問題一覧
1
小田急線の[ア]駅周辺は、日本の特撮ヒーローのひとつ「ウルトラマン」を生み出した円谷プロダクションが、かつてこの地を本社に構えていたことから、ウルトラマンゆかりの地として知られている。そして2005年(平成17年)、地域経済の活性化を図るため、地元3つの商店街が連携し「ウルトラマン商店街」が誕生した。2022年(令和4年)には、公開された映画にちなんで「シン・ウルトラマン商店街」の名で応援活動を展開して、映画鑑賞チケットの半券の持参・提示により加盟店が特別サービスを行ったことで話題を呼んだ。
祖師ヶ谷大蔵
2
ウルトラマンを始めとする多くの特撮作品で監督を務めた実相寺昭雄氏によると、1966年(昭和41年)から始まったウルトラマンのテレビ放映は、東京放送(現・TBSテレビ)の番組であったことから、その本社がある[ア]周辺が撮影場所に選ばれることも多かったという。
港区赤坂
3
[ア]駅から南へ15分ほど歩いた成城には、円谷プロダクション初代社長の円谷英二氏が特殊技術を担当したゴジラシリーズの撮影が行われた東宝スタジオがあり、高さ11メートルのゴジラの巨大壁画やゴジラ像を見ることができる。ゴジラ像は、この他にも、東宝が運営する日比谷シャンテ前や新宿歌舞伎町の新宿東宝ビル8階などにも設置されている。このうち、新宿のゴジラ像は、作品設定上の[イ]のサイズであり、ミストを噴射しながら咆える演出がある。
祖師ヶ谷大蔵, 実物大
4
2022年(令和4年)に没後50年を迎える[ア]は、日本人のこころの精髄を、優れた感受性をもって表現する叙述の巧みさが評価され、1968年(昭和43年)にノーベル文学賞を受賞した。大正期から昭和初期にかけて、日本一の盛り場として知られた[イ]に足繁く通い、この経験から著した小説「浅草紅団」には関東大震災の復興や、誕生間もない隅田公園の様子が描かれている。
川端康成, 浅草
5
アジア、南米、あふりなどの外国映画を中心に上映する映画館として親しまれ、コロナ禍の影響などから2022年(令和4年)7月に閉館し、54年の歴史に幕を下ろすことになった[ア]は、ミニシアターの元祖としても知られている。
岩波ホール
6
2022年(令和4年)に生誕160年・没後1生誕160年・没後100年を迎える文豪[ア]は津和野藩御典医の家に生まれた。後には陸軍軍医総監、陸軍医務局長に上りつめる一方、ドイツ留学の経験から文学活動を開始し、翻訳、小説、評論、史伝といった日本近代文学の多方面に大きな足跡を残した。
森鷗外
7
写真の建物は[ア]で、朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこおう)夫婦の邸宅として1933年(昭和8年)に建てられたものである。当時フランスで流行していた[イ]の様式をふんだんに採り入れた建築として、世界的にも例のない完成度を誇る。
東京都庭園美術館, アール・デコ
8
[ア]が、夏目漱石の『三四郎』に刺激されて発表した小説[イ]は、上京した若者が主人公で、当時の[ア]の住まいがあった[ウ]や、学生達の集う本郷界隈の様子が描かれている。
森鷗外, 青年, 千駄木
9
東京大学の本郷キャンバス内に現存する建物は、すべて[ア]以後に建てられたものである。大講堂(安田講堂)など、主要な校舎はいずれも、2022年(令和4年)に没後50周年を迎えた建築家で、新宿の損保ジャパン本社ビル(旧安田火災海上本社ビル)などでも知られる、[イ]の設計によるもので、ゴシック様式を基調としたデザインと煉瓦タイルの素材感が見事な統一感をもたらしている。
関東大震災, 内田祥三
10
力道山が率いる日本プロレスから独立した[ア]は、1972年(昭和47年)に新日本プロレスを旗揚げし、2022年(令和4年)はその50周年となる。文京区の[イ]は、新日本プロレスをはじめとした格闘技団体の会場として数々の名勝負が行われた格闘技の聖地と言われている。
アントニオ猪木, 後楽園ホール
11
ユーミンこと松任谷由実(荒井由実)は、2022年(令和4年)にデビュー50周年を迎えた。1976年(昭和51年)発売のアルバム『14番目の月』に収録されている「中央フリーウェイ」は、ドライブデートで聴きたい曲として世代を超えて人気がある。歌詞に登場するこの施設は、現在も新宿から中央自動車道で八王子方面に向かう途中に車内から見ることができる。
東京競馬場
12
アジア随一の歓楽街とも言われる「眠らない街」新宿歌舞伎町に、エンターテイメントを軸とした新しいスポット「東急歌舞伎町タワー」が、2023年(令和5年)4月にオープンした。この場所にはかつて[ア]があり、1956年(昭和31年)のオープン当初は映画館として誕生し、数々の話題作とともにカルチャーの発信源となってきた。経済成長とともに娯楽の形が多様化し、2014年(平成6年)に閉館するまでレジャーの複合施設としてにぎわった。
新宿TOKYU MILANO
13
[ア]は、2020年(令和2年)6月に83番目の都立公園として開園した。2021年(令和3年)6月には追加開園され、現在は約5.9ヘクタールの広さで、北地区がほぼフルオープンとなった。今後は南地区の整備工事が継続される。 この公園は、武蔵野台地の上に位置し、広々とした開放感のある芝生広場を持つのが特徴で、北側を流れる井の頭恩賜公園の井の頭池を源流とする[イ]、南側の国指定史跡の玉川上水に挟まれた場所にある。
