問題一覧
1
文化人類学や言語学の視点から、1969年に研究者であるブレント・バーリンとポール・ケイが著した本。 色を表す言葉について研究した。
基本色彩語
2
「色彩とはなにか?」ということについては、その考えを古代ギリシャの哲学者である…
ソクラテスやプラトン、アリストテレスが書き残している。
3
古代ローマでは染色文化が盛んで、最高級のフェニキア産の【⠀】による染料は、原料の採取が困難なために非常に高価だった。
貝紫
4
ルネサンス期にはアジアから【⠀】がヨーロッパに輸入され、高価な青色顔料として絵画の着色に用いられた。
ウルトラマリン
5
ルネサンス期にアジアから発色の美しい【①】が輸入されるなど、色材が豊富に手に入るようになったが、多くの画家は高価な【①】を大量に使うことが出来ず、代わりに【②】を代用することが多かったといわれている。
ウルトラマリン, アズライト
6
ヨーロッパのルネサンスの時代には、経済や社会とともに文化も発展したが、この時代を代表する芸術家の一人が【 】である。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
7
絵画表現においては、明暗や濃淡の差異によって奥行きや立体感を写実的に表現する【 】という画法を、多くの画家たちが取り入れた。
キアロスクーロ
8
ドイツの【 】の著書『【 】』では、色彩の見え方などの主観的な色彩現象に注目した。
ゲーテ, 色彩論
9
1856年には【 】によって世界初の合成染料【 】が発見され、色の希少性は時代と共に失われていった。
ウィリアム・パーキン, モーブ
10
様々な色が身近になってくると、アメリカの【 】が、色彩を一定の尺度を用いて分類・表記するカラーオーダーシステムを提唱した。
アルバート・マンセル
11
日本では、赤は【 】、青は【 】など、日本自生の植物による染色が古くからある色として知られるように、天然の色材が多彩で、古い時代から染色技術が存在していたことが分かる。
茜, 山藍
12
7世紀頃の日本では、聖徳太子が制定した【 】という制度により、宮廷における身分によって身につけることが出来る色が決められていた。この制度では【 】が最も高位に位置づけられていた。
冠位十二階, 紫
13
奈良時代の養老年間に定められた【 】では、位階に応じた礼服の服飾が定められていたが、紫草によって染めた紫は希少性が高く高貴な色として認識されていた。
衣服令
14
朝鮮半島を経由して中国から五色という考え方が日本に伝わり、後に陰陽道(おんみょうどう)とも結びついた。五色に含まれる色は【 】【 】【 】【 】【】である。
青, 赤, 白, 黒, 黄
15
天皇だけが身につけられる【 】など、特定の地位にある者以外は身につけられない服色は【 】として制限された。
黄櫨染, 禁色
16
平安時代になると、厳格な規定から外れた女性の服色は、衣や単衣(ひとえ)の重ね着などの工夫が行われるようになり、色の組み合わせである【 】が発展した。
襲の色目
17
室町時代になると、いわゆる代用の色が増えてくる。例えば、染色における紫色は、材料となる紫草の栽培量が減ったため、代わりに国外から輸入量が増えた【 】を用いて染めた【 】登場する。
蘇芳, 似せ紫
18
貴族の服色においては、紫色は一時期ら蘇芳を使って染めるようになったが、お歯黒に使う鉄漿(かね)を蘇芳に加える染色法のために臭いが強くなり、これが嫌われて、とうとう【 】(くぬぎの木の実や樹皮を用いた染色法)で代用するようになった。
黒橡染め
19
江戸時代には、庶民の贅沢や華美な服装などを禁止する奢侈禁止令(しゃしきんしれい)が度々出された。この禁止令によって【 】といわれるほど茶色や鼠色が登場し、粋な色であるとされた。
四十八茶百鼠
20
江戸時代末頃には、ベロ藍と呼ばれて人気を博した合成顔料【 】がヨーロッパから輸入され、天然の色材が色彩文化が変化する。
ペルシアンブルー
21
1700年代には合成顔料の【 】が開発されたが、この青は後に日本にも輸入され、【 】として葛飾北斎の浮世絵などにも用いられた。
ペルシアンブルー, ベロ藍
22
明治時代には【 】と呼ばれる科目が小学校で採用されるなど、近代的な色彩論的知識への希求も急速に高まった。
色図
23
18世紀にはニュートンが『【 】』を発表し、近代的な色彩論に貢献した。
光学
24
江戸時代には、【 】が広く行われるようになった。この頃、庶民の間では、生産・製造のコストが下がった藍染めの衣服がよく着られるようになる。
蓼藍染め