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  • ゲルジェッシュ込田

  • 問題数 100 • 11/28/2023

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    問題一覧

  • 1

    終戦後間もない1945年10月、アメリカのニューヨークに本部をおいて、【 】が発足した。

    国際連合

  • 2

    国際連合では、国際連盟の意思決定には十分な実行力がなかったという反省から、国際平和を維持する目的で軍事力を行使できる【 】が設けられた。

    安全保障理事会

  • 3

    安保理の常任理事国を全て選べ

    アメリカ, ソ連, イギリス, フランス, 中国

  • 4

    ブロック経済により世界経済が分断された1930年代の反省から、【 】が導入された。

    金ドル本位制

  • 5

    収支が悪化した国を援助するために ・金融の安定と国際通貨協力を促す【1】(【2】) ・国際的な銀行である【3】(【4】) がつくられた。

    国際通貨基金, IMF, 国際復興開発銀行, IBRD

  • 6

    関税をはじめとする貿易の障壁を取り除き貿易の自由化を進めるために、【1】(【2】)が締結された。

    関税及び貿易に関する一般協定, GATT

  • 7

    国際通貨基金や国際復興開発銀行、関税及び貿易に関する一般協定など、国際経済に関するこれらの制度の全体を【 】と呼ぶ。

    ブレトン・ウッズ体制

  • 8

    ソ連の実質的な支配下に置かれた東ヨーロッパ諸国では、当初は比較的自由な選挙が行われたが、各国の共産主義政党は競争相手である【 】を徐々に吸収合併していった。

    労働者政党

  • 9

    ギリシアでは【1】と共産党支持者の内戦が起こっていたが、1947年アメリカが【2】政策(【3】)を宣言し介入を深め、共産化を防いだ。

    王党派, 封じ込め, トルーマン・ドクトリン

  • 10

    封じ込め政策に続いてアメリカ国務長官マーシャルが【1】(【2】)を発表した。これはヨーロッパの荒廃が続き社会格差が広がると共産主義勢力の伸張に繋がるという懸念があったため。

    ヨーロッパ経済復興援助計画, マーシャル・プラン

  • 11

    ソ連はアメリカの反共産主義制作に対して、【1】の受け入れ拒否を東ヨーロッパ諸国に求めるとともに国際共産党組織【2】(共産党情報局)をつくり自陣営の引き締めをはかった。

    マーシャル・プラン, コミンフォルム

  • 12

    1948年2月、チェコスロバキアでは大統領【1】のもとマーシャル・プランの受け入れを決めると、ソ連はこれを撤回させ更に共産党は街頭デモを組織し【1】を辞任に追い込んだ。これを【2】という。

    ベネシュ, チェコスロバキア・クーデター

  • 13

    チェコスロバキア・クーデターを皮切りに東ヨーロッパ諸国では【 】という名称のもと、形式上は複数政党制を残しつつも、実際には共産主義政党が独裁体制を確立し、ソ連と同様の政治・経済制度を導入していった

    人民民主主義体制

  • 14

    人民民主主義体制が広まる中、【1】が率いる【2】はバルチザンが自力でドイツからの解放を成し遂げていたために自主性が強くソ連の圧力を批判した。

    ティトー, ユーゴスラヴィア

  • 15

    ドイツは西側を【 】【 】【 】に、東側をソ連に分割占領され、2つの陣営へ分断されて言った。

    アメリカ, イギリス, フランス

  • 16

    ドイツの東側占領地区では【1】改革、西側占領地区では【2】改革が個別に進められた。

    土地, 通貨

  • 17

    アメリカ・イギリスが西ドイツに独自の政権を立てる動きに出ると、スターリンはこれを阻止するため、1948年6月に【 】を封鎖した。

    西ベルリン

  • 18

    ソ連の西ベルリン封鎖により、アメリカでは第二次世界大戦前のような【 】に戻るのではなく、ヨーロッパ情勢に積極的に関与すべきだとする世論が優勢になった

    孤立主義

  • 19

    1949年ソ連は、マーシャル・プランとブレトン・ウッズ体制に対抗して、東ヨーロッパと共に【1】(【2】)をつくり、社会主義諸国間だけの経済協力体制を築いた。

    経済相互援助会議, COMECON

  • 20

    1949年ドイツの東側占領地区において【1】(東ドイツ)、西側占領地区において【2】(西ドイツ)がそれぞれ成立し、ドイツの分断が固定化された。

    ドイツ民主共和国, ドイツ連邦共和国

  • 21

    第二次世界大戦終結から数年のうちに、世界はアメリカを中心とする【1】(西側陣営)と、ソ連を中心とする【2】(東側陣営)の2大陣営にわかれて対峙することとなった。これは軍事衝突には至らない状態であったため【3】と呼ばれる。

