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  • 問題数 84 • 10/8/2023

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    問題一覧

  • 1

    欧米諸国は、第2次産業革命を経て新たな国外市場と国外投資( )の場を求めた

    資本輸出

  • 2

    侵略的な植民地統治を伴う新しい領土拡張のことを

    帝国主義

  • 3

    帝国主義を中心は?

    イギリス, フランス, アメリカ, ロシア, ドイツ

  • 4

    アフリカでは1885年の( )にしたがって列強による分割が進む

    ベルリン条約

  • 5

    ケープ植民地では、イギリス人入植者と(1 )が衝突して(2 )(別名3 )が起こった

    オランダ系ボーア人, 南アフリカ戦争, ボーア戦争

  • 6

    1898年イギリスはフランスと( )で衝突する事件も発生した

    ファショダ

  • 7

    1898年アフリカは( )と( )を除き植民地化された

    リベリア, エチオピア

  • 8

    1898( )を併合し、同年の西南戦争に勝利すると( )と( )を獲得した

    ハワイ諸島, フィリピン, グアム島

  • 9

    17世紀前半、人口1億以上であり、領土がインドのほぼ前半だった国

    ムガル帝国

  • 10

    17世紀のムガル帝国の特産品

    綿布

  • 11

    17世紀後半、ムガル帝国では、( )教徒に寛容な政策を転換し、厳しい( )を推進した

    ヒンドゥー, イスラーム化

  • 12

    各地で反乱が発生し、ムガル帝国は( )付近までに縮小した

    デリー

  • 13

    1757年イギリスの( )がベンガルの地方の統治を始めた

    東インド会社

  • 14

    1857年、東インド会社の傭兵( )の反乱が起こると、都市や農村のあらゆる人々を巻き込んで北インド全域に広がる( )が起こった

    シパーヒー, インド大反乱

  • 15

    1877年に( )がインド皇帝を兼ねる( )を成立させた

    ヴィクトリア女王, 英領インド帝国

  • 16

    支配を受けるインド人たちは差別された地位を向上させて自治を獲得しようという考えの下、1885年に( )(後の( ))を結成した

    インド国民会議, 国民会議派

  • 17

    1905年ベンガル地方をヒンドゥー教徒の多い地方とムスリムの多い地方に分断しようとした( )

