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奈良時代
78問 • 1年前
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    問題一覧

  • 1

    大宝律令は、(◽️◽️)年、(◽️◽️◽️)天皇のときに制定された。

    701

  • 2

    (◽️◽️)年になると、(◽️◽️◽️)の制定した養老律令が(◽️◽️◽️)によって施行された。

    757

  • 3

    養老律令が施行されたときの天皇は(◽️◽️◽️)である。

    孝謙天皇

  • 4

    太政官には左右の(◽️)がおかれ、八省を統轄する事務を扱った。

    弁官

  • 5

    律令体制における役人の監察機関を(◽️◽️)という。

    弾正台

  • 6

    京内宮中の警備を司る機関は(◽️◽️)である。

    五衛府

  • 7

    五衛府は、左右(◽️)、左右(◽️)、(◽️)からなる。

    衛士府

  • 8

    五畿(畿内)は、(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)の5カ国である。

    大和

  • 9

    四等官は、長官・(◽️)・(◽️)・(◽️)である。

    次官

  • 10

    国司は、(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️)・(◽️)の四等官からなっていた。

  • 11

    郡司は、(◽️)・(◽️)・(◽️)・(◽️)の四等官からなっていた。

    大領

  • 12

    八省は、(◽️)・輔・丞・録の四等官からなっていた。

  • 13

    (◽️)は、位階・官職に応じ皇族・貴族に支給される従者である。

    資人

  • 14

    奈良時代、里は(◽️◽️)に改められ、その下に5戸をもって構成する(◽️)が設けられた。

  • 15

    里の下にある班田や租税負担の単位を(◽️)、実際の生活単位である小家族を(◽️)という。

    郷戸

  • 16

    律令体制下における(◽️◽️◽️)は、唐の制度にならって定められた土地制度である。

    班田収授法

  • 17

    律令体制下における農地の土地区画制度を(◽️◽️)という。

    条里制

  • 18

    農民には、一定の日数に限り地方官庁である(◽️)などで使役する(◽️◽️◽️)を課した。

    国衙

  • 19

    中男は(◽️)歳から(◽️)歳までである。

    17

  • 20

    1里ごとに2人の(◽️)が、都の官庁の雑役夫として出されることになっていた。

    仕丁

  • 21

    官有の賎民には(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)があり、私有の賎民には (◽️◽️)・(◽️◽️)がある。