都立高井戸公園, 神田川
14
御茶ノ水駅から明大通りをやや西寄りに南下した神田神保町界隈にある古書店街は、世界最大の本の街で、エリアを東西に走る[ア]を東に進むと、2022年(令和4年)5月に建て替えのため閉店した[イ]がある。
靖国通り, 三省堂書店神保町本店
15
2022年(令和4年)の男子プロバスケットボール「Bリーグ」1部(B1)の決勝戦が行われたことでも知られる[ア]は、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会では卓球の会場として使用された。最寄り駅は、JR千駄ヶ谷駅や都営大江戸線国立競技場駅などである。また、2022年(令和4年)の女子バスケットボールの実業団トップチームである「Wリーグ」の決勝戦が行われたことでも知られる[イ]は東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会ではハンドボールの会場としても使用され、最寄り駅はJR原宿駅や東京メトロ明治神宮前駅などである。
東京体育館, 国立代々木競技場
16
[ア]の交差点角地に建つ和光本館(旧服部時計店)は、美しいネオ・ルネッサンス様式の時計塔で知られる。[イ]からの復興の象徴として愛されてきた時計塔の歴史にちなみ、2022年(令和4年)6月10日、時の記念日に建物名称を「SEIKO HOUSE GINZA」に変更した。
銀座四丁目, 関東大震災
17
1948年(昭和23年)に開園した[ア]は、約65ヘクタールと広大で。ケヤキ並木の表参道が最寄駅から正門まで続き、園内にはアカマツや雑木林が点在し、武蔵野の面影を残している。一方、東側は明るい芝生地になっている。2012年(平成24年)には、多くの都民から寄せられた「死後は安らかに自然に帰りたい」といういわゆる“樹木葬”への要望に応えて、樹林型・樹木型の埋蔵施設が作られた。この霊園には多くの著名人が眠っており「[イ]」や「君の名は」「城ヶ島の雨」など、故人にちなむ歌碑が設置されている。
小平霊園, 酒は涙か溜息か
18
東京駅東側の八重洲という地名は1600年(慶長5年)に日本に漂着し、以後徳川家康に仕えた[ア]人の船乗り、ヤン・ヨーステンに由来すると言われる。JR東京駅から八重洲通りを東に進み、国道15号線と交差する手前に記念碑がある。 2022年(令和4年)9月には、この八重洲に3棟目の東京ミッドタウンブランドの「東京ミッドタウン八重洲」が竣工した。地上45階建てで、39階〜45階には日本初進出となる[イ]が入るほか、商業施設やオフィス、中央区立城東小学校、地下2階にはバスターミナルが設けられている。
オランダ, ブルガリホテル東京
19
江戸の大名庭園の特徴を表す潮入の池と鴨場を持つ徳川将軍家の庭園であり、一世紀に一度開花すると言われる植物で、「センチュリープランツ」の別名を持つリュウゼツランの仲間であるアオノリュウゼツラン(青の竜舌蘭)が、2022年(令和4年)7月に10年ぶりに開花したことで話題になった。 潮入りの池は、海水を引き込んだ、潮の干満によって変化する景色を楽しむ江戸時代に発明された庭園様式で、都内で現存するのはこの庭園のみである。また、鴨場が園内に2ヶ所残っている例は全国的にも珍しく、近年復元された鴨場からは当時の様子がうかがえる。
浜離宮恩賜庭園
20
だるま市が行われていることでも知られる写真の寺は、平安時代から続く真言宗の古刹であり、新撰組の土方歳三の菩提寺としても知られている。
高幡不動尊金剛寺
21
東京の遊園地の歴史を見ていこう。 浅草花やしきの開業は、江戸時代までさかのぼる。1853年(嘉永6年)に植木職人の森田六三郎が[ア]として開業した。明治から昭和の初期にかけては、当時としては珍しい動物を飼育する動物園の役割も果たした。戦後1949年(昭和24年)に浅草花やしきと名称を改め、アトラクションを増やして現在の姿に近い遊園地となっていく。現存する日本最古の[イ]があることでも有名である。 1922年(大正11年)には、荒川区西尾久の隅田川沿いに、あらかわ遊園が開園した。当初は、入浴施設や日本庭園などを中心とした大人向けの施設であったものの、戦後、荒川区の区立遊園地となり児童のための遊園地に生まれ変わって現在に至る。 東京都心にある東京ドームシティアトラクションズは、1955年(昭和30年)に後楽園ゆうえんちとしてスタートした。スーパー戦隊ショーのテレビCMのキャッチコピー「後楽園ゆうえんちで僕と握手!」でも知られている。現在の東京ドームシティでは、遊園地や東京ドーム、ホテル、レストラン、ショップが揃うエンターテイメントエリアのほか、[ウ]も設置されている。 1964年(昭和39年)には、京王線沿線の稲城市と川崎市にまたがる場所に よみうりランドがオープンした。過去には海水水族館やスキージャンプ台を設置するなど、独自の施設やアトラクションを次々に開発してきた。近年では、ものづくりがテーマの遊園地エリア[エ]を開設している。
植物園, ローラーコースター, 天然温泉施設, グッジョバ!!
