問題一覧
1
日清戦争の敗北による危機感をいだいた(①)や(②)らの中国の岩手官僚や知識人は、日本の明治維新にならい(③)制への体制改革を主張
康有為, 梁啓超, 立憲君主
2
(①)らは、皇帝の(②)を動かし、1898年、中央政府の改革を断行((③))。
康有為, 光緒帝, 戊戌の変法
3
(①)の伯母にあたる(②)を中心とした保守派のクーデタにより(①)は幽閉され(③)は約100日間で失敗し、康有為や梁啓超は日本に亡命した((④))。
光緒帝, 西太后, 戊戌の変法, 戊戌の政変
4
華北の窮乏した民衆は、列強を象徴する(①)や鉄道を襲撃。
キリスト教会
5
山東省を中心に広まった(①)は、「②」を唱え排外運動を展開。
義和団, 扶清滅洋
6
1900年、(①)は北京にはいり(②)を包囲した。清の排外派も(①)を支持。
義和団, 外国公使館
7
列強は(①)連合軍を派遣し、(②)と清軍をやぶる。
8カ国, 義和団
8
清と列強諸国との間に(①)が結ばれる。
北京議定書
9
義和団事件後、清朝は(①)と呼ばれる近代化に着手→1905年に(②)を廃止、1908年には憲法大綱制定と(③)の公約
光緒新政, 科挙, 国会開設
10
日本へ留学する中国人学生の増加。中国各地に作られた学校へ赴任する日本人教師が増加。民本主義を唱えた(①)もその1人で教習と呼ばれた。
吉野作造
11
義和団事件後もロシアは撤兵せず、中国東北地方(満州)に駐留。→(①)や(②)への進出をはかる。
朝鮮, 華北
12
(①)はロシアの勢力拡大を危惧し、1902年、「②」を捨て日本と同盟を締結((③)) →(④)も日英同盟を支持。
イギリス, 栄光ある孤立, 日英同盟, アメリカ
13
日露の交渉は挫折し対立が明確化。→(①)年に日露戦争が勃発。
1904
14
日本は日本海戦などでロシアに連勝したが、戦争の長期化に耐えられる(①)はなかった。
国力
15
ロシアでは首都で起きた(①)事件など革命運動が頻発→アメリカ大統領(②)の調停で 日露戦争の講和条約である(③)が1905年に結ばれる。
血の日曜日, セオドア・ローズヴェルト, ポーツマス条約
16
(①)→日本は、朝鮮への(②)権、(③)半島南部の(④)権、(⑤)鉄道の(⑥)権、(⑦)の領有権を獲得。
ポーツマス条約, 監督, 遼東, 租借, 南満州, 利, 樺太(サハリン)南部
17
日清戦争後の朝鮮では、(①)一族がロシアに接近→日本側は(①)殺害事件を起こす。
閔妃
18
朝鮮は国号を(①)に改め、外国の干渉の排除を試みるが、宮廷内では親日派と親露派が対立。
大韓帝国
19
日本は日露戦争により(①)の朝鮮進出を阻止→3次にわたる(②)により韓国の保護国化をすすめる→韓国の民衆は(③)と呼ばれる反日闘争を展開。
ロシア, 日韓協約, 義兵闘争
20
1909年、満州の(①)で初代大統領統監の(②)が(③)により暗殺される。
ハルビン, 伊藤博文, 安重根
21
(①)年、日本は韓国を併合した。
1910
22
清朝打倒を目指す革命結社が各地に成立→ハワイで(①)が作った(②)など。
孫文, 興中会
23
日露戦争の日本勝利に刺激→東京で中国革命のための革命結社の大同団結→(①)を総理とする(②)が1905年に結成。
孫文, 中国同盟会
24
孫文は、(①)・(②)・(③)の安定からなる三民主義をかかげ、軍隊や民衆などの間に組織を拡大し、各地で挙兵した。
民族の独立, 民権の伸張, 民生
25
地方の郷紳は、清に国会の即時開催を求め、外国資本からの鉄道・鉱山の(①)運動を推進。
利権回収
26
1911年、清朝は、(①)を国有化し、外国資本による鉄道の敷説を計画→反対運動が(②)省で激化。
幹線鉄道, 四川
27
同年、10月10日、革命運動の影響を受けた軍隊が(①)で蜂起→各省は清からの独立を宣言した。
武昌
28
1912年1月、(①)を都とする中華民国が成立、孫文が臨時大統領に就任。 アジアで最初の共和国となるこの革命を(②)と呼ぶ。
南京, 辛亥革命
29
清の軍隊の実験を握る(①) は(②)の退位と引き替えに自らが大統領になることを存分に認めさせる。
袁世凱, 宣統帝
30
(①)は大統領になり、1915年、(②)を復活しようとするが果たせず、翌年に病死。
袁世凱, 帝政
31
(①)は北京で臨時大統領に就任(1912年3月)→主権在民を定めた(②)を無視→中国同盟会を改組した国民党の指導者(③)を暗殺。→孫文らは(①)に対し、1913年に挙兵するが失敗。
袁世凱, 臨時約法, 宋教仁
32
(①)死後の中国政府は、(②)(地方政権)が割拠する状態となる。
袁世凱, 軍閥
33
清は20世紀にはいり(①)支配を強化→漢人の移住や開墾を許可→(①)人の反清感情が高まる。
モンゴル
34
ロシア革命の影響で1921年(①)がモンゴル自民革命党を結成。
