問題一覧
1
第一症例の診断名、副病名、診断の根拠を述べよ。
主病名は晩発性アルツハイマー病型認知症。副病名はなし。診断の根拠は物取られ妄想や遂行機能障害、短期記憶障害を認め、画像検査で海馬領域を含む側頭葉内側や頭頂葉の萎縮を認めたことから晩発性アルツハイマー病型認知症と診断しました。
2
第一症例の入院に至った経緯を説明せよ
症例は高齢で独居の女性の方です。入院の2年前に親族が亡くなったことを機に同じ話を繰り返したり、娘や孫に頻回に電話をかけたりするようになる等の行動が見られ、また同時期に物取られ妄想も確認されたことからクリニックを受信しました。そちらでアルツハイマー病型認知症の診断を受け薬物治療が開始され症状が一時的に改善されたのですが、友人が亡くなったことを機に再び症状が再燃し大声を上げる、短期記憶障害や遂行機能障害を認め、自宅での生活が困難となったため、当院を受診しました。診察にて物取られ妄想、を確認し頭部CTで海馬領域を含む側頭葉内側や頭頂葉の萎縮を認めたため晩発性アルツハイマー病型認知症の診断とし、入院の必要性について説明を行いましたが、本人は病識がなく現実検討能力は著しく低下していたため精神保健指定医の診察にて医療保護入院が適切と判断され、医療保護入院となりました。
3
第一症例の入院後の経過で使用した薬剤とどんな指導を受けたか説明せよ。
ルラシドン。本人は糖尿病があり、また高齢であるため転倒リスクも高い方であったため、指導医とも話し合い、鎮静効果が比較的少ないルラシドンを使用しました。クエチアピン等、容量調整が行いやすい薬も検討しましたが、糖尿病があるため使用はできませんでした。
4
第一症例の本人との関わり方について説明せよ
本人の自尊心に配慮しつつ、回想療法を取り入れ本人の生活史の話を聞くように対応しました。本人は自身の幼少期の話は細かに話すことが出来るのですが、自身の娘や孫の話になるとあまり言葉が出ていない印象でした。本人の話では食べるものがなかったこと、近くに海があり、海でよく泳いでいたこと、身体が丈夫でマラリアが流行したが、私は罹らなかった等の話をされていました。
5
第一症例の本人の変化について答えよ
入院当初は部屋に籠ることが多く自室の物が無くなっていると話し物取られ妄想を認めました。しかしルラシドンの効果が出始めてからは、徐々に部屋から出るようになり、ホールで過ごすことが多くなりました。作業療法にも積極的に参加するようになり、主に編み物をして過ごしていました。
6
第一症例に関して本人の治療に関わった人とのやり取りを説明せよ
主に作業療法士や理学療法士と共に本人の日中活動を促進するようなやり取りを行うようにしました。
7
第一症例の本人の退院にあたり関った人とのやり取りについて説明せよ。
娘や孫といった家族、訪問看護師、当院のデイケア職員と退院後の生活環境について話あった。退院にあたり、本人や孫から同居したいとの希望があったため、同居の方針としました。また日中の活動促進のためにデイサービスを提案しましたが、慣れない