    陵戸

  • 22

    民間の賎民で戸を成して生活し、売買されなかったものを(◽️)という。

    家人

  • 23

    (◽️)・(◽️)は良民の地位を与えられながら、実質は領民と賎民の中間に位置して、諸官司に組織され、特殊な技芸や特定の労役を義務づけられていた。

    品部

  • 24

    平城京遷都のときの天皇は(◽️◽️◽️)天皇である。

    元明

  • 25

    和同開珎は、唐の王朝が発行した(◽️)にならって(◽️◽️)年に鋳造された。

    開元通宝

  • 26

    和同開珎は、( )国や( )国などにおかれた( )で鋳造された。

    周防

  • 27

    奈良時代におかれていた三関は、(◽️)関、(◽️)関、(◽️)関からなる。

    鈴鹿

  • 28

    (◽️◽️)は、708年頃、最上川流域に設置されたとされる(◽️)が733年に移転されたものであるという。

    秋田城

  • 29

    多賀城は、(◽️)国(現在の(◽️)県)にあった。

    陸奥

  • 30

    遣唐使は、702年に遣唐大使(◽️◽️)らを派遣して再開する。

    粟田真人

  • 31

    8世紀半ば、(◽️)は新羅征討軍を送ることを計画した。

    藤原仲麻呂

  • 32

    藤原不比等は、娘宮子を(◽️)天皇の夫人とした。

    文武

  • 33

    藤原不比等の死後、(◽️◽️)天皇のもとで(◽️◽️◽️)が政治の実権を握った。

    元正

  • 34

    長屋王政権のもとで、人口増加に伴う口分田の不足に対処するため、722年には(◽️◽️◽️)が出され、その翌年には(◽️◽️◽️)が出された。

    百万町歩開墾計画

  • 35

    (◽️◽️◽️)天皇は、藤原不比等の孫であり、不比等の娘光明子を皇后とした。

    聖武

  • 36

    藤原南家の祖は藤原(◽️◽️)であり、北家の祖は藤原(◽️◽️)、京家の祖は藤原(◽️◽️)、式家の祖は(◽️◽️)である。

    武智麻呂

  • 37

    藤原(◽️◽️)家の祖(◽️◽️)の子である藤原広嗣は( )に任じられ、九州に遠ざけられていた。

  • 38

    聖武天皇は、藤原広嗣の乱の平城京への波及をおそれ、山背国の(◽️◽️)に遷都した。

    恭仁京

  • 39

    聖武天皇は、恭仁京、摂津国(◽️◽️)、近江国(◽️◽️)など、都を転々とした。

    難波宮

  • 40

    国分寺建立の詔は(◽️)年に出された。

    741

  • 41

    (◽️◽️)年に、大仏造立の詔が(◽️◽️)宮で出された。

    743

  • 42

    墾田の面積は身分に応じて制限され、一品の親王や一位は( )町、初位以下庶民の場合は10町を限度とした。ただし、郡司については大領・少領は( )町、主政・主帳は10町を限度とした。

    500

  • 43

    大仏開眼供養は、(◽️)年に(◽️)天皇のもとで行われた。

    752

  • 44

    大仏開眼供養は、インド僧( )を開眼導師とした。

    菩提僊那

  • 45

    光明皇太后の信任を得て台頭した(◽️◽️◽️)は、757年に(◽️◽️◽️)らの勢力を倒した。

    藤原仲麻呂

  • 46

    恵美押勝の乱の結果、(◽️◽️)天皇は淡路に流された。

    淳仁

  • 47

    孝謙天皇は重祚して(◽️◽️)天皇となった。

    称徳

  • 48

    称徳天皇の没後、式家の(◽️◽️)らは、(◽️◽️)天皇の孫に当たる光仁天皇を立てた。

    藤原百川

  • 49

    南都六宗は<(◽️◽️)宗・(◽️◽️)宗・(◽️◽️)宗・(◽️◽️)宗・(◽️◽️)宗・(◽️◽️)宗の各学派からなる。

    三論

  • 50

    道昭が唐の玄裝に学んで伝えた学派は(◽️◽️)である。この学派の義淵のもとからは、奈良時代に活躍する多くの僧が輩出された。

    法相宗

  • 51

    南都六宗のうち(◽️◽️)は良弁らによって広められ、東大寺を中心に講説された。

    華厳宗

  • 52

    南都六宗のうち鑑真の渡来によって隆盛した宗派[学派]は(◽️◽️)である。

    律宗

  • 53

    総国分寺である(◽️◽️)は、(◽️)宗の寺院で、(◽️)国の国分寺でもある。

    東大寺

  • 54

    国分寺の正式名称は(◽️)、国分尼寺の正式名称は(◽️)である。

    金光明四天王護国之寺

  • 55

    国分寺で読ませた経典は(◽️)、国分尼寺で読ませた経典は(◽️)である。

    金光明最勝王経

  • 56

    国王が仏教を尊崇すれば諸仏が国を護ってくれることを説く経典を「護国の経典」といい、(◽️◽️)経や法華経、仁王経を読経・写経させた。

    金光明

  • 57

    本朝(天下)三戒壇は、東大寺・(◽️)・(◽️)である。

    筑紫観世音寺

  • 58

    南都七大寺(◽️)・(◽️)・(◽️)・(◽️)・興福寺・東大寺・(◽️)である。

    元興寺

  • 59

    毎年法華会が行われている天平時代の仏像を収めた東大寺の建築を(◽️)という。

    東大寺法華堂(三月堂)

  • 60

    法隆寺の(◽️◽️◽️)や、伝法堂は、天平文化の代表的建築物である。

    夢殿

  • 61

    西大寺は、(◽️)が創建した。

    称徳天皇

  • 62

    乾漆像には、東大寺法華堂の『(◽️◽️)』や、興福寺の『(◽️◽️)』などがある。

    不空羂索観音像(ふくうけんさくかんのん)

