問題一覧
1
明治維新後の日本は、欧米と対等な主権国家の確立を目指すため、(1)権の撤廃や、(2)権の獲得を求めた。
領事裁判, 関税自主
2
(1)団は、不平等条約の改正の予備交渉にヨーロッパの国々へ向かったが、失敗した。
岩倉使節
3
岩倉使節団のメンバー5人
岩倉具視, 山口尚芳, 木戸孝允, 伊藤博文, 大久保利通
4
1869年に、蝦夷島を「(1)」と命名し、明確な日本の領土とした。
北海道
5
1875年に、ロシアとの間に(1)条約を結び、樺太をロシア領、千島列島を日本領とした。
樺太・千島交換
6
1875年の樺太・千島交換条約で、樺太は(1)領、千島列島は(2)領と正式に決まった。
ロシア, 日本
7
1876年に、日本は(1)諸島の領有を宣言し、南北で領土が確定した。
小笠原
8
1871年、(1)条規で清と互いに開港、領事裁判権を認めあった。
日清修好
9
1876年に、日本は朝鮮と(1)条規を締結し、日本のみ領事裁判権を得て、釜山など3港を開かせた。
日朝修好
10
日朝修好条規を結ぶ際、朝鮮側は条約の交渉を拒否したが、日本で征韓を求める声が高まったため、1875年に(1)事件が起きた。
江華島
11
1874年に台湾に漂流した琉球人の殺害をめぐり、日本と清が対立したため、(1)がおきた。(琉球漂流民殺害事件)
台湾出兵
12
台湾出兵し、日清が和解したあとも日本は琉球に清への服属を辞めるよう命じ、琉球を併合した「(1)」 →1879年、沖縄県が強行的に設置された
琉球処分
13
朝鮮は清に朝貢し、内政は自立していたが、欧米諸国とは関係を持とうとしなかった。しかし、1876年の(1)により開国した。
日朝修好条規
14
1880年頃、清の(1)は、日本の朝鮮進出を警戒し、アメリカ・朝鮮間に条約を結ばせた。
李鴻章
15
朝鮮は朝鮮をめぐる日清の対立が深まる中で、近代化政策を模索していた。 →1882年に、不満を抱く兵士が反乱し、民衆も加わり日本公使館を襲撃した「(1)」
壬午軍乱
16
朝鮮の維持と近代化を目指した勢力
開化派
17
1884年におきた、清仏戦争の勃発により朝鮮に対する清の影響力が弱まったため、金玉均・朴泳孝らが日本公使館の支援を受けて起こしたクーデター
甲申政変
18
甲申政変において、日本の支援を受けクーデターを起こした親日派の代表者2人
金玉均, 朴泳孝
19
甲申政変では、(1)が率いる清軍が親日派の金玉均・朴泳孝らに勝利した。
袁世凱
20
甲申政変中、軍規も軍備も半端な日本と清仏戦争で負けたばかりの清は互いに戦いたくなかったため、1885年に(1)を結び、日清両軍の同時撤兵と朝鮮派兵の相互事前報告を約束した。
天津条約
21
(1)著:「脱亜論」・・・アジアの連帯を排除しようという考え方。軍事的気運を持ち、態度が曖昧な清・朝鮮へは武力を持って排除すべき
福沢諭吉
22
1883年、日本は(1)を建設し、日夜舞踏会を開催した
鹿鳴館
23
1886年に、(1)事件が起こり、条約改正を国民が意識し始めた。
ノルマントン号
24
外国人が内地雑居(居留地制限の撤廃)するため、西洋風の法典整備へ →1890年に(1)や(2)を公布した
民法, 商法
25
1890年に交付された民法や商法は、フランス人法学者の(1)らによって起草された
ボアソナード
26
1894年の(1)条約以降、条約改正が進み、(2)によって領事裁判権が撤廃された
日英通商航海, 陸奥宗光
27
外相の陸奥宗光は何の撤廃に貢献したか
領事裁判権
28
1894~1895年にかけて起こった朝鮮をめぐる日本と清の戦争
日清戦争
29
日清戦争は日本と清どちらの勝利で終わったか
日本
30
日清戦争のきっかけとなった朝鮮での大規模な農民反乱
甲午農民戦争
31
甲午農民戦争時、清が朝鮮からの要請を受けて(1)条約に基づき出兵し、日本はその通告を受けて出兵した。
天津
32
日本が朝鮮の王宮を占領し、清との軍事衝突「(1)」が始まった。日本は初めに豊島沖海戦で宣戦布告し、その後、(2)を占領、最後の黄海海戦にて清の北洋艦隊を撃破し、日本の勝利で終わった。
日清戦争, 遼東半島
33
1895年、(1)条約にて清が朝鮮の独立を認めること、遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲や賠償金支払いや開港の約束がされた。
日清講和