チョイバルサン
35
1924年、(①)の建国(アジアで最初の(②)国、都は((③)))。
モンゴル人民共和国, 社会主義, ウランバートル
36
1904年、(①)からチベットのラサにイギリス軍隊が進駐。
英領インド
37
清もラサに軍隊を進駐させ、チベットの(①)を維持。
宗主権
38
チベットの政治・宗教の最高指導者(①)は、辛亥革命が起こると、亡命先の(②)からラサに戻り、チベットの中国からの独立を宣言→中華民国政府は認めず対立が続く。
ダライ・ラマ13世, 英領インド
39
トルキスタン(住民の多くはムスリム)は清の(①)として間接統治→清は(②)省を設置して直接統治に切り替える。
藩部, 新疆
40
辛亥革命後、(①)は軍閥が支配→ロシア革命の影響や(②)族の反乱のために混乱がつづく。
新疆, ウイグル
41
(①)族の独立運動本格化→1933年(②)の建国(首都カシュガル)→内紛などにより半年で崩壊→新ソ連政策をとる軍閥が統治。
ウイグル, 東トルキスタン共和国
42
8カ国連合軍が中国に出兵したのは排外運動を起こした(①)が北京の外国公使館を包囲し清朝もこれに同意したためであった。 その排外運動のスローガンは(②)。
義和団, 扶清滅洋
43
8カ国連合軍が中国に出兵した理由
排外運動を起こした義和団が、北京の外国公使館を包囲し清朝もこれに同意したため
44
①8カ国連合軍出兵の結果、1901年に清と 列強諸国が結んだ条約をなんというか。 ②また、その条約で清の半植民地化を進めることになった内容をひとつかけ。
北京議定書, 外国軍隊の北京駐留
45
清と列強の条約締結後、出兵した外国軍は撤兵していったが、ある国の軍隊は撤兵せず満州に駐留した。ある国とはどこか。
ロシア
46
A.B.C.D
イギリス, 日本, ロシア, ドイツ
47
AとBは1902年にどのようなことを行ったか。
日英同盟を結んだ
48
名前を答えなさい。左①右②
韓国皇太子, 伊藤博文
49
伊藤博文が日本による韓国保護国化の過程でついた役職
韓国統監
50
日本による韓国保護国化どのようにして進められたのか説明しなさい。
3次にわたり日韓条約を結び、韓国の外交権、内政権を奪っていった
51
韓国民衆の反日戦争をなんというか。
義兵闘争
52
伊藤博文を暗殺したのは誰か。
安重根
53
伊藤博文が暗殺された翌年に韓国はどうなったか。
日本に併合された
54
あ~う
孫文, 宣統帝, 袁世凱
55
a~d
科挙, 四川, 武昌, 南京
56
下線部①について、中国同盟会の革命目標である三民主義の内容を3つ答えなさい。
民族の独立, 民権の伸張, 民生の安定
57
下線部②について、当時の清朝の皇帝の名前を答えなさい。
光緒帝
58
下線部③について、かつて1898年に国会開設を実現しようとした動きがあった。これを何とよんだか。またその中心となった若手官僚の名前は?
戊戌の変法, 康有為
59
年表中の1911年10月から1912年にかけての中国の体制改革をなんというか。
辛亥革命
60
辛亥革命の影響を受けて、清朝からの独立宣言をあげ、のち、ロシア革命の影響を受けてアジアで最初の社会主義国家が樹立されたのはどこか。
イ
61
辛亥革命の影響を受けて、ダライ・ラマ13世が独立を宣言したのはどこか。地図中の記号で答えなさい。
エ
62
ア~エ
黒竜江, 外蒙古, 新疆, チベット
63
左から順に国名。
イギリス, アメリカ, ロシア, 英領インド, ドイツ, フランス, オーストリア, イタリア, 日本
64
これ誰なん
西太后
65
1937年の(①)事件で中国軍と衝突した日本軍は、この条約によって駐屯していた。
盧溝橋
66
日本人の教師は(①)と呼ばれた。 民本主義を唱えた(②)もその1人であった。
教習, 吉野作造
67
北京議定書の内容2つ
清が多額の賠償金を支払うこと, 外国軍隊の北京駐留
68
義和団事件後、(①)の廃止(1905年)も行われ、憲法大綱の制定と(②)開設の公約(1908年)など、多くは日本の制度にならったものだった(③)。
科挙, 国会, 光緒新政
69
アメリカと日本は桂=(①)協定によって、日本の朝鮮での優越的地位と、フィリピンでのアメリカの優越的地位を相互に認めあった。
タフト
70
ポーツマス条約によって、日本は(①)への監督権、(②)の租借権、(③)の経営権、(④)の領有権を獲得した。
朝鮮, 遼東半島, 満鉄, 樺太南部
71
日清戦争後の朝鮮では、日本の干渉に反発した閔妃一族が(①)に接近した。日本は、外交官や守備隊の策謀による(②)事件(1895年)をおこし、新日政権を樹立させた。
ロシア, 閔妃殺害
72
(①)事件・・・ハーグの万国平和主義(第2回)に密使を送り国際世論に訴えようとした。
ハーグ密使