問題一覧
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日本列島と日本人 p.8~ 1 日本列島の形成 地質学の ( 1 )にあたる氷河時代のうち、氷期には日本列島は大陸と陸続き →ナウマンゾウなどの大型動物を追い, 人類が日本列島に渡来と推測
更新世
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最後の氷期が過ぎ、地質学の( 2 )に入る約1万年余り前から海面上昇 →大陸と分離し,ほぼ現在の日本列島の原型を形成
完新世
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2 旧石器時代の化石人骨 静岡県の浜北人, ( 3 )県の港川人や山下町洞人など 上記の人骨は猿人→原人→旧人→新人のうち, すべて( 4 )段階
沖縄, 新人
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p2 教科書p9〜 1 旧石器時代に相当する文化の発見 (1) 1946年,相沢忠洋が群馬県の(1)で(2)(更新世の地層)から打製石器を発見 (2) 長野県の野尻湖 北海道の白滝などでも発見相次ぐ
岩宿遺跡, 関東ローム層
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2 打製石器の使用 ・打製石斧(握斧,握槌, ハンドアックス) ・ナイフ形石器(石刃 ブレイド) ・尖頭器 (ポイント) 石槍 ・ 末期には ( 3 ) (マイクロリス) 出現 復習·確認(木と組み合わせて使う石器) 握斧や握槌を木に取りつけ石斧に、ナイフ形石器や尖頭器は棒の先端につけ石 槍にするなどして使用, また, 細石器は細石刃を木や骨に組合わせたもの。
細石器
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(1),(2),(3)に入るものは?
完新世, 磨製, 弓矢
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2 縄文土器 (草創期の土器は世界で最も古い土器の一つ) (1) 縄文時代を土器変化で区分(草創期 早期 前期 中期→後期→晩期) (2) 特徴 低温で焼かれた厚手で黒褐色の土器 (3) 文様 草創期の無文・爪形文などから, 早期以降に縄目文が増加 (4) 中期に火炎土器が出現, 晩期には東北で精巧な【1】が出現 ※年代測定には、年輪年代法,炭素14年代法
亀ヶ岡式土器
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p3縄文人の生活と信仰の成立 教 p.12~ 1 植物性食料の採取→保護,増殖から栽培へ (1) マメ類や, 一部でコメムギなどの栽培の可能性 (2)農耕・食料加工用の打製石器や磨製石器出現(打製石器との併用) →石鍬,石皿, すり石など (3) 縄文晩期には水稲農耕開始=佐賀県 ( 1 ) 遺跡や 福岡県(2) 遺跡などで水田跡発見 (教p.15脚注①)
菜畑, 板付
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p3 2 狩猟・漁労により動物性食料の確保 (1) 狩猟弓矢でニホンシカ, イノシシなどを捕獲(弓矢の先に石鏃, 動物の皮なめしに石匙 などの石器を使用) (2) 漁労: 釣針や銛を動物の骨などでつくった【3】、石錘(網のおもり) や丸木舟
骨角器
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p3 (1) 食料多様化で定住的生活を開始 ① 中央に炉を設けた( 4 ) 住居数軒が広場中心に馬蹄形の集落を形成 ②一部で青森県 ( 5 ) 遺跡のような大規模で長期定住の集落も出現 ③集落周辺に貝塚: 1877年, アメリカ人 (6 )が東京の( 7 ) 貝塚を発見 日本近代考古学の出発
竪穴, 三内丸山, モース, 大森
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【8】,【9】に入るのは?
黒曜石, ひすい
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p3 【10】,【11】,【12】に入るものは?
