問題一覧
1
[同盟対協商の対立] 1880年のドイツは, ( )のもとでフランスを孤立させ, ( )と友好を結ぶことを外交の柱としていたが, ビスマルクはドイツ皇帝の( )との対立を深めて辞職した。こうしてドイツは皇帝の下で( )が行われ, 積極的な対外進出を進めていった。また, ドイツではさらにバグダード鉄道の建設を通して影響力の拡大を狙った。これを( )という。一方で, ドイツを警戒していた英・仏・露はそれぞれの勢力範囲を認め合い, ドイツを包囲する( )が成立した。ドイツはオーストリア-ハンガリー帝国とイタリアの( )で三国協商に対抗し, 軍拡競争が拡大, 国際社会が緊張状態となった。
ビスマルク, ロシア, ヴィルヘルム2世, 世界政策, 3B政策, 三国協商, 三国同盟
2
[ヨーロッパの火薬庫] バルカン半島では, ( )主義と( )主義の対立が激化していた。パン=スラヴ派は( )が, パン=ゲルマン派は( )が支援し, これはロシアとドイツの対立のもととなり( )も同時期に崩壊した。バルカン諸国は, オスマン帝国との戦争を想定して, ロシアの仲介により( )を結び, オスマン帝国に勝利した。この戦争を( )という。しかし, バルカン同盟諸国がオスマン帝国領土の配分を巡ってブルガリアとほかの国々が対立した。これを( )という。
パン=スラヴ主義, パン=ゲルマン主義, ロシア, ドイツ, 三帝同盟, バルカン同盟, 第一次バルカン戦争, 第二次バルカン戦争
3
[サライェヴォの銃声] 1914年, ボスニアの都市で, オーストリアの帝位継承者夫妻が南スラヴの統一を目指すセルビア人青年によって暗殺された。これを( )という。オーストリアは( )の支持を受けてセルビアに宣戦布告し, セルビアを支援する( )はこれに対抗した。ドイツが三国同盟を理由に( )と( )に宣戦布告すると, ( )もドイツに宣戦した。日本は( )を理由に参戦し, オスマン帝国は( )側で参戦した。この戦争を( )という。
サライェヴォ事件, ドイツ, ロシア, ロシア, フランス, イギリス, 日英同盟, 同盟国, 第一次世界大戦
4
[第一次世界大戦の経過] ドイツの東部戦線では( )を破ってポーランドを占領したものの, 西部戦線では( )に前進を阻まれた。また, 西部戦線では( )が繰り広げられ, 戦争が長期化した。これによって戦争が行き詰まると, 両陣営は戦後の領土再分配を約束しあう( )を展開し始めた。秘密外交は①英・露・仏がオスマン帝国の領土分割を約束した( ), ②英がオスマン帝国内のアラブ人に独立国家建設を約束し戦争に協力させる( ), ③英がユダヤ人にオスマン帝国領のパレスチナでの国家建設を約束し戦争に協力させる( )がある。そして, ドイツは大西洋を英・仏に握られたことから( )を展開したが, これが( )に影響を及ぼし, 中立国の( )を戦争に招き, 連合国側が優勢になった。
ロシア, フランス, 塹壕戦, 秘密外交, サイクス・ピコ協定, フサイン・マクマホン協定, バルフォア宣言, 無制限潜水艦作戦, 客船ルシタニア号, アメリカ
5
[第一次世界大戦と日本] 日本はドイツの租借地である中国の( )を占領した。また, 1915年, 袁世凱政府に( )を強要し, その大部分を承認させた。これによって( )は悪化し, 中国では日本に対するボイコット運動も発生した。二十一か条の要求は中国にとって( )な内容であり, 英米も日本の拡大を懸念したが, 大戦中はヨーロッパ周辺の混乱を見計らってむしろ日本との( )を強化した。
山東省, 二十一か条の要求, 日中関係, 不平等, 協力関係
6
[総力戦の特色] 第一次世界大戦では, ( )的・( )的な協力を必要とする( )であった。これによる強力な政治体制が作られ, 新聞など( )によって, 戦争を支援する世論が素早く形成された。
政治, 経済, 総力戦, マスメディア
7
[戦線体制への批判] ロシアでは1880年代以降工業化が進むにつれ, ( )や( )の思想が広まり, 政府への批判が高まった。1905年1月, ( )を求めるデモ隊に軍が発砲する( )が発生した。これによって, 1905年10月, 国会開設が承認され, 皇帝権力が制限された。これを( )という。
自由主義, 社会主義, 国会開設, 血の日曜日事件, 第一次ロシア革命