34
日清講和条約の日本全権は(1)、(2)にあり、清国全権は(3)にあった。
伊藤博文, 陸奥宗光, 李鴻章
35
日清講和条約にて清は(1)の独立を認めること、(2)半島・(3)・澎湖諸島を日本に割譲すること、賠償金(4)両(日本円で3億1千万円)の支払い、沙市・重慶・蘇州・杭州の4港を開くことを約束した。
朝鮮, 遼東, 台湾, 2億
36
1895年にロシア、フランス、ドイツの3国が日本に遼東半島の返還を求めたこと
三国干渉
37
三国干渉では(1)、(2)、(3)の三国が日本に(4)の返還を要求した
ロシア, フランス, ドイツ, 遼東半島
38
日本は三国干渉で賠償金と引き換えに返還要求を受けいれ、「(1)」の標語のもと軍備拡張し、台湾総監府を設置するなど台湾統治を推進した。
臥薪嘗胆
39
ビゴーのなんという絵か
魚釣り遊び
40
1898~1899年にかけての列強の中国における勢力拡大をなんという
中国分割
41
中国分割 ドイツ:(1)湾★を租借 ロシア:(2)半島の(3)・(4)を租借▲ イギリス:九竜半島((5)の北部■)、(6)半島の(7)◆を租借 フランス:(8)湾●を租借
膠州, 遼東, 旅順, 大連, 香港, 山東, 威海衛, 広州
42
アメリカはスペインと戦争中で中国分割に出遅れたため、中国での「(1)・(2)」を主張した
門戸開放, 機会均等
43
日清戦争敗北による危機感から、1898年に康有為らが日本の明治維新に倣った改革を皇帝に提案し、実施したこと
戊戌の変法
44
戊戌の変法は急激な改革に反対する勢力((1)ら)による政変で失敗した
袁世凱
45
1900~1901年にかけてのキリスト教の排除を目指す民衆運動から扶清滅洋を叫ぶ義和団が起こり、外国人を襲撃したことから始まった戦争
義和団戦争
46
義和団戦争はキリスト教の排除を目指す民衆運動から「(1)」を叫ぶ(2)が起こり、外国人を襲撃したことから始まった
扶清滅洋, 義和団
47
義和団戦争時、清は義和団を利用して列強と戦うよう呼びかけ、列強に宣戦布告した。これを(1)という。
北清事変
48
北清事変時、日本を含む列強8ヵ国は連合軍で出兵し義和団を鎮圧した後、北京を占領した。→清は敗北、(1)で列強各国軍隊の北京駐在を認めた。特に、ロシアは(2)を占領した。
北京議定書, 満州
49
日清戦争後の朝鮮は日清講和条約で清から独立し、清と対等な国であることを示すため、1897年に国名を(1)(韓国)、国王も(2)と改称した。
大韓帝国, 皇帝
50
義和団戦争を機に、ロシアが満州地域を軍事占領し、それが韓国へも及ぶことを恐れた日本は1902年に(1)同盟を締結した。その後、ロシアとの「満韓交換」(=「(2)」(伊藤博文ら))の交渉が失敗したことから1904~1905年にかけて(3)戦争が行われた。(日本勝利)
日英, 日露協商論, 日露
51
日露戦争で日本は旅順・奉天を占領し、(1)海戦(vs(2)艦隊)で勝利するも、国力を消耗した。 →ロシアは国内の革命運動で社会不安が高まった
日本海, バルチック
52
日本海海戦勝利後、(1)の仲介により1905年にロシアとの間に講和条約((2)条約)が締結した
アメリカ, ポーツマス
53
ポーツマス条約の日本全権は(1)、ロシア全権は(2)にあった。また、この条約はアメリカ大統領の(3)=(4)の斡旋によるものだった。
小村寿太郎, ヴィッテ, セオドア, ローズヴェルト
54
ポーツマス条約の内容 ・日本に(1)の指導・監督権 ・(2)、(3)の租借権、長春~(2)間の鉄道利権(のちの(4)鉄道) ・北緯50度以南の(5)(樺太)の譲渡など しかし、(6)は取れなかった
韓国, 旅順, 大連, 南満州, サハリン, 賠償金
55
ポーツマス条約で賠償金を取れなかったことから日本国民の不満が高まり、(1)事件が起こった。 他にも、日露戦争はアジア各地の近代化・民族主義運動に大きく影響を与えた(例:(2)運動など)
日比谷焼き討ち, ドンズー
56
フランスの植民地支配を跳ね除けようとするベトナムの民族運動
ファン=ボイ=チャウ
57
1911年に、外相の(1)が日米通商航海条約で(2)を回復した
小村寿太郎, 関税自主権
58
日本は日露戦争中に桂・タフト協定で(1)の(2)支配、第二次日英同盟で(3)の(4)支配を相互承認した
アメリカ, フィリピン, イギリス, インド