22
六本木エリアは、六本木通りと地下鉄六本木駅周辺の再開発によって[ア][イ][ウ]などの大型施設が建てられ、各国大使館や神社仏閣なども多く集まっている場所である。
六本木ヒルズ, 六本木ミッドタウン, 国立新美術館
23
多摩地域は、コロナ禍を機にアウトドアレジャーやマイクロツーリズムなどのスポットとして再注目されている。中でも[ア]にある[イ]は、東京都指定の天然記念物で、関東有数の規模を誇る。
奥多摩町, 日原鍾乳洞
24
写真のエリアは かっぱ橋道具街の様子である。このエリアの説明として誤っているものはどれか。
上野駅と水道橋駅の間にある。
25
伊豆諸島の有人島のうち、最南端にあり、最小人口の[ア]には、複式火山があり、上空から見ると二重の円になっている。
青ヶ島
26
2012年(昭和24年)、東急文化会館の跡地に開業した、駅直結の商業施設でショップやレストラン、オフィスなどに加え、ミュージカル劇場を備える複合施設である。
渋谷ヒカリエ
27
この東京グルメのひとつを販売する三田の有名店は、「ニンニク、ヤサイ、アブラ」などのコールと呼ばれる独特の掛け声や、来店客が長い行列を作ることで知られている。ほかにも、この食べ物を販売する有名店がしのぎを削るエリアが都内各地に存在している。例えば、神田駅西口周辺、新宿駅西口から大久保駅方面に続く小滝橋通り沿い、高田馬場の早稲田通り沿い、池袋駅東口、荻窪の青梅街道沿い、錦糸町駅周辺、立川駅南口などが知られている。また、最近では東京駅一番街にある関連施設が人気スポットになっている。
ラーメン
28
東京都は、現在までに、世界有数の主要都市と姉妹友好都市提携を締結してきた。最初に提携を結んだのは、1960年(昭和35年)のニューヨーク市(アメリカ合衆国)で、最も新しい提携都市は、2015年(平成27年)の[ア]である。
ロンドン市(イギリス)
29
「谷根千」と呼ばれている谷中・根津・千駄木エリアは、「谷中銀座商店街(台東区谷中)」をはじめ、外国人を含む多くの観光客が訪れる地域である。また、1900余年前に創祀されたと伝えられる根津神社(文京区根津)は、5代将軍徳川綱吉によって造営された本殿など7棟が国の重要文化財に指定されているほか、春には約100種類3000株の[ア]が咲き競う花の名所でもある。
ツツジ
30
日本の考古学発祥の地である[ア]は、これまで長い間、発見者である[イ]によって実際に発掘された正確な場所が分からなくなっていた。しかし、1984年(昭和59年)の発掘成果から、最終的に[ウ]に落ち着いた。現在、国指定史跡として無料公開されている。
大森貝塚, エドワード・モース, 品川区
31
打倒平家を掲げた源頼朝は、1180年(治承4年)8月の石橋山合戦で敗れ、房総半島に逃れた。その後、房総から陸路で鎌倉に入る頼朝の[ア]渡河を助けたのが、武蔵国江戸郷に本拠を置く[イ]であった。
隅田川, 江戸太郎重長
32
江戸幕府が江戸で唯一公許した遊郭である吉原は、もともと隅田川河口の葦の生えた場所にあったものの、[ア]の後に浅草北部に移転し、新吉原と称するようになった。
1657年(明暦3年)明暦の大火
33
東京およびその周辺地域の地下を掘っていくと、[ア]の関東ローム層が出てくる。今から約3万8千年前から1万6千年前の旧石器時代に、富士山、箱根山や浅間山などの火山灰が積もった後である。その時代は火山活動により人類は生きることができなかったと考えられていたものの、アマチュア考古学者の[イ]が、群馬県の岩宿で打製石器を発見したのをきっかけに、東京でも旧石器時代の遺跡が多数見つかっている。
赤土, 相沢忠洋
34
坂東(現在の関東地方に相当)に新しい国家を打ち立てようと自ら新皇と称した[ア]は、桓武天皇の孫の高望王の家系である。追討軍に破れ、都で晒された将門の首は東国を慕って飛んで行ったという伝説があり、それが落ちたとされる現在の[イ]に[ウ]がある。
平将門, 千代田区大手町1丁目, 将門塚
35
8代将軍徳川吉宗がベトナムから取り寄せ、1729年(享保14年)3月に長崎からおよそ80日の旅をして江戸の浜御殿に置かれていた[ア]は、1741年(寛保元年)4月に中野村の源助に渡され飼育されていたものの、翌年病死してしまう。[ア]は死後、近隣の宝仙寺に奉納されたが、[イ]で焼失したという。
象, 第二次世界大戦
36
