問題一覧
1
大正時代に普及した間取りの形
中廊下型
2
第二次世界大戦後に普及した食寝分離の間取りを提唱した学者の名前
西山夘三
3
住宅公団の創設時期に数多く建てられた集合住宅の代表的な間取り
2DK
4
明治時代に来日して岩崎邸など多くの西洋館を設計したイギリスの建築家の名前
ジョサイア・コンドル
5
「住まいとは仮のもので他人に見せるようなものでは無い」という考えに基づいて、晩年に四畳半程の組み立て式の庵を自ら作って住んだ人物の名前
鴨長明
6
戦後の住宅建築史に残る名作と言われ、それまでの日本住宅になかった新しい空間構成の「スカイハウス」を設計した
菊竹清訓
7
サボア邸など多くの住宅を残したほか、多くの建築論でも知られ、「住宅は住むための機械である」とい言葉でも有名である。
ル・コルビュジエ
8
建築設計方法論の研究家として立体最小限住宅など多くの実験住宅を設計したことで知られるが、工業化住宅の開発にも大きな足跡を残した。
池辺陽
9
「いえのつくりやうは夏をむねとすべし⋯」と自署で述べている。
吉田兼好
10
有機的建築論を唱え、落水荘など多くの優れた住宅を設計した。日本においては旧帝国ホテル、自由学園・明日館などを建てている。
フランク・ロイド・ライト
11
フランスのサロンなどで流行したカクトワールという女性用肘掛け椅子が作られたのは【 ア 】様式の時代である。
ルネサンス
12
アールデコは、パリで開かれた現代装飾美術・産業美術国際博覧会を契機に各国に広まったデザインのスタイルで、その開催の西暦年から【 イ 】様式ともいう。
1925
13
フランスにおける流動的な装飾を特徴としたアール・ヌーボーと似た運動がドイツでも起こり【 ウ 】と呼ばれた
ユーゲント・シュティール
14
より曲線的で優雅さを求めたロココ様式は、イギリスではその当時の女王の名前にちなんで【 エ 】様式と呼ぶ。
クイーン・アン
15
オランダで起こった造形運動であるデ・スティルのメンバーであったリートフェルトの家具や建築デザインには、この運動の主導者であった画家の【 オ 】からの影響が強く現れている。
モンドリアン
16
「アール・ヌーボー」は19世紀末から20世紀の初頭にかけてフランスと【 ア 】を中心に広まったデザイン運動であるが、そのもとになった基本概念は、【 イ 】イギリスの美術評論家ジョン・ラスキンが唱えた中世のクラフトマンシップへの回帰が大きく影響していると考えられる。また当時のイギリスでは復古調の【 ウ 】が流行っていたがラスキンはこれを否定した。 この思想に基づいて、まずイギリスにおいてウィリアム・モリスを中心としたアーツアンドクラフト運動が起こり、それがその後建築家【 エ 】や工芸家ガレ、画家【 オ 】などのアール・ヌーボースタイルへ強い影響を及ほしたのである。
【 ア 】ベルギー, 【 イ 】19世紀中ごろ, 【 ウ 】ビクトリア様式, 【 エ 】ビクトル・オルタ, 【 オ 】アルフォンス・ミュシャ
17
バウハウスは、1920年【 ア 】で設立された工芸・美術の総合学校で、初代の校長を建築家【 イ 】が勤めた。バウハウスは建築や家具のデザインばかりでなく、絵画や,音楽,写真などのさまざまな分野の専門家が指導者として参画した点で画期的な教育機関であった。ここでは、後にアメリカにわたって【 ウ 】などの優れた建築を設計したミース・ファン・デル・ローエや、パイプを使った数々のいすをデザインした【 エ 】などが中心的な役割をした。また画家としてはパイプいす の名前にもなっている【 オ 】やクレーらが教えた。
【 ア 】ドイツ, 【 イ 】ワルター・グロピウス, 【 ウ 】ファンズワース邸, 【 エ 】マルセル・ブロイアー, 【 オ 】カンディンスキー
18
この住宅は,20世紀を代表する建築家ル・コルビュジェが設計した【 ア 】である。 ル・コルビュジェは【 イ 】という考えに基づいて住宅の設計をした。また、近代建築5原則という理論を提唱し、この住宅もその理論に従って設計されている。 その特徴の一つが【 ウ 】である。(ウ)はその後の彼の建築にしばしば見られる手法で,これを【 エ 】に用いた建物がマルセイユのユニテである。同じ手法は日本の現代建築にも多く見られる。 また。この住宅でル・コルビュジェは本格的な【 オ 】を採用し、開放的なインテリアをつくるのに成功している。その他自由な平面と立面もこの住宅の特徴である。
【 ア 】サヴォア邸, 【 イ 】住宅は住むための機械である, 【 ウ 】ピロティ, 【 エ 】集合住宅, 【 オ 】屋上庭園