59
1904年(日露戦争中)に結ばれた、日本の推薦する財政・外交顧問を韓国政府に置くという協約
第1次日韓協約
60
(1)・・・1905年に結ばれた、韓国に統監府を置き、統監が韓国の外交権を掌握(=(2)化)する協約 (※初代統監=(3))
第2次日韓協約, 保護国, 伊藤博文
61
1907年に起きた、韓国皇帝高宗がハーグ(蘭)で開催された万国平和会議に3人の密使を送り、日本の支配を訴えた事件
ハーグ密使事件
62
1907年の、韓国の内政権まで奪い、軍も解散させ、皇帝高宗を退位させ、事実上の韓国併合をした協約
第3次日韓協約
63
第3次日韓協約では、韓国内の(1)運動などの抵抗運動を弾圧し、(2)条約でついに韓国を併合した
義兵, 日韓併合
64
1907年に結ばれた、ロシアが日本の南満州支配、韓国の保護化を認め、日本がロシアの北満州、外蒙古での検疫化を認めた協約
第1次日露協約
65
義和団戦争後の改革「新政」 ・「(1)」廃止・・・欧米や日本に倣った学校の設立や海外留学の推進→日本への留学生増 ・1905年に(2)が東京で(3)を結成し、留学生、華僑(在外中国人)、軍隊へ革命思想を広めた ・軍政改革・・・若い士官が多く集まった(進軍設立、西洋式装備の採用等)
科挙, 孫文, 中国同盟会
66
(1)革命(1911~1912年) ①武昌(現・湖北省武漢市)の軍隊が蜂起し、臨時革命政権が発足。14の省が清からの独立を宣言。これに対し清は(2)を内閣総理大臣に起用し対抗 ②帰国後の孫文と革命勢力は1912年に南京で(3)政府を発足 ③袁世凱は革命勢力と相談し清の皇帝(宣統帝)を退位させた後、中華民国の臨時大統領に選出され、(4)を首都として統一された中華民国政府が成立
辛亥, 袁世凱, 中華民国, 北京
67
孫文は(1)を唱えて革命運動を推進した。 →・(2)・・・異民族支配の打倒((2)の独立) ・(3)・・・共和制国家の樹立((3)の伸長) ・(4)・・・土地の均分化((4)の安定)
三民主義, 民族, 民権, 民生
68
辛亥革命で袁世凱は清の皇帝(宣統帝)を退位させた。この時の宣統帝は誰か
溥儀
69
20世紀初頭までには多くの(1)が成立しており、戦争が大規模(世界大戦)になる可能性が増大していた。
同盟
70
国家間で同盟関係を結び一つの勢力の強化を抑え、互いに牽制し合うことで、国際平和を目指すこと
勢力均衡
71
三国同盟はどの三国か
ドイツ, イタリア, オーストリア
72
ドイツ、イタリア、オーストリアの同盟をなんというか
三国同盟
73
ドイツ、イタリア、オーストリアの三国同盟側についた三国
ボスニア, ブルガリア, トルコ
74
三国協商はどの三国によるものか
イギリス, ロシア, フランス
75
イギリス、ロシア、フランスの三国による同盟
三国協商
76
イギリス、ロシア、フランスの三国協商側についた三国
ルーマニア, セルビア, ギリシャ
77
三国同盟と三国協商はどの島を奪い合ったか
バルカン半島
78
(1)事件・・・1914年に(1)でオーストリア皇太子夫妻が暗殺された事件(セルビア人民族主義者)
サライェヴォ
79
サラエボ事件をきっかけにオーストリアがセルビアに宣戦したことから、両国同盟国が次々参戦し始まった大規模な戦争
第一次世界大戦
80
第一次世界大戦は、新兵器((1)、(2)、航空機、潜水艦、機関銃)が登場する一方、(3)戦を典型とする防御重視の戦術も取られたため長期化した
戦車, 毒ガス, 塹壕
81
第一次世界大戦は長期化したため、各国は(1)体制を採用し、植民地からも物資や人員を動員した
総力戦
82
日本は(1)同盟を根拠に、1914年に(2)国(協商国)側で参戦し、ドイツに宣戦布告した ①青島と(3)省のドイツ権益(膠州湾)を占領 ②太平洋のドイツ領の南洋諸島を占領
日英, 連合, 山東
83
第一次世界大戦中、1915年に日本は中華民国へ(1)を提出し、第2次(2)内閣から(3)政権となった
二十一ヵ条の要求, 大隈重信, 袁世凱
84
二十一ヵ条の要求 ①(1)省のドイツ権益を継承する ②南満州・東部内モンゴル権益の強化 →旅順・大連や南満州鉄道の租借期限を99年延長と日本人の居住と営業の自由 ③福建省が他県他国に割譲しない 等 →中国がこれを受け入れた5月9日は国恥紀念日※国際的批判を浴びて一部撤回
山東