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2学期期末 p85〜116
  • 木村彩重

  • 問題数 66 • 12/4/2024

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  • 1

    イスラーム教は、7世紀前半にアラブ人の諸部族のあいだに広まった。イスラーム教は、ユダヤ教や①教の系譜のうえに生まれた宗教で、メッカの名家②族に生まれた(③)によってと なえられた。しかし、(③)はメッカの有力者たちによる迫害にあい、622年に(④)へ移住した。 (③)は(④)でイスラーム教徒(⑤)による大きな勢力をつくりあげ、630年にはメッカを征 服して支配権を固めると、その権威に多くのアラブ諸部族が従った。(③)の死後、アプー=パクル がその後継者である(⑥)に選出された。アラブ諸部族内で(⑥)の地位やイスラーム教徒の共同体(⑦)の統治をめぐり対立が生まれると、アプー=パクルは人々の関心を対外戦争に向けるため、 アラビア半島外への征服活動を廃止した。

    キリスト, クライシュ, ムハンマド, メディナ, ムスリム, カリフ, ウンマ

  • 2

    ①がアラビア半島外への征服活動を廃止した後、アラブ諸部族内で②位をめぐって対立が深まり、その争いのなかで第4代②のアリーが暗殺された。アリーと対立してすでに②を名乗っていたシリア総督の③は、ダマスクスを首都に④を開き、それまでの慣習を破って③の世襲を開始した。

    アブー=バクル, カリフ, ムアーウィヤ, ウマイヤ朝

  • 3

    ウマイヤ朝は2つに分裂し、すべてのカリフが正統であると考える人々を①、アリーの血統を支持する人々は②派と呼ばれ、ウマイヤ朝の支配に反対した。ウマイヤ朝のもとで、アラブ=ムスリム軍による征服活動は続き、東では中央アジアとインド西北部、西では北アフリカを征服し、さらに③半島に進出して711年に④王国を滅ぼした。その後、フランク王国内にも進出したが、732年の⑤に敗れ、その拡大はイベリア半島にとどまった。

    スンナ, シーア, イベリア, 西ゴート, トゥール・ポワティエ間の戦い

  • 4

    ウマイヤ朝は広大な領域を支配するにあたり、被征服地の人々から、人頭税である①と土地税である②を徴収した。いずれも非③教徒に課せられる税であったが、実際には、被征服地の人々が③教に改宗しても免除されず、ウマイヤ朝の時代には、アラビア半島から移住したアラブ諸部族の優位性が保たれた。

    ジズヤ, ハラージュ, イスラーム

  • 5

    イラン人など異民族のあいだにイスラーム教を受け入れる新改宗者である①が増えると、彼らと特権的なアラブ人支配者とのあいだに軋轢が生まれた。こうした社会の対立に乗じて、②家が750年に反旗をひるがえし、ウマイヤ朝を滅ぼして②朝を開いた。②朝は、国家の中心をシリアからイラン・イラクに移して新都③を造営した。税制面では、キリスト教徒やユダヤ教徒らが払う④と、農地をもつ者が例外なく払う⑤などに整理され、民族の別をこえたイスラーム教徒のあいだの平等がはかられた

    マワーリー, アッバース, バグダード, ジズヤ, ハラージュ

  • 6

    アッバース朝のもとでは、多様な学問が興隆した。ギリシア語による医学・天文学・幾何学・倫理学・ 哲学の文献が盛んに①に翻訳された。また、インド・イラン・アラビア・ギリシアなどに起源をも つ説話集が集成され、それらはのちに『②』にまとめられた。美術・建築では、イスラーム教が偶像を禁止したため、モスクなどの装飾には植物や文字を文様化した③が用いられた。

    アラビア語, 千夜一夜物語(アラビアン=ナイト), アラベスク

  • 7

    ムハンマドはメッカの有力者たちによる迫害にあい、622年にメディナへ移住した。これを何という

    聖遷

  • 8

    シリア総督のムアーウィヤはダマスクスを首都にウマイヤ朝を開きそれまでの慣習を破ってカリフの世襲を開始した。この時代を何という

    正統カリフ時代

  • 9

    ムスリム軍による征服活動は続き、東では中央アジアとインド西北部、西では北アフリカを征服し、さ らにイベリア半島に進出して711年に西ゴート王国を滅ぼした。その後、フランク王国内にも進出した が、732年のトゥール・ポワティエ間の戦いに敗れ、その拡大はイベリア半島にとどまった。この戦いを何という

    ジハード

  • 10

    イスラム教の聖地であるこの場所の名前を答えよ

    メッカのカーバ神殿

  • 11

    トゥール・ポワティエ間の戦いでウマイヤ朝のイスラム教徒を破ったフランク王国の宮宰は誰

    カール・マルテル

  • 12

    千夜一夜物語(アラビアン=ナイト)のモデルとなったのは誰

    ハールーン・アッラシード

  • 13

    二代目カリフのウマルがササン朝ペルシアを倒したのは何の戦い

    ニハーヴァントの戦い

  • 14

    アッバース朝が最盛期であった時のカリフは誰

    ハールーン・アッラシード

  • 15

    西方に製紙法が伝来したきっかけとなったアッバース朝対唐の戦いを何という

    タラス河畔の戦い

  • 16

    ヨーロッパには、前6世紀頃から①人が広く住み着いていた。バルト海沿岸を現住地とするゲルマン人は、①人を西に圧迫しながら勢力を拡大し、紀元前後にはローマ帝国と境を接するようになった。4世紀後半、アジア系の②人がドン川をこえて西に進み、ゲルマン人の一派である③人の大半を征服し、さらに④人を圧迫した。そこで④人は375年に南下を始め、それをきっかけとして約200年におよぶ⑤が始まった。

    ケルト, フン, 東ゴート, 西ゴート, ゲルマン人の大移動

  • 17

    ①人はガリア西南部とイベリア半島に移動して建国した。②人は北アフリカに、③人はガリア北部においてそれぞれ建国した。一方、④人は5世紀前半に⑤がパンノニア(現在のハンガリー)を中心に大帝国を建てたが、西ローマ帝国とゲルマンの連合軍に敗れ、⑤の死後に大帝国は崩壊した。この混乱のなかで、西ローマ帝国は476年にゲルマン人傭兵隊長⑥により滅ぼされた。

    西ゴート, ヴァンダル, フランク, フン, アッティラ王, オドアケル

  • 18

    西ローマ帝国が滅びた頃、東ヨーロッパでは①(東ローマ帝国)が、東欧やロシアなどに広 まったキリスト教である②と、ギリシア古典文化を融合した独自の文化を築いていた。首都を③におき、ここはヨーロッパ世界最大の貿易都市として中世を通じて繁栄した。ビザンツ皇帝は③にある教会を中心に、地上におけるキリスト教の代理人として②の教会を支配する立場にあり、政治と宗教両面における最高の権力者であった。ユスティニアヌス大帝の治世では支配領域を広げ、内政においては『④』の編纂や、ビザンツ様式を代表する⑤の建立などの事業に力を注いだ。

    ビザンツ帝国, ギリシア正教会, コンスタンティノープル, ローマ法大全, ハギア=ソフィア聖堂

  • 19

    ゲルマン諸国家の大半が短命だったのに対し、その後着実に領土を広げ、最有力国として西ヨーロッパ世界の形成に大きな役割を果たしたのは、①であった。481年に開かれた②朝のもとで、フランク王③は正統派の④に改宗し、ローマ人貴族を支配層に取り込んで、 西ヨーロッパの中心勢力となる一因をつくった。751年、②朝にかわって③朝がおこると、カール大帝のもとで、東ではアルタイ語系の⑤人を、南ではイスラーム勢力を撃退し、 西ヨーロッパの主要部分が統一された。

    フランク王国, メロウィング, クローヴィス, アタナシウス, アヴァール

  • 20

    文芸復興につとめるなど功績を残すなかで、ローマ教会は①がビザンツ皇帝に対抗しうる政治的保護者であるとし、800年に教皇②はローマ皇帝の帝冠を与えた。この③と呼ばれるできごとは、西ヨーロッパ世界が政治的・宗教的に独立したと いう重要な歴史的意義をもつ。

    カール大帝, レオ3世, カールの戴冠

  • 21

    カールの死後内紛がおこり、帝国は3つに分裂した。東フランクでは、10世紀初めに①家の血筋がとだえた。ザクセン家の王②が962年に教皇からローマ皇帝の位を与えられ、ここに③が始まった。西フランクでも、10世紀末に①家の血筋が断絶し、パリ伯が王位について④を開いた。

    カロリング, オットー1世, 神聖ローマ帝国, カペー朝

  • 22

    ビザンツ様式の特徴を2つ答えよ

    ドーム型, モザイク

  • 23

    コンスタンティヌス帝時代から作られはじめた中世のドルとも言われているビザンツ帝国の硬貨はなに

    ソリドゥス金貨

  • 24

    画像の①〜⑦に当てはまる民族名、王国名を答えよ(⑦は民族名のみ)

    アングロ=サクソン人、アングロ=サクソン七王国, フランク人、フランク王国, ランゴバルド人、ランゴバルド王国, ヴァンダル人、ヴァンダル王国, 東ゴート人、東ゴート王国, 西ゴート人、西ゴート王国, フン人

  • 25

    ビザンツ様式を代表するこの聖堂はなに

    ハギア=ソフィア聖堂

  • 26

    ローマ法大全の編纂事業を命じられたのは誰

    トリボニアヌス

  • 27

    東ローマ帝国が最盛期となったのは何帝の時代か

    ユスティニアヌス帝

  • 28

    726年に聖像禁止令を発布したビザンツ皇帝は誰

    レオン3世

  • 29

    751年、カロリング朝を開いたカールの子供は誰

    ピピン

  • 30

    カールの子ピピンはローマ教皇にフランク王位を認めてもらった返礼としてランゴバルド王国を攻め奪ったラヴェンナ地方を教皇に寄進した。この出来事を何という。そしてこの土地を何という

    ピピンの寄進, 教皇領

  • 31

    800年、南のランゴバルド王国、北東のザクセン人、東のアヴァール人、西の後ウマイヤ朝を征服、服従、撃退し西ヨーロッパの主要部分を統一したピピンの子の名前を答えよ

    カール大帝

  • 32

    カール大帝は宮廷にアルクインらの学者を多数招き、そこからラテン語による文芸復興が起こった。これをなんという

    カロリング=ルネサンス

  • 33

    カール大帝の死後、フランク王国は3つに分裂した。これを決定づけた条約は何

    メルセン条約

  • 34

    スカンディナヴィア半島やユトランド半島に住んでいたゲルマン人の一派は何人

    ノルマン人

  • 35

    10世紀初め、北フランスに上陸しノルマンディー公国を建てたノルマン人一派のリーダーは誰

    ロロ

  • 36

    12世紀前半、南イタリアとシチリア島に侵入し、リーダールッジェーロ2世によって建国された国の名前を答えよ

    両シチリア王国

  • 37

    ノルマン人の侵入に悩まされていたが撃退したアングロ=サクソン王国の王は誰

    アルフレッド大王

  • 38

    アルフレッド大王がノルマン人を撃退したものの、1016年にデーン人の誰によって征服されたか

    クヌート

  • 39

    1066年にノルマンディー公ウィリアムが王位を主張してイングランドへ攻め込み、ウィリアム1世として即位しノルマン朝を開いた。この出来事を何という

    ノルマン・コンクェスト

  • 40

    1066年、ノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服して何朝を開いたか

    ノルマン朝

  • 41

    9世紀にノヴゴロド国、キエフ公国を建設したノルマン人の一派の首領はだれ

    リューリク

  • 42

    軍役義務と封土の関係で結ばれた主従関係を何というか

    封建社会

  • 43

    主君が家臣に封主(領地)を与えて保護するかわりに、 家臣は主君に忠誠を誓って軍事的奉仕の義務を負うという、人と人との結びつきが生まれた。これを何という

    封建的主従関係

  • 44

    封建的主従関係はローマやゲルマンの社会に見られた何という2つの制度を起源にしているか

    恩貸地制度, 従士制

  • 45

    恩貸地制度と従士制の違いを答えよ

    恩貸地制度は家臣が様々な奉仕活動をすることで皇帝は土地を与えていて、平和だったからこそ軍役がなかった。 従士制は家臣は軍役奉仕することで主君から剣や馬などを与えられ、常に危険があった。

  • 46

    村落を中心に領主直営地・農民保有地および牧草地や森などの共同利用地から成り立つ領主個々の所有地を何という

    荘園

  • 47

    農民の多くは①と呼ばれる不自由身分で、移住の自由がなく、領主直営地で労働する義務(②)と、自分の保有地(農民保有地)から生産物をおさめる義務(③)を領主に負った。

    農奴, 賦役, 貢納

  • 48

    三圃制について説明しなさい

    農地を春耕地、秋耕地、休耕地の3つに区分してローテーションを組んで使用し続ける農法

  • 49

    領主は国王の役人が荘園に立ち入ったり課税したりするのを拒む何権を持っていたことで、農民を領主裁判権によって裁くなど、荘園と農民を自由に支配することができたのか

    不輸不入権

  • 50

    ①〜③に入る国名を答えろ(①は誰の帝国か答えよ)

    クヌートの帝国, ノルマンディー公国, 両シチリア王国

  • 51

    この船の名前を答えよ

    ジャンク船

  • 52

    この船の名前を答えよ

    ダウ船

  • 53

    この世界遺産の名前を答えよ

    アルハンブラ宮殿

  • 54

    9世紀にカスピ海の南東にできた中央アジア初のイラン系イスラム王朝は何

    サーマーン朝

  • 55

    10世紀にサーマーン朝を倒した中央アジア初のトルコ系イスラム王朝は何

    カラハン朝

  • 56

    アフガニスタンを拠点とする王朝の名前とガズナ朝から独立した王朝の名前を答えよ

    ガズナ朝, ゴール朝

  • 57

    ゴール朝の将軍アイバクが建国したインド初のイスラム王朝を何という

    奴隷王朝

  • 58

    東南アジア初のイスラム教国は何

    マラッカ王国

  • 59

    スマトラ島初のイスラム教国は何

    アチェ王国

  • 60

    ジャワ島初のイスラム教国は何

    マタラム王国

  • 61

    アフリカのイスラム教国を10世紀、11世紀、12世紀とできた順に答えなさい

    ファーティマ朝, ムラービト朝, ムワッヒド朝

  • 62

    熱狂的な宗教運動をし、イスラーム教への改宗を急速に進めた北アフリカの先住民は誰

    ベルベル人

  • 63

    ヨーロッパ初のイスラム教徒は何

    後ウマイヤ朝

  • 64

    グラナダにあったイベリア半島最後のイスラム教国は何

    ナスル朝

  • 65

    ナスル朝ができた1492年に起きた大きな出来事は何

    コロンブスが新大陸発見

  • 66

    イベリア半島では北部のキリスト教徒による何が始まったことで、それに対抗するためにムラービト朝やムワッヒド朝が半島に進出したか

    国土回復運動