問題一覧
1
【1590年】 織田信長と同盟し、東海地方に勢力を奮っていた[①]が北条氏滅亡後の関東に移り大名となった。
徳川家康
2
【1600年】 五奉行の一人で豊臣政権を存続させようとする[①]と対立→[②]の戦い
石田三成, 関ヶ原
3
関ヶ原の戦いについて 西軍=[①]が盟主(石田軍) 東軍=[②]・[③]らの諸大名(徳川軍) →徳川軍が勝利。敗北した西軍の大名らは 処刑や減封が行われた
毛利輝元, 福島正則, 黒田長政
4
【1603年】 家康は[①]の宣下を受け[②]に幕府を開いた→[②]時代の幕開け
征夷大将軍, 江戸
5
家康の政策 ・主要な鉱山を直轄 ・[①](ベトナム)・[②]・[③]に修好を求める 外交文書を送る ・全国の諸大名に江戸城と市街地造成の 普請を行わせる ・国単位に国絵図と[④]を作成させる
アンナン, ルソン, カンボジア, 郷帳
6
家康が全国の支配を行うなか、[①]は以前大阪城におり、父の秀吉の地位を継承していた
豊臣秀頼
7
【1605年】 将軍職は徳川氏の世襲であることを示すために[②]に将軍宣下→家康はその後[③]として実権を握り続ける。
徳川秀忠, 大御所
8
【1614~15年】 豊臣氏が建立した方広寺の鐘銘を口実に(方広寺鐘銘事件)[①]で家康が挙兵し豊臣氏を滅びる
大坂の役
9
【1615年】 大名の居城を1つに限定=[①] 大名の統制のために制定=[②]
一国一城令, 武家諸法度
10
2代目将軍秀忠の政策 【1619年】[①]を武家諸法度違反で改易 【1623年】将軍職を[②]に譲る→大御所
福島正則, 徳川家光
11
3代将軍家光の政策 【1632年】肥後の大名[①]氏を処分 →九州支配拡大 【1634年】軍勢率いて上洛 →統一した[②]を大名に賦課 →軍事指揮権を示す
加藤, 軍役
12
3代将軍家光のもとで大名は[①]に応じて一定数の兵馬を常備 →戦時は将軍の命令で出陣 →平時は江戸城の修築・河川工事
石高
13
【1635年】 徳川家光が新たな武家諸法度[①]を発布 →その中、大名は江戸と国元を往復=[②]
寛永令, 参勤交代
14
3代将軍の頃に確立した将軍と大名が土地と人民を統治する支配を[①]という
幕藩体制
15
参勤交代について →規定では在府・在国は[①]年だが関東の大名は[②]年交代であった
1, 半
16
江戸幕府の財政 ・佐渡・伊豆・但馬生野・石見大森などの[①]からの収入 ・江戸・京都・大坂・堺・長崎などの主要都市を直轄し、商工業や貿易を統制 →貨幣の鋳造権も握る
鉱山
17
江戸幕府の軍事 ・将軍直属の家臣団[①]・[②]が担う ※将軍に謁見できるのが[①] できないのが[②]
旗本, 御家人
18
江戸幕府の職制〜その1〜 (以前は将軍の側近が全て担ってきた) 3代家光の頃までに改定・整備 ○今まで[①]と呼ばれた重臣が[②]となり 重要政務を統括するように ○臨時最高職の[③]は重要事項の決定のみ合議に加わった(ピンチヒッター的な) ○老中の補佐役[④]、大名を監視する[⑤]、旗本・御家人を監視する[⑥]設置 〜次の問題に続く〜
年寄, 老中, 大老, 若年寄, 大目付, 目付
19
江戸幕府の職制〜その2〜 ○寺社奉行・町奉行・勘定奉行の[①]設置 ○役職には原則数名の譜代大名・旗本がつくように→[②]交代で政務を扱う ○簡略な訴訟は役職内で解決 →役職をまたがる訴訟は[③]で合議
三奉行, 月番, 評定所
20
江戸幕府の職制〜その3〜 ○朝廷や西国大名を監視する[①]設置 ○京都・大坂・駿府などの重要都市には[②]・[③]設置(遠国には奉行を設置) ○関東・飛騨・美濃などには[④]、その他には[⑤]派遣→統轄は勘定奉行
京都所司代, 城代, 町奉行, 郡代, 代官
21
寺社行政を将軍の側近として担っていた金地院の[①]の死は寺社奉行の組織のきっかけにもなった
崇伝
22
大名は初期は有力武士に領地支配を認める [①]をとっていたが17C半ばになると、直轄領から年貢を蔵米として支給する[②]がとられるようなった
地方知行制, 俸禄制度
23
【1613年】 家康は[①]を出し公家の業務を定める 【1615年】 [②]を制定し朝廷運営の基準を明示 そのほか[③]を通じて朝廷と幕府をつなぎ、京都所司代と連絡を取りつつ朝廷に幕府側の指示を与えた(スパイ的な)