8
[ロシア革命とドイツの敗北] ロシアでは, 総力戦に疲弊した国民による( )が発生した。これにより1917年, 資本家や地主を中心とする政権である( )が成立した。これを( )という。しかし, ロシアの諸民族の不満が残ったため, ( )の指導者( )は臨時政府を倒してソヴィエト政権を樹立した。これを( )という。二月革命と十月革命を合わせて( )という。新政権は「無併合」,「無賞金」,( )を原則として戦争離脱を目指した。こののち, ドイツと( )条約をを結び戦争から離脱し, 国内体制を整えていった。ドイツもこれに乗じて攻勢に転じようとしたが, ( )の戦いに敗れ, 敗戦が決定的になった。そしてキール軍港の( )をきっかけに, 革命運動に発展し, ( )が退位した。これを( )という。同時に, 戦争も終息した。
ストライキ, 臨時政府, 二月革命, ボルシェビキ, レーニン, 十月革命, ロシア革命, 民族自決, ブレストリトフス, 西部戦線, 水平反乱, ヴィルヘルム2世, ドイツ革命
9
[社会主義政権の誕生] ロシアでは, 大戦と並行して国内で( )打倒を目指す反乱が発生した。これに連合国が反応し, 反乱軍の支援を始め, ( )が行われた。これは( )と考えたからである。これに耐久したロシアは1922年, ( )が結成された。その後, 生産と流通を国家が集中的に管理する( )を導入し独裁体制の強化につながった。
ソヴィエト政権, シベリア出兵, ロシア国内の混乱の隙に, ロシア領土を占領できるのではないか, ソヴィエト社会主義共和国連邦, 計画経済
10
[パリ講和会議] 1919年1月に米・英・仏を中心に( )を開催した。しかし( )や( )は参加させなかった。ここで, アメリカ大統領の( )の提案した( )が講和原則とされたが, 実際は英仏の( )を優先した講和内容が優先された。ドイツは調印させられた( )によって多額の賠償金などが課せられた。第一次世界大戦後の, 多くの国家の誕生や国際秩序は( )と呼ばれる。
パリ講和会議, ドイツ, ロシア, ウィルソン, 十四か条, 利害, ヴェルサイユ条約, ヴェルサイユ体制
11
[中・東欧の民族自決] 中・東欧民族の独立は, 実際は国々を( )に対する防壁とする狙いがあった。また, ユーゴスラヴィア等各国の革命運動は, 地主や資本家, 官僚が政治を握る中で抑え込まれ, 議会は十分に発展せずに少数の政治家による( )を生み出した。
ロシア革命, 独裁政治
12
[国際連盟と国際協調] 1920年, ウィルソンの「十四か条」に基づいて( )が発足した。これは, ( )を維持することを目的とした世界最初の国際機関であり, 日本も( )として参加していた。しかし, 実際は課題が多く, 経済制裁以外の強制手段を持たなかったため, ( )を解決する力を欠いていた。また, ( )は国際紛争に巻き込まれることを嫌う議会の反対で参加しなかった。
国際連盟, 国際平和, 常任理事国, 国際紛争, アメリカ
13
[朝鮮・中国の抗日運動] 朝鮮では, 1919年3月1日, ウィルソンの民族自決が背景で( )からの独立を目指す( )が発生した。日本はこれを武力行使したが, 以降は朝鮮統治の方法を, ( )させる政治へ政策を変更した。中国では, 第一次世界大戦中から儒学への批判が高まっていたことから, 口語で思想や意思を発表する( )が起こった。これは中国文化全般の( )を進める要因となった。大戦終了後, パリ講和会議で( )の取り消しを求めるが否決されたため, 北京学生を中心とした抗議運動が起こった。これを( )という。
日本, 三・一独立運動, 日本と同化, 白話運動, 近代化, 二十一か条の要求, 五・四運動
14
[ワシントン体制と日米の思惑] 1921年, アメリカの働きかけで( )が開催された。会議では, ①列強の軍艦保有比率を決定する( ), ②中国主権の尊重, 機会均等を約束した( ), ③太平洋諸島の現状維持を約束した( )が締結された。また, ワシントン会議と並行した日中の協議で, ( )を中国に返還することを決定した。この会議により, 列強の東アジア・太平洋における協調体制( )が形成された。日本国内では( ), ( ),( )の3人によって, 軍事力だけでなく, ( )を目指す政策が発展した。