19
日本で最も古い木造西洋建築は、江戸末期に建てられた長崎の【 ア 】邸である。
グラバー
20
インテリアの面でも後世に大きな影響を与えた旧帝国ホテルや自由学園は【 イ 】による設計である。
フランク・ロイド・ライト
21
1995に日本住宅公団が設立され、欧米的な生活思想である【 ウ 】住宅が取り入れられた。
DK型
22
ジョサイア・コンドルは日本の建築教育に携わり、日本銀行や東京駅を設計した【 エ 】は、その教え子である。
辰野金吾
23
東京高等工芸学校を卒業した蔵田周忠、豊口克平らは【 オ 】を設計し、家具の量産や規格化を提唱して、戦後の工業デザインを活性化させた。
形而工房
24
関東大震災後、震災復興計画の一環として設立された【 ア 】は、16棟の鉄筋コンクリート造によるアパートを建設した。これらのアパートには、【 イ 】、ダストシュート、コルク床など、当時の最新設備が導入され、【 ウ 】の都市型住宅として、新しい住まい方を人々に提示した。 戦後になると、日本住宅公団が昭和26年に【 エ 】の間取りを供給し始めた。この間取りは、建築家【 オ 】の提唱したスタイルであり、住戸面積を広げて食事室を設けた点に特徴がある。
【 ア 】同潤会, 【 イ 】水洗トイレ, 【 ウ 】中産階級, 【 エ 】食寝分離, 【 オ 】西山夘三
25
フランス語で「新しい芸術」を意味する【 ア 】は、1900年のパリ万国博で脚光を浴び、その後ヨーロッパ全士に広がった。(ア) は産業草命によって生じた機械による大量生産に対する反動として生まれたもので、19世紀後半のイギリスにおいて【 イ 】が興したアーツ・アンド・クラフツ運動の強い影響を受けている。(ア)は、建築家の【 ウ 】、画家のアルフォンス・ミュシャ、ガラス工芸家のエミール・ガレなどの作品に見られるように、【 エ 】が特徴である。それらは従来の様式に捉われない華麗なデザインであったが、量産化には向かず、やがて衰退していく。しかしながら自由な発想に基づく芸術理念は、1919年にドイツで設立された国立造形学校に【 オ 】に引き継がれ、ここでの様々な試みを通じて、モダンデザインの基礎が築かれていくことになる。
【 ア 】アール・ヌーボー, 【 イ 】ウィリアム・モリス, 【 ウ 】エクトル・ギマール, 【 エ 】有機的な曲線, 【 オ 】バウハウス
26
第2次世界大戦後のデザインでは、アメリカ、【 ア 】、北欧の3地域にそれぞれ特徴的な発展が見られた。 アメリカでは、ミース・ファン・デル・ローエによる「【 イ 】」などを典型としたモダニズムデザインが成熱し、また、新素材を使用した量産家具が次々と世に広まっていった。 そのアメリカの最産家具に対し、(ア)では、【 ウ 】による「スーパー・レジェーラ」など、遊び心のあるデザインが多く評価されている。また、(ア)の都市ミラノでは、家具の国際見本市であるミラノサローネが毎年開催され、各国から意欲的なデザインが出展されている。 北欧の家具は、特に手工業的なあたたかみのあるデザインを特徴としている。【 エ 】による「ピーコックチェア」などはその代表であるが、アルネ・ヤコプセンの「【 オ 】」や、ヴェルナー・パントンの「パントンチェア」などのように、新素材でユニークに成形した家具も生み出された。
【 ア 】イタリア, 【 イ 】ファンズ・ワース邸, 【 ウ 】ジオ・ポンティ, 【 エ 】ハンス・ヴェグナー, 【 オ 】エッグ・チェア
27
「神社」と最も関わりの少ない語群
本棟造
28
「寝殿造」と最も関わりの少ない語句
舞良戸
29
「書院造」と最も関わりの少ない語句
桂離宮
30
「数寄屋造」と最も関わりの少ない語句
帳台構
31
寝殿造では、寝殿内部と外部は【 ア 】で仕切られ、渡殿からの入り口には両開きの妻戸が設けられた。
蔀戸
32
千利休は、珠光・紹鴎以来の伝統的な四畳半茶室を改め、【 イ 】に見られる2畳という極小の茶室をつくりあげ、その後の数寄屋造りに大きな影響を与えた。
妙喜庵待庵
33
数寄屋造では、違い棚・西楼棚を基本としていた棚に、新しい意思が次々と取り入れられた。中でも【 ウ 】は天下の三名棚の1つとして知られている。
霞棚
34
江戸時代に入ると、民家の間取りは土間と床座の空間に分離された二室住居から、広間型住居や【 エ 】住居へと発展していった。
田の字型
35
昭和時代前期に、ウィリアム・モリスなどの思想に共鳴した【 ア 】を中心にして民芸運動が起こり、日用品に「用の美」を見出した。