公家衆法度, 禁中並公家諸法度, 武家伝奏
24
【1629年】 後水尾天皇が幕府への届出なく紫衣着用を勅許=[①]→その後天皇は譲位し秀忠の孫にあたる[②]天皇が即位
紫衣事件, 明正
25
今まで幕府はキリスト教を黙認していた →キリスト教って侵略してるんじゃ… 【1612年】[①]を出しキリスト教を禁止 →【1614年】[②]ら300人余りを追放 →【1622年】長崎でキリシタン55名を 処刑した=[③]
禁教令, 高山右近, 元和の大殉教
26
【1637年〜38】 飢饉の中の苛酷な年貢やキリスト教徒弾圧などに反発し[①]が起こる→この時の首領が[②]であり[③]跡に立てこもって奮闘した
島原の乱, 天草四郎時貞, 原城
27
島原の乱後の宗教政策 ○九州北部で[①]を強化 ○寺院が檀家であることを証明する[②] ○禁教目的の信仰調査[③] →仏教への転宗を強制
絵踏, 寺請制度, 宗門改め
28
幕府はキリスト教や日蓮宗不受不施派を 信仰させないために武士も神職も誰もが檀那寺の檀家になるように強制=[①]
寺檀制度
29
江戸幕府の寺社統制 ○[①](=諸宗諸本山法度)を出す ○宗派ごとに本山・本寺の地位を保障 しつつ末寺を組織させた[②] ○【1665年】 全国の僧侶に[③]、神社・神職に[③]制定
寺院法度, 本末制度, 諸宗寺院法度, 諸社禰宜神主法度
30
【1600年】 オランダ船[①]が豊後に漂着
リーフデ号
31
家康はリーフデ号航海士の[①](耶揚子)と水先案内人の[②](三浦按針)を江戸に招き貿易・外交の顧問に
ヤン=ヨーステン, ウィリアム=アダムズ
32
【1609年】[①]に幕府から貿易の許可 【1613年】[②]に幕府から貿易の許可 →肥前の[③]に商館ひらく
オランダ, イギリス, 平戸
33
家康は朝鮮半島や琉球王国を介して明との国交回復を交渉→[①]
明は拒否した
34
家康はスペイン領のメキシコ[①]との通商を求め、京都の[②]を派遣
ノビスパン, 田中勝介
35
【1596年】[①]事件→スペインと断交 【1609年】ルソンの前総督[②]漂着 【1610年】家康が船を与えノビスパンへ →通交復活
サン=フェリペ, ドン=ロドリゴ
36
【1613年】 仙台藩主[①]は家臣の[②]をスペインに派遣しメキシコと直接貿易を開こうとしたが失敗に終わる=[③]
伊達政宗, 支倉常長, 慶長遣欧使節
37
ポルトガル商人との対立 ○ポルトガル商人が中国産[①]を独占 →転売ヤー的なことをしていた →【1604年】[②]制度を設けて[②]仲間と呼ばれる特定の商人らに買い占めさせる →ポルトガル商人の利益独占の排除成功
生糸, 糸割符
38
糸割符制度において糸割符仲間と呼ばれたのは[①]・[②]・[③]の商人であり、のちに[④]・[⑤]が加わった
京都, 堺, 長崎, 江戸, 大坂
39
【1685年】 糸割符制度が復活し、年貿易額を銀換算でオランダ船は[①]貫、清船は[②]貫に制限した
3000, 6000
40
江戸幕府は海外に渡航する商人らに[①]を与え、[①]をたずさえた貿易船を[②]といった=[②]貿易
朱印状, 朱印船
41
朱印船貿易について ○朱印船出した大名=[①]・[②]ら ○朱印船出した商人=長崎:[③] 摂津[④] 京都:[⑤]・[⑥] →貿易が盛んになると南方の各地に[⑦]
島津義久, 有馬晴信, 末次平蔵, 末吉孫右衛門, 角倉了以, 茶屋四郎次郎, 日本町
42
朱印船貿易の輸入品は[①]・絹織物・砂糖 輸出品は[②]
生糸, 銀
43
[①]は朱印船貿易の中で渡航し、アユタヤ朝の王室に重く用いられた
山田長政
44
外国との通交を制限するように 〜理由〜 ○[①]流入を防ぐため ○幕府が[②]の利益を独占するため
キリスト教, 貿易
45
江戸幕府〜鎖国への道のり〜 【1616年】 外国船の寄港地を[①]・[②]に限定 【1624年】 [③]船の来航禁止 【1633年】 [④]以外の日本船の海外渡航禁止 【1635年】 日本人の海外渡航・在日日本人の帰国を 禁止 中国船の寄港地を[⑤]に限定 【1639年】 [⑥]船の来航を禁止 【1641年】 平戸のオランダ商館を長崎の[⑦]に移す →鎖国の完成!
