋根は檜皮葺き、素木造り(しらき)であるのが特徴。真ん中に柱があるため、入口は正面右側に偏って配置されている。出雲大社本殿が代表的なものである。屋根には千木と鰹木が設けられている。

  • 5

    木割とはなにか述べよ

    建物の各部材の寸法や組み合わせを比例によって定める方式。建物の大きさによって違いはあるが、一般に正面の柱間でもっとも広い中央間を基準とし、その10分の1ないし12分の1を柱の太さに決め、その柱の太さの何割かで長押、貫、桁、垂木の寸法を決める。

  • 6

    懸造について述べよ

    密集系の建物は山中の斜面に建てられるものが多く、亀腹(かめばら)と呼ばれる曲線状の基壇が築かれた。しかしさらに急になると建物が崖などの高低差の大きい土地に、長い柱や貫ね床下を固定し、その上に建物を建てる懸造が用いられた。

  • 7

    多宝塔について述べよ

    寺院建築のうち仏塔における形式のひとつである。一般に平面が方形の初層の上に、平面が円形の上層を重ね、宝形造(円錐形)の屋根を有した2層塔婆のことである。密教の建築のうち真言宗系の寺院でみられる。 多宝塔では初重と二重の間に「亀腹」と称する漆喰塗り(まれに板張り)の円形部分があり、円筒形の塔身の名残りを見せている

  • 8

    阿弥陀堂について述べよ

    個人が阿弥陀仏に対座して念仏を唱え、極楽往生を願うための私的な堂である。よって内部は一室となっている。堂内は極楽浄土を再現するため、極彩色の壁画や装飾文化などにより華麗に荘厳されたものが多い。

  • 9

    浄土教寺院について述べよ

    極楽浄土世界の具現を目的として浄土庭園を築いた。堂の前には池を配し、中島を築き、伽藍全体を浄土世界に見立てた形式である。平安中期から浄土教が盛んになり、人々の生活に浸透していった。

  • 10

    住吉造について述べよ

    神社本殿建築の形式の一つで、桁行4間、梁間2間、切妻造・妻入りで前方2間を外陣、後方2間を内陣とし、外陣正面と内外陣境とに板扉を設ける。床を張っているが回縁はない。屋根は直線で反りがなく、棟上げに5本の鰹木と置き千木とがある。

  • 11

    流造について述べよ

    神明造から発展した神社建築様式の一つで、屋根の前方が長く伸びて向拝をおおい、庇と母屋が同じ方向に葺いてあるのでこの名がある。奈良時代末期から平安時代に成立し広く各地に分布した。賀茂神社がその典型とされる。

  • 12

    春日造について述べよ

    奈良の春日大社本殿にみられるような神社本殿形式の一つで、切妻造・妻入の建物の前面に階隠の庇をつけた形式である。一般に小規模となるため、土台建てが多い。屋根上には千木と鰹木が付けられている。

  • 13

    日吉造について述べよ

    日吉大社本殿にみられるような神社本殿形式の一つで、母屋の両側面に庇が付け加えられた間取りで、屋根の背面は入母屋造の軒先を切り落としたような形をとり、左右の庇がすがる破風となっているのが特色である。

  • 14

    寝殿造について述べよ

    平安時代から中世にかけての上層住宅の建築様式のこと。敷地の中には寝殿と呼ばれる建物が建ち、その東・西・北に対が設けられ、それぞれの殿舎を廊や渡殿で連結される。また正殿には、様々な儀式を行う南庭が広がる。

  • 15

    大仏様について述べよ

    東大寺復興の大歓進職に就任した重源は宋への渡来経験を活かして、新たに中国の福建地方から建築技術を輸入して、その復興を果たした。東大寺復興のために重源が採用した建築構法や意匠は、これまでの和様とは 異なるもので、これを大仏様と呼ぶ。

  • 16

    禅宗様について述べよ

    鎌倉時代の大仏様にやや遅れて、宋から伝えられた建築様式の一つ。全体に木割が細く詰め組の組み物を多く配し、木鼻、割り形、桟唐戸(さんからど)、火打窓、扇垂木などの装飾的な造作が特徴。仏殿のような伽藍の中心に近い仏堂建築に用いられた。

  • 17

    和様について述べよ

    平安時代以前から日本で行われていた建築様式である。太い柱どうしを長押でつなぎ、柱の頭部に大斗をのせ、その上に組物を組む。垂木は平行に配す。開口部の建具に板扉あるいは蔀、連子などを用いるといったような特徴をもつ。

  • 18

    新和様について述べよ

    平安時代末期から鎌倉時代初期に始まった建築様式で、貫工法をはじめ、木鼻、双斗、繰形などを構造、装飾に取り入れた。和様の中に大仏様の要素、あるいは禅宗様の装飾手法を部分的に取り入れた建築を、純粋な「和様」と区別し、「新和様」と呼ぶ。

  • 19

    折衷様について述べよ

    新和様の出現につづいて、大仏様のほか、禅宗様も含めた多様な要素を積極的に和様に取り込んだ建築のこと。和様の伝統の規範を打ち破って構造的な性能を向上させ新しい意匠感覚をもった建築である。

  • 20

    書院造について

    室町時代から近世初頭に成立した住宅様式である。寝殿を中心とする寝殿造に対して、書院を建物の中心とする武家住宅の形式のこと。御簾、畳、書院、違棚など、この時代に取り入れられた様式は今の和室にも生かされている。

  • 21

    数寄屋造について述べよ

    「数寄屋」と呼ばれる茶室、あるいは茶の湯を行える建築を取り入れた建築様式のこと。語源の「数寄」は和歌や茶の湯、生け花など風流を好むことで、「数寄屋」とは「好みに任せて作った家」という意味で、茶室を意味する。

  • 22

    権現造について述べよ

    神社社殿形式の一つで、本殿と拝殿を相の間で連結したものをいう。相の間の床が本殿、拝殿より低く石敷きとなるものを石の間という。社殿は本殿が流造と入母屋造の2種類あるが、いずれも豪華で、拝殿は正面屋根に千鳥破風を飾るなど装飾化が図られている。

  • 23

    作庭記について述べよ

    近年の研究から橘俊綱(たちばなのとしつな)の著書とされており、現在最古の書写本は「谷村家本」である。この作庭書の特徴は、当時の王城の相地にあって、最も重視されていた四神相応観が庭作りの上でも重要視されており、さらに陰陽五行説に基づく理論化が極めて伺える。また王朝の住宅建築様式である寝殿造りを前提とした説明がなされている。このことから本書の成立は平安時代末期と考えられ、我が国最古の作庭書であるとされている。