    資本主義陣営, 社会主義陣営, 冷戦

  • 22

    冷戦は単なる勢力権争いではなく、資本主義と社会主義のいずれが人類社会をより幸福な未来に導くことができるかと言う【 】の対立でもあった

    世界観

  • 23

    中国では戦争が集結すると、【1】は自らの指導する新体制を作ろうとしたのに対し、【2】は【1】の腐敗や強権的な政治を批判して、様々な党派が平等に参加する【3】を主張した。

    国民党, 共産党, 連合政府

  • 24

    1946年中国では【1】が全面的に広まり、当初はアメリカ合衆国の援助を受けた【2】側が優勢であったが、【3】側は土地改革を行って農民の支持を集め支配地域を中国全土へ広げて行った。

    国共内戦, 国民党, 共産党

  • 25

    1949年10月中国、共産党の指導者【1】は、【2】(場所)で【3】の成立を宣言した。

    毛沢東, 北京, 中華人民共和国

  • 26

    1949年12月、中華人民共和国が成立すると、【1】率いる国民政府は【2】に逃れて、そこで【3】政府を維持した。

    蒋介石, 台湾, 中華民国

  • 27

    中華人民共和国成立当初、共産党は非共産党勢力も含む政府のもと【1】による改革を主張していたが、1950年には【2】を結び、社会主義陣営に属する姿勢を示した。

    新民主主義, 中ソ友好同盟相互援助条約

  • 28

    アメリカをはじめとする西側諸国は【 】を除いて中華人民共和国を承認せず、台湾の中華民国政府を中国の代表とする立場をとった。

    イギリス

  • 29

    日本の植民地だった朝鮮は第二次世界大戦中のカイロ会談で独立が決まっていたが戦後、【1】を境に北部を【2】が、南部を【3】が占領することになった。

    北緯38度線, ソ連, アメリカ

  • 30

    1928年朝鮮、南側でははアメリカから帰国した独立運動家の【1】を大統領とする【2】が、北側では満州における抗日運動の指導者であった【3】を首相とする【4】が成立した。

    李承晩, 大韓民国, 金日成, 朝鮮民主主義人民共和国

  • 31

    1950年朝鮮、当時経済・軍事面で優位にあった【北朝鮮・韓国】は、朝鮮の統一をめざして38度を越えて【北・南】へ侵攻した。これを【 】という。

    北朝鮮, 南, 朝鮮戦争

  • 32

    朝鮮戦争を【1】(安保理)は侵略として非難し、アメリカ軍を主力とする国連軍が朝鮮半島に派遣され、韓国は北朝鮮を押し返した。これに対し中国が【2】を派遣し38度線付近で膠着状態となった。

    安全保障理事会, 人民義勇軍

  • 33

    北朝鮮では【1】、韓国では【2】な政治が行われた。

    独裁的, 強権的

  • 34

    朝鮮戦争によって西側諸国との協力を絶たれた中国では、ソ連の援助のもとで1953年から第1次【 】が実施され重工の建設や農業集団化など社会主発計画経済の建設が急速に進められた。

