問題一覧
1
現在の日本の景気循環は第(1)循環である
17
2
日本が先進国となったのは、敗戦後、戦後復興期~高度経済成長期~安定成長期~を経て(2)年代初頭までの相対的に高い経済成長による
1990
3
戦後復興期に重要だったのはGHQによる沖縄を除く(3)統治である。
間接
4
この統治体制が維持できたのは戦前から残った(4)制度に依るところが大きい
官僚
5
そして、日本の再軍備を防止するために選択されたのが、いくつかの(5)政策である。
民主化
6
財閥解体は、戦前から続く4財閥を解体することで、(6)を促進する政策であった
競争
7
農地改革は、戦前の(7)体制を壊すことが目的であった。ただし、農地の細分化による機械化の困難を伴う事で日本農業の生産性を低下させる要因ともなった。
封建
8
労働の民主化は、労働者層と言う分厚い中間層を形成する事になった。これにより、教育や住宅などの(8)の伴う内需が生まれた。
購買力
9
1945年の敗戦によって国富の半分が失われた。 1つ選択してください:
❌
10
ここ20年の経済成長は平均2%を超え、その成長を支える要因は、輸出と公的資本形成である。
❌
11
傾斜生産方式の対象にならなかった産業を選択せよ。 a. 海運産業 b. 石炭産業 c. 軍事産業 d. 鉄鋼産業
軍事産業
12
傾斜生産方式のために行われた日銀による債権の直接引き受けが起こした現象として正しいものを選択せよ。 a. デフレーション b. デフレーション c. デノミネーション d. インフレーション
インフレーション
13
経済9原則として当てはまらない要素を選択せよ。 a. 信用拡大 b. 賃金安定 c. 物価統制 d. 財政均衡 e. 貿易強化
信用拡大
14
ドッジラインにおける政策目標の一つはインフレの抑制である。
⭕️
15
護送船団方式は、金融業界を規制し、低利で安定的な資金供給を行うための行政指導を含む諸々の政策の事である。 1つ選択してください:⭕️❌
⭕️
16
シャウプ勧告は、間接税を中心にした税制を提案したものである。 1つ選択してください: ○ ×
❌
17
地方交付税とは、国土の均衡ある発展を目指すため、中央政府(国)が地方政府(都道府県・市区町村)に税金を交付(支給する)制度である。 1つ選択してください: ○ ×
⭕️
18
ドッジの経済政策を要約すると市場重視の経済政策と言う事になる。 1つ選択してください: ○ ×
⭕️
19
シャウプ勧告の代表的な政策が個人および地域に及ぼした影響の組合せとして正しいものを選択せよ。 a. 個人:貧富の差拡大 地域:貧富の差拡大 b. 個人:貧富の差縮小 地域:貧富の差縮小 c. 個人:貧富の差拡大 地域:貧富の差縮小 d. 個人:貧富の差縮小 地域:貧富の差拡大
b
20
護送船団方式の弊害の組合せとして正しいものを選択せよ。 a. 経営の不自由 明確な責任体系 b. 経営の不自由 無責任体質 c. 経営の自由 無責任体質 d. 経営の自由 明確な責任体系
b
21
エロア資金が投下されなかった地域を選択せよ。 a. 日本 b. 韓国 c. 北朝鮮 d. 琉球
b
22
ガリオア資金とはアメリカ軍占領地の疾病や飢餓による社会不安を防止し、占領行政の円滑にする物資を供給する資金であった、この供給物資として誤っているものを選択せよ。 a. 石油 b. 食料 c. 鉄鉱石 d. 医薬品 e. 肥料
c
23
ガリオア・エロア資金は、第二次大戦後、日本とアメリカの間の(1)の外交問題となった。
最初
24
当初、これらは、およそ(2)億ドル(およそ、12兆円)の資金援助であった。
18
25
日本の国際社会復帰を後押しする(3)講和会議後に、当初の約束が反故にされ、資金返済が求められた。
サンフランシスコ
26
日本政府はアメリカの圧力に負けて、(4)年間でおよそ4億9000千万ドルの返済に合意した。
15
27
