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国際関係論
  • 平川美樹

  • 問題数 84 • 1/23/2024

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  • 1

    ユネスコ憲章冒頭の言葉について 「戦争は人の( )の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」

  • 2

    国家同士の相互関係についての総合的な学問が「 」である。

    国際関係論

  • 3

    国家とはなにか ( )の存在 ( )の存在

    領土、国民

  • 4

    宣言的効果説  ある国家が領土、国民、公権力、共通善を備えていれば、国家としての()を当然に持つという考え方。

    主権

  • 5

    創設的効果説  領土、国民、公権力に加えて、世界の多くの国からの国家としての()を経て初めて、国家としての主権を持つという考え方。

    承認

  • 6

    近代の()(nation state): 民族意識の高揚に伴い、「一民族一国家」を目指す。

    国民国家

  • 7

    国際関係論の考え方  国際関係は構造的で安定したもので、国家の行動によっては容易には変えられないとみる見方()(現実主義)

    リアリズム

  • 8

    リアリズムの考え方  そこでは各国は国力を充実させながら()を追求しつつ、他国との勢力均衡を保とうとする。

    国益

  • 9

    リアリズムの考え方  国力とは国際政治学者H.()によると、地理的条件、天然資源、工業力、軍備、人口、国民性、士気、外交、統治の質の9要素から成る。

    モーゲンソー

  • 10

    リベラリズム(理想主義)の考え方  近代の「()体制」における国民国家も、単にルールなき無秩序(アナーキー)に陥るのではなく、共通の国際的なルール(法)、を見出しながら、諸国家は自由に強調しうると考える。

    ウェストファリア

  • 11

    戦後の日米関係  1951年9月8日 日本とアメリカ、イギリスなど48カ国と()条約が締結されることで日本の占領状態が終了した。

    サンフランシスコ講和

  • 12

    戦後の日米関係  1960年1月 (新)()条約が締結され、「日本国の施政下」にある領域への外国の攻撃に対して日米が共同で防衛に当たるとして安全保障を双務化した。

    日米安全保障

  • 13

    ()(核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず)が1968年に佐藤栄作政権によって打ち出された。

    非核三原則

  • 14

    戦後の日米関係  1992年 PKO協力法成立。武力の行使を伴わないことを条件に()への自衛隊の参加を認めた。

    国連平和維持活動

  • 15

    第二次世界大戦後の国連下での安全保障体制  1945 国連憲章制定 →戦後の国際紛争の基本枠組みとしての()体制の成立。

    集団安全保障

  • 16

    ()行使の歴史  ソ連のハンガリー介入 1956  アメリカのベトナム侵攻 1966  ソ連のチェコスロバキア介入 1968  ソ連のアフガニスタン侵攻 1980

    集団的自衛権

  • 17

    日本国憲法における「平和主義」の位置づけ  ()は、「国民主権」「基本的人権の尊重と並ぶ、日本国憲法の基本原理である。

    平和主義

  • 18

    ()とは、国のあり方を最終的に決定する権限が国民にあること、憲法制定権力を国民が持つこと。

    国民主権

  • 19

    ()とは自然権である万人共通の人権が公権力や他の国民に侵害されないこと。

    基本的人権の尊重

  • 20

    砂川事件  日本の最高裁の()が、アメリカ国務省及び日本の外務省により脅かされた。

    司法権の独立

  • 21

    1918年アメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領や1896年ロンドンでの第二インターナショナルが掲げた()という思想はよく知られている。自分の国のことはその国の国民が決定するということは近代国民国家の大原則と言ってよい。

    民族自決

  • 22

    1946年2月4〜11日 GHQ民生局は局長ホイットニー、次長ケーディスらを中心に女性職員()も加わり、単独で日本国憲法の草案を作成した。

    ベアテ・シロタ・ゴードン

  • 23

    1889年(明治22年)2月11日 大日本帝国憲法()公布。

    明治憲法

  • 24

    大日本帝國憲法(明治憲法)は()の立場をとり、天皇は神聖にして侵すべからずとされた。

    天皇主権

  • 25

    大日本帝国憲法は日本史上はじめての西洋的な()実現し、国民の権利を憲法上保障したが、同時にそれは天皇が国民に恩恵として与える「臣民」の権利であり、また「法律の範囲内」で保障されたものに過ぎなかった。