ワシントン会議, ワシントン海軍軍縮条約, 9か国条約, 4か国条約, 山東省, ワシントン体制, 原敬, 浜口雄幸, 幣原喜重郎, 国際協調
15
[蒋介石の北伐] 袁世凱の死後, 内戦が続いていた中国では, ( )が( )党を結成し,軍閥の打倒を目指した。また, 孫文はソ連や( )の協力のもとに軍閥を倒す方針も表明した。孫文の死後, ( )が北京の軍閥への攻撃を開始した。これを( )という。国民党と中国共産党が協力することを( )という。
孫文, 中国国民党, 中国共産党, 蒋介石, 北伐, 国共合作
16
[トルコ共和国の成立] 第一次世界大戦前, 「青年トルコ」による( )によって憲法が復活した。また, 大戦停止後, ( )がトルコに侵攻し, ( )によって領土の半分を占領された。この危機に対し, 軍人( )が軍を率いてギリシアとの防衛戦争に勝利した。1922年にスルタン制を廃止し, ムスタファ=ケマルが( )の成立を宣言した。
青年トルコ革命, ギリシア, セーヴル条約, ムスタファ=ケマル, トルコ共和国
17
[中東での国家形成] イランは, 大戦中は( ), ( )により占領されたが, 1925年に( )が成立した。エジプトは( )を中心に独立運動を展開し, エジプト王国として独立した。しかし, イギリスによる( )の管理や軍の駐留は継続された。イラク・シリア・サウジアラビアは青年トルコの運動によるトルコ民族主義に対抗して, ( )も高まり, 1930年に独立を果たした。これにより, 英仏の秘密協定に基づく国境線やユダヤ人の移住による( )が残った。
イギリス, ロシア, パフラヴィー朝, ワフド党, スエズ運河, アラブ民族主義, パレスチナ問題
18
[インドの民族運動と経済発展] 第一次世界大戦ではインドから( )人以上のがヨーロッパ, 中東に動員された。大戦中に表明された( )は, 国民会議派の( )を後押しし, インドで1919年に自治が成立した。しかし, イギリスに( )を制定されたため, 国民会議派による( )を中心とする( )・( )の抵抗運動を展開した。一方, ( )によるオスマン帝国を支持する反英運動を展開して, ( )教徒中心の国民会議派もこれを支援した。一方, インド人による大企業が大戦前後から発展し, ( )を初めとするインド人資本はインドの民族運動を支える役割も果たした。
150万, 民族自決, 自治要求運動, ローラット, ガンディー, 非暴力, 非服従, 全インド=ムスリム連盟, ヒンドゥー, タタ商会
19
[戦後ドイツの混乱と復興] 第一次世界大戦後, ドイツに民主的な( )が制定された。ヴァイマル憲法の下の国家を( )という。しかし, 敗戦と革命後の混乱は続き, ( )に対しても不満が高まり, 賠償金支払いのうち, ( )地方で発掘を重宝していた( )からの現物支払いが停滞した。これにより, ( )と( )が賠償不履行を口実に( )であるルール地方を占領した。これを( )という。ドイツは工業地帯の操業を停止してこれに抵抗したことで, ドイツ国内の物資不足が加速し, ( )が発生した。ドイツの( )は( )マルクを1レンテンマルクと交換するデノミネーションを実施し, インフレを終わらせた。1924年, 賠償金を長期負担にする( )が成立したことで, ドイツにアメリカの経済力に支えられた復興と安定化の道が開かれた。
ヴァイマル, 福祉国家, ヴェルサイユ体制, ルール, 炭鉱, フランス, ベルギー, ドイツ工業の心臓部, ルール占領, インフレーション, シュトレーゼマン, 1兆, ドーズ案
20
[平和を模索する国際秩序の構築] 1925年, ヨーロッパの集団安全保障を約束した( )が成立した。1928年にはフランスとアメリカの提唱により, 日本を含めた15か国によって( )がパリで結ばれた。また, 1920年代のヨーロッパでは, 今日のEUにつながる( )の考え方も生まれた。
ロカルノ条約, 不戦条約, パン=ヨーロッパ主義
21
[大衆社会の出現] 19世紀末~20世紀初頭, 西ヨーロッパを中心に( )が成立した。大衆とは( )が均一化されていることである。また, 第二次産業革命によって新商品が( )されるようになった。商品は各国で発展した百貨店などによって消費者に橋渡しされ, ( )の時代が始まった。それはまた, ( )の始まりでもあった。