両資金の目的は日本の経済復興の方向性(アメリカとぶつからない軽工業国家)を定めることおよび、日本の(5)を求めるものであった
市場開放
28
アメリカのこれらの思惑は(6)したと言える。
失敗
29
また、これらの資金は同時期に行われた(7)の政策に影響を与えた
ドッジ
30
具体的には(ドッジ)の政策は、市場重視の政策であり、強い資金の締め付けを行うものであり、デフレーションを引き起こした。結果的にこれらの資金が反対の資金供給となり、(8)錯覚を小さくする効果を持った。
貨幣
31
日本の戦後復興がなされたみなされたのは、鉱工業生産指数が戦前の水準まで回復した年であり、それは1951年である。 1つ選択してください: ○ ×
⭕️
32
戦後、最初のデフレーションから脱却できたのは朝鮮戦争と言う外需拡大のお陰である。 1つ選択してください: ○ ×
⭕️
33
日本の戦後復興にとってサンフランシスコ講和会議によって国際機関に早期復帰できたことは大きなプラスとなった。 1つ選択してください: ○ ×
⭕️
34
大原博夫知事による生産県構想にあてはまらない選択肢を選択せよ。 a. 住宅保有支援 b. 交通網の整備強化 c. 電源開発 d. 農林水産業の振興 e. 商工業の振興
a
35
戦後復興期は、(1)へと産業の転換に成功する事で、高度経済成長の礎となった。
軽工業から重工業
36
しかし、この時代に計画されたことが全てうまくいったわけではない。たとえば、傾斜生産方式は(2)を引き起こしている。
インフレーション
37
また、そもそもこの時期に行われた様々な政策や組織は戦前に計画された1940年体制によるものだとする(3)のような主張も存在する。
野口
38
そのほか、この時期の経済政策の失敗としてあげられるのは(4)が有る
国民車構想
39
戦後復興期が現在の日本にも影響を与えているものとしては、以下の各氏らによる主張が有る。岩田・八田(1997)は戦時中の思想(社会的弱者は政府や企業が保護する)から脱却できなかったために、行き過ぎた(5)が残り、これらの強固な横並びの意識が大きなマイナスとなっていると指摘する
悪平等
40
くわえて、岡崎・奥野(1993)は政府が支える護送船団方式である(6)がはびこり国民が自身の行動に責任をとれない問題が生じていると指摘する。
官僚制民主主義
41
岩戸景気は内需依存型の好景気期間であるが、この期間に今もなお続く制度が完成した、その制度を答えよ。 a. メジャーバンク制 b. プライベートバンク制 c. メインバンク制 d. サブバンク制 e. インターバンク制岩戸景気は内需依存型の好景気期間であるが、この期間に今もなお続く制度が完成した、その制度を答えよ。 a. メジャーバンク制 b. プライベートバンク制 c. メインバンク制 d. サブバンク制 e. インターバンク制
c
42
TFPは、成長を測るための一つの指標として用いられる。 1つ選択してください: ○ ×
⭕️
43
高度経済成長期に起こったエネルギー転換として正しい選択肢を選べ。 a. 石炭⇒天然ガス b. 石油⇒天然ガス c. 原子力⇒天然エネルギー d. 石炭⇒石油 e. 天然ガス⇒原子力
d
44
エネルギー転換や産業転換は多くの失業者を生み出す可能性が高い。 1つ選択してください: ○ ×
⭕️
45
高度経済成長期の前半に起きたことはエネルギー転換に伴う(1)転換である。
産業
46
当時の日本は国際的な新しいエネルギーの変化の流れに乗るために大きな構造改革の必要に迫られていた。特に石炭産業に関する様々な(2)政策を打ち出す必要があった。
スクラップ&ビルド
47
1956年には、石炭合理化政策を皮切りに、1959年には炭鉱離職者臨時措置法や(3)を施工した。なお、(3)は現在もアルバイトの時給などに強い影響を及ぼしている。
最低賃金法
48