アミニズム, 土偶, 屈葬
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p3 縄文時代は統率者はいても貧富の差がなかったと考えられている。 それは,どういう点から立証されるか? 3つ挙げて
竪穴住居の規模に著しい差が見られない, 共同墓地に埋葬されている, 副葬品に富の格差が見られない
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p3 13入試チェック 土偶と土偶が作られた時代の信仰について述べた文として誤っているものを,下の①~④のうちから一つ選べ。 [06・本試] (1)この時代の人々は、あらゆる自然物・自然現象に精霊が宿ると考えた。 (2)土偶は, 完全な形で出土することは少ない。 (3)土偶が墳丘に並べられたのは、死者の霊を安らかにするためと考えられる。 (4)土偶は女性をかたどったものが多く、繁殖や生命力を祈ったものと考えられる
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p4 教15〜 農耕社会の成立 (1)紀元前6500~5500年頃…中国大陸で本格的な農耕社会か成立 (2)殷→周→春秋・戦国時代…青銅器から鉄器使用へ (3)初の統一国家 (秦) →漢(前漢) 代には領域拡大 (朝鮮半島北部に進出)→日本へ (4) 農耕文化や金属器の文化が日本列島に波及→弥生文化の成立 (前4世紀頃) 2 弥生文化 (1) 範囲: 西日本に水稲耕作を基礎とする弥生文化が成立→東日本へ ※北海道や南西諸島では食料採集文化が継続 (弥生文化は伝播せず) 北海道【1】文化を経て擦文文化やオホーツク文化が成立、南西諸島【2】文化が展開 (2) 特色:【3】の開始、 金属器 (青銅器 鉄器) の使用 【4】土器の使用
続縄文, 貝塚, 水稲耕作, 弥生
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3 弥生土器(弥生の名称=東京の本郷弥生町向ヶ岡貝塚で発見されたことに由来) (1) 特色:薄手で赤褐色, 土器編年により弥生時代を前期・中期・後期に区分 (2) 器型: 用途別に,煮炊き用の【1】, 貯蔵用の【2】, 食物を盛る鉢や【3】など
甕, 壺, 高杯
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p4農耕社会の成立 弥生人の生活 教p17〜 1) 伝来ルート・・・長江下流, 山東半島, 朝鮮半島経由など複数野の説 (2) 技法 農具など・・・ 打製、磨製石器 や木製農具 →後期には金属器使用 鉄製刃先の鍬など 鉄鎌で根刈り 農具製作に鉄製工具使用 ①小区画だが,灌漑排水路を設けた水田も存在, 田植えの開始 1 水稲農耕 ② 前期の湿田、中 後期には生産性の高い( 1 ) の開発 ③ 農耕と併行し, 狩猟・漁労も盛ん···【1】の飼育も ④ 耕作 刃先まで木製の鋤(すき)や鍬→後期には鉄製刃先の鎌 鍬 収穫: ( 2 ) による穂首刈り 脱穀: 木臼と ( 3 ) (1)、(2)、【1】、(3)の順番で答えて
乾田, 石包丁, ブタ, 竪杵
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p5農耕社会の成立 弥生人の生活 作業 : 農作業時に田下駄, 肥料踏込みに大足(おおあし), 貯蔵 : 高床倉庫や貯蔵穴 ⑤ 主な遺跡・・・ 静岡県 ( 4 ) 遺跡 (1943年発掘), 青森県 ( 5 ) 、【1】遺跡 (最北の水田跡 ) 奈良県 ( 6 ) 遺跡など ●
登呂, 垂柳, 砂沢, 唐古・鍵
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p5農耕社会の成立 2 金属器(青銅器 鉄器) の使用 (1) 青銅器(主に祭器、宝器に使用) ①出土分布 a九州北部中心・・・ (7)、【1】 b 瀬戸内海中部中心・・・( 8 ) 銅鐸 (島根県加茂岩倉遺跡出土) C 近畿地方中心・・・ ( 9 ) 共通の祭器を使う広域文化圏の存在 ② 「銅鐸・銅矛,300本以上の銅剣出土・・・ 島根県 (10) 遺跡 同じく島根県 39点の銅鐸を一括出土 ( 11 ) 遺跡 ↑ 文化圏重複域 (2) 鉄器 武器, 工作具, 農具 (前出) として使用
銅矛, 銅戈, 平形銅剣, 銅鐸, 荒神谷, 加茂岩倉
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p5農耕社会の成立 3 社会生活の変化 生産性向上→貧富の差, 支配者層の出現 (1) 埋葬法の多様化 ① 土坑墓, 木棺墓, 箱式石棺墓 (西日本中心)に 手足を伸ばす( 12 ) ② 九州北部に多い副葬品を伴う ( 13 ), 大石をのせた( 14 ) ③ 東日本では, 洗骨後に骨を土器に詰めた再葬墓 ④方形の低い盛土をもつ( 15 )← 古墳と区別 ⑤ 方形の墳丘の周りに溝をめぐらした( 16 ) (2) 地域特有の墳丘の出現→首長(小国の王) の出現を推察 ①四隅に突出部をもつ( 17 ) 墳丘墓 (山陰地方中心) ②両側に突出部を有する岡山県楯築墳丘墓など
伸展葬, 甕棺墓, 支石墓, 墳丘墓, 方形周溝墓, 四隅突出墓
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p5農耕社会の成立 小国の分立 教 p.19~ 1 集落間の争い (1) 強大な集落が弱小集落を統合→ 「ムラ」から「クニ」 へ (2) 防御的機能を有する集落の出現 ① ( 1 ) ・・・ 周囲に濠や土塁をめぐらす 例: 佐賀県(2) 遺跡,奈良県 (3)遺跡 ② ( 4 )…..日常生活に不便な山頂や山腹に立地 (戦争に備えた逃げ城か?) しうでやま 例: 香川県紫雲出山遺跡など瀬戸内沿岸・西日本に多く分布
環壕集落, 吉野ヶ里, 唐古・鍵, 高地性集落
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ア 九州北部でよく見つかる青銅器は? 二つ答えて イ 瀬戸内海中部を中心に見つかる青銅器は? ウ 近畿地方を中心に見つかる青銅は?