大衆社会, 生活水準, 大量生産, 大量消費, 大衆文化
22
[反映するアメリカ] 第一次世界大戦中, 戦場にならなかったアメリカが大戦後に( )を遂げた。領土に被害がないことから, ドイツへの資金貸与と連合国からの戦債を通じてアメリカが( )の中心になった。また, 政府主導で( )と( )の改善が図られ, 購買力のある( )が増加した。広告による販売, 自動車, 冷蔵庫, 洗濯機の普及で( )が確立した。映画やラジオと言った新しい( )が用いられ, 大衆娯楽は世界へ広がった。しかし, こうした繁栄は主に( )の白人中産階級のものであり, その社会の中には( )を敵視する気運が高まり, ( )や( )などの移民を排斥しようとする動きも強まった。
経済発展, 国際金融, 所得格差, 労働待遇, ホワイトカラー層, アメリカ的生活様式, マスメディア, アングロサクソン系プロテスタントの白人, 社会主義, 黒人, アジア系
23
[世論の発達と政党内閣の発展] 世界で広がっていた大衆の政治参加の動きは, 日本でも始まっていた。陸軍や藩閥を基盤とした( )内閣が成立すると, これに反対する( )が起こり, 同内閣は総辞職へと追い込まれた。これを( )という。以後, 政党を中心とした政治運営が進み, ( )と呼ばれる民主主義的な風潮が強くなっていった。この頃, 政治学者の( )は( ), 憲法学者の( )は( )を唱え, 政党政治発展のための理論的な根拠を示した。第一次世界大戦中, 日本は( )に湧いたが, 1918年のシベリア出兵をきっかけに米の安売りを求める( )が発生した。これにより, 藩閥を基盤とした内閣が退陣し, 立憲政友会党首の( )が内閣を組織した。これは日本初の( )である。
桂太郎, 第一次護憲運動, 大正政変, 大正デモクラシー, 吉野作造, 民本主義, 美濃部達吉, 天皇機関説, 好景気, 米騒動, 原敬, 政党内閣
24
[憲政の常道の時代] 1924年, 政党戦力が普通選挙を求める( )を起こした。そして総選挙に勝利し, 憲政会党首の( )が首相に就任した。翌25年, 加藤内閣は満25歳以上の男性に選挙権を与える( )を実現させた。これは前と比べ, ( )を解消し, 有権者を増やすといった内容だが, 民主主義に対抗する( )がいる恐れがあったため, 社会主義者を取り締まる( )も制定された。第一党の党首が内閣を組織する慣例は( )と呼ばれた。普通選挙法によって有権者は従来の( )倍に増加し, 影響力は増した。政党間でのこれらの問題から国民の信頼を喪失し, 次第に( )への期待を高めていく結果となった。
第二次護憲運動, 加藤高明, 男子普通選挙, 税金の縛り, 社会主義者, 治安維持法, 憲政の常道, 4, 利益誘導, 汚職, 軍部
25
[暗黒の木曜日] 1920年代のアメリカでは, 企業減税などの経済政策がとられ, それは鉱工業・農業での必要以上の生産や株式への過剰な( )をもたらした。これらの状況は, 29年10月24日の( )を境に一変した。ニューヨークのウォール街にある( )で株価の大暴落が起こり, ( )となった。これは, アメリカだけでなく, ( )各国や( )に影響が拡大したが, ソ連は( )を行っていたため, 影響がなかった。ヨーロッパで特に打撃を受けたのは( )で, 賠償金の当てがなくなり, 経済はさらに混乱した。
投機, 暗黒の木曜日, 証券取引所, 世界恐慌, ヨーロッパ, 日本, 計画経済, ドイツ
26
[ニューディール] 失業者の激増と深刻な社会不安が続く中で, 1933年に民主党の( )がアメリカ大統領となった。彼は( )と呼ばれる恐慌対策を掲げ, 政府の権限を拡大・強化し, 経済活動に積極的に介入した。その柱は, ①農産物の生産を調整する( ), 工業製品の生産調整と協定価格の容認を行う( ), 労働者の団結権と団体交渉権を保証する( )であった。政府は( )を設立し, 公共事業も実施した。
フランクリン=ローズヴェルト, ニューディール, 農業調整法, 全国産業復興法, ワグナー法, テネシー川流域開発公社
27
[各国の対応] 世界恐慌によって, 列強諸国は閉鎖的な( )化が進展した。ソ連はレーニンの死後, ( )の下で第一次( ), 第二次五か年計画で工業化を推進した。
