問題一覧
1
持統天皇の孫の( )が即位し、新しい律令の編纂が進められる
文武天皇
2
祭司を司る( )が独立し、太政官が行政全般を統括する
神祇官
3
太政官は、 政治を実行する( )、右大臣、右大臣のもとに 大納言、小納言、左弁官、右弁官局 を配する
太政大臣
4
中央の貴族を に任命して諸国に派遣した。
国司
5
在地の豪族や有力者を 、 に任命した
郡司 里長
6
貴族は5位以上の官位を持つ。また、 などの特権をもち、収入や居住地でも大きく優遇される
蔭位の制
7
6年ごとに作成する戸籍に基づき、6歳位上の男児に口分田を班給する。
班田収授法
8
国や郡が春に種籾を貸し付け、秋の収穫時に利息をつけて返す制度
出挙
9
国司の命令による兵役や労役
雑徭
10
郡の警備
衛士
11
九州の警備
防人
12
藤原京にかわる都として元明天皇により建設された
平城京
13
平城京がモデルにしたのは?
長安城
14
天皇が住居する が設けられその周辺に政府の官庁が集まる。
内裏
15
708年、武蔵から銅が献上され、 貨幣( )を発行
和同開珎
16
藤原不比等の子武智麻呂と房前が、長屋王を謀反の疑いで自殺に追い込む
長屋王の変
17
橘諸兄の政権に不満を募らせた藤原広嗣による謀反
藤原広嗣の変
18
藤原仲麻呂が、孝謙天皇が寵愛した道鏡と対立して反乱を起こし、戦死する。
恵美押勝の乱
19
藤原百川らの画策により天智天皇の孫の が即位する。
光仁天皇
20
723年、開墾地の一部私用を認める。
三世一身法
21
8世紀から9世紀に未墾地の墾田化・既墾の墾田の集積を通して成立した荘園。租を納めねばならず、律令支配体制から脱却していない。
初期荘園
22
稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦みならった「帝紀」や「旧辞」を太安万侶が書き取る。
古事記
23
国家による最初の歴史書。編年体を採用する。
日本書紀
24
天平文化の有名な漢詩集
懐風藻
25
国衙領は有力農民たちが農耕と納税を請け負う形態に変化
田堵
26
国司の仕事の一つ 国内の土地を調査して賊課する額を決めること
検田権
27
大名田堵は盛んに墾田を開発し と呼ばれる
開発領主
28
寄進を受けた貴族、寺院のこと
領家
29
荘園と公領を区別し、同時に荘園、公領を問わず国司に臨時の徴税賊課を確保しようと発する
荘園整理権
30
平将門の乱と藤原純友の乱のことをなんというか
承平天慶の乱
31
下総を本拠地としていた平将門が国府を襲い、下野や上野の国司を追放し自ら新皇として朝廷に背くこと
平将門の乱
32
大陸女真族が博多周辺に侵攻するが藤原隆家が鎮圧する
刀伊の入寇
33
関東で大きな勢力を持つようになる 金
清和源氏
34
陸奥国で起きた清原氏一族の内紛に源頼義、義家父子が介入した
前九年合戦
35
源頼義の死後発生する
後三年合戦
36
後三年合戦で義家に協力した( )が祖となる。 ( )を根拠に約100年続く
源清衡, 平泉
37
1819
騎射三物 弓馬の道
38
伝教大師
最澄
39
最澄 比叡山に を開き、 をおこす。 法華経の教えに基づき、身分に関係なく悟りに至ると説く
延暦寺, 天台宗
40
弘法大師
空海
41
空海 真直常数を学んで帰国し、高野山に( )を開く。 ・嵯峨天皇から東寺(教王護国寺)を授かり ( )を広める。 ・仁明天皇のとき真言を唱える護国も修法(後七日御修法)が認められ、 道物として真言院が建立される。→ 修法が毎年恒例となる。
金剛峯寺, 真言宗
42
きびしい修行と秘密の呪法で悟りを開くことができるとする教え。 →仏教界の主流になる。
密教
43
天台宗は最澄の弟子の ・円珍らにより密教化する。真言宗の密教(東密) に対して という
円仁, 台密
44
平安初期(嵯峨天皇~清和天皇の時代)に晩唐の文化を日本的に消化した貴族文化がおこる。この文化
弘仁貞観文化
45
日本書紀と続日本紀を合わせてなんというか
六国史
46
仏の世界を表す絵画
曼荼羅
47
外国産品
唐物
48
藤原冬嗣(北家)の子 が(842年) などで権力をにぎる。
良房, 承和の変
49
冬嗣の外孫 が幼少で即位
清和天皇
50
866、 がおこり、首謀者として とその子が配流される。 →このなかで、 は清和天皇の勅により最初の となる。
伴善男, 良房, 摂政
51
884年、藤原良房の養子の藤原基経が、光孝大皇の となる。
関白
52
藤原時平…対立する を大辛府へ左選する。 藤原忠平…朱雀天皇の代に摂政・関白に就任する。
菅原道真
53
969年, がおこる。 左大臣の が謀反の疑いをかけられ大宰権師に左遷される。 →以後,摂政・関白が常置されるようになり、藤原北家から次々に就任する。 …摂政・関白を出す家柄は とよばれるようになる。
安和の変, 源高明, 摂関家
54
藤原北家一族による地位争いに勝利し、4人の娘を皇や皇太子妃にする。→30年にわたり国政の中心で権勢をふるう。
藤原道長
55
道長の子。およそ半世紀間、3代の天皇の摂政や関白として大きな権力を維持する。
藤原頼通
56
大宝律令の制定、養老律令の編纂
不比等
57
天智天皇から藤原氏の姓を賜わる
鎌足
58
南家の祖
武智麻呂
59
北家の祖
房前
60
武家の祖
宇合
61
京家の祖
麻呂
62
橘諸兄政権に不満、乱を起こす
広嗣
63
仏教の力で国家の安定を図る思想
鎮護国家思想
64
藤原四子の死因
天然痘
65
孝謙天皇、重祚
称徳天皇
66
遣唐使第一回 →聖武天皇(橘諸兄政権)で用いられた
犬上御田鍬
67
都づくり
造作
68
桓武天皇 京へ遷都 山背国 京へ遷都 山城国
長岡京 平安京
69
平安初期 政治 社会経済 文化
藤原北家の台頭, 公地公民の崩壊, 弘仁貞観文化
70
平安中期 政治 社会経済 文化
摂関政治, 荘園の発達 武士の出現, 国風文化
71
平安末期 政治 社会経済 文化
院政、平氏政権, 武士の成長, 院政期文化