問題一覧
1
ゴルバチョフが新思考外交と共に進めた建て直しとも呼ばれるスローガン
ペレストロイカ
2
ペレストロイカの内容で当てはまっているもの
資本主義の一部分を導入して経済の活性化をはかった
3
ペレストロイカの一つである言論の自由化のこと
グラスノスチ
4
ペレストロイカの一つである新たな議会
人民代議員大会
5
人民代議員大会が開催された年
1989年
6
人民代議員大会で1990年に代表となった人物
ゴルバチョフ
7
人民代議員大会でゴルバチョフが代表になった年
1990年
8
ペレストロイカの一つである複数政党性が導入された年
1990年
9
ペレストロイカの結果、起こったこと
経済が混乱し成果が上がらず→社会主義への放棄と資本主義への転換を求める声が高まる
10
バルト三国が独立を宣言した年
1990年
11
ロシア共和国で、急進的な改革を主張した1990年に当選した大統領
エリツィン
12
エリツィンがロシアの大統領となった年
1991年
13
共産党の保守派はソ連の国際的な発言力の低下に危機感を覚えたことにより起こしたこと
ゴルバチョフを軟禁してクーデターを起こした
14
共産党の保守派が起こしたクーデターの結果
エリツィンを中心とするモスクワ市民が抵抗し、クーデターが3日で失敗した
15
共産党の保守派がゴルバチョフを軟禁してクーデターを起こした年
1991年8月
16
1991年12月にソ連を構成するロシア・ウクライナ・ベラルーシの三国が設立に合意し、創立したもの
独立国家共同体
17
独立国家共同体の創立に合意した国として当てはまらないもの
カザフスタン
18
独立国家共同体の創立後、ゴルバチョフが大統領を辞任し、ソ連はどうなったか
崩壊した
19
独立国家共同体が創立した年
1991年12月
20
アラブ人とユダヤ人の対立が激化し、イギリスが問題を国際連合に付託したことに対する国際連合の決議
パレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割した
21
国連にイギリスがパレスチナ問題を委託した年
1947年
22
イギリスが撤退した後にイスラエルを建国した人々
シオニスト
23
シオニストが建国した国
イスラエル
24
イスラエルの建国に反対したアラブ諸国とイスラエルの戦争
第一次中東戦争
25
第一次中東戦争の内容
イスラエル建国に反対したアラブ諸国との戦争
26
第一次中東戦争の別名
パレスチナ戦争
27
第一次中東戦争の結果
イスラエルが勝利、国際の調停で独立を確保し、多数のアラブ人が難民になった
28
第一次中東戦争でユダヤ人が勝利した結果起こったこと
パレスチナ解放をめざすアラブ諸国とイスラエルのあいだで戦争が繰り返され、問題が深刻化した
29
第二次世界大戦末期から、中東のアラブ諸国が結成したもの
アラブ連盟
30
1952年にナセルらの軍人がクーデターをおこして当時のエジプト国王を追放し、共和制国家を建立したこと
エジプト革命
31
エジプト革命が起こった年
1952年
32
エジプト革命を起こした軍人
ナセル
33
エジプト革命の一つである大地主の土地所有を制限して小作農に土地を分配したこと
農地改革
34
イギリス軍が撤退したことでエジプトの完全な独立を実現した場所
スエズ運河
35
ナセルが提唱した東西いずれの陣営にも属さないという考え方のこと
積極的中立政策
36
積極的中立政策の内容
東西いずれの陣営にも属さないという考え方
37
エジプト革命で建設を推進したダム
アスワン・ハイ・ダム
38
1956年に発生したイギリス・フランス・イスラエルvsエジプトの戦争
第二次中東戦争
39
第二次中東戦争の別名
スエズ戦争
40
スエズ戦争が発生した原因
イギリスとフランスがエジプトのソ連圏からの武器購入を懸念し、アスワン・ハイ・ダム建設への融資を撤回したことで、ナセルがスエズ運河を国有化したから
41
第二次中東戦争が起こった年
1956年
42
第二次中東戦争の結果
ソ連とアメリカによって停戦となった
43
第二次中東戦争の結果が停戦となった理由
アメリカやソ連、国際世論の避難を受けたから
44
第二次中東戦争後の世界はどうなったか
中東では、イギリス・フランスにかわってアメリカの影響力が高まった ナセルがアラブ=ナショナリズムの指導者の地位を確立した
45
ナセルがスエズ運河の国有化を宣言した年
1956年
46
パレスチナ問題をめぐり、アラブ諸国とイスラエルが対立し起こった戦争
第三次中東戦争
47
第三次中東戦争の別名
6日間戦争
48
第三次中東戦争が起こった年
1967年
49
第三次中東戦争が起こった理由
パレスチナ問題をめぐり、アラブ諸国とイスラエルが対立し、イスラエルがヨルダン川西岸やガザ地区・ゴラン高原・シナイ半島を占領したから
