問題一覧
1
主権国家体制の元、ヨーロッパでは戦争が頻発し、各国が争ったが( )により転機となった。この戦争では、( )は、ヨーロッパで( )とその同盟国に勝利し、北アメリカ大陸やインドでは領土を拡大して広大な帝国を築いた
七年戦争, イギリス, フランス
2
( )後、イギリスは( )から ( )を輸入して一部を、アメリカ大陸に再輸出するルートを確保し、さらに産業革命以降には( )に( )製品を輸出し、その地で栽培された( )を中国に輸出するルートを加え、アジア地域を「( )」のうちに本格的に組み込むようになった。
七年戦争, 中国, 茶, インド, 綿工業, アヘン, 世界の一体化
3
18から19世紀の西洋世界において、( )革命と( )革命及び( )のヨーロッパ支配により大きな変化を体験
アメリカ独立, フランス, ナポレオン
4
七年戦争後( )は、本国の3分の1の経済規模に成長。
イギリス
5
七年戦争後の財政赤字に対応するため、本国政府が植民地に直接に課税する形の( )が導入され、植民地は本国会議に議員を送っていなかったため、(「 」)というスローガンを掲げた
印紙法, 代表なくして課税なし
6
風は撤回されたが、対立は続き、本国が重要な貿易にだった中国茶の販売権を東印度会社に独占させると1部の植民地の人々は、運び込まれた茶を船から強奪し、港に廃棄した ( )があった。
ボストン茶会事件
7
これに対して、本国政府が港軍事封鎖する強硬姿勢に出たため、植民地側は各植民地の代表からなる( )を設置して抗議した。
大陸会議
8
1775年に偶発的に戦闘が始まると、植民地側は翌年、1776年に( )を発し、連合軍を組織して、( )を総司令官に任じた。
独立宣言, ワシントン
9
独立戦争は長期化したが、フランスやスペイン、オランダからの援軍やロシアやスウェーデンがイギリス海軍の活動に抵抗する動きを見せたこともあって、イギリスは孤立し、植民地が勝利し、1783年に( )として独立が承認され、イギリス国王との絆を断って、共和制を発足させた。
アメリカ合衆国
10
独立宣言は、すべての人間が神によって平等に作られ、( )( )( )などの譲ることのできない権利を持つこととした
生命, 自由, 幸福の追求
11
アメリカ合衆国は、独立の信念に基づいて、憲法を制定し、世界で初めての( )となった
大統領制国家
12
( )とは、( )、( )、司法に分かれている。
三権分立, 立法, 行政
13
ヨークタウンの戦い、この戦いで、( )軍が降伏したことが、( )戦争を実質的に終結させた。
イギリス, アメリカ独立
14
各国の権力と中央政府の権力が分立する ( )を樹立した。
連邦制
15
国王( )は、聖職者や貴族などの免税特権を持つ身分にも課税して赤字に対処しようとしたが、彼らが抵抗したため、全国議会( )を約170年ぶりに開催することで、自体の解消を図った
ルイ16世, 三部会
16
ところが、1789年に3部会が開催されると、平民身分のうち富裕層である。ブルジョアジー出身の議員が自らを真の国民の代表であると宣言し、独自の議会を設置した。国王はこれを鎮圧しようとしたが、民衆蜂起 ( )が起こったため、国王や特権身分を譲歩して審議会が承認された。
バスティーユ牢獄の襲撃
17
新議会は同年に( )を発し、国民主権、人間の自由法や権利における平等、市有財産の不可侵などを理想を掲げた。
人権宣言
18
共和制の成立 革命政府は当初規制しルイ16世を廃棄・処刑、王妃( )も処刑される。 その後、( )を始め、( )を導入して軍事力を強化し、戦争遂行のために経済を統制しつつ、政府の施策に反対するものを弾圧・処刑する( )を展開した
マリ=アントワネット, 第一共和制, 徴兵制, 恐怖政治
19
イタリア遠征やエジプト遠征を得ていた ( )は、クーデターで新政府の樹立を認めさせ、新憲法を定めて、革命の終結を宣言しつつ、実質的な独裁権力を握った。
ナポレオン=ボナパルト
20
その後、ナポレオンは1804年に国民投票で ( )通して即位し、フランスは訂正に帝政に移行した。なおナポレオンは内政にも力を注ぎ、同年に( )を交付し、人権宣言で理想として、掲げられた原則を法で現実化した。
皇帝ナポレオン1世, 民法典
21
ナポレオンは最後に残った。イギリスに対して上陸戦争を計画したが、回戦で敗れたため、経済的に服従させる方針に転換し、大陸諸国にイギリスとの貿易を禁じた( )を行なった。
大陸封鎖令
22
しかし、ヨーロッパ外部に広大な市場を持っていたイギリスへの効果は小さく、むしろイギリスに原料を輸出していた大陸諸国が苦しみ、ロシアなどは封鎖令を無視した。ナポレオンは大軍を率いて( )したが、退廃して、権力の柱である軍事力を失った
ロシア遠征
23
翌年、戦争の混乱に乗じた、ナポレオンは再び皇帝の座をつくが( )、諸国の同盟軍に ( )で敗れて、流刑となって死去した。
百日天下, ワーテルローの戦い