問題一覧
1
1942年におこった約半年に渡ったソ連とドイツの戦い
スターリングラード攻防戦
2
独ソ戦にてソ連の戦局が優勢に転じた戦い
スターリングラード攻防戦
3
1943年5月にソ連が解散したもの
コミンテルン
4
ソ連はコミンテルンを解散し、何をしたか
英米と協力体制を構築した
5
コミンテルンを解散した年
1943年5月
6
1943年7月に連合国が上陸した島
シチリア島
7
連合国がシチリア島に上陸した年
1943年7月
8
イタリアが無条件降伏をした年
1943年9月
9
ドイツが行ったユダヤ人を数百万人虐殺したこと
ホロコースト
10
ユダヤ人を収容するためにつくられたオシフィエンチム市にあった強制収容所
アウシュヴィッツ
11
対伊作戦を行い、枢軸国にたいする無条件降伏の原則を確認した会談
カサブランカ会談
12
ファシズムの打倒をめざし、戦後の平和構想をつくった会談
大西洋上会談
13
対日戦争方針を明確化、対日領土問題、朝鮮の独立、日本の無条件降伏まで戦うことを話した会談
カイロ会談
14
対独戦争の方針(北フランス上陸作戦)を確認した会談
テヘラン会談
15
国際連合設立の原則と具体策の作成をした会談
ダンバートンオークス会議
16
対独戦争処理問題、国際連合設立問題、ヤルタ協定でソ連の対日参戦と南樺太、千島列島領有を英米が了承した会談
ヤルタ会談
17
ヨーロッパの戦後処理、日本軍への無条件降伏の勧告、戦後処理を話した会談
ポツダム会談
18
大西洋上会談の出席者
ローズベルト チャーチル
19
カサブランカ会談の出席者
ローズベルト チャーチル
20
カイロ会談の出席者
ローズベルト チャーチル 蒋介石
21
テヘラン会談の出席者
ローズベルト チャーチル スターリン
22
ダンバートンオークス会議の出席者
ローズベルト チャーチル 蒋介石 スターリン
23
ヤルタ会談の出席者
ローズベルト チャーチル スターリン
24
ポツダム会談の出席者
トルーマン アトリー スターリン
25
テヘラン会談の対独方針により、上陸したところ
ノルマンディー
26
ヴィシー政権が崩壊した年
1944年8月
27
ド・ゴール政権が新政権の座についた年
1944年9月
28
ドイツが降伏した年
1945年5月
29
アメリカ軍が日本本土への爆撃である空襲を開始した年
1944年11月
30
1945年3月に東京へ焼夷弾爆撃が行われたこと
東京大空襲
31
アメリカ軍が沖縄へ上陸し、上陸戦が行われたこと
沖縄戦
32
沖縄戦で敗北した結果発生してしまったこと
集団自決事件の発生
33
ポツダム宣言が発せられた年
1945年7月
34
広島に原爆が落とされた年
1945年8月6日
35
長崎に原爆が落とされた年
1945年8月9日
36
広島に落とされた原爆の名前
リトルボーイ
37
長崎に落とされた原爆の名前
ファットマン
38
1945年8月14年の御前会議で決めたこと
ポツダム宣言を受託する
39
終戦の詔勅のラジオ放送の名前
玉音放送
40
玉音放送後にも日本人の犠牲者が増えていた理由
ソ連が満州や樺太へ侵攻していたから
41
降伏文書調印を行った年
1945年9月2日
42
第二次世界大戦後のヨーロッパ諸国の影響力が著しく低下した理由
ドイツやイタリアと連合国との戦争でヨーロッパ地域が主戦場となったから
43
第二次世界大戦後の影響力が高かった国として当てはまるもの
アメリカ ソ連
44
第二次世界大戦の構図として当てはまるもの
枢軸国VS連合国
45
第二次世界大戦後のアジア、アフリカの植民地として当てはまるもの
アジア、アフリカの現地の人々に戦後に向けての独立の展望を大きく切り開いた
46
ギリシャで発生した王党派と共産党の支持者の内戦に対して1947年にアメリカが介入し、共産化を防ぐため封じ込め政策を宣言したこと
トルーマン=ドクトリン
47
トルーマン=ドクトリンの内容
ギリシャで発生した王道派と共産党の内戦に対し、1947年にアメリカが介入し、共産化を防ぐため封じ込め政策を宣言した
48
アメリカがトルーマン=ドクトリンを発表した年
1947年
49
ヨーロッパの荒廃、社会格差拡大による共産主義勢力の伸張の懸念から、アメリカ国務長官のマーシャルが発表したもの
マーシャル=プラン
50
マーシャル=プランの内容
ヨーロッパの荒廃、社会格差拡大による共産主義勢力の伸張への懸念から、アメリカ合衆国国務長官のマーシャルが発表した
51
共産党支持が広がった国として当てはまるもの
フランス イタリア
52
ソ連が自陣営引き締めのために設置したもの
コミンフォルム
53
コミンフォルムを設置した理由
自陣営引き締めのためやマーシャル=プランを否定するため
54
大統領ベネジュのマーシャル=プラン受け入れを撤回させ、ベネジュを辞任に追い込んだこと
チェコスロバキア=クーデター
55
チェコスロバキア=クーデターの内容
大統領ベネジュのマーシャル=プラン受け入れを撤回させ、ベネジュを辞任に追い込んだ
56
東ヨーロッパ諸国で導入された形式上は複数政党制を残すが、ソ連と同様の共産主義政党が独裁体制を確立したこと
人民民主主義体制
57
人民民主主義体制の内容
形式上は複数政党制を残すが、ソ連と同様の共産主義政党が独裁体制を確立した
58
ソ連の人民民主主義体制に対してソ連の圧力を批判したユーゴスラビアの大統領
チトー
59
チトー率いるユーゴスラビアがソ連の圧力を批判した結果おこったこと
コミンフォルムから除名され、ユーゴスラビアは独自の社会主義路線へゆく
60
ドイツの分割占領において、行われた改革
東側→土地改革 西側→通貨改革
61
アメリカやイギリスが西ドイツに独自の政権をたてる動きを見せたことでスターリンが行ったこと
西ベルリンを封鎖した
62
スターリンが西ベルリンを封鎖した年
1948年6月
63
スターリンの西ベルリン封鎖に対してアメリカやイギリスが行ったこと
西ベルリンへの空輸作戦で対抗した
64
西ベルリンの封鎖が解除された年
1949年
65
ソ連がマーシャル=プランとブレトン=ウッズ国際経済体制に対抗するために1949年、社会主義国間だけの経済協力会議を築いたこと
経済相互援助会議
66
経済相互援助会議の内容
ソ連がマーシャル=プランとブレトン=ウッズ国際経済体制に対抗するために1949年、社会主義国家間だけの経済協力会議を築いた
67
ドイツ分断の固定化において西側占領区と東側占領区での名前
東→ドイツ民主共和国 西→ドイツ連邦共和国
68
冷戦の対立関係として当てはまるもの
資本主義陣営VS社会主義陣営
69
冷戦と言われている理由
アメリカとソ連の直接の軍事衝突になっていないから
70
冷戦が起こった背景として当てはまるもの
第二次世界大戦でヨーロッパ諸国が弱体化し、アメリカとソ連が二大主要国となり、資本主義と社会主義のどちらが人類を幸福な未来に導けるのかという単なる勢力圏争いではない世界観の対立によって起こった