    立憲主義

  • 26

    国際法の歴史  ()、すなわち国家間に妥当する(適用される)法が本格的に歴史上生じたのは、基本的に国民国家という観念が生じる近世以降である。

    国際法

  • 27

    国際法の歴史  古代ローマ帝国は地中海世界一体から西アジアまで至る広い版図を誇ったが、帝国の市民権を持たない異邦人を帝国市民に準じた者と見なすために()という観念がローマの法制度のうちに導入され、外国人係法務官により運用されたが、これはあくまで一つの帝国内の法である。

    万民法

  • 28

    スペイン人ドミニコ会司祭()は「インディアスの破壊に関する簡潔な報告」でアメリカ大陸でのスペイン人の横暴を告発した。

    ラス・カサス

  • 29

    スペインのコインブラ大学のフランシスコ・()は、君主の支配権力は人民との契約に由来するとして、のちの社会契約説を先取りした。

    スアレス

  • 30

    ウェストファリア条約締結、ウェストファリア体制始まった。 →統一的な中世キリスト教世界から近代の()体制へ。

    国民国家

  • 31

    新教(プロテスタント)国オランダに生まれたフーゴー・()は、主著「戦争と平和の法」を執筆し、「近代国際法学の父」と呼ばれた。

    グロティウス

  • 32

    スイスのヴァッテルは国家主権の概念から、国家の自衛権や()の原則を説いた。

    内政不干渉

  • 33

    捕虜に対する人道的取り扱いを定めた()条約(ジュネーブ条約)が作成された。

    赤十字

  • 34

    「国際慣習」:例えばグロチウスが「海洋自由論」で説いた「()の原則」は国際慣習法に由来するとされる。

    公海自由

  • 35

    第一次世界大戦後の1920年、ベルサイユ条約の発足に合わせて()が発足した。

    国際連盟

  • 36

    国際連盟  機関:ILO ()

    国際労働機関

  • 37

    国際連合  米英仏ソ中、5大国はまた()での()を得ている。

    国連安全保障理事会、拒否権

  • 38

    国連の原則  加盟国の()の平等

    主権

  • 39

    国際連合の機関  ():すべての国連加盟国で構成される「最高の議決機関」

    総会

  • 40

    国連安全保障理事会  米英仏ロ中は恒常的な()と国連憲章で規定され、それ以外は総会で2年任期で選ばれる「非常任理事国」である。

    常任理事国

  • 41

    国際連合  ():領土問題など国家間の法的紛争を仲裁・裁判する。国連加盟国は全て()の裁判の管轄に入る。

    国際司法裁判所

  • 42

    国際連合教育科学文化機関():教育・科学・文化を通じて諸国間の協力を促進し、世界の平和と安全に貢献することを目標とする。

    UNESCO

  • 43

    国連の任務 平和と安全の保障 戦争の防止  安保理が平和への脅威、侵略行為の発生を認定し、平和回復のために()、外交・交通の中止などを通じて、必要な措置を行いうる。

    経済制裁

  • 44

    国際法上の個人の基本的人権  ()が1948年12月10日に国連総会で採択された。これは普遍的な人権の基準を定め、各国にその国内法上の実施を促す「プログラム規定(理念)」である。

    世界人権宣言

  • 45

    「世界人権宣言」は連合国から選出された委員達によって起草され、第3回国連総会で賛成48、棄権8(ソ連など)、欠席2で可決されて成立したが、この作成段階で影響を与えた一人がフランスのカトリック哲学者()である。

    ジャック・マリタン

  • 46

    国際法上の個人の基本的人権  1966年の国連総会で、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」()a規約が採択された。

    国際人権規約

  • 47

    国際法上の「国民」とは()を持つ者である。

    国籍

  • 48

    法的には難民の受け入れは各国の自由であるが、入国を認めた難民を迫害国に引き渡してはならない「()の地位に関する条約」。

    難民

  • 49

    国際交渉の機関:外交使節  階級:外交使節には()、公使、代理公使の3階級がある。

    大使

  • 50

    国際交渉の機関:外交使節  派遣:外交使節の派遣には派遣された国の授受が必要である。また国は外交使節を()として授受を拒むこともできる。

    ペルソナ・ノン・グラータ

  • 51

    外国に入国するには旅券(パスポート)以外にも旅券の有効性を確認する()(visa)が通常は必要である。

    査証

  • 52

    ()を国家は持つ。()を持つことの効果として人民を統治する権限、対外的な独立権が生じる。

    主権

  • 53

    ():1982年の国連海洋法条約では最大12海里まで認められた。

    領海

  • 54

    ()では、沿岸国は海底の上部水域及び海底の天然資源開発のための排他的権利を有する。

    排他的経済水域

  • 55

    ():すべての国に開放されており、どの国も排他的に支配しえない。

    公海

  • 56

    ()とは、文書による国家間の合意事項をいう。

    条約

  • 57

    ()とは条約全体に確定的な同意を与えること。早急に実施する条約やあまり重要ではない条約では()の手続きを欠いている。

    批准

  • 58

    国際紛争の平和的解決 第二段階:裁判外紛争解決()  仲介、国際調停

    ADR

  • 59

    第一次世界大戦後に国際連盟発足に伴い、1921年常設国際司法裁判所が設けられた。これを受け継ぐ形で、第二次世界大戦後に国際連合発足に合わせて、1946年()が設けられた。

