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日本史 5−1
  • 車田ほのか

  • 問題数 41 • 11/29/2023

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  • 1

    11世紀後半には、豪族や(  )として勢力を伸ばした武士が、貴族や大寺者と結んで私領を拡大していった。

    開発領主

  • 2

    11C後半 東日本=反乱を契機に源氏の武士が(①)に勢力拡大 九州=(②)の窓口である(③)周辺に大寺社や上級貴族が進出

    奥州, 日宋貿易, 博多

  • 3

    1068年に即位した(①)天皇は、(②)氏を外戚としない天皇として、摂関を置かずに170年ぶりに親政を行った。

    後三条, 藤原

  • 4

    後三条天皇の治世である(①)年に発令された(②)の荘園整理令では、荘園の証拠書類の審査を行う(③)を設置し、貴族や寺社の荘園所有を厳しく取り締まった。

    1069, 延久, 記録荘園券契所

  • 5

    (  ):中央の太政官に設置。職員である寄人が荘園の証拠書類である券契を審査し、不十分なものや国務を妨げると判断された荘園を停止した。

    記録荘園券契所

  • 6

    記録荘園券契所:中央の(①)に設置。職員である(②)が荘園の証拠書類である(③)を審査し、不十分なものや国務を妨げると判断された荘園を停止した。

    太政官, 寄人, 券契

  • 7

    記録荘園券契所の職員である(①)には、反摂関家の(②)や、学者の(③)が起用された。

    寄人, 源経長, 大江匡房

  • 8

    (  ):延久の荘園整理令の発令時に制定された枡。大きさを統一したことで、その土地から収穫できる量を正確に測ることができるようになった。これは鎌倉時代まで使用された。

    宣旨枡

  • 9

    延久の荘園整理令では、(①元号+算用数字)年(=②西暦)以降に新立された荘園を停止し、それ以前でも券契が不十分で国務を妨げると判断した荘園を停止した。

    寛徳2, 1045

  • 10

    延久の荘園整理令では、摂関家や寺社も例外なく荘園証拠文書の提出を要求したため、多くの荘園が停止して没収されて公領に再編された。その代表例として、(  )の荘園は、34ヶ所のうち13ヶ所の権利が停止された。

    石清水八幡宮

  • 11

    石清水八幡宮の荘園:延久の荘園整理令の際に(①)ヶ所中(②)ヶ所の権利が停止された。

    34, 13

  • 12

    (  ):荘園と公領が並立する土地領有体制

    荘園公領制

  • 13

    荘園公領制は、(  )によって貴族・寺社が支配する荘園と、国司が支配する公領との区別が明確化したことによって成立した。

    荘園の整理

  • 14

    公領の構造は、以前は(①)>(②)>(③)だったが、平安中期以降は単位を再編成し、規模の大きいものから(④)・(⑤)・(⑥)となった。

    国, 郡, 里, 郡, 郷, 保

  • 15

    平安中期以降に公領の単位を再編してからは、開発領主を新たに(①)・(②)・(③)に任命して徴税を請け負わせるようになった。

    郡司, 郷司, 保司

  • 16

    (  ):国司が税を徴収する田地のこと。平安中期以降は、国家の土地であるはずの(  )が国司の私領化して行った

    国衙領

  • 17

    郡司や郷司を世襲するようになった開発領主は(  )へと出世した。

    在庁官人

  • 18

    荘園と公領の同質化について、次の①〜⑦に当てはまるものを答えよ。 ただし、①と②では①の方が上級の領主とする。

    本家, 領家, 国司, 荘官, 在庁官人, 名主, 名主

  • 19

    荘園を管理する(①)と、公領を管理する(②)はどちらも元は(③)であり、国司との関係が良好だったか否かで変わっている。

    荘官, 在庁官人, 開発領主

  • 20

    荘園と公領の耕地はいずれも(①)として(②)に割り当てられ、②は(③)・(④)などの農民に耕作させながら、(⑤)・(⑥)・(⑦)などを納入

    名, 名主, 下人, 作人, 年貢, 公事, 夫役

  • 21

    (①):米・絹布などを納入 (②):糸・炭・野菜など手工業製品や特産物を納入 (③):労役の奉仕

    年貢, 公事, 夫役

  • 22

    (①):国家的諸行事の費用に充てるため、国内の荘園・公領を問わずに課税された臨時雑役。 →南北朝時代以降は(②)と呼ばれる。

    一国平均役, 段銭

  • 23

    (①)年に後三条天皇の子である(②)上皇が(③)天皇に譲位し、自身は天皇後見人として政治の実権と人事権を掌握した。 =院政の始まり

    1086, 白河, 堀河

  • 24

    白河院政=(①)→(②)→(③)の43年間続いた

    堀河, 鳥羽, 崇徳

  • 25

    鳥羽院政:(①)→(②)→(③)の27年間続いた。

    崇徳, 近衛, 後白河

  • 26

    後白河院制:(①)→(②)→(③)→(④)→(⑤)の約30年間続いた。

    二条, 六条, 高倉, 安徳, 後鳥羽

  • 27

    (  ):院政を行う上皇を政務をとる君主という意味でこう呼ぶ。

    治天の君

  • 28

    次のうち、治天の君となったことのある人物を全て選べ

    白河, 鳥羽, 後白河

  • 29

    (  ):1051〜1062年。陸奥国の豪族である安倍頼時と国司の間で起こった反乱。源頼義と子の源義家が朝廷の命で陸奥守となり東国へ下向して、出羽国の豪族である清原武則の援助を得て平定した。

    前九年の役

  • 30

    前九年の役:(①)〜(②)年。陸奥国の豪族である(③)と国司の間で起こった反乱。(④)と子の(⑤)が朝廷の命で陸奥守となり東国へ下向して、出羽国の豪族である(⑥)の援助を得て平定した。

    1051, 1062, 安倍頼時, 源頼義, 源義家, 清原武則

  • 31

    前九年の役を経て、東北地方の勢力は(①)氏から(②)へと変化した。

    安倍, 清原

  • 32

    (  ):1083〜87年。清原氏一族の家督をめぐる争い。源義家が介入して清原清衡を助け、清原氏を金沢柵に滅ぼした。

    後三年の役

  • 33

    後三年の役:(①)〜1087年。清原氏一族の家督をめぐる争い。(②)が介入して清原(③)(=藤原③)を助け、清原一族を(④)に滅ぼした。

    1083, 源義家, 清衡, 金沢柵

  • 34

    前九年の役・後三年の役を通して、院は(  )の勢力を認識するようになった。

    武士

  • 35

    (  ):院政期に使用された院の政務機関

    院庁

  • 36

    (①):上皇からの命令で、院より直接下達される私的文書 (②):院庁から下達される公的文書

    院宣, 院庁下文

  • 37

    (①):院の警備のために(②)天皇が設置。

    北面の武士, 白河

  • 38

    (  ):出家して仏教を保護した上皇のこと。

    法皇

  • 39

    院政期には、法皇が登場し、寺院の建設など多額の費用が必要となった →費用調達のために(①)などの(②)・(③)が横行する

    成功, 売位, 売官

  • 40

    六勝寺について、それぞれを人物が建立した寺院を答えよ。

    法勝寺, 尊勝寺, 最勝寺, 円勝寺, 成勝寺, 延勝寺

  • 41

    六勝寺について、それぞれの寺院を建立した人物を選べ。

    白河天皇, 堀河天皇, 鳥羽天皇, 待賢門院, 崇徳天皇, 近衛天皇