柳宗悦
36
明治時代に、西洋人の建築家が設計した洋風建築を、日本の大工や棟梁が真似て建てた建物を擬洋風建築といい、長野県松本市に建てられた【 イ 】などが知られている。
開智学校
37
明治時代に政府が海外から招いた【 ウ 】は、東京都台東区にある岩崎邸の設計に携わり、辰野金吾や片山東熊ら多くの日本人建築家を養成した。
ジョサイア・コンドル
38
1960年に開催された世界デザイン会議で活躍した【 エ 】は、東京都中央区にある中銀力 プセルタワービルの設計に携わり、「取り換え」「動きと変化」という理念を表現した。
黒川紀章
39
日本における本格的な洋風建築の導入期、代表的な建築家の一人として、赤坂離宮を設計した【 ア 】がいる。
片山東熊
40
鉄骨鉄筋コンクリート構造は、【 イ 】以後、高層建築における構造形式の一つとして、我が国独自の発展を遂げた。
関東大震災
41
明治期に入ってから誕生し、庶民に普及した家具として【 ウ 】がある。
卓袱台
42
昭和初期、エ楽デザインではドイツのバウハウスの思想が導入され、東京高等工芸学校の【 エ 】により家具の量産、規格化が提唱された。
型而工房
43
日本のインテリアの歴史に関する次の1~5の記述のうち、最も不適当なものを2つ選べ
鎌倉時代は禅宗の影響により、多くの文化が移入された。特にお茶は寺院での献茶や僧侶の喫茶が管慣となり、武野紹陽によって茶が創始された。, 戦後の住宅不足を解消するためにさまざまな方業がとられる中、戸建住宅において西山夘三が唱えた立体最小限住宅は工業化住宅の開発にも大きな影響を与えた。
44
「スカンジナビアン・モダン」と最も関わりの少ない語句
サボナローラ
45
「アメリカン・モダン」と最も関わりの少ない語句
フィリップ・スタルク
46
「バウハウス」と最も関わりの少ない語句
ウィリアム・モリス
47
「フランク・ロイド・ライト」と最も関わりの少ない語句
ファンズワース邸
48
インテリアの歴史に関する次の1~5の芸術様式、主な特徴、代表的な建築物の組み合わせの中で、最も不適当なもの2つ
【芸術様式】ゴシック 【主な特徴】アーケード 【代表的な建築物】ピサの大聖堂, 【芸術様式】ロココ 【主な特徴】貝殻模様 【代表的な建築物】ベルサイユ宮殿
49
西洋史に関する次の1~5の記述のうち、最も不適当なもの2つ
ロマネスク文化は、基本的にはギリシャ文化の継承だが、現実的・享楽的な傾向が強くなる。, ゴシック文化の家具や窓の装飾として、リネンホールドやグロテスク模様、フランボワイヤンなどが流行した。
50
「アール・ヌーボー」と最も関わりの少ないもの
オーギュスト・ペレ
51
「ゼツェッション」と最も関わりの少ない語句
ウィリアム・モリス
52
「ドイツ工作連盟」と最も関わりの少ない語句
ピエト・モンドリアン
53
「バウハウス」と最も関わりの少ない語句
トーマス・リートフェルト
54
19世紀末から 20 世紀初めにベルギーやフランスなどで花開いたアール・ヌーボー様式のデザインの特徴は、【 ア 】の多用にある。
有機的な曲線
55
バウハウスの第一期生であるマルセル・プロイアーは、【 イ 】を使った椅子などで、モダンデザインの推進に大きな役割を果たした。
スチールパイプ
56
ウィーン分離派を結成した【 ウ 】は、画面に金箔を用いた平面的で装飾的なパターンを特徴とする人物画で名を馳せた。
グスタフ・クリムト
57
近代建築に大きな影響を与えたル・コルビュジェは、住宅を「住むための機械」と捉え、「【 エ 】」や「ユニテ・ダビタシオン」など多くの作品を残した。
サヴォア邸
58
ウィリアム・モリスは、評論家の【 ア 】の思想を受けて、アーツ・アンド・クラフト運動を推進した。
ジョン・ラスキン
59
フランスのアール・ヌーボーを代表する建築家して知られる【 イ 】は、代表作に「パリの地下鉄入口」「カステル・ベランジェ」などがある。
エクトル・ギマール
60
19世紀後半、ロンドンやパリで行われた万国博覧会では、鉄を構造体とした建築物が造られ、中でも【 ウ 】の設計したクリスタルパレスは、鉄とガラスを大規模に用いて新しい建築表現を生み出した。
ジョセフ・パクストン
61
戦後のデンマークを代表する建築家・家具デザイナーとして知られる【 エ 】は、主な作品に硬質発泡荷脂による「スワンチェア」や「エッグチェア」成型合板による「アントチェア」などがある。
アルネ・ヤコブセン