問題一覧
1
外国人が初めて日本に来たのはいつ
16世紀半ば
2
外国人が初めて日本に来て伝えたものは
鉄砲とカトリック
3
カトリック布教の理由は
ヨーロッパでプロテスタントが増え、アジアへの布教目的
4
日本でキリスト教が布教し始めたのはいつ(日本の時代用語)
安土桃山時代
5
日本でキリスト教が布教し始めたのはどこから
九州
6
キリスト教保護に動いたのは誰か。なぜ
織田信長、仏教勢力に手を焼いていた、西洋のものが欲しかった
7
豊臣秀吉はカトリックにどのような姿勢だったか
布教は不要だったが、貿易はしたかった
8
織田信長とイエズス会士として交流があった宣教師は
ルイス・フロイス
9
イングランド人で著名な水先案内人だった人物は誰。日本名も
ウィリアム・アダムス(三浦按針)
10
オランダ商館があったのはどこか
長崎の出島
11
鎖国したことで起きた一揆をなんというか。誰が指導者
島原の乱、天草四郎
12
オランダから土産物として持たされたものは何が挙げられるか
虎、象
13
17世紀末に出島のオランダ商館に勤務したドイツ人医師が日本での見聞をまとめた書物は何か。作者とタイトル
ケンペル、日本誌
14
出島商館付医師として鎖国期の江戸日本に1年滞在し、日本における植物学や蘭学、西洋における東洋学の発展に寄与した。スウェーデン人はダレ
カール・ツンベリ
15
19世紀に出島三学者のさドイツの医師が日本地図を持ち出した事件をなんというか。何年?
シーボルト事件1828年
16
通訳を当時なんと呼んでたか
通詞
17
外国語のことを当時なんと呼んでいたか、理由は
蘭学、オランダ語しか日本に伝わっていなったから
18
オランダ船がイギリスに乗っ取られた事件はなに
フェートン号事件
19
日本で最初のネイティブ英語教師は誰。日本に来たのはどのような経緯で、いつごろ
ラナルド・マクドナルド、捕鯨船に乗って日本近海まで行き、遭難したふりをして利尻島についた。1848年頃
20
日本の開国のためやってきたのはいつ、だれ。
1854年 ペリー
21
開国を迫った主な理由
港の開港(燃料補給)、アメリカの捕鯨船がたくさん日本に来ていたから。
22
日米和親条約が締結されたのはいつ
1854年
23
日米修好通商条約はいつ
1858年
24
外国人として初めて富士登山したのは誰か。その人がまとめた滞在記をなんというか
R・オールコック、大君の都
25
何故富士登山したのか
条約公使としてどれだけ日本の旅行に許可が出るかを知るため
26
日本で初めて常備食であるパンを焼いたことで有名な人は
江川太郎左衛門
27
1862年から1883年と、駐日公使としての1895年から1900年まで計25年間日本滞在した英国人外交官は誰
アーネスト・サトウ
28
オランダ出身で、アメリカ合衆国に移民し、日本にキリスト教オランダ改革派宣教師として派遣された外交官はだれ
グイド・フルベッキ
29
成仏寺で医療と英語教師を行い、辞書を制作した人物は誰。その辞書の名前と、その人物が作ったものは
ヘボン、和英語林集成、明治学院大学
30
アメリカ合衆国出身のお雇い外国人、理科教師、牧師、著述家、日本学者、東洋学者である。 明治時代初期に来日し、福井と東京で教鞭をとった人物は
グリフィス
31
東京帝国大学で教授を2年務め、大森貝塚を発掘した人物は誰
E・Sモース
32
イギリスの日本研究家であり、古事記の英訳などを行った人物は誰。日本をまとめた有名な著書は
B・H・チェンバレン日本事物誌
33
「キリスト教(文化)を嫌悪」し、逆に「日本文化のすばらしさ」を世界へ広めた有名な人物はだれ。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)
34
イタリア系アメリカ人で、東京大学で哲学、政治学、理財学(経済学)などを講じた人物はだれ
E・フェノロサ
35
キリスト教の布教のためアイヌまで足を運んだ人物は
イザベラ・バード(女性)
36
人文地理学者で度々日本に訪れ日本に関する著書も書いた人物はだれ。著作は。
シドモア、日本紀行
37
明治期の日本に招聘され、日本の女性教育に貢献した、アメリカ人女性教育者は誰。代表作は。功績は
アリス・ベーコン、日本女性論、津田梅子とともに津田塾大学をつくるのに協力