2022年(令和4年)は、1972年(昭和47年)9月29日の日中国交正常化から50周年となる。北京において日中共同声明に署名し、日中国交正常化を成立させたのは、かつて日本に留学し、大学進学前に千代田区神保町にあった東亜高等予備学校で日本語を学んだ経験のある中華人民共和国の初代国務院総理の[ア]と、日本の首相の田中角栄であった。正常化の翌年、第7代東京市長で、関東大震災からの復興に尽力した[イ]の私邸があった場所(港区元麻布)に駐日中華人民共和国大使館が設置された。
周恩来, 後藤新平
37
大老井伊直弼は、天皇の勅許がないまま日米通商修好条約に調印し、また安政の大獄と呼ばれる反対派への弾圧を行なったことで、1860年(安政7年)に水戸浪士や薩摩藩士らによって江戸城[ア]で殺害された。さらに、老中安藤信正は、和宮降嫁を推進したことで、1862年(文久2年)に水戸浪士ら6名によって江戸城[イ]において襲撃され、幕府政治の弱体化が進んだ。
桜田門外, 坂下門外
38
後北条氏の一門である北条氏照によって築城された八王子城は、[ア]城の城郭普請の手法も取り入れた関東屈指の山城であったものの、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めの際に前田利家や上杉景勝によって攻撃され、わずか1日で落城した。城跡は、1990年(平成2年)の落城400年を機に、石垣、礎石、通路、古道などが発掘整備され、2006年(平成18年)には日本百名城にも認定されている。
安土
39
日蓮宗の開祖である日蓮は、甲斐国巨摩郡の身延(現在の山梨県南巨摩郡身延町周辺)で晩年を過ごしていたが、病気療養のため常陸国(現在の茨城県)に湯治に向かう途中、武蔵国荏原郡(現在の品川区・大田区周辺)の[ア]氏の館で臨終を迎えた。館のそばに建立された本門寺には、徳川家の崇敬を受け、2代将軍徳川秀忠が1608年(慶長13年)に寄進した、関東最古の五重の塔が現存している。
池上
40
千代田区の北の丸公園内には、かつて御三家のうちの田安家・清水家の 屋敷が置かれた。北の丸公園から旧江戸城の田安門(重要文化財)を通って公園の外に出たところに、高灯籠(常燈明台)があり、道を挟んだ北側には[ア]がある。
靖国神社
41
上野には、徳川将軍家の祈祷寺・菩提寺として[ア]が置かれ、江戸時代を通じて繁栄した。1868年(慶応4年)の江戸開城後、旧幕臣の一部は[イ]と称してここに立てこもったものの、上野戦争で新政府軍に討滅された。1873年(明治6年)には、日本初の公園のひとつとして上野恩賜公園が置かれた。 また、明治10年以降3回にわたり博覧会が開催されるなど、国家的なページェントの場としての役割を果たすようになった。2022年(令和4年)に創立150年を迎えた東京国立博物館のほか、国立科学博物館、国立西洋美術館[ウ]など、ミュージアムも数多く立地している。
寛永寺, 彰義隊, 東京都美術館
42
日本初の超高層ビルとして1968年(昭和43年)に竣工した[ア]は、地下3階、地上36階建て、高さは地上147mである。
霞が関ビルディング
43
多摩湖の通称で呼ばれる村山貯水池は、東京市(当時)の水道事業のために1927年(昭和2年)に完成した人造湖で、[ア]の渓谷にある。地域に親しまれる、地域にとってかけがえのないダム湖として、一般財団法人水源地環境センターの「ダム湖百選」に選ばれている。
狭山丘陵
44
1868年(明治元年)7月、江戸を東京と改称して[ア]が置かれた。1871年(明治4年)に「大区小区制」が始まり、1873年(明治6年)には隣接地域を編入して11大区 103小区を定めた。 1878年(明治11年)には大区小区制に代わって「郡区町村編成法」が制定され、15区6郡が置かれた。 この時、伊豆諸島が[ア]に編入された。 1889年(明治22年)、15区が東京市となり、小笠原諸島が東京府に編入された。 東京府と東京市の庁舎は現在の[イ]の場所にあった。
東京府, 東京国際フォーラム
45
多摩川を見下ろす多摩川台と呼ばれる台地は、亀甲山古墳などがあるように、古くから人が住む場所であった。 第一次世界大戦後の都市化の展開の中で、実業家[ア]の後押しを受けて田園都市株式会社が設立され、都心部への通勤通学客を運ぶ鉄道として[イ]が設立された。
渋沢栄一, 目黒蒲田電鉄