  • 63

    東大寺戒壇院(◽️)像は、塑像の代表的な作品として有名である。

    四天王

  • 64

    『東大寺戒壇院四天王像』の四天王とは、( )・( )・( )・( )である。

    持国天

  • 65

    (◽️◽️)の発願によって、百万塔とよばれる木製の小塔がつくられ、これに納められた(◽️◽️)は、年代の明確な世界最古の印刷物といわれる。

    称徳天皇

  • 66

    『古事記』は、古くから伝わる「帝紀」と「旧辞」を(◽️)が点検し、これを(◽️◽️◽️)によみならわせたものを、のちに筆録したものである。

    天武天皇

  • 67

    『古事記』は(◽️◽️)天皇に献上された。

    元明

  • 68

    『日本書紀』は、720年に(◽️◽️◽️)天皇に奏上された。

    元正

  • 69

    『日本書紀』の編集は(◽️◽️)が中心となった。

    舎人親王

  • 70

    国家の正史として、『日本書紀』のあと、『(◽️◽️◽️)』・『(◽️◽️)』・『(◽️◽️)』・『(◽️◽️)』・『(◽️◽️◽️)』という順でつくられた。これらを総称して立国史という。

    続日本紀

  • 71

    (◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)の『風土記』が現存する。

    出雲

  • 72

    (◽️)年に成立した『(◽️◽️◽️)』は現存最古の漢詩文集である。

    751

  • 73

    『懐風藻』に多くの漢詩を残した奈良時代の代表的詩人に、(◽️◽️)・(◽️◽️)・長屋王などがいる。

    石上宅嗣

  • 74

    (◽️)は、『唐大和上東征伝』の著者である。

    淡海三船

  • 75

    我が国最古の歌集である『(◽️◽️◽️)』は、(◽️)らによって( )年頃に成立した。

    万葉集

  • 76

    天平文化の絵画代表作は薬師寺の『(◽️◽️)』や、正倉院の『(◽️◽️)』がある。

    吉祥天像

  • 77

    光明皇后は仏教思想にもとづいて、孤児・貧窮者を収容する(◽️◽️)や医療を行った(◽️)を平城京に設置した。

    悲田院

  • 78

    法均とも号した(◽️)は、孤児教育などを仏教思想にもとづいて行った。

    和気広虫

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    問題一覧

  • 1

    大宝律令は、(◽️◽️)年、(◽️◽️◽️)天皇のときに制定された。

    701

  • 2

    (◽️◽️)年になると、(◽️◽️◽️)の制定した養老律令が(◽️◽️◽️)によって施行された。

    757

  • 3

    養老律令が施行されたときの天皇は(◽️◽️◽️)である。

    孝謙天皇

  • 4

    太政官には左右の(◽️)がおかれ、八省を統轄する事務を扱った。

    弁官

  • 5

    律令体制における役人の監察機関を(◽️◽️)という。

    弾正台

  • 6

    京内宮中の警備を司る機関は(◽️◽️)である。

    五衛府

  • 7

    五衛府は、左右(◽️)、左右(◽️)、(◽️)からなる。

    衛士府

  • 8

    五畿(畿内)は、(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)の5カ国である。

    大和

  • 9

    四等官は、長官・(◽️)・(◽️)・(◽️)である。

    次官

  • 10

    国司は、(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️)・(◽️)の四等官からなっていた。

  • 11

    郡司は、(◽️)・(◽️)・(◽️)・(◽️)の四等官からなっていた。

    大領

  • 12

    八省は、(◽️)・輔・丞・録の四等官からなっていた。

  • 13

    (◽️)は、位階・官職に応じ皇族・貴族に支給される従者である。

    資人

  • 14

    奈良時代、里は(◽️◽️)に改められ、その下に5戸をもって構成する(◽️)が設けられた。

  • 15

    里の下にある班田や租税負担の単位を(◽️)、実際の生活単位である小家族を(◽️)という。

    郷戸

  • 16

    律令体制下における(◽️◽️◽️)は、唐の制度にならって定められた土地制度である。

    班田収授法

  • 17

    律令体制下における農地の土地区画制度を(◽️◽️)という。

    条里制

  • 18

    農民には、一定の日数に限り地方官庁である(◽️)などで使役する(◽️◽️◽️)を課した。

    国衙

  • 19

    中男は(◽️)歳から(◽️)歳までである。

    17

  • 20

    1里ごとに2人の(◽️)が、都の官庁の雑役夫として出されることになっていた。

    仕丁

  • 21

    官有の賎民には(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)があり、私有の賎民には (◽️◽️)・(◽️◽️)がある。

