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日本史
  • みやけん

  • 問題数 21 • 5/18/2024

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    問題一覧

  • 1

    土一揆を結び幕府に徳政令を、国一揆を結び大名に大名支配の排除を求めた。

  • 2

    初期荘園の開発主体である有力貴族や寺社は(ⅰ)誰の協力を得て、(ⅱ)どのような労働力を使役して経営を成立させたか答えよ。

    (ⅰ)国司・郡司 (ⅱ)周辺の班田農民、浮浪人

  • 3

    白村江の戦い(663年)後、国家はどのように国防を強化したか答えよ。

    ・対馬、壱岐、九州北部に防人、烽設置 ・太宰府北西に水城を築く ・亡命した百済人の知識、技術を  活用して朝鮮式山城(大野城や基肄城 など)を築く

  • 4

    保元の乱(1156年)の両陣営の皇室・摂関家・源氏・平氏のメンバーと結果と意義を答えよ。

    〈勝者側〉 後白河天皇 藤原忠通 源義朝 平清盛 〈敗者側〉 藤原頼長 源為義、為朝 平忠正 結果…崇徳上皇が讃岐へ配流。    忠正と為義が死刑 意義…中央政界の抗争に武士の力が不可欠    だと判明

  • 5

    鎌倉時代には「石山寺縁起絵巻」「春日権現験記」など絵巻物の制作が一層盛んとなったが、それはなぜか説明せよ。

    鎌倉新仏教の展開に伴い、布教活動のための視覚的に分かりやすい布教手段として必要だったから。

  • 6

    撰銭令は、幕府や戦国大名が幾度も発布したが、単純に撰銭を禁止する内容の法令ではなかった。どのような内容を持つ法令であったか述べよ。

    ・一定の悪銭の流通を禁止 ・それ以外の銭の流通を強制 ・悪銭と精銭の混入比率を定める

  • 7

    6世紀後半から8世紀にかけての東アジア情勢の変化を記述せよ。

    6世紀後半は高句麗の圧迫を受けた百済や新羅が勢力を朝鮮半島の南に広げ、伽耶諸国は562年までに次々に百済や新羅の支配下に入り、伽耶と結びつきのあったヤマト政権の朝鮮半島での影響力は低下した。さらに、589年に南北朝統一を果たした隋が高句麗と対立しはじめると、東アジアは激動の時代を迎えた。  7世紀半ばになると、充実した国家体制を整えた唐が倭の介入を排除しつつ、百済・高句麗への侵攻を始めると、国際的緊張の中で周辺諸国は中央集権の確立と国内統一の必要に迫られた。676年に朝鮮半島を統一した新羅は朝鮮支配をめぐって唐と対立したが、8世紀半ば頃になると唐と新羅の関係は改善し、唐を中心とする東アジア秩序が安定した。

  • 8

    愛発・不破・鈴鹿の関は律令国家においてはどのような場所であったと言えるか説明せよ。

    畿内から東国へと向かう要衝

  • 9

    奈良時代から平安時代中期(摂関政治期)にかけて国司のあり方はどのように変化したか説明せよ。

    地方行政官から徴税請負人へと変化した。

  • 10

    798年には畿内以外の諸国の銭貨を没収する法令が出された。それはなぜか説明せよ。

    8世紀半ば以降、聖武朝の東大寺造営事業や国分寺建立事業、桓武朝における遷都事業(長岡京造営→平安京造営)が政府財政を窮迫させていたから。

  • 11

    奈良時代と平安時代中期の調の課税について、課税単位、対象、基準、税率の決め方、中央への納入の観点から両者を対比させながら述べよ。

    奈良時代は戸を単位に成年した男子を基準に人を対象とした人頭税として、令の規定に基づく税率で課税され、人民の運脚により中央へ納入されたが、平安時代は名を単位に田地の面積を基準に土地を対象とした土地税として、受領の裁量で規定された税率で課税され、中央への納入は受領が請け負った。

  • 12

    密教と浄土教の違いを、日本に伝来した時期、特徴、受容のあり方についてまとめ、さらに共通点も述べよ。

    解説の写真参照のこと

  • 13

    平安時代後期に広く成立した中世荘園の特徴を答えよ。

    耕地や山野河海、集落を含むひとまとまりの領域を持ち、国衙の検田使や追捕使の立ち入りを認めない不輸・不入の権を持ち、国衙から強い独立性を持っており、本家・領家・預所・下司や公文・名主によって運営された。

  • 14

    室町幕府の徳政令発布はどのような意味を持ったか。

    正長の土一揆などでの私徳政を幕府が追認する意味を持った。

  • 15

    分一銭を1行でごく簡潔に説明せよ。

    徳政令発布の手数料

  • 16

    室町幕府における徳政令とは?

    高利貸に債権を放棄させる幕府の命令

  • 17

    室町期では惣村同士で用水取入れ口をめぐってしばしば紛争が起こった。そのような紛争において惣村はどのような解決手段を用いたか説明せよ。

    惣村は室町幕府に裁決を求めて由緒を確保すると共に、当事者である惣村が近隣惣村の協力を調達しながら判決の執行を実力で行う自力救済によって紛争の解決をはかった。しかし自力救済は広く近隣惣村を巻き込んだ合戦を招き、最終的には第三者の近隣惣村の仲裁によって紛争を解決した。

  • 18

    鎌倉幕府が全国に勢力を伸ばす要因となった出来事を答えよ。

    治承・寿永の乱(東国) 奥州合戦(東北) 承久の乱(畿内・西国) 元寇後に幕府は全国に勢力を伸ばす

  • 19

    奥州藤原氏はなぜ豊かな経済力を有したか説明せよ。

    北方交易を掌握していたため。

  • 20

    承久の乱後、鎌倉幕府は朝廷に優位な立場となったが、具体的に鎌倉幕府は朝廷に対して何をするようになったか答えよ。

    朝廷政治や皇位継承などに介入するようになった。

  • 21

    寺請制度とは?

    寺檀制度に基づいて、檀家がキリシタンではないことを檀那寺に証明させた制度。