    五ヵ年計画

  • 35

    【 】は支配地域は小さいものの、西側諸国では中国を代表する正統な政権と認められた。

    中華民国

  • 36

    中国での東西対立の最前線の1つとなった台湾では。蒋介石政権のもと【1】がしかれ、【2】を唱えて大陸側の【3】という主張に対抗した

    戒厳令, 大陸反攻, 台湾解放

  • 37

    大戦後、東南アジアでは日本の支配は無くなり独立へ向かったが、【 】が権利を主張し独立を認めなかった

    旧宗主国

  • 38

    戦後、【 】はアメリカに再占領されたが1946年に独立した

    フィリピン

  • 39

    インドネシアは1945年に独立が宣言され【1】が大統領となった。これに対し、【2】が武力介入を行ったが国際世論の反発を招き1949年に独立を認めた。

    スカルノ, オランダ

  • 40

    【1】(今のミャンマー)は【2】の指導のもと1928年にイギリスから独立し社会主義を志向した政策をとった。

    ビルマ, アウン・サン

  • 41

    戦後イギリス支配下にあったマレー半島は1957年に正式に独立し【 】となった。

    マラヤ連邦

  • 42

    フランス領インドシナ連邦のベトナムでは【1】が日本の占領下で【2】を組織し、1945年にハノイで【3】の成立を宣言した。

    ホー・チ・ミン, ベトナム独立同盟, ベトナム民主共和国

  • 43

    ベトナム民主共和国の成立宣言に対し、フランスは独立を認めず、1949年に阮朝最後の皇帝【1】を元首としたベトナム国を発足させベトナム民主共和国と交戦した。これを【2】という。

    バオダイ, インドシナ戦争

  • 44

    インドシナ戦争でフランスは1954年に【1】の戦いで敗北し、【2】を結んでインドシナから撤退した。

    ディエンビエンフー, ジュネーヴ休戦協定

  • 45

    アメリカは【 】(SEATO)をイギリス・フランス・オーストラリア・ニュージーランド・フィリピン・タイ・パキスタンとともに結成し、東南アジアの共産主義勢力の拡大に対抗した。

    東南アジア条約機構

  • 46

    1955年ベトナム国、アメリカに支援された【1】がバンダイを追放し南部にベトナム国に変わって【2】を樹立し、ベトナムは南北に分断された。

    ゴ・ディン・ジエム, ベトナム共和国

  • 47

    フランス領インドシナ連邦のカンボジアは1953年にフランスから独立し、国王【 】のもとで東西どちらにも属さない中立政策を進めた。

    シハヌーク

  • 48

    第二次世界大戦で、【 】はイギリスへ協力し兵を派遣したが戦争が終わると反英運動が高揚し、イギリスが【 】を植民地として維持するのが困難になった。

    インド

  • 49

    インドの独立には、パキスタンの分離独立を求める全インド゠ムスリム連盟の【1】と、統一インドを主張する【2】が対立した。

    ジンナー, ガンディー

  • 50

    1947年、【 】が制定されると、ヒンドゥー教徒が多数を占めたインド連邦と、ムスリムが多数で国土が東西にわかれるパキスタンとに分離して独立した。

    インド独立法

  • 51

    インドとパキスタンが分離独立をすると、【1】やシク教徒はインド連邦に、【2】はパキスタンに移動したため、多数の難民が発生した

    ヒンドゥー教徒, ムスリム

  • 52

    インド連邦では【1】が初代首相となり、パキスタンでは【2】が総督となった。

    ネルー, ジンナー

  • 53

    インドとパキスタンが分離独立したが、両教徒の対立はおさまらず、ムスリムとの融和を求める【 】は1948年に狂信的なヒンドゥー教徒によって暗殺された。

    ガンディー

  • 54

    インドはネルーのもとで、1950年には【 】などの差別禁止を含む憲法を制定して共和国となった。

    カースト

  • 55

    イギリス支配下にあったセイロンは、1948年にイギリス連州内の自領として独立した。国際的には非同盟中立政策をとったが、ヒンドゥー数徒の【1】人は抑圧され、仏教徒の【2】人が優遇された。1972年には仏数を準国教とする新選法を制定し、【3】となった。

    タミル, シンハラ, スリランカ

  • 56

    イランは第二次世界大戦で中立を宣言したが、1941年に独ソ戦が始まるとこの地は【 】・【 】がソ連に軍事支援を行うための重要なルートとなった。

    イギリス, アメリカ

  • 57

    イランは独ソ戦中、南北からイギリス軍とソ連軍が進駐して、親ドイツの国王【 】は退位した。

    レザー・シャー

  • 58

    戦後は石油産業を支配する【 】系のアングロ・イラニアン石油会社に対する批料が強まり、製油所の労働者らの大規機な説談活動を製機として、石油の国有化を求める運動が高まった。

    イギリス

  • 59

    1951年イランで首相に就任した【1】は、国内の多様な勢力から支持を受けて石油国有化を実現したが、国際石油資本(=【2】)がイラン産の石油をボイコットすると財政は行き詰まり、【1】は53年、イギリス・アメリカの支持を受けた国王【3】のクーデタによって失脚した。