    国際司法裁判所

  • 60

    国際司法裁判所(ICJ)  判決の積み重ねにより()(判決のスタンダード)が形成されやすくなった。

    判例

  • 61

    国際司法裁判所の主な判決 南西アフリカ事件  裁判官の一人の()は、75頁にわたり反対意見を執筆し、普遍人類的な「世界法」の観点から南アフリカのアパルトヘイト政策の不当性を論じた。

    田中耕太郎

  • 62

    日本の領土問題  日本はロシアが占拠している色丹、歯舞、国後、択捉4島の()をロシアに返還することを求めている。

    北方領土

  • 63

    1956年の日ソ共同宣言はソ連(ロシア)は日本との平和条約締結の暁には()島と()諸島の2島は返還することを約し、この立場を現在も維持している。

    色丹、歯舞

  • 64

    日本の領土問題 韓国 中国

    竹島、尖閣諸島

  • 65

    中世ヨーローッパ、国家間の侵略など著しい不正を退けるための自衛を認め、古典的()論を説いていた。

    正戦

  • 66

    1648年以降の「ウェストファリア体制」時代以降:各国民国家の「主権」が絶対視され、戦争は法的な問題ではなく、単なる実力の問題と捉えられるようになった。これを()と呼ぶ。

    無差別戦争説

  • 67

    第二次世界大戦後の1945年〜46年に開かれた()の国際軍事法廷は「戦争は本質的に悪事である。…侵略戦争を開始することは…最悪の国際犯罪である。」としている。

    ニュールンベルク

  • 68

    2003年に設立された、個人の戦争犯罪を裁く()(ICC)の「ローマ規程」8条には、侵略戦争を行った国家の責任者の「侵略犯罪」を裁く規定がある。 国際刑事裁判所

    国際刑事裁判所

  • 69

    2017年に世界122か国・地域の賛成で、()条約が核兵器の全面撤廃と根絶を目指して採択された(2021年に発効)

    核兵器禁止

  • 70

    核兵器を国連安保理常任理事国で専有・管理すべきとする()条約。

    核拡散防止

  • 71

    ()罪:侵略戦争と国際法違反の罪を起こしたこと。

    平和に対する

  • 72

    ()罪  政治上、人種上、または宗教上の理由に基づく迫害。

    人道に対する

  • 73

    軍艦による海岸の砲撃に関しては防御されない都市(無防備都市)の砲撃は禁止され、砲撃に際しては事前通告を要する。 →()宣言の例として第二次世界大戦中にパリやローマ、マニラなどがこれを行った例がある。(どれも宣言は実質無視された。)

    無防備都市

  • 74

    戦地軍隊における傷病者の状態の改善に関する条約()条約(1949)

    ジュネーヴ

  • 75

    捕虜の待遇に関する条約()条約(1929)

    ジュネーヴ

  • 76

    ()条約(戦争の放棄に関する条約)(1928)

    パリ不戦

  • 77

    カトリック司祭にして法学博士の()(ウィーン大学教授)は、「人間の本性」「(国際)社会の本性」という現実的基盤から、人権や平和の問題を考察する。

    ヨハネス・メスナー

  • 78

    「世界人権宣言」作成にも携わったフランスのカトリック学者()(1882-1973)はキリスト信者の立場から、「ウェストファリア」以降の近代の国民国家が前提とする絶対的な国家主権の概念を否定した。

    ジャック・マリタン

  • 79

    国際司法裁判所裁判官であった()は、法哲学者でもあり、

    田中耕太郎

  • 80

    ()は1908年、島根県松江市の医師の家生まれ、1928年長崎医科大学に入学、浦上天主堂の近くのカトリック信者である森山家に下宿、森山家の娘・緑と出会った。

    永井隆

  • 81

    イザヤ書から()

    苦難の僕の歌

  • 82

    旧約聖書における平和()書

    イザヤ

  • 83

    人が「平和の()」あるいは「平和のための徳」を身に着けることである。

    習慣

  • 84

    ()預言(イザヤ)

    インマヌエル