46
1877年(明治10年)に開催された[ア]の残品処理のために、勧工場(かんこうば)と呼ばれる商業施設が東京の各地に作られた。場内に土足で入り、陳列した商品を買えるという形態から、百貨店の前身的存在とも言われる。 東京で初めての本格的な百貨店は、江戸時代から呉服店を営んできた、現在の[イ]が1904年(明治37年)にデパートメント宣言してからとされる。
内国勧業博覧会, 三越
47
この絵は 今から約150年前の1872年(明治5年)、新橋横浜間に日本初の鉄道が開業した 新橋停車場の近くに設けられていた[ア]である。
銀座煉瓦街
48
写真の建物は、この学校の創立者を記念して 1927年(昭和2年)に竣工した講堂である。 創立者は、明治維新後、政府の有力者となり、鉄道の建設をはじめとする近代化の推進に尽力した。 政変で政府から離れた後は、東京専門学校を創立し、日本を代表する私立大学に発展していった。
早稲田大学大隈記念講堂
49
1936年(昭和11年)2月26日、一部将校が「昭和維新」の断行を唱えて起こした二・二六事件で殺害された大蔵大臣で、「ダルマさん」の愛称があった。写真の人物は誰か
高橋是清
50
1945年(昭和20年)8月下旬から東京に入った進駐軍は、都内各所の主要建造物を接収した。 日比谷の[ア]には GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が入り、 1952年(昭和27年)4月のサンフランシスコ講和条約までおよそ7年近く接収が続いた。
第一生命館
51
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災によって、隅田川に架かる橋が崩落したため、帝都復興院は、[ア]や言問橋など6つの橋を新しく架橋した。 これら6つの復興橋梁はすべて異なるデザインで、技術的にも当時の最高水準のものが投入され、約100年後の今では水上観光の大きな魅力のひとつになっている。
永代橋
52
1882年(明治15年)、東京の市街地を走る交通機関として[ア]が新橋と日本橋を結んで開業した。 その後、上野を経て浅草までの路線を延長し、東京の市街地を貫く都市交通機関として活躍した。 1903年(明治36年)に電化され、その後東京市電・都電の一部となった。
東京馬車鉄道
53
1860年(万延元年)1月、日米修好通商条約准書交換のため、幕府の軍艦咸臨丸(かんりんまる)が、[ア]からアメリカへ向けて出航した。目黒川の河口に位置するこの地は、古くから港としての機能を持ち、交通の要衝として栄えてきた。 幕末から明治にかけても、大型の船舶も出入りする、江戸東京にとって重要な港湾機能を果たしていた。 現在でも東京湾を遊覧する屋形船の船宿が建ち並んでいる。
品川
54
東京都内独特の気象現象のひとつに環八雲(かんぱちぐも)がある。 その名のとおり、環状8号線の上空に現れる雲である。 この雲の発生の原因は、以前は交通量の多いトラックや自動車からの排気ガスだとされていたものの、実際には[ア]による上昇気流や海風のはたらきで、ちょうど環状8号線付近に雲ができやすくなる現象だと考えられている。
ヒートアイランド現象
55
1984年(昭和59年)に「都の花」に選ばれたソメイヨシノは、江戸末期から明治初期にかけ、現在の[ア]にあった染井村の造園師や植木職人らによる改良で誕生した品種である。
豊島区
56
東京都の島しょ地域(伊豆諸島・小笠原諸島)へ向かう移動手段のひとつとして、[ア]にあるターミナルから出航する船を利用する方法がある。
竹芝
57
東京の空の玄関口である羽田空港(東京国際空港)と成田空港(新東京国際空港)の間で乗り換えなく移動できる方法としてリムジンバスのほか、[ア][イ][ウ]による相互乗り入れのエアポート快特(羽田空港発)とアクセス特急(成田空港発)がある
京浜急行, 都営線, 京成線
58
東京を流れる以下の河川について、東京湾へ流れ込む河口を基点に西から並べると[ア]となる
隅田川→荒川→旧江戸川
59
東京都内で銭湯の数が最も多いのは[ア]区である。 [ア]区や臨海部周辺には、淡褐色や黒褐色の「黒湯」と呼ばれる世界でも珍しい温泉がある。 メタケイ酸や炭酸水素塩類(重曹)などを含む温泉で、大昔の海水を由来とするため、「化石水」とも呼ばれている。
大田