また、この時期は農政に関しても大きな変化があった。昭和36年に施行された(4)法によって農業生産性を高める事か企図された。
農業基本法
49
具体的には、農業の(5)を目指して、大型農機具の導入、土地改良を中心とした大規模補助事業が行われた。
近代化
50
これらの諸政策によって農業生産性は上がったものの、これにより(6)が生じた。
田舎は過疎、都会は過密
51
1968年に日本は世界第三位の経済大国になった。❌か⭕️
❌
52
新三種の神器として誤っている選択肢を答えよ。 a.自動車 b.クーラー c.冷蔵庫 d.カラーテレビ
c
53
高度経済成長期の後期とは、(1)景気、 オリンピック景気 神武景気 岩戸景気 を含む1960年代末から1973年までの期間である。
いざなぎ
54
この時期重要になったのは、前期高度経済成長で生まれた富によって(2)の天井 が無くなったことである。
国際収支
55
またこの時期には高度経済成長期に関する計画として新全国国土開発計画が策定された。この計画は、戦後(3)回目の計画である。
2
56
この計画は、大都市集中などの(4)格差 を改善しきれず、情報化社会の到来への準備および国民の価値観の変化に対応するものとされた
地域
57
基本目標は、豊かな(5)の創造であり、上記諸課題を改善しながら、開発可能性を全国土に拡大するものとされた。
環境
58
この目標達成のため、大規模プロジェクト構想が立案され、この内容は物流および人流の高度化、効率化を目指す(6)正解 ネットワーク の整備および開発可能性を全国土に拡大するための大規模プロジェクトであった。
ネットワーク
59
この時期の広島、中国地方は(7) を近畿圏や首都圏と結ぶことで中枢管理機能の大集積地である広島市のほか,各地域の中核となる地方都市の整備を進めていった。
新幹線 飛行機 高速フェリー
60
山陰地方においては,木材,食品および機械工業等開発のための基盤整備を行なうほか,(8)を建設し,黒鉱等の地下資源の開発を促進した。
原子力発電基地
61
高度経済成長は(1)世代には大きな成長の果実を与えた。
現役
62
一方、(2)世代には、その時期に賃金などを得る事などが出来ず、成長の果実は届かなかった。
退職
63
くわえて、(3)が進行した。
インフレーション
64
それゆえ、保有する貯蓄の実質的な価値が(4)した。
減少
65
当然、(3)や成長にあわせて賃金が上昇する(1)の生活は(5)なった。
楽に
66
そこで、政府は世代間の不公平を改善するため(6)制度などを整えた。
社会保障
67
また、この時期は、国際的な体制の変化も生じている。(7)が崩壊したことである
ブレトンウッズ体制
68
これは、(8)主導の固定為替相場のことである。
アメリカ
69
この為替相場では、(9)と(8)の通貨が連動して、その国の通貨と各国の通貨がつながることで結果的に全世界の通貨が(9)とつながっていた。
金
70
第一次オイルショックは(1)を契機に生じたオイル価格の上昇よる様々な混乱の総称である
第4次中東戦争
71
特に、オイルの価格はおよそ(2)倍になったことによってさまざまなオイル派生商品を中心に様々な商品価格が上昇した。
4
72
この当時の日本は、輸入原油の依存度が(3)割程度であり、先進国の中でもかなり影響が大きかった。
8
73
このような石油依存体制のために日本では狂乱物価と呼ばれる、不況下での物価上昇、すなわち(4)が生じた。
スダクフレーション
74
これらへの対策として政府は様々な政策を採った。石油の備蓄を進めるために(5)年に、石油備蓄法を制定すると共に、省エネや新エネルギーへの代替を促進させる法律を制定した。
1975
75
一方、オイルショックにも正の側面が存在した。石油から脱石油に向けて天然ガス・原子力・石炭・省エネと選択肢を増やした(6)回目のエネルギー転換が生じたことである。
2
76
