問題一覧
1
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縄文土器, 黒褐色, 分厚い, もろい, 食料の煮炊きに使用, 食料の保存に利用, 縄文時代
2
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土偶, まじないに使用される, 縄文時代
3
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打製石器, 石を打ち欠いて作る, 旧石器時代に使用
4
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竪穴住居, 縄文時代, 定住
5
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掘立柱建物, 三内丸山遺跡で発見, 縄文時代
6
旧石器時代の社会
大型動物の狩猟, 木の実の採集, ユーラシア大陸と陸続き(気温が低かった), 土器はまだ使われていない, 移住生活, 貧富の差がない, 身分の差がない, 打製石器を使用, 洞窟や小屋でくらす
7
縄文時代の社会
中小動物の狩猟(魚や貝、シカやイノシシなど), 木の実の採集, 日本列島が形成される(気温が上がり海面上昇した), 縄文土器, 定住生活, 貧富の差がない, 身分の差がない, 磨製石器を使用, 竪穴住居をつくる, 丸木舟を使用, 遠くの地域と交易をしていた, 土偶, まじないや占いをしょていた, 骨角器を使用, 末期に北九州に稲作が伝わる, 約1万5000年前〜紀元前5世紀ごろ, 台地に住む, 水の得やすい場所に住む
8
弥生時代の社会
低地の水田の周辺でくらす, むらができる, 定住生活, 貧富の差が生まれる(米の貯蔵量の差), 集団生活の中で身分の差が生まれる, 低地に竪穴住居をつくりくらす, 高床倉庫, 農耕にくわやすきなどの道具を使用, 田下駄を使用, 石包丁を使用, 稲作などの農耕が本格的に始まる, 紀元前5世紀〜紀元後3世紀ごろ, 金属器の伝来, むらどうしの争いが起こる(土地、水、米の取り合い), 強いむらが周りのむらを従える, くに(小国家)ができる(紀元前後、100余りの小国家があった)
9
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石包丁, 弥生時代, 穂首刈り
10
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弥生土器, 弥生時代, 赤褐色, 薄い, 丈夫, 食料の煮炊きに使用, 食料の保存に使用
11
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田下駄, 弥生時代, 水田のぬかるみに足を取られないようにする, 田植え, 木製
12
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高床倉庫, 弥生時代, 稲を湿気から守る, 稲の保存, ねずみの侵入を防ぐ
13
①〜④の絵に描かれているもの
道具を持つ, 狩り, 杵で臼をつく, 高床倉庫
14
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銅鐸, 弥生時代, 豊作を祈る祭り
15
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銅鏡, 弥生時代, 儀式に使用, 青銅器, 古墳時代, 古墳の服装品
16
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太占(ふとまに), 弥生時代, まじないや占いに使用, 動物の骨, 穴を開けて焼き、ひび割れの形を見る, 天災を占う, 農作物の収穫高を占う, 神社の伝統行事, 東京都青梅市, 毎年1月3日
17
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まが玉, 古墳時代初期, 古墳の副葬品
18
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埴輪, 古墳時代, 古墳の周囲に並べられる, 土製品
19
冠位十二階の地位1〜6
徳, 仁, 礼, 信, 義, 智
20
冠位十二階の冠の色1〜6
紫, 青, 赤, 黄, 白, 黒
21
1〜6をすべて答える
十七条の憲法, 和, あらそい, 仏教, 天皇, 役人
22
1〜7をすべて答える
5, 北魏, 宋, 高句麗, 新羅, 百済, 加羅
23
縄文時代の終わりに、大陸から①に稲作が伝わる。 ②世紀には、③地方まで広まる。 稲作にための農具が作られ、④と⑤は田おこし(田を耕す)に使われた。 金属器が伝来し、鉄器は⑥や⑦として使用し、青銅器は⑧の際に使用された。
北九州, 1, 東北, くわ, すき, 武器, 農具, 儀式
24
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12000, 気温, 9000, イモ, ムギ, 家畜, ナイル, 黄河, 下, 農業, 洪水, 上, 土, 文明
25
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5500, エジプト, メソポタミア, インド, 中国, 四大, 下, 交易, 都市, 文字, 国, ピラミッド
26
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エジプト, メソポタミア, インダス, 中国, ナイル, ユーフラテス, チグリス, インダス (2), 黄河, 長江
27
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エジプト, 象形, メソポタミア, くさび形, インド, インダス, 中国, 甲骨
28
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武(雄略天皇), 中国, 高句麗, 宋書倭国伝
29
①世紀ごろ、②あまりの小国家を従える邪馬台国があった。 女王③は、④に使いを送り、⑤の称号や⑥を授かった。 (⑦伝より)
3, 30, 卑弥呼, 魏, 親魏倭王, 金印, 魏志倭人
30
稲作は、1世紀ごろには東北地方にまで広まりました。
◯
31
4〜6世紀ごろ、渡来人により、日本の進んだ文化や技術が、大陸へ伝えられました。
✖️
32
福岡県にある吉野ヶ里遺跡は、登呂遺跡と同じ時代の遺跡である。
✖️
33
縄文時代の人々が狩猟採集で得た食料としてふさわしくないものを選ぶ。
オオツノジカ
34
聖徳太子が生きていた頃の中国との外交やその影響について、ふさわしいものを選ぶ
中国への派遣使節の代表であった小野妹子は、その後、冠位十二階での最高職で、冠の色が紫である大徳の地位までのぼりつめた。