ブロック経済, スターリン, 五か年計画
28
[ファシスト党] イタリアでは, 第一次世界大戦後, ( )の( )党が勢力を拡大していった。ファシスト党とは( )のことで, 第一は( )であり, その特徴として( )という主義である。ファシスト党は1922年に( )を行って政権を奪い, 植民地獲得のための政策を進めた。例として ( )侵略がある。ファシスト党のような政治体制を( )という。
ムッソリーニ, ファシスト党, 反共産主義, 民族・国家, 他国を犠牲にしてでも幸せを求める, ローマ進軍, エチオピア, ファシズム
29
[ナチ党の政権掌握] ( )率いる( )党は, 1923年以降, 議会進出に転じた。そして, 1933年1月, ( )が成立した。( )によってナチ党の一党独裁を実現したヒトラーは, 34年には大統領と首相を兼ねた総統となった。
ヒトラー, ナチ, ヒトラー内閣, 全権委任法
30
[反ファシズムの動き] ファシスト党やナチ党に対し, ( )や( )で反ファシズム運動が強まった。1936年, フランス・スペインで反ファシズム連合の( )が結成された。しかし, スペインではこれに反対する軍人の( )がモロッコで反乱を起こし, 人民戦線政府軍との内戦が勃発した。この反乱を( )という。政府軍は( )が, ( )と( )はフランコを支援し, フランコ軍が戦争に勝利した。
フランス・スペイン, 人民戦線内閣, フランコ, スペイン内戦, ソ連, ドイツ, イタリア
31
[拡大するヒトラーの要求] 1938年, ヒトラーは( )を併合し, 次いで( )からスデーテン地方を併合した。英仏伊独で( )が開かれたが, ソ連を警戒していたイギリスのチェンバレン首相らは, ヒトラーに譲歩し, その併合を認めた。これを( )という。しかしこれは, ヒトラーの侵略を促すことになり, 39年, チェコスロバキアを併合し, 段階的に併合を進めた。
オーストリア, チェコスロバキア, ミュンヘン会談, 宥和政策
32
[世界恐慌と日本] 第一次世界大戦後の日本は, ( )が経済大打撃を与え, その後の混乱などから( )が発生した。さらに, 1930年には世界恐慌の影響も到来し, ( )と呼ばれる深刻な状況に見舞われた。日本の( )や( )製品の輸出は激減し, 失業者は( )人にも達した。1932年5月15日, 犬養毅首相が海軍の青年将校らによって暗殺された( )が起こった。この後, 海軍出身の( )内閣が成立し, 軍が日本を指揮するようになり, 政党政治の時代が終わった。
関東大震災, 金融恐慌, 昭和恐慌, 生糸, 綿, 250, 五・一五事件, 斉藤実
33
[満州事変] 日露戦争以降, 日本人が進出していた( )では, 1931年, ( )が奉天郊外の( )湖で鉄道を爆破する( )が発生した。日本は鉄道爆破を中国の行為だと主張し, 満州を軍事占領した。これを( )という。そして, この地に( )を作り, 清朝最後の皇帝であった( )を皇帝としたが, 実権は日本が握っていた。これに対し, 国際連盟は( )を派遣した。満州の日本権益は承認したが, 満州国建国は認めない結果となった。日本は, 国際連盟主導による経済制裁などを回避する思惑もあり, ( )を脱退した。
満州, 関東軍, 柳条, 柳条湖事件, 満州事変, 満州国, 溥儀, リットン調査団, 国際連盟
34
[軍部の台頭] 満州事変以降, 軍部が台頭する中で, ( )的な風潮は強くなっていった。1936年2月26日, 陸軍の青年将校が高橋是清蔵相ら政府要人を殺害し, 東京の中心部を占拠した。これを( )という。これにより, 同年に( )を離脱し, 軍拡へ国家を推し進めていった。
国家主義, 二・二六, ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約
35
[日中戦争] ( )を指導者とした国民政府は, 満州事変以降, 日本との対決よりも( )との内戦を重視していた。共産党は, 国民政府の打撃により, 根拠地を瑞金から延安まで移動させた。これを( )という。この過程で( )が党内の主導権を握るようになった。共産党は, 国民党に( )の結成を呼びかけ, それに共鳴した張学良は, 1936年, 西安にきた蒋介石を監禁して, 統一戦線の結成を迫った。これを( )という。1937年7月, 北京郊外で( )が起こり, 宣戦布告のないまま, 日中両軍は全面戦争に突入した。この戦争を( )という。日本は上海, 南京などの都市を占領し, 特に南京では住民・捕虜多数を殺害し暴行・略奪を行った。これを( )という。37年には, ファシズム国家との連携によって国際的地位を強化しようとし, ( )を結んだ。