    モサッデグ, メジャー, パフレヴィー2世

  • 60

    第二次世界大戦終結後イギリスの委任統治下にあったパレスチナでは、【 】人と【 】人との対立が激化した。

    ユダヤ, アラブ

  • 61

    国際連合がパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する決議を行うと、イギリスは撤退し、ユダヤ人国家建設をめざしてきた【1】は【2】建国を宣言し、全世界のユダヤ人移民を受け入れることを表明した。

    シオニスト, イスラエル

  • 62

    イスラエルを建国したユダヤ人に対し、アラブ諸国が反発し激しい戦争が怒った。これをなんというか

    パレスチナ戦争

  • 63

    パレスチナ戦争で勝った【1】は独立を確保したが、パレスチナに暮らしていた約75万人の【2】人が郷土を追われて難民となったがその後も戦争(【3】)が繰り返されパレスチナ問題は深刻化した。

    イスラエル, アラブ, 中東戦争

  • 64

    日本では朝鮮戦争によって、アメリカ軍が朝鮮に行ったためそれに変わる【 】(のちの自衛隊)が出来た

    警察予備隊

  • 65

    日本では朝鮮戦争によって、アメリカが軍事品を日本に注文したため【 】と呼ばれる好景気となった

    特需

  • 66

    国連は【1】個の主要機関と【2】の専門機関によって構成される

    6, 15

  • 67

    日本では1945年9月2日の降伏文書調印により、アメリカ陸軍の【1】を最高司令官とする【2】(GHQ)が、東京に設けられた。

    マッカーサー, 連合国軍最高司令官総司令部

  • 68

    戦後、【 】や小笠原諸島、奄美群島はアメリカ軍が直接軍政を行ったが、それ以外の本土は日本政府を介した間接統治のかたちで占領統治が行われた。

    沖縄

  • 69

    アメリカ合米国のワシントンには連合国の代表で組織された【1】が設けられ、日本の占領政策の方針を決定し、東京にはGHQの諮問機関として米・英・ソ・中の代表による【2】が設けられた。

    極東委員会, 対日理事会

  • 70

    1945年10月、GHQは日本に対し、【1】や【2】(特高)の廃止、共産党員はじめ政治犯の即時釈放を指令し(【3】)、天皇に関する自由な議論を奨励した。

    治安維持法, 特別高等警察, 人権指令

  • 71

    皇族の東久邇宮稔彦内閣はGHQの指令の実行に苦慮きて総辞職し、【 】内閣が成立した。

    幣原喜重郎

  • 72

    幣原内閣に対しGHQは、改めて ・婦人参政権の付与 ・労働組合の結成奨励 ・教育制度の自由主義化 ・圧政的諸制度の廃止(秘密警察など) ・経済機構の民主化 の5つ(【1】)と「【2】」を指令した。

    五大改革, 憲法の自由主義化

  • 73

    1946年1月、昭和天皇は年頭の詔書で天皇の神格を否定した(【 】)。

    人間宣言

  • 74

    1946年1月には【 】が出され、戦時中に積極的に戦争に協力したと、みなされた人々が政界・財界・官界や言論界の指導的地位から追放され、超国家主義団体が解散を命じられた。

    公職追放令

  • 75

    1946年5月、東京で連合国による極東国際軍事裁判(【1】)が開延した。GHQに逮捕されていた東條英機元首相ら28人がA級戦犯として起訴され、満州事変や太平洋戦争などの侵略戦争の遂行が【2】に対する罪、南京事件などが【3】に対する罪として裁かれた。

    東京裁判, 平和, 人道

  • 76

    1945年10月以降、日本【 】党・日本【 】党・日本【 】党などが結成された。

    社会, 自由, 進歩

  • 77

    1945年10月以降、政治犯の釈放に伴い、日本【 】党も合法化された

    共産

  • 78

    1945年11月、臨時会議で【 】が認められ、1946年4月の総選挙では女性議員が39人当選した。

    女性参政権

  • 79

    1946年5月に第一党の日本【1】党を与党とする第1次【2】内閣が結成し約14年ぶりに政党内閣が復活した。

    自由, 吉田茂

  • 80

    1946年【1】内閣は天皇の統帥権の廃止と議院内閣制を定めた憲法改正要綱をGHQに提出したがGHQは不十分と判断し、 ・【2】(国会を国権の最高機関とする) ・【3】(天皇は政治的な権限を持たない ) ・【4】 などを盛り込んだ憲法改正案を作成した。この案を【5】という。

