問題一覧
1
1870年代に欧米諸国で深刻な不況が広がり、おりしも( )が進行中。
第2次産業革命
2
期間は1880年代〜第一次世界大戦(1914〜1918年)で、列強が熾烈な植民地獲得競争をしていた時代を「( )の時代」という。
帝国主義
3
帝国主義の時代で、19世紀末にイギリスは工業生産力で( ① )、( ② )に抜かれた。
ドイツ, アメリカ
4
イギリスは、世界の工場から( )へ変換し、ロンドンが国際金融の中心となった。
世界の銀行
5
イギリスの最重要植民地は( )である。 18世紀後半、ライバルのフランスに勝利して植民地化を進める。
インド
6
工業製品を売る海外市場で、イギリス(英国)の安価な( ① )が大量に流れ込み、伝統的なインドの( ② )による産業は壊滅した。
綿織物, 手工業
7
原料の供給地で、綿織物の原料である( ① )や、イギリスで人気の( ② )を安価に輸入
綿花, 茶
8
資本の輸出先で、イギリスの大銀行が投資してインドに( ① )を敷設し、( ② )鉱山を経営。
鉄道, ダイヤモンド
9
1857〜1859年に( )が起き、インド人の反英感情が爆発し、鎮圧後、名目上のみのムガル帝国も滅亡した。
インド大反乱
10
1877年に( ① )が成立し、ガンジス河口の( ② )を拠点にイギリスが直接統治した。
インド帝国, カルカッタ
11
インド帝国で、インド皇帝はイギリスの( )が兼任した。実際の統治はイギリスが派遣したインド総督と役人が行う。
ヴィクトリア女王
12
19世紀後半からイギリスは「( )への道」(海上交通路)を支配する帝国主義政策を展開した。
インド
13
「インドへの道」のルート1(遠回り)で、15世紀末に( )が開拓。大航海時代以来、欧州からインドへ直接向かう航路のメインである。
ヴァスコ・ダ・ガマ
14
「インドへの道」のルート1(遠回り)で、 ( ① )の喜望峰を経由⋯拠点は( ② )
南アフリカ, ケープタウン
15
「インドへの道」のルート1(遠回り)で、1815年にイギリスはアフリカ南端の( ① )植民地を( ② )から獲得し航路を確保した。
ケープ, オランダ
16
ケープ植民地を獲得したことにより、オランダ系白人(ブール人)は( )に移住して農場などを経営した。(沿岸部はイギリス、内陸部はブール人)
内陸部
17
「インドへの道」のルート1(遠回り)で、1899年に( )が開始した。 イギリスが仕掛けた典型的な帝国主義戦争。
南アフリカ戦争
18
南アフリカ戦争で、ブール人がいる内陸部で( ① )、( ② )が発見されたことをきっかけにイギリスがブール人地域に侵攻した。ブール人のゲリラ戦に手を焼くも、イギリスが内陸部も征服し、1902年に( ③ )植民地完成した。
ダイヤモンド, 金, 南アフリカ
19
「インドへの道」のルート2(近道)で、 ( ① )〜( ② )までの航路が42%も短縮した。
リヴァプール, ボンベイ
20
「インドへの道」のルート2(近道)で、 エジプトの( ① )(地中海と紅海を結ぶ)を経由⋯拠点はナイル河口の( ② )である。
スエズ運河, カイロ
21
「インドへの道」のルート2(近道)で、エジプトの( )株式を買収。フランスが出資して1869年に完成するも財政難になる
スエズ運河
22
「インドへの道」のルート2(近道)で、国内外の反対を押し切りイギリス(英国)首相の ( )(保守党)が実行し、運河の管理を名目に支配を強める
ディズレーリ
23
「インドへの道」のルート2(近道)で、エジプト人の反英感情が爆発して起きた( )運動を1881年に鎮圧し、エジプトを保護国化(軍事外交権はイギリスが握る)
ウラービー
24
「インドへの道」のルート2(近道)で、エジプトと南アフリカを結んでアフリカ支配を広げる( ① )政策と、インドとインドに至る2つの航路を結んで植民地を広げる( ② )政策を展開した。
アフリカ縦断, 3C