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歴史 No.6
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  • 問題数 24 • 6/30/2024

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    問題一覧

  • 1

    1870年代に欧米諸国で深刻な不況が広がり、おりしも(  )が進行中。

    第2次産業革命

  • 2

    期間は1880年代〜第一次世界大戦(1914〜1918年)で、列強が熾烈な植民地獲得競争をしていた時代を「(  )の時代」という。

    帝国主義

  • 3

    帝国主義の時代で、19世紀末にイギリスは工業生産力で( ① )、( ② )に抜かれた。

    ドイツ, アメリカ

  • 4

    イギリスは、世界の工場から(  )へ変換し、ロンドンが国際金融の中心となった。

    世界の銀行

  • 5

    イギリスの最重要植民地は(  )である。 18世紀後半、ライバルのフランスに勝利して植民地化を進める。

    インド

  • 6

    工業製品を売る海外市場で、イギリス(英国)の安価な( ① )が大量に流れ込み、伝統的なインドの( ② )による産業は壊滅した。

    綿織物, 手工業

  • 7

    原料の供給地で、綿織物の原料である( ① )や、イギリスで人気の( ② )を安価に輸入

    綿花, 茶

  • 8

    資本の輸出先で、イギリスの大銀行が投資してインドに( ① )を敷設し、( ② )鉱山を経営。

    鉄道, ダイヤモンド

  • 9

    1857〜1859年に(  )が起き、インド人の反英感情が爆発し、鎮圧後、名目上のみのムガル帝国も滅亡した。

    インド大反乱

  • 10

    1877年に( ① )が成立し、ガンジス河口の( ② )を拠点にイギリスが直接統治した。

    インド帝国, カルカッタ

  • 11

    インド帝国で、インド皇帝はイギリスの(  )が兼任した。実際の統治はイギリスが派遣したインド総督と役人が行う。

    ヴィクトリア女王

  • 12

    19世紀後半からイギリスは「(  )への道」(海上交通路)を支配する帝国主義政策を展開した。

    インド

  • 13

    「インドへの道」のルート1(遠回り)で、15世紀末に(  )が開拓。大航海時代以来、欧州からインドへ直接向かう航路のメインである。

    ヴァスコ・ダ・ガマ

  • 14

    「インドへの道」のルート1(遠回り)で、 ( ① )の喜望峰を経由⋯拠点は( ② )

    南アフリカ, ケープタウン

  • 15

    「インドへの道」のルート1(遠回り)で、1815年にイギリスはアフリカ南端の( ① )植民地を( ② )から獲得し航路を確保した。

    ケープ, オランダ

  • 16

    ケープ植民地を獲得したことにより、オランダ系白人(ブール人)は(  )に移住して農場などを経営した。(沿岸部はイギリス、内陸部はブール人)

    内陸部

  • 17

    「インドへの道」のルート1(遠回り)で、1899年に(  )が開始した。 イギリスが仕掛けた典型的な帝国主義戦争。

    南アフリカ戦争

  • 18

    南アフリカ戦争で、ブール人がいる内陸部で( ① )、( ② )が発見されたことをきっかけにイギリスがブール人地域に侵攻した。ブール人のゲリラ戦に手を焼くも、イギリスが内陸部も征服し、1902年に( ③ )植民地完成した。

    ダイヤモンド, 金, 南アフリカ

  • 19

    「インドへの道」のルート2(近道)で、 ( ① )〜( ② )までの航路が42%も短縮した。

    リヴァプール, ボンベイ

  • 20

    「インドへの道」のルート2(近道)で、 エジプトの( ① )(地中海と紅海を結ぶ)を経由⋯拠点はナイル河口の( ② )である。

    スエズ運河, カイロ

  • 21

    「インドへの道」のルート2(近道)で、エジプトの(  )株式を買収。フランスが出資して1869年に完成するも財政難になる

    スエズ運河

  • 22

    「インドへの道」のルート2(近道)で、国内外の反対を押し切りイギリス(英国)首相の (  )(保守党)が実行し、運河の管理を名目に支配を強める

    ディズレーリ

  • 23

    「インドへの道」のルート2(近道)で、エジプト人の反英感情が爆発して起きた(  )運動を1881年に鎮圧し、エジプトを保護国化(軍事外交権はイギリスが握る)

    ウラービー

  • 24

    「インドへの道」のルート2(近道)で、エジプトと南アフリカを結んでアフリカ支配を広げる( ① )政策と、インドとインドに至る2つの航路を結んで植民地を広げる( ② )政策を展開した。

    アフリカ縦断, 3C