    ベンガル分割令

  • 18

    ベンガル分割令に反発した国民会議派は、イギリスの支配を打破して独立を獲得する考えに傾き( )(自治、独立)と( )(国産品愛用)を唱えた

    スワラージ, スワデーシー

  • 19

    国民会議派がヒンドゥー教徒中心だったため、少数派のムスリムは1906年に親英的な( )を結成した

    全インド=ムスリム連盟

  • 20

    19世紀後半にフランスが武力で植民地化を開始し、カンボジアとラオスを合わせて( )とした

    仏領インドシナ連邦

  • 21

    18世紀~19世紀初め、ロシアは清やアラスカへの経由地として日本との自由貿易を求め、( )を蝦夷地に、( )を長崎に送った

    ラクスマン, レザノフ

  • 22

    1792年に( )に連れられ、漂流民( )が帰国した。

    ラクスマン, 大黒屋光太夫

  • 23

    1811~13年オランダ商船の捕獲や偵察のために長崎港に侵入する事件( )が起き、それは( )の尽力で解決した

    フェートン号事件, 高田屋嘉兵衛

  • 24

    17世紀初めから19世紀後半にかけてヨーロッパ諸国は主に世界市場における商品を得るため、南•東南アジア各地の( )を進めた。

    モノカルチャー経済

  • 25

    17世紀~19世紀でのタイは、英仏植民地の( )という地理的条件と、( )による近代化政策により、独立を保った。

    緩衝地帯, チュラロンコーン王

  • 26

    18世紀末には、赤蝦夷風説考の( )、海国兵談の( )が北方問題の重要性を説いた。

    工藤平助, 林子平

  • 27

    1825年、幕府はオランダ以外の欧米船を追い払うことを目的に( )を発令した

    異国船打払令

  • 28

    1837年、日本人漂流民を乗せたアメリカ合衆国の商船を日本側砲台が砲撃した事件。

    モリソン号事件

  • 29

    ( )を書いた渡辺崋山、戊戌夢物語の( )らは江戸幕府の鎖国政策を批判したため1839年に( )が起こった

    槙機論, 高野長英, 蛮社の獄

  • 30

    17世紀から18世紀に展開されたイギリスなどによる大西洋での貿易で、3つの国や地域が関係している貿易構造のこと。

    三角貿易

  • 31

    清がアヘン流入と銀輸出に危機を感じアヘン貿易を禁止すると、イギリスは自由貿易の実現を口実に( )が起こった

    アヘン戦争

  • 32

    清はアヘンの吸引や輸入に禁止し、( )を広州に派遣して取り締まりをした

    林則徐

  • 33

    イギリスはアヘン戦争で清軍を各地で撃破し、( )が結ばれ、広州以外の開港や( )割譲などが定められた

    南京条約, 香港

  • 34

    南京条約で開港した港

    上海, 寧波, 福州, 厦門, 杭州

  • 35

    1851年にキリスト教の影響を受けた( )がが挙兵し、( )を建てた

    洪秀全, 太平天国

  • 36

    太平天国を建てたあと、南京を占領し、1853年( )を名付け、そして( )をかかげて清朝打倒をめざした

    天京, 滅満興漢

  • 37

    土地の均分などを唱えた太平天国は、支配下の男女を戦争と労働に動員する( )を導入した

    天朝田畝制度

  • 38

    1856年イギリスは権利拡大を狙い、フランスと共に( )を起こした

    アロー戦争

  • 39

    アロー戦争後、危機に陥った清は( )を結び、英仏と講和した

    天津条約

  • 40

    1860年に清は降伏し、英仏はより有利な条件で( )を結んだ

    北京条約

  • 41

    北京条約の内容 ( )など11港開 ( )の布教 ( )の貿易 イギリスへ( )割譲

    天津, キリスト教, アヘン, 九半島南部

  • 42

    北京条約締結後、肝心官僚の( )などが郷里で組織した義勇軍( )により、太平天国は滅んだ

    李鴻章, 郷勇

  • 43

    1842年清国商人よりアヘン戦争で清が敗北したとの情報が伝わるなか、漂流した外国船に燃料、水、食料等を与えてすみやかに退去させる( )をだした

    薪水給与令

  • 44

    水戸藩では尊王思考と外国を退けようとする攘夷が結び付いて( )思想が生まれた

    尊王攘夷

  • 45

    清との貿易における中継点と日本近海での( )のための補給基地の確保のため、1853年に( )が( )に来航した

    捕鯨, ペリー, 浦賀

  • 46

    ペリー来航後、老中の( )は幕臣や譜代大名以外の諸大名にも広く意見を求め、朝廷にも通告し、有力大名の幕政への介入を進めた

    阿部正弘

  • 47

    1854年、ペリーと( )を結んだ

    日米和親条約

  • 48

    日米和親条約の内容 ( )と( )(後の )の開港 アメリカに対する一方的な( )の供与 ( )に領事の駐在を認める

    下田, 箱館, 函館, 最恵国待遇, 下田

  • 49

    1854年のその後、米国初代大統領の( )が老中首座の( )と交渉し、その後、大老の( )が( )で1858年に( )を結んだ

    ハリス, 堀田正睦, 井伊直弼, 無勅許調印, 日米修好通商条約

  • 50

    日米修好通商条約の内容 神奈川、( 、 、 )の開港 通商を( )とする 開港場に( )を設定 ( )を認める ( )の欠如

    長崎新潟兵庫, 自由貿易, 居留地, 領事裁判権, 関税自主権

  • 51

    1859年から貿易が開始した 貿易港( 、 、 )であり( )が全体の80% 相手国は( )が大部分

    横浜長崎箱館, 横浜, イギリス

  • 52

    1859年から始まった貿易の輸出品と輸入品 輸出品( )、茶、( )、海産物など 輸入品( )、綿織物、軍用品(鉄砲、艦船)など

    生糸, 蚕卵紙, 綿糸

  • 53

    日本は、欧米での条約締結後、欧米諸国に抵抗するために軍事力強化と人材登用を中心とする( )が進められた

    近代化改革

  • 54

    近代化のために幕府は欧米の学問を学ぶ( )や、海軍技術を学ぶ( )を設置した

    蕃書調所, 海軍伝習所

  • 55

    江戸幕府は、条約締結に対する批判を天皇の権威のよって収めようとしたが、国内情勢が混乱し、有力大名は人々の意見を幕政に反映すること( )を強く求めて介入した

    公議

  • 56

    天皇の権威が政治的意味を持つようになったことで尊王攘夷思想が広まり、大老の井伊直弼が事態収拾のため( )、一橋( )らを処分、( )、( )らを死刑にした( )が起こった