また、オイルショックが世界に及ぼした影響として国際協調によって危機に対応する現在の形が出来た。1975年に第1回(7)が開催されるようになった。
主要国首脳会議
77
1973年は国際的に様々な出来事が起きた、1973年に起きていない出来事を選択せよ。 a. 石油需給適正化法 b. 第一次オイルショック c. 日本とヨーロッパ諸国が変動為替相場制に移行 d. トイレット・ペーパー,洗剤などの買いだめ騒動 e. 環境庁の設置
e
78
サンシャイン計画とは、太陽光発電、地熱発電、石炭液化・ガス化、水素発電の研究・開発する計画である。 1つ選択してください: ○ ×
⭕️
79
3全総は、オイルショックを契機に高度成長から安定成長へと移行するための様々な課題解決を盛り込んだ計画である。 1つ選択してください: ○ ×
⭕️
80
三全総は、都市における望ましくない育児環境や(1)保有困難な状況を改めること
住宅
81
および田舎における都市に負けない文化・雇用・(2)問題の基本的課題の解決のために策定された。
モータリゼーション
82
また、三全総と過去の2回の全総の共通点は(3)国土利用を目指している点である。
均衡ある
83
異なる点は(4)にしたこと
国家主導から地方主導への転換
84
および住民の意向を求める(5)アセスメント評価が導入されたことである。
環境
85
くわえて、この計画の最大の新しい点は(6)特性を活かす事を明示したことである。
地域
86
これを達成する計画として定住構想と(7)圏の再開発が目指された。
名古屋
87
安定成長の時代は、オイルショックを乗り越えて、自動車・ハイテク産業が日本の中心産業として確立された時期である。 1つ選択してください: ○ ×
⭕️
88
土光臨調で掲げられていない提言について選択せよ。 a. 3K赤字の解消 b. 1984年度までに赤字国債ゼロ c. マイナスシーリングの撤廃 d. 官業民営化
c
89
円高不況は、貿易摩擦の解消を目指して、為替レートを変更する国際協調を目指したプラザ合意によって生じた。 1つ選択してください: ○ ×
⭕️
90
1980年代のアメリカの財政赤字の要因はベトナム戦争後の財政支出の拡大にある。 1つ選択してください: ○ ×
⭕️
91
プラザ合意以降に急激な円高ドル安に対し、その後相対的な円安・ドル高が生じた要因として誤っているものを選択せよ。 a. アメリカ国外からのドルの需要の増加 b. 日銀による貨幣供給量の増加 c. アメリカによるドル供給の相対的減少 d. 日本政府による円買い e. アメリカによる政策金利の上方誘導
d
92
プラザ合意によって、想像を上回る円高に対応するために日本政府は(1)タイプの為替介入を行うことで、急速な円高を防ごうとした。
円を売ってドルを買う
93
なぜなら、急速な、円高は、輸出にとっては(2)、輸入にとっては逆となるからである。
マイナス
94
それゆえ、政府は短期的に(3)を観察しながら、貿易をコントロールするべく、為替介入を行っている。
内需と外需
95
そして、アメリカにとってプラザ合意は短期的には、(4)ことから貿易赤字が減少し、国内の景気回復し、双子の赤字が減少するはずであった。
輸入が減少して輸出が増える
96
なぜなら、国内景気が良化する場合、政府は(5)するからである。
増税
97
このような、期待をもって迎えられたプラザ合意であったが、オイルショックへの対応としての(6)技術 への対応の遅れなどは簡単に解決できず、国際競争力の改善は簡単では無かった。
省エネ
98
くわえて、(7)政府を目指し、減税と社会保障費の削減などが目指された。
小さな
99
とりわけ、大型減税は、レーガン政権を支えた経済学者の(8)理論に基づいてなされた
ラッファー
100
サプライサイドの経済政策として当てはまらないものを選択せよ。 a. 政府支出削減 b. 構造改革の推進 c. 金融自由化 d. 公共事業の拡大 e. 民営化の推進
d