銅矛, 銅戈, 平形銅剣, 銅鐸
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p6農耕社会の成立 2 中国との交渉 (1) 紀元前1世紀:倭が百余国に分立。 前漢が朝鮮半島北部 (ピョンヤン付近)中心に設けた (5)郡に定期的に使者を派遣 史料チェック】 史料名: ( 6 ) 夫(そ)れ( 7 ) 海中に倭人有り。分れて百余国と為る。 歳時を以て来り献見すと云ふ。
楽浪, 漢書地理志, 楽浪
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p6農耕社会の成立 中国との交渉 1~2世紀 ①西暦 (8)年: ( 9 ) 二年、奴国王が後漢の都 ( 10 ) に遣使, 皇帝の( 11 ) から印綬(金印)を受 ・・・奴国は現在の ( 12 ) 市付近の小国 ※江戸時代 ( 13 ) と刻まれた印綬を福岡県 ( 14 )で発見
57, 建武中元, 洛陽, 光武帝, 福岡, 漢委奴国王, 志賀島
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②西暦(15)年: 安帝の( 16)年, 倭国王帥升(すいしょう)が ( 17 ) (=奴隷) 160人を安帝に献上 ③桓帝・霊帝間: (147~189年) 倭国が大乱 (環濠集落の出現などと関連) 記載資料名 【1】
107, 永初元年, 生口, 後漢書東夷伝
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| 史料チェック | 史料名: ( 18) 建武中元二年、倭の ( 19 ) 国, 貢を奉じて朝賀す。 使人自ら大夫(高官)と称す。倭国の極南界なり。 ( 20 ), 賜ふに印綬を以てす。 安帝の永初元年, 倭の国王 ( 21 )等, 生口百六十人を献じ、請見を願ふ。 桓霊の間 (2世紀後半), 倭国大いに乱れ、更々(こもごもあいこうばつ)相攻伐して歴年主なし。
後漢書東夷伝, 奴, 光武, 帥升
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p6農耕社会の成立 入試チェック 1 弥生時代に関して述べた文として正しいものを,次の ①~④のうちから一つ選べ。 [01. 本試〕 (1)この時期の主要な武器としては銅剣・銅矛・銅鐸などが使われた。 (2) この時期には食生活が多様化し、各地に貝塚が出現した。 (3)この時期には西日本を中心に稲作が広まったが, それが本州北端まで伝わったのは古墳時代である。 (4) この時期には有力な支配者が出現したことを反映して、大型の墳丘墓や多量の副葬品を伴う墓が各地に作られた。
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p7農耕社会の成立 次の文を読んで問いに答えよ 『漢書』地理志によれば, 紀元前1世紀ごろの倭は, 100余の小国に分かれ,前漢が朝鮮半島に置いた【ア】郡に定期的に使者を派遣したという。 また、 『後漢書』東夷伝にも 紀元57年に後漢に朝貢して金印を授かった【イ】国をはじめ, 1世紀から2世紀における倭の様子が伝えられている。 問 空欄 アイに入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 (04・追試〕 ①ア帯方 イ狗奴 ②ア帯方 イ奴 ③ ア楽浪 イ狗奴 ④ ア楽浪 イ奴
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p7農耕社会の成立 3 次の文を読み, 問いに答えよ。 水稲耕作を行うようになった人々は,絶え間ない戦いの時代を経て, 各地に政治的集団 (小国) を形成した。 紛争はその後も続くが【ア】時代の後半になってようやく一部の小国が連合し, 一人の女性指導者(女王)を擁立した。 【イ】によれば,彼女は大倭や【ウ】などの役人を置いたという。 問 空欄 ア〜ウに入る語句として正しいものは? 〔98·本試〕
弥生, 魏志倭人伝, 一大率