    幣原喜重郎, 国民主権, 象徴天皇制, 戦争放棄, マッカーサー案

  • 81

    マッカーサー案は若干修正のうえ帝国議会に提出され成立し、1946年11月3日に【1】され、1947年5月3日に【2】された。こうして【3】が制定された。

    公布, 施行, 日本国憲法

  • 82

    経済機構の民主化のためにまず【 】が行われた。

    財閥解体

  • 83

    株式を所有して、多数の企業を支配している会社で、財閥解体の対象となった会社を【 】という。

    持株会社

  • 84

    1947年に財閥解体の一環として巨大独占企業を分割するために【1】が制定され、さらに財閥の再形成を防ぐため【2】が制定された。

    過度経済力集中排除法, 独占禁止法

  • 85

    戦後の労使関係については、1945年の 【1】によって労働組合と労働運動が公認された。なお1946年には【2】、47年には【3】が制定され、これら1.2.3をまとめて【4】という

    労働組合法, 労働関係調整法, 労働基準法, 労働三法

  • 86

    戦後農村では寄生地主が大量の貧しい小作農を生み、それが対外侵略の温床となったと考えられたため【 】が行われた。

    農地改革

  • 87

    1946年の【 】により、農地を政府が買収し、安価で小作農に売り渡した。

    自作農創設特別措置法

  • 88

    戦後の教育では、アメリカから派遣された教育使節団の勧告をもとにした1947年の【 】・【 】によって、国定教科書の廃止や国家主義的な教育の否定、社会科の新設、生徒会やホームルームの導入など、教育内容の民主化が行われた。

    教育基本法, 学校教育法

  • 89

    戦後は【 】が成立して都道府県知事は公選となり、刑法改正で大逆罪や不敬罪が無くなった。さらに民法改正により男女の不平等の是正も進んだ。

    地方自治法

  • 90

    戦後の日本は、物資不足などにより食料や生活必需品の配給状況が悪化した。それに加え、政府が軍需工場に未払金を一括支払いしたため急激な【1】が起こったことにより国民の生活は更に厳しくなった。空腹を満たすためには、農村への【2】か、都市の焼け跡に出来た【3】で公定価格より遥かに高い食料を買うしか無かった。

    インフレ, 買出し, 闇市

  • 91

    1946年5月、食料問題を主要課題とするメーデー(【 】)が起こり政府はGHQに食料支援を仰いだ。

    食料メーデー

  • 92

    1946年2月日本、政府はインフレを抑制するために【 】を出した。

    金融緊急措置令

  • 93

    日本政府はインフレの抑制に務めると同時に、鉄鋼・石炭など産業復興に必要な分野に資金と資材を優先的に配分する【 】を導入した。

    傾斜生産方式

  • 94

    1947年、日本国憲法施行に伴い行われた衆議院選挙では過半数を獲得した政党ではなく、【1】率いる【2】が第一党となった

    片山哲, 日本社会党

  • 95

    1947年6月、日本史上初の左派系政党所属の【 】内閣として片山哲内閣が成立した。

    中道連立

  • 96

    片山哲内閣が退陣すると、GHQが民主化推進のため【1】の継続を望み、同じ3党連立で【2】内閣が跡を継いだ。

    中道政権, 芦田均

  • 97

    中道連立内閣に含まれる3つの政党 芦田均(あしだひとし)率いる【1】 三木武夫率いる【2】 片山哲率いる【3】

    民主党, 国民協同党, 日本社会党

  • 98

    芦田均内閣が汚職事件(昭和電工事件)で退陣後、第二党の【1】(のちの自由党)を与党とする第2次【2】内閣が成立した。

    民主自由党, 吉田茂

  • 99

    GHQの占領政策は当初【1】であったが、世界の東西対立が深刻化したため、日本をアジアにおける資本主義陣営の防波堤とするため、【2】へと変わった

    民主化優先, 経済復興優先

  • 100

    アメリカにより派遣された銀行家ドッジの勧告により、1949年度の予算は【 】とされ補助金の支出や公債の発行が抑制された。

    超均衡予算