平戸, 長崎, スペイン, 奉書船, 長崎, ポルトガル, 出島
46
鎖国によりオランダ船と中国船だけが日本に来航するように →オランダはバタヴィアに拠点おいた[①]の支店として出島に[②]をおいた
東インド会社, 商館
47
幕府は長崎を窓口にオランダ商館長が提出する[①]によって海外情勢を知ることが出来た
オランダ風説書
48
○明清交替の動乱がおさまると長崎での貿易額増加 (大量輸入により銀が流出したらマズい) →【1685年】オランダ・清からの輸入額を 制限した →【1689年】長崎に雑居する清国人の 居住地限定のため[①]設置
唐人屋敷
49
○家康は秀吉と異なり朝鮮との講和実現 【1609年】対馬の[①]氏が朝鮮と[②]結ぶ →釜山に[③]設置される →朝鮮から前後12回の使節来日 ☆第4回目から[④]と呼ばれた
宗, 丁酉約条, 倭館, 朝鮮通信使
50
琉球王国について 【1609年】 薩摩の[①]が征服→検地・石高制も行う ○国王の就任を感謝=[②] ○将軍代替わりを祝福=[③]
島津家久, 謝恩使, 慶賀使
51
蝦夷島について ○島で勢力を持っていた[①]氏が[②]氏に改称 →家康からアイヌとの交易独占権もらう ○和人地以外の河川地域などに住むアイヌ集団とは[③](=[④])で貿易
蠣崎, 松前, 商場, 場所
52
【1669年】 [①]を中心に松前藩と戦闘→津軽藩の協力に阻まれ敗北=[①]の戦い
シャクシャイン
53
シャクシャインの戦いを経てアイヌは松前藩に服従させられ、18C前半頃までに多くの商場が和人商人の請負になった=[①] ※アイヌたちは和人商人にいいように扱われ、交易で誤魔化されたり酷使されたりした
場所請負制度
54
松前藩と家臣団の主従関係はアイヌとの交易権を知行として与えるものであった=[①]
商場知行制
55
こうして幕府は4つの窓口([①]・[②]・[③]・[④])を通して異国・異民族と交流した
薩摩, 松前, 長崎, 対馬
56
【追加問題.6-2に追加してください】 ○出島について ・居住したオランダ人らは日本人との交流を [①]によって監視された
長崎奉行
57
【追加問題.6-2に追加してください】 ○家康の大名グループ分け ・徳川家一門=[①] ・関ヶ原"以前"からの家臣=[②] ・関ヶ原"前後"からの家臣=[③]
親藩, 譜代大名, 外様大名
58
【追加問題.6-2に追加してください】 ○武家諸法度をもっと詳しく〜その1〜 ・そもそも武家諸法度とは →幕府の許可なく○○するな!のまとめ的な ・[①]=城の新築を禁止※修理もNG →大名の武装を防ぐ ・[②]=500石積み以上の船の建造を禁止 →貿易独占&キリスト教流入対策 ・[③]=領地と江戸を往来させる →主従を確認&諸大名の力を削ぐ ※その他、大名の結婚などを禁じた
一国一城令, 大船建造の禁, 参勤交代
59
【追加問題.6-2に追加してください】 ○禁中並公家諸法度の内容 ・天皇が修めるべきは第一に[①]である ・朝廷の統制は[②]・[③]が行う ・大名に与える官位は公家とは別物 ・[④]の勅許を制限
学問(政治の勉強), 関白, 武家伝奏, 紫衣
60
【追加問題.6-2に追加してください】 ○武家諸法度をもっと詳しく〜その2〜 〜武家諸法度(改正)一覧〜 ・元和令=発布:[①] 発案:[②] →家康の存命中に発布 ・寛永令=発布:[③] 発案:[④] →参勤交代・大船建造の禁・殉死の禁止 追加 ・寛文令=発布:[⑤] →キリスト教の禁止・不孝者の処罰 追加 末期養子の禁止を緩和 ・天和令=発布:[⑥] →弓馬の鍛錬が文武忠孝と礼儀に変更 諸士法度と統合 ・宝永令=発布:[⑦] 発案:[⑧] →儒教の考えが追加 ・享保令=発布:[⑨] →改正の最後。 ➡大政奉還で武家諸法度が廃止されるまで続く
徳川秀忠, 金地院崇伝, 徳川家光, 林羅山, 徳川家綱, 徳川綱吉, 徳川家宣, 新井白石, 徳川吉宗