60
東京都心部の環状線として知られる、JR山手線の線路の外側にある公園として、誤っているものはどれか。
芝公園
61
雲取山に関する説明のうち、誤っているものはどれか。
東京都の最西端である。
62
東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会は、40を超える会場で開催された。 このうち、もっとも競技会場が多かったエリアは、競泳等の会場となった東京アクアティクスセンターなどがある[ア]であった。
江東区
63
山梨県小菅村及び丹羽山村の全域、甲州市の一部は、[ア]の流域であり、東京都水道局の管理する水源林が広がっている。 こうした水源林では、シカなどによる食害が問題になっている。
多摩川
64
伊豆大島にはさまざまな特産品があり、[ア]と呼ばれる海藻から ところてんが作られ、[イ]の種子からは油脂が搾取されるとともに、ヘアオイルなどの製品が作られる。
テングサ, ツバキ
65
武蔵野台地上の平地林は「武蔵野の雑木林」とも呼ばれてきた。 作家[ア]は、薪炭材の産出のために計画的に育成された[イ]やクヌギによる林の美しさを『武蔵野』の中に描きだしている。
国木田独歩, コナラ
66
写真は、江戸の町の拡大と人口増加に対応して給水量を増やすため、1650年代に庄右衛門・清右衛門兄弟(玉川兄弟)によって開通させた玉川上水の取水堰である。
羽村取水堰
67
東京都の農産物として、練馬区のダイコンや清瀬市のホウレンソウ、小平市のブルーベリーや稲城市のナシなどがある。市街地区域内における農地において、1991年(平成3年)に改正された[ア]法の下、指定を受けることで、農家は30年の営農義務を課せられた一方、固定資産税や相続税猶予の優遇措置を受けることができるようになった。
生産緑地
68
墨田区を中心に生産が盛んな工業製品に関わる機械である。
丸編みニット機
69
筑後国(現在の福岡県南部)久留米出身のからくり細工師であり、「東洋のエジソン」と呼ばれた田中久重は、1875年(明治8年)、東京の銀座に製造所を開設した。 同製造所は、のちに港区に移転して[ア]のルーツとなるとともに、東京の機械工業を担う多くの技術者を輩出した。
東芝
70
毎年[ア]の最終土曜日に開催される隅田川花火大会は、桜橋と言問橋のあいだと駒形橋と厩橋のあいだも2ヶ所を会場にして、約2万発の花火が打ち上げられる。 打ち上げられる花火は、川幅の狭さや安全確保のためにニ寸玉(2号)から四寸玉(4号)に制限されている。 この花火大会は、1961年(昭和36年)まで「両国の[イ]」として開催されていたものの、[ウ]、川の水の汚染などで17年間中断されたのち、1978年(昭和53年)に現在の名称で復活した。 こうした花火大会で耳にする「玉屋、鍵屋」のかけ声は、江戸時代の人気の花火職人の屋号である。 鍵屋の創業は1659年(万治2年)、その後、鍵屋の番頭で玉屋清七が暖簾分けして1808年(文化5年)に玉屋を起こして腕を競いあったという。 そこで「たまやー、かぎやー」の声がかかるようになったといわれる。
7月, 川開き, 交通事情の悪化
71
詩人で作家の[ア]は、自身の青春時代を題材とした「桜の実の熟する時」に、母校の現・明治学院大学を登場させた。 なお、後年、同校の校歌を作詞している。
島崎藤村
72
国木田独歩の『武蔵野』は、1896年(明治29年)から現在の[ア]の一角に住んだ独歩が、東京近郊の風景を新鮮な感覚で著した作品である。 独歩は古(いにしえ)の武蔵野の面影を追いつつ、雑木林の中のとりわけ落葉林の美しさを発見し、名もなき自然に対する賛美をうたった。
渋谷区
73
[ア]の正福寺地蔵堂は、現存する中世の寺院建築で、屋根の強い反り、軒の扇垂木(おうぎたるき)、窓と入口の花頭窓(かとうまど)など、禅宗様の特徴を示す国宝建造物である。
東村山市
74
江戸時代の相撲は寺社奉行の管理の下、寺社修復の費用を捻出するための[ア]相撲として各地の寺社境内で行われていた。 江戸では、深川富岡八幡宮、芝神明社、湯島天神、市ヶ谷八幡宮、両国の回向院で晴天8日間の開催であったものの、1833年(天保4年)からは回向院境内での興行が定着した。 現在、日本相撲協会が主催する大相撲が年6回開催される中で、一月(初)場所、五月場所、九月(秋)場所の三場所が[イ]の国技館で行われている。