    陵戸

  • 22

    民間の賎民で戸を成して生活し、売買されなかったものを(◽️)という。

    家人

  • 23

    (◽️)・(◽️)は良民の地位を与えられながら、実質は領民と賎民の中間に位置して、諸官司に組織され、特殊な技芸や特定の労役を義務づけられていた。

    品部

  • 24

    平城京遷都のときの天皇は(◽️◽️◽️)天皇である。

    元明

  • 25

    和同開珎は、唐の王朝が発行した(◽️)にならって(◽️◽️)年に鋳造された。

    開元通宝

  • 26

    和同開珎は、( )国や( )国などにおかれた( )で鋳造された。

    周防

  • 27

    奈良時代におかれていた三関は、(◽️)関、(◽️)関、(◽️)関からなる。

    鈴鹿

  • 28

    (◽️◽️)は、708年頃、最上川流域に設置されたとされる(◽️)が733年に移転されたものであるという。

    秋田城

  • 29

    多賀城は、(◽️)国(現在の(◽️)県)にあった。

    陸奥

  • 30

    遣唐使は、702年に遣唐大使(◽️◽️)らを派遣して再開する。

    粟田真人

  • 31

    8世紀半ば、(◽️)は新羅征討軍を送ることを計画した。

    藤原仲麻呂

  • 32

    藤原不比等は、娘宮子を(◽️)天皇の夫人とした。

    文武

  • 33

    藤原不比等の死後、(◽️◽️)天皇のもとで(◽️◽️◽️)が政治の実権を握った。

    元正

  • 34

    長屋王政権のもとで、人口増加に伴う口分田の不足に対処するため、722年には(◽️◽️◽️)が出され、その翌年には(◽️◽️◽️)が出された。

    百万町歩開墾計画

  • 35

    (◽️◽️◽️)天皇は、藤原不比等の孫であり、不比等の娘光明子を皇后とした。

    聖武

  • 36

    藤原南家の祖は藤原(◽️◽️)であり、北家の祖は藤原(◽️◽️)、京家の祖は藤原(◽️◽️)、式家の祖は(◽️◽️)である。

    武智麻呂

  • 37

    藤原(◽️◽️)家の祖(◽️◽️)の子である藤原広嗣は( )に任じられ、九州に遠ざけられていた。

  • 38

    聖武天皇は、藤原広嗣の乱の平城京への波及をおそれ、山背国の(◽️◽️)に遷都した。

    恭仁京

  • 39

    聖武天皇は、恭仁京、摂津国(◽️◽️)、近江国(◽️◽️)など、都を転々とした。

    難波宮

  • 40

    国分寺建立の詔は(◽️)年に出された。

    741

  • 41

    (◽️◽️)年に、大仏造立の詔が(◽️◽️)宮で出された。

    743

  • 42

    墾田の面積は身分に応じて制限され、一品の親王や一位は( )町、初位以下庶民の場合は10町を限度とした。ただし、郡司については大領・少領は( )町、主政・主帳は10町を限度とした。