    徳川斉昭, 徳川慶喜, 橋本左内, 吉田松陰, 安政の大獄

  • 57

    1860年に井伊が水戸藩の元藩士らに暗殺された( )が起こった

    桜田門外の変

  • 58

    桜田門外の変で幕府の威信は低下し、朝廷と結び付きを強めることで威信の回復を図る( )を展開した

    公武合体運動

  • 59

    1863年、長州勢力を京都から追放する( )が起こった

    八月十八日の政変

  • 60

    1862年の( )により、イギリスとの( )が起こり、1863年に敗北した

    生麦事件, 薩英戦争

  • 61

    1866年、薩摩藩と長州藩は( )の仲介の元、( )を結び、倒幕に向かった

    坂本龍馬, 薩長同盟

  • 62

    1867年、幕府の将軍となった徳川慶喜は、倒幕派に先んじて朝廷に政権の返上を申し出た

    大政奉還

  • 63

    倒幕派は朝廷でクーデタを起こし、天皇中心の新政府樹立を目指し、( )らが( )を宣言した

    岩倉具視, 王政復古の大号令

  • 64

    新政府は慶喜の権力、領地を取り上げることを決定したため、慶喜はこれに反発し新政府に対して戦いを起こした

    戊辰戦争

  • 65

    戊辰戦争では( )は旧幕府軍、( )は新政府軍を支援した

    フランス, イギリス

  • 66

    1868年、戊辰戦争の初戦となった戦い

    鳥羽・伏見の戦い

  • 67

    1969年5月、箱館の( )の戦いを経て、新政府の勝利で集結した。

    五稜郭

  • 68

    戊辰戦争中の1868年3月、明治天皇は( )を発布した

    五箇条の誓文

  • 69

    幕末から続く近代化に向けての一連の改革や社会の変化

    明治維新

  • 70

    民衆に旧幕府と同様に儒教道徳をすすめ、明治政府が民衆に対して出した最初の禁止令

    五榜の掲示

  • 71

    五榜の掲示の内容 一、( )を守る 二、( )や強訴、( )の禁止 三、( )の禁止←( )で省かれ、黙認された 四、( )への暴行禁止 五、住居の勝手な( )や( )の禁止

    道徳, 一揆, 逃散, キリスト, 明治6年, 外国人, 転移, 脱走

  • 72

    1869年に、藩主が領地(版)と領民(籍)を天皇に返上する( )を行った

    版籍奉還

  • 73

    版籍奉還後、旧大名には石高の10分の1を家禄として支給し、( )に任命した

    知藩事

  • 74

    1871年には、藩を廃止して府・県を設置する( )を行い、地方行政は、旧藩主に代わって、中央から派遣された府知事や( )が行い、年貢は全て国の収入になった

    廃藩置県, 県令

  • 75

    中央の新政府の重要な役職は、薩摩・長州の2藩を中心とする倒幕勢力によって占められた( )

    藩閥政府

  • 76

    1871年、新政府が直接人々を把握し、近代化政策を行う基盤とするため、( )を制定し、1872年に( )の作成をした

    戸籍法, 壬申戸籍

  • 77

    1873年、( )を行って、地券所有者に金銭での納税を義務付けた。

    地租改正

  • 78

    1872年、6歳以上の子供には教育を受けさせることが義務となった制度

    学制

  • 79

    1872年(明治5)11月28日に太政官から出された告諭。 武士階級の旧来の特権を弾劾し,四民平等の理想を掲げ,国防を国民全体の共同義務であるとのべたもの

    徴兵告諭

  • 80

    1873年、満20歳の男子が、3年間の兵役を義務付けたもの

    徴兵令

  • 81

    1871年、岩倉具視を大使とし、( )や木戸孝允らを副使とする使節団( )

    大久保利通, 岩倉使節団

  • 82

    1873年の岩倉使節団の帰国後、西郷隆盛と( )らが主張する( )をめぐって対立し、岩倉や大久保らがこれらを抑えたため、西郷や板垣など有力政治家が辞任する( )に至った

    板垣退助, 征韓論, 明治天年の政変

  • 83

    大久保らは、国内体制の強化と経済力の拡充のため、1870年代にかけて( )を推進した

    殖産興業政策

  • 84

    他方で、征韓論をめぐる政変の後、明治政府への反発は高まり、各地で不平士族による反乱が相次ぎ、1877年に西郷をあおいで( )が起こった

    西南戦争