勧進, 墨田区
75
2020年(令和2年)は、「仮面の告白」や「金閣寺」などの作品で知られる作家・[ア]の生誕95年、没後50年に当たる。 [ア]が築地を舞台に描いた作品「橋づくし」に登場する[イ]の建物は、1933年(昭和8年)、アントニン・レーモンドらの設計により建築された。
三島由紀夫, 聖路加国際病院
76
東京大学本郷キャンパス内に現存する主要な校舎は、いずれも[ア]の設計によるもので、安田講堂をはじめ[イ]を基調としたデザインと煉瓦タイルの素材感が見事な統一感をもたらしている。
内田祥三, ゴシック様式
77
2000年(平成12年)に開業した都営大江戸線のこの駅は、JR東日本、東京メトロおよび都営地下鉄が乗り入れる接続駅である。 建築家・渡辺誠が設計し、日本建築学会賞を受賞した。 コンピュータによって形態が生成される緑色の「ウェブフレーム」が3次元的に展開し、利用者を楽しませている。
飯田橋駅
78
日本で最初に公園制度ができたのは、1873年(明治6年)の太政官布逹(だじょうかんふたつ)によるもので、東京では上野、浅草、深川、[ア]、飛鳥山の5ヶ所が公園として指定された。 [ア]公園の西端には東京布最初の造園家 長岡安平(ながおかやすへい)が設計した「もみじ谷」があり、その中心に位置するのが飛沫ほとばしる落差10メートルを超す「もみじの滝」である。 2020年(令和2年)6月に「もみじの滝」を含む「もみじ谷」は改修工事が完了して公開され、[イ]を真上に見上げる唯一の紅葉の名所として話題になっている。
芝, 東京タワー
79
2019年(令和元年)、ラグビーワールドカップ2019(TM)日本大会が国内12都市で開催された。 東京会場の[ア]では8試合が開催された。 開催各都市には全試合をパブリックビューイングできるファンゾーンが設けられ、東京では[イ]駅から約100mの東京スポーツスクエアと調布駅前広場・調布市グリーンホールなどに設置された。 試合のない日も公式グッズが販売され、大会期間中に延べ約31万人が訪れた。 なお、[ア]は東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会では、近代五種、サッカー、ラグビーの会場として使用された。
東京スタジアム, 有楽町
80
写真の五重塔は、2代将軍徳川秀忠が1608年(慶長13年)に建立寄進した現存する関東最古の五重塔であり、国の重要文化財にも指定されている。
長栄山大国院本門寺(池上本門寺)
81
1926年(大正15年)に「豊島園」として歴史をスタートさせた遊園地「としまえん」は、2020年(令和2年)8月末をもって閉園した。 跡地は東京都がにぎわいと[ア]拠点の機能を備えた「練馬城址公園(仮)」として段階的に整備するほか、一部は「ワーナー ブラザース スタジオツアー東京 メイキング・オブ ハリー・ポッター」として2023年(令和5年)6月に開業した。 なお、温泉施設「豊島園[イ]」は引き続き営業している。
広域防災, 庭の湯
82
2019年(令和元年)に、東京都を訪れた外国人旅行者は 約1,518万人、日本人旅行者は 約5億4,316万人と、ともに対前年比で[ア]した。 訪都外国人旅行者が都内で消費した金額(観光消費額)は 約1兆2,645億円で対前年比で[イ]し、 日本人旅行者の観光消費額は 約4兆7,756億円で同1.3%減少した。
[ア]増加 [イ]増加
83
2020年(令和2年)に15周年を迎えた東京駅の[ア]の八重洲口の商業施設「東京駅一番街」には、「東京キャラクターストリート」や 東京の人気ラーメン店が集まる「東京ラーメンストリート」、カルビー、江崎グリコ、森永製菓のアンテナショップが集結する「東京おかしランド」などがある。 また、2020年(令和2年)8月に同じく東京駅の八重洲口にオープンした「グランスタ東京」は、150を超える店舗を抱える駅ナカ商業施設である。 さらに、丸の内側には、2017年(平成29年)にオープンした[イ]があり、雑貨やコスメの店舗に加え、総席数約230席の飲食店街がある。
東側, グランスタ丸の内
84
2020年(令和2年)3月、東京都稲城市と神奈川県川崎市多摩区にまたがる遊園地「[ア]」に隣接した日本庭園に、温室でのプロジェクションマッピングショーなど、エンターテインメント型植物園「HANA・BIYORI(はなびより)」がオープンした。