    500

  • 43

    大仏開眼供養は、(◽️)年に(◽️)天皇のもとで行われた。

    752

  • 44

    大仏開眼供養は、インド僧( )を開眼導師とした。

    菩提僊那

  • 45

    光明皇太后の信任を得て台頭した(◽️◽️◽️)は、757年に(◽️◽️◽️)らの勢力を倒した。

    藤原仲麻呂

  • 46

    恵美押勝の乱の結果、(◽️◽️)天皇は淡路に流された。

    淳仁

  • 47

    孝謙天皇は重祚して(◽️◽️)天皇となった。

    称徳

  • 48

    称徳天皇の没後、式家の(◽️◽️)らは、(◽️◽️)天皇の孫に当たる光仁天皇を立てた。

    藤原百川

  • 49

    南都六宗は<(◽️◽️)宗・(◽️◽️)宗・(◽️◽️)宗・(◽️◽️)宗・(◽️◽️)宗・(◽️◽️)宗の各学派からなる。

    三論

  • 50

    道昭が唐の玄裝に学んで伝えた学派は(◽️◽️)である。この学派の義淵のもとからは、奈良時代に活躍する多くの僧が輩出された。

    法相宗

  • 51

    南都六宗のうち(◽️◽️)は良弁らによって広められ、東大寺を中心に講説された。

    華厳宗

  • 52

    南都六宗のうち鑑真の渡来によって隆盛した宗派[学派]は(◽️◽️)である。

    律宗

  • 53

    総国分寺である(◽️◽️)は、(◽️)宗の寺院で、(◽️)国の国分寺でもある。

    東大寺

  • 54

    国分寺の正式名称は(◽️)、国分尼寺の正式名称は(◽️)である。

    金光明四天王護国之寺

  • 55

    国分寺で読ませた経典は(◽️)、国分尼寺で読ませた経典は(◽️)である。

    金光明最勝王経

  • 56

    国王が仏教を尊崇すれば諸仏が国を護ってくれることを説く経典を「護国の経典」といい、(◽️◽️)経や法華経、仁王経を読経・写経させた。

    金光明

  • 57

    本朝(天下)三戒壇は、東大寺・(◽️)・(◽️)である。

    筑紫観世音寺

  • 58

    南都七大寺(◽️)・(◽️)・(◽️)・(◽️)・興福寺・東大寺・(◽️)である。

    元興寺

  • 59

    毎年法華会が行われている天平時代の仏像を収めた東大寺の建築を(◽️)という。

    東大寺法華堂(三月堂)

  • 60

    法隆寺の(◽️◽️◽️)や、伝法堂は、天平文化の代表的建築物である。

    夢殿

  • 61

    西大寺は、(◽️)が創建した。

    称徳天皇

  • 62

    乾漆像には、東大寺法華堂の『(◽️◽️)』や、興福寺の『(◽️◽️)』などがある。

    不空羂索観音像(ふくうけんさくかんのん)

  • 63

    東大寺戒壇院(◽️)像は、塑像の代表的な作品として有名である。

    四天王

  • 64

    『東大寺戒壇院四天王像』の四天王とは、( )・( )・( )・( )である。

    持国天

  • 65

    (◽️◽️)の発願によって、百万塔とよばれる木製の小塔がつくられ、これに納められた(◽️◽️)は、年代の明確な世界最古の印刷物といわれる。

    称徳天皇

  • 66

    『古事記』は、古くから伝わる「帝紀」と「旧辞」を(◽️)が点検し、これを(◽️◽️◽️)によみならわせたものを、のちに筆録したものである。

    天武天皇

  • 67

    『古事記』は(◽️◽️)天皇に献上された。

    元明

  • 68

    『日本書紀』は、720年に(◽️◽️◽️)天皇に奏上された。

    元正

  • 69

    『日本書紀』の編集は(◽️◽️)が中心となった。

    舎人親王

  • 70

    国家の正史として、『日本書紀』のあと、『(◽️◽️◽️)』・『(◽️◽️)』・『(◽️◽️)』・『(◽️◽️)』・『(◽️◽️◽️)』という順でつくられた。これらを総称して立国史という。

    続日本紀

  • 71

    (◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)の『風土記』が現存する。

    出雲

  • 72

    (◽️)年に成立した『(◽️◽️◽️)』は現存最古の漢詩文集である。

    751

  • 73

    『懐風藻』に多くの漢詩を残した奈良時代の代表的詩人に、(◽️◽️)・(◽️◽️)・長屋王などがいる。

    石上宅嗣

  • 74

    (◽️)は、『唐大和上東征伝』の著者である。

    淡海三船

  • 75

    我が国最古の歌集である『(◽️◽️◽️)』は、(◽️)らによって( )年頃に成立した。

    万葉集

  • 76

    天平文化の絵画代表作は薬師寺の『(◽️◽️)』や、正倉院の『(◽️◽️)』がある。

    吉祥天像

  • 77

    光明皇后は仏教思想にもとづいて、孤児・貧窮者を収容する(◽️◽️)や医療を行った(◽️)を平城京に設置した。

    悲田院

  • 78

    法均とも号した(◽️)は、孤児教育などを仏教思想にもとづいて行った。

    和気広虫