蒋介石, 中国共産党, 長征, 毛沢東, 抗日民族統一戦線, 西安事件, 盧溝橋事件, 日中戦争, 南京事件, 日独伊防共協定
36
[総力戦と国民生活] 1938年, 近衛文麿内閣の元で( )が制定され, 39年には同法に基づいて( )が制定された。
国家総動員法, 国民徴用令
37
[第二次世界大戦の始まり] 1939年8月, ドイツはソ連と( )を結んだ。そして同年9月, ドイツはポーランドに侵攻し, これに対してイギリス・フランスがドイツに宣戦布告して( )が始まった。さらに, 40年になるとドイツは( )を降伏させた。降伏したフランスでは中部のヴィシーにドイツに協力的な政府( )が樹立されるなど, ファシズムはヨーロッパで勢力を拡大した。こうした動きに対し, ( )は亡命先のロンドンから( )を呼びかけた。イギリスも( )首相のもとでドイツとの戦争を継続した。
独ソ不可侵条約, 第二次世界大戦, フランス, ヴィシー政府, ド=ゴール, レジスタンス, チャーチル
38
[日独伊三国同盟の締結] ( )が1940年ドイツ側で参戦し, フランスがドイツに屈すると, 日本は( )を結び, ( )が形成された。ドイツは1941年6月, 不可侵条約を破ってソ連への侵攻を開始した。( )という。アメリカは, 41年8月, イギリスと共通の戦争目的をうたった( )を発表した。内容は( )を目標としたものだった。
イタリア, 日独伊三国同盟, 枢軸国陣営, 独ソ戦, 大西洋憲章, 戦後世界の平和
39
[日米開戦] 1940年, 日本がヴィシー政府支配下の( )に侵攻した。目的は( )である。1941年4月には( )を結び, 7月には道南アジアの資源を獲得するため, ( )へ進駐した。これらに反発したアメリカが日本への( )と( )の輸出を禁止したことで, 日米関係は著しく悪化した。また, アメリカが日本へ覚書( )を提示した。内容は( )である。12月8日, 日本が真珠湾とマレー半島に奇襲攻撃, ( ), ( )に宣戦布告し, ( )が始まった。
仏領インドシナ北部, 中国への輸送ルート遮断, 日ソ中立条約, 仏領インドシナ南部, 石油, 鉄, ハル=ノート, インドシナ撤退命令, イギリス, アメリカ, 太平洋戦争
40
[太平洋戦争とアジアの情勢] 太平洋戦争の開戦後, 日本はすぐに東南アジアのほぼ全域を占領し, ( )の建設を表明した。表の意味では「共に栄えていく」であったが, ( )が裏付けされていた。
大東亜共栄圏, 資源獲得
41
[台湾・朝鮮の政策] 戦争が侵攻する中で, 台湾や北朝鮮では( )が強化され, 学校では国語として( )が教えられ, 中国語や朝鮮語の使用が禁止された。
皇民化政策, 日本語
42
[戦局の悪化] 日本は1942年の( )と43年の( )以降, 戦局が悪化した。更に, 1945年3月に( ), 45年4月に( )し, 住民を巻き込んだ戦闘が行われた。戦局の悪化に従い, 中学生以上のすべての学生が勉強を中断し, 軍需工場で働くことになり(( )という), それまで徴兵されなかった大学生たちも戦場に駆り出されることになった(( )という)。更に, 本土空襲が始まると, 都市部では( )も開始された。
ミッドウェー海戦, ガダルカナル島撤退, 東京大空襲, 米軍が沖縄に上陸, 学徒勤労動員, 学徒出陣, 学童疎開
43
[ヨーロッパでの戦いの終結] 1943年2月, ( )でドイツが敗北すると, 枢軸国の戦局が悪化した。同年7月に米・英などの連合軍がイタリア本土に上陸すると, イタリアは( )を申し出た。ソ連軍も東から進攻し, 東ヨーロッパを開放して, 45年5月にドイツ( )を陥落させた。こうしてドイツも無条件降伏し, ヨーロッパでの戦争は終結した。7月, 連合国が日本に無条件降伏を要求する( )が出された。
スターリングラードの戦い, 無条件降伏, ベルリン, ポツダム宣言