よみうりランド
85
2020年(令和2年)夏にオープンした「ウォーターズ竹芝(WATERS takeshiba)」は、ホテルやオフィス、商業施設、そして[ア]の劇場からなる複合施設で、そのうちタワー棟とシアター棟の両方にまたがる「アトレ竹芝」は、アトレとして初めて「駅ソト」に開業した。
劇団四季
86
「グリーンスプリングス」は、2020年(令和2年)4月にオープンした「ウェルビーイングタウン」をコンセプトにした新街区で、昭和記念公園と[ア]のあいだのエリアである。
多摩都市モノレール
87
渋谷区立宮下公園は、区内で初めて適用された「立体都市公園制度」によって、2020年(令和2年)に地上4階の空中公園として生まれ変わった。[ア]施設やハイブランドのショップ、飲食店やホテル等を併設している。
ボルダリング
88
[ア]と東京スカイツリータウンを結ぶ回遊ルートとして、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の既存の鉄道橋に新設された「東京スカイツリー・[ア]連絡歩道橋 すみだ[イ]ウォーク」が整備され、 2020年(令和2年)6月にオープンした。 [ア]からこの歩道橋を渡って隅田川を越えると鉄道高架下複合商業施設「東京ミズマチ」へつながり、カフェやレストラン、スポーツ複合施設など水辺を散策しているうちに東京スカイツリータウンに行きつく。東京スカイツリーは、自立式鉄塔としては[ウ]の高さを誇る電波塔である。
浅草, リバー, 世界一
89
2020年(令和2年)9月、[ア]3丁目にオープンした「バスあいのり3丁目TERRACE(テラス)」では、 高速バスの空きトランクを活用した「産地直送あいのり便」で届く日本各地の特産品や食材を楽しむことができる。
新宿区新宿
90
2020年(令和2年)9月、有楽町駅から新橋駅のあいだの高架下にオープンした商業施設「日比谷OKUROJI」(写真)は、建造から100年以上の歴史を持つ煉瓦アーチが特徴的である。
銀座コリドー通り
91
江戸時代初期、徳川幕府が設けた河川の渡し場のひとつである。 都内に残る唯一の渡し場で、現在も渡し舟に乗ることができる。
江戸川
92
奥多摩は、森と山々が続く、東京でもっとも自然豊かな場所のひとつで、 天然記念物の[ア]があることでも知られている。
日原鍾乳洞
93
この駅では、新駅舎が2020年(令和2年)3月に併用され、 写真にある東京都内最古の木造駅舎の取り壊しが同年夏に始まった。
原宿駅
94
東京の商店街の中で、中原街道から約400軒の店舗が全長1.3kmにわたって連なる[ア]や、「とげぬき地蔵尊」の門前前の巣鴨地蔵通り商店街などでは、地域住民に加えて多くの観光客が訪れている。
戸越銀座商店街
95
[ア]には「黒湯」と呼ばれる温泉が多く、温浴施設やホテルなど、入浴を楽しむことができる施設もある。
大田区内
96
1827年(文正10年)に刊行された江戸時代の代表的な行楽案内である『江戸名所花暦』は、 四季折々の花の名所などを紹介している。 「夏乃部」で挙げられている蓮の名所は、溜池、増上寺地中弁天の池と[ア]の3ヶ所である。[ア]は琵琶湖になぞられ中島を築き弁天堂が建立されている。 現在、蓮の名所として残っているのは[ア]だけである。
不忍池
97
1629年(寛永6年)、初代水戸藩主徳川頼房が庭師徳大寺左兵衛(とくだいじさへい)に造らせ、さらに水戸黄門で有名な2代藩主徳川光圀が中国趣味を取入れて完成させたこの[ア]は、 江戸時代初期の代表的な大名庭園で、国の特別史跡・特別名勝に指定されている。
小石川後楽園
98
丸の内の旧都庁舎跡地に総合文化情報施設として建設された施設であり、巨大な舟型のアトリウム空間を持つガラス棟がシンボルとなっている。
東京国際フォーラム
99
住みたい街ランキング等で常に上位に位置する人気のエリアで、中心市街地には若い女性に人気の雑貨店や飲食店が集まっているのに加え、昭和の雰囲気を感じるハモニカ横丁があることでも知られている。
吉祥寺
100
江戸時代の大名は江戸に複数の屋敷を持っていた。 大名屋敷のうち、尾張藩の別邸として利用されていた尾張藩[ア]の跡地には、現在、戸山ハイツや国立国際医療研究センター、早稲田大学文学部などが建っている。
下屋敷