50
第三次中東戦争が起こる直前にイスラエルが占領した場所
ヨルダン川西岸 シナイ半島 ガザ地区 ゴラン高原
51
第三次中東戦争の結果
エジプトが大敗し、アラブ=ナショナリズムが大打撃を受けたことで、ムスリム同胞こようなイスラーム主義勢力が力を持つようになった
52
エジプトが第三次中東戦争で敗北し、アラブ=ナショナリズムが大打撃を受けたことで力を持つようになった勢力
ムスリム同胞
53
パレスチナ人が結成した反イスラエル武装組織
パレスチナ解放機構
54
パレスチナ解放機構の英語
PLO
55
パレスチナ解放機構の議長
アラファト
56
パレスチナ解放機構の第四次中東戦争の後の活動で当てはまっているもの
政治的な交渉を重視し、パレスチナ人唯一正当な代表としてアラブ連盟の正式加盟国となり、国際連合のオブザーバー資格も認められた
57
1973年に起こったエジプトとシリアvsイスラエルの戦争
第四次中東戦争
58
第四次中東戦争が起こった年
1973年
59
第四次中東戦争が起こった理由
エジプトとシリアがイスラエルに奇襲攻撃を行い始まった
60
第四次中東戦争の結果
イスラエルの勝利となるが、アラブ石油輸出国機構がエジプトとシリアを支援して製油戦略を発動、原油の生産の削減、西側諸国に対する石油の禁輸・輸出制限を実施した
61
アラブ石油輸出国機構の英語
OAPEC
62
アラブ石油輸出国機構が石油戦略を発動し、原油の生産の削減、西側諸国に対して禁輸したことで起こったこと
第一次オイルショック
63
第一次オイルショックが発生した理由
アラブ石油輸出国機構が石油戦略を発動し、原油の生産の削減、西側諸国に対する石油の禁輸・輸出制限を実施したから
64
アラブ石油輸出国機構が西側諸国へ禁輸した理由
イスラエルを支援する西側諸国は反アラブとされたから
65
石油危機の結果
西側諸国では、原油価格の高騰で大規模な企業の倒産や人員削減などが生じた 省エネルギー化が進展→量よりも質を重視する時代となった ハイテクノロジー化が加速し、情報産業が重要な産業部門となった 日本では高度経済成長期が終息→安定成長の時代となった
66
1975年に世界経済の混乱に対応するために開催されたもの
サミット
67
サミットが開催された年
1975年
68
1987年末から始まったイスラエルに抵抗するパレスチナ人の民衆蜂起
インティファーダ
69
1988年にパレスチナ国家の独立を宣言した機構
パレスチナ解放機構
70
パレスチナ解放機構がパレスチナ国家の独立を宣言した年
1988年
71
PLOのアラファト議長とイスラエルのラビン首相がクリントン大統領の仲介を受けて結んだもの
オスロ合意
72
オスロ合意を結んだ人
アラファトとラビン
73
オスロ合意を結んだ年
1993年
74
オスロ合意の仲介をした人
クリントン
75
オスロ合意後、交渉決裂した後どうなったか
インティファーダが再開し、イスラエル軍との衝突で多くの犠牲を出す
76
アメリカ軍をサウジアラビアに駐留させたことが原因である2001年9月11日に起こったテロ
同時多発テロ
77
同時多発テロの発生要因
湾岸戦争後も、サウジアラビアにアメリカ軍を駐留させていたから
78
同時多発テロが発生した年
2001年9月11日
79
同時多発テロを実行した組織
アルカーイダ
80
アルカーイダの指導者
ウサーマ=ビン=ラディーン
81
アメリカのブッシュ大統領がウサーマ=ビン=ラディーンがどこの保護下にあると考え攻撃したか
アフガニスタンのターリバーン政権
82
アフガニスタンのターリバーン政権を攻撃したアメリカの大統領
ブッシュ
83
イスラエルが、パレスチナ自治政府をテロ支援国家と見なして軍事侵攻した年
2002年
84
2002年のパレスチナ侵攻に対してパレスチナが作ったもの
分離壁
85
アメリカ対イスラームなど、人々を分断する不寛容な社会現象が生じた結果起こったこと
新たなテロを生み、世界各地にテロ事件が拡散した
86
2003年にアメリカがイラクに侵攻し、フセイン政権を打倒した戦争
イラク戦争
87
アメリカがイラク戦争で打倒した政権
フセイン政権
88
アメリカのイラク侵攻の結果
アメリカはイラクが大量兵器を保有していると見なしていたが、確認されず→対テロ戦争の正当性がゆるぎ、欧米の軍介入に対する反感が高まった。
89
アメリカかフセイン政権を打倒した結果イラクで起こったこと
イラクは、スンナ派とシーア派の内戦で無政府状態となった
90
アラブの春が原因で起こった内戦
シリア内戦
91
シリア内戦が起こった原因
アラブの春
92
シリア内戦が起こった年
2011年
93
シリア内戦の影響として当てはまらないもの
シリアで新たな政権が誕生するものの殆ど無政府状態でクウェートやサウジアラビアでも内戦が頻発している