問題一覧
1
13世紀はじめ、ゴール朝の将軍(①)が、(②)とよばれるインドで最初のイスラーム王朝を建設した。 その後デリーを首都とする4つの王朝がつづくが、これら5つの王朝を(③)と総称する。
アイバク, 奴隷王朝, デリー・スルタン朝
2
ベトナムでは、13世紀に李朝から(④)に代わり、このころベトナム独自の文字(⑤)がつくられた。
陣朝, チューノム
3
南宋時代までに中国商人のダウ船が、マラッカ海峡をこえて南インドの諸港市を訪れるようになった。
✕
4
アラビア語とバントゥー系言語が混交して東アフリカ沿岸の共通語スワヒリ語が形成されたが、スワヒリ語は現在では使用されていない。
✕
5
カンボジアでは9世紀以来(⑥)がサバナ平原の農業開拓に成功して強大化し, (⑦)を建設した。
ア ⑥クメール王国 ⑦アンコール・トム
6
15世紀に成立したモノモタパ王国は、(⑧)や象牙、奴隷などを輸出するインド洋交易で繁栄した。
イ 金
7
胡椒はインド原産だが、13世末にはジャワ島で栽培できるようになり、15世紀までにスマトラ島にまで栽培地域が拡大した。
○
8
北インドの地域語にペルシャ語の語彙をとりいれた(①)の文学作 1 品が書かれるようになったころ、カビールは(②)や不可触民への差別を批判した。
ウルドゥー語, カースト
9
ポルトガルの航海王子(③)の死後、(④)は喜望峰の到達し、ヴァスコ・ダ・ガマはインドの(⑤)にたどりついた。
エンリク, バルトロメウ・ディアス, カリカット
10
14世紀には寒冷期が終わり、北半球を中心に温暖化が進み,自然災害や疫病が流行した。
✕
11
豊臣秀吉の朝鮮侵略により日本と朝鮮の国交が途絶え,それが回復したのは第二次世界大戦後のことである。
✕
12
明代の鄭和は、(⑥ ) を根拠地として、アフリカの ( ⑦ ) 海岸を含む沿岸諸国に朝貢を促した。
ウ ⑥マラッカ王国 ⑦東
13
1521年(① ) はアステカ王国を滅ぼし,1533 年にピサロはペルーの ( ② ) 帝国を滅ぼした。
コルテス, インカ
14
オランダ東インド会社は,1619 年に ( 3 ) に要塞をきずいて根拠地とし,1623年の ( 4 ) 事件で ( ⑤ ) の勢力を駆逐した。
バタヴィア, アンボイナ, イギリス
15
ヨーロッパ勢力のアジア・アメリカへの進出により、大量の銀が流入し、物価が騰貴する価格革命がおこった。
○
16
14 世紀中ごろおこったアユタヤ王国は、内陸の物産をタイランド湾沿岸に集め、これを中国や琉球に供給して発展した。
○
17
ラテンアメリカの植民地では、植民地生まれの白人は (⑥),白人と先住民との混血は(⑦)とよばれ、本国人よりも低い社会的階層とされた。
エ ⑥ クリオーリョ ⑦ メスティソ
18
大交易時代におこった商業革命とは, (⑧) である。
イ 国際商業の中心地が大西洋沿岸になったこと
19
スマトラ島北部に位置するアチェは、インドネシア独立後は大幅な自治を認められた特別州となった。
○
20
オスマン帝国は ( ① ) の死後,1839年に ( ② ) を発し (③)とよばれる広範囲に及ぶ一連の改革に着手した。
マフムト2世, ギュルハネ勅令, タンジマート
21
ムガル帝国滅亡後, イギリスは ( 4 ) を解散させ, 1877 年 (⑤)を皇帝とするインド帝国を成立させた。
東インド社会, ヴィクトリア女王
22
ナポレオン戦争後に解禁されたイギリスからの機械と技術の輸出は,ア メリカやドイツで工業化を促した。
✕
23
アダム・スミスの自由主義の経済の思想は、マルサスやリカードにも受け つがれて、今日の経済学の原型となった。
○
24
19世紀半ばにいたるまで、多くの国では (⑥) 制をとっていたが、1870年代以降になると金本位制へと移行し,通 貨(⑦)が基軸通貨となった。
ア ⑥金銀両本位制 ⑦ポンド
25
イギリスがマカートニーやアマーストを清に派遣した理由は (⑧) である。
イ 貿易の拡大
26
スーダンの ( ① ) は 1885年にイギリスの ( ② ) を敗死させ,(③)は1896年にイタリア軍をアドワの戦いでやぶった。
マフディー国家, ゴードン, エチオピア
27
フランス植民地下のベトナムでは ( 4 ) が 1904 年に組織した維新 会が中心となって日本に留学をすすめる ( 5 ) 運動が展開された。
ファン・ボイ・チャウ, ドンズー
28
帝国主義は「先進的なヨーロッパには遅れた社会の人々を文明化する 義務がある」という「文明化の使命」によって正当化された。
○
29
独占資本の形成は,先進工業国として台頭したイギリスやフランスで特 に顕著であった。
✕
30
19世紀のオスマン帝国では, (⑥) 産業が、ヨーロッパ向けの生産で活況を呈し、しばしば (⑦) を安価な労 働力として用いることによって支えられた。
ウ⑥ 絨毯⑦ 女性
31
第2次バルカン戦争は ( ⑧ ) をめぐる問題からおきたものである。
エ 割譲された領土
32
この会議では、アフリカにはさまざまな民族や国が支配する土地があるという事実を無視して「無主の地」とみなして、その 土地に一番地理的に近いヨーロッパの国が領有できるとする「先占権」の原則を承認した。
✕
33
( ① ) の弟を名乗る洪秀全は宗教結社 ( ② ) の指導者であ り, 1851年に反乱をおこして ( ③)を建てた。
イエス, 上帝会, 太平天国
34
清王朝の打倒をめざす革命諸派は 1905 年に東京で合同して (④ ) を組織し, (⑤)がその代表となった。
中国同盟会, 孫文
35
アメリカ横断鉄道の鉄道開通工事では,多くのアフリカからの移民がた ずさわり、鉄道開通に大いに貢献した。
✕
36
トマス・クック社はロンドン・オリンピックの時に個人旅行を手がけて成功 し、以後,旅行が庶民の娯楽になっていった。
✕
37
日清戦争後,日本などを模した立憲君主制の樹立を求める動きで ある (6) が生じ、科学改革,学校教育の普及,行政改革などを 実施しようとする(⑦) がおこったが、失敗した。
イ⑥ 変法自強 ⑦ 戊戌の変法
38
梁啓超は『中国史叙論』で、「最も漸愧にたえないのはわが国に (⑧) ということである」と述べた。
エ 国名がない
39
1884 年清との関係を重んじる金玉均は,1884年に日本の支持を背景に、甲申事変をおこしたが、袁世凱が率い る清軍に鎮圧された。
✕