問題一覧
1
邪馬台国連合は何処と争っていた?
狗奴国
2
5世紀の古墳(大阪) ヤマト政権の大王の墓と考えられている(宮内庁により仁徳天皇の陵墓とされている)
大仙陵古墳
3
弥生時代 争いの原因は?
余剰生産物
4
弥生時代には住居とは別に収穫物を貯蔵する○○○○や平地式建物もつくられる。
高床倉庫
5
204年頃に楽浪郡の南部から分立した群
帯方郡
6
古墳時代、祭祀が始まる。(〇〇〇〇、〇〇〇〇)春→秋
祈年の祭、新嘗の祭
7
群集墳の代表例(奈良県)
新沢千塚古墳群
8
印綬とは
金印、紫綬
9
倭の身分制度 高い順
王、大人、下戸、奴婢
10
墳丘の長さ210mの前方後円墳。毛野地方の首長の墓と考えられている。
太田天神山古墳
11
弥生時代の争いを裏付ける集落、瀬戸内海沿岸を中心に分布。山上に築かれた防御性の高い集落
高地性集落
12
1972年豪華な彩色が施された壁画を持つ石室が発見された。奈良県明日香村の円墳 壁画は、男女の群像図と天井面の星宿図
高松塚古墳
13
ワカタケル大王と記載された銘文の刻まれた鉄剣が出土した前方後円墳。(埼玉県)
稲荷山古墳
14
水稲耕作の始まりによって食料○○の段階から食料○○の段階へ移行したと表現される
採取、生産
15
魏の皇帝は卑弥呼に○○○○の称号と○○○○を与えた他、銅鏡100枚等を授けた
親魏倭王、金印紫綬
16
弥生時代の食料を取る手段は縄文時代に加えて何が加わった?
水稲耕作
17
5世紀に造営された墳丘425mの前方後円墳。 ヤマト政権の大王の墓とされている(宮内庁により応神天皇の陵墓とされている)
誉田御廟山古墳
18
弥生時代の支配者の墓と考えられる大型の墳丘墓左から順に
方形周溝墓、楯築墳丘墓、四隅突出型墳丘墓
19
漢書地理志によると日本人は○○○へ定期的に使節を派遣していた。
楽浪郡
20
後漢書東夷伝によると西暦57年に奴国が後漢に朝貢し、後漢の○○○が○○した
光武帝、印綬
21
朝貢に対して、返礼品を送り、国王に任命し、保護を与える
冊封
22
卑弥呼は何を持って人々を支配したのか?
鬼道
23
弥生時代に武器や工具等の実用的な用途で使われたもの
鉄器
24
大王のみが造営した古墳。
八角墳
25
107年倭国王帥升(スイショウ)らが後漢の安帝に○○を献上した
生口
26
3〜4世紀の古墳 古墳出現期最大の古墳 一説には卑弥呼の墓とも言われている
箸墓古墳
27
青銅器が複数出土した有名な遺跡
神庭荒神谷遺跡
28
高地性集落の代表例(香川県)
紫雲出山遺跡
29
ワカタケル大王と記載された銘文の刻まれた鉄刀が出土した前方後円墳。(熊本県)
江田船山古墳
30
邪馬台国の伊都国に○○○が置かれ、諸国を監視している。
一大卒
31
239年帯方郡に朝貢した卑弥呼の使者は誰?
大夫難升米
32
弥生時代に収穫を祈る祭りなどに使う祭具として使われた
青銅器
33
山の斜面や離島などに造られた規模の小さな古墳を大量に作る形式の古墳群。 豪族ではなく、有力農民層の墓だと考えられている。
群集墳
34
3世紀中頃の日本の様子を書いた書物
魏志倭人伝
35
1〜2世紀頃の日本の様子を書いた書物
後漢書東夷伝
36
墳丘の長さ360mの前方後円墳。吉備地方の首長の墓と考えられている。
造山古墳
37
墓の作り方(墓制)九州北部 2つ
支石墓、甕棺墓
38
古墳時代の呪術。(〇〇、〇〇〇〇、〇、〇)
太占、盟神探湯、禊、祓
39
中国に貢ぎ物と使者を送ること
朝貢
40
古墳時代の文化。弥生土器を受け継いだ土器。赤褐色で主に日用品として使用された。
土師器
41
石室の内部の壁面や石棺などに壁画や彫刻をした古墳。
装飾古墳
42
紀元前1世紀頃の日本の様子を書いた書物
漢書地理志
43
弥生時代前期の水田遺跡。これの発見で東北地方の水稲耕作の開始時期が弥生時代前期まで遡った。
砂沢遺跡
44
弥生時代の足を伸ばして埋葬する方法
伸展葬
45
弥生時代の争いを裏付ける集落、周囲に土塁・濠を巡らした防御性の高い集落
環濠集落
46
古墳時代。神社の成立。(三重県、奈良県、福岡県)
伊勢神宮、大神神社、宗像大社
47
卑弥呼の跡継ぎ
壱与
48
5世紀以降人や、馬等をかたどった○○埴輪が増えた
形象
49
3世紀中頃に中国で分立した3つの王朝
魏、呉、蜀
50
古墳時代の文化。朝鮮から伝来の技術(登り窯・ろくろなど)により1000℃以上の高熱で焼かれた土器。灰色で主に祭祀用の道具として使用された。
須恵器