問題一覧
1
イギリス東インド会社設立 重商主義に基づいてアジア貿易を独占
1600
2
オランダ東インド会社設立 株式会社方式 軍事行動や植民活動の権限も与えられる
1602
3
日本で徳川家康が幕府を開く 明とは直接交易できず東南アジアとの貿易特権を与えた朱印船貿易を促進
1603
4
スコットランド王ジェームズがイギリス王を兼ね、王権神授説で議会軽視(ステュアート朝の始まり)
1603
5
イギリス、北米東岸に初の植民地ヴァージニアを建設 黒人奴隷を使役するプランテーション形成へ
1607
6
独立戦争休戦、オランダ事実上独立、アムステルダム銀行設立 振替業務を行い世界金融の中心に
1609
7
ケプラーが第1、第2法則を発表(第3法則は1619年)同年、ガリレオが月面に山や谷があることを発見
1609
8
ロシアでミハイルー=ロマノフ即位、ロシア革命まで続くロマノフ朝始まる 毛皮交易で発展
1613
9
女真族(後の満州族)のヌルハチが現中国東北地方に金(後の清)を建国 背景に毛皮交易
1616
10
三十年戦争(ドイツの宗教内乱)始まる~1648 (ベーメンの反乱がきっかけ)
1618
11
フランシス・ベーコン「新オルガヌム」で実験と観察を重視する帰納法による経験論を唱える
1620
12
アンボイナ事件でオランダがイギリスを東南アジアから駆逐 イギリス東インド会社はインドの綿布輸入に向かう
1623
13
オランダのグロティウス「戦争と平和の法」で自然法的な国際法の必要を唱える
1625
14
イギリスでジェントリ中心の議会が「権利の請願」で国王チャールズ1世の専制を批判
1628
15
ムガル帝国第5代シャー・ジャハーン即位(~58)在位中にタージ・マハル建設へ(1632年着工)
1628
16
1626年にヌルハチを継いだ金の2代目ホンタイジ(太宗)が国号を清に改め、明を滅ぼす姿勢を示す。
1636
17
フランスのデカルト、「方法叙説」著し、演繹法による合理論を説く
1637
18
オランダ、日本貿易を独占(日本、鎖国を完成)
1639
19
イギリスで王党派と議会派の内戦始まる(49年に国王チャールズ1世を処刑、ピューリタン革命)
1642
20
フランス王ルイ14世4歳で即位(~1715)、補佐役のマゼランが王権強化を継続
1643
21
中国で李自成の反乱により明が滅亡、明の将軍呉三桂の降伏で清(順治帝)が北京に入城し中国支配へ
1644
22
ウェストファリア条約で三十年戦争終結、主権国家体制が確立、ドイツはかえってバラバラに
1648
23
クロムウェルによる重商主義的な航海法制定でイギリスがオランダを排除、翌年、第1次英蘭戦争開始
1651
24
イギリスのホッブスが「リヴァイアサン」を著し、社会契約による強い国家主権を唱える
1651
25
クロムウェル政権がジャマイカを占領 黒人奴隷を使ったサトウキビプランテーションが盛んに
1655
26
ムガル帝国でシャー・ジャハーン死去、第6代皇帝アウラングゼーブ即位、領土が最大に人頭税復活など宗教的に不寛容
1658
27
チャールズ2世即位、イギリスが王政に復古、翌年(1661)ポルトガルからボンベイを獲得
1660
28
ルイ14世、親政開始 コルベール財務総監が重商主義を推進へ
1661
29
清の康熙帝が6歳で即位(1722)
1661
30
倭寇の流れをくむ鄭成功が台湾を占領 清は海禁で対抗
1661
31
イギリス、オランダからニューアムステルダムを奪い、ニューヨークと改称
1664
32
フランスのコルベール財務総監が東インド会社を再建 1674年にはインド南東のポンディシェリに商館を築く
1664
33
イギリス王立アフリカ会社設立、重商主義的に黒人奴隷貿易を独占し、プランテーション開発
1672
34
インドでヒンドゥー系のマラーター王国成立 アウラングゼーブは1679年に人頭税復活へ
1674
35
ロシア皇帝ピョートル1世が9歳で即位(〜1725)
1682
36
フランス、ミシシッピ川流域をフランス領と宣言、ルイジアナと命名
1682
37
台湾が清の支配下に(初めて中国領に)海禁は緩む
1683
38
ルイ14世、ナントの王令廃止の一方でフランス人イエズス会士ブーヴェらを中国に派遣 カトリックのトップダウンによる国内外の支配拡大を目指すも失敗
1685
39
ニュートン(1642~1727)、プリンキピアを発見し、力を定義
1687
40
イギリス名誉革命、オランダからウィリアム3世とメアリ2世を王に迎える、同年、英蘭が同盟を組みフランスと戦うファルツ継承戦争開始(〜1697)
1688
41
イギリス議会が「権利の章典」を制定、国王主権から議会主権に
1689
42
清(康熙帝)とロシア(ピョートル1世)がネルチンスク条約で国境を確定
1689
43
ジョン・ロック「統治二論」(市民政府論)で経験論の立場から「抵抗権」を位置づけ
1690
44
ロンドンの金融家が「私企業」イングランド銀行を創立、国債を担保に紙幣発行
1694
45
第2回ウィーン包囲(1683)が失敗で、カルロヴィッツ条約でオスマン帝国がハンガリーなどをオーストリアに割譲
1699
46
イギリスで毛織物業者の運動により「綿布輸入禁止法」成立、以後国内で綿花を輸入して綿糸・綿布をマニュファクチュアで製造する綿工業が盛んに(産業革命の伏線)
1700
47
ロシアのピョートル1世がスウェーデンを攻撃する北方戦争を開始(~1721) 1712年よりサンクトペテルブルクがロシアの都に
1700
48
スペイン継承戦争開戦(〜1713) フランスvsオーストリア英蘭が争う 1713年のユトレヒト条約でブルボン家のスペイン王位継承を認める代わりにイギリスは領土を獲得し終戦
1701
49
スコットランドとイングランドがグレートブリテン連合王国形成
1707
50
イギリスでアン王女死去 ドイツのハノーヴァー選帝侯ゲオルグがジョージ1世として即位、ハノーヴァー朝始まる
1714
51
ニュートンと同時期に微積分法を開発し、1700年にベルリンの科学アカデミーを創設したライプニッツ(ドイツ)がその思想の集成「単子論」を著す
1714頃
52
日本で海舶互市新令、清とオランダへの金銀の輸出を制限、以後生糸などの国産盛んに
1715
53
清の広東で地丁銀制始まる(人頭税を地税に組み込み一括して銀で購入)
1717頃
54
イギリス東インド会社、広州からの定期的紅茶貿易を開始、清には銀が流入
1717
55
ロンドンのコーヒーハウスを拠点としたホイッグ派ジャーナリストのデフォーが南海を舞台にした「ロビンソン・クルーソー」を出版 よくとし南海泡沫事件
1719
56
雍正帝45歳で即位 皇帝独裁を目指し内閣にかわり少人数で迅速に決定できる軍機処を設置
1722
57
典礼問題のトラブルの延長線上で清の雍正帝がキリスト教の布教禁止、フランスに打撃
1724
58
ロシアのベーリングがベーリング海峡を発見 ユーラシア大陸とアメリカ大陸が別であることを確認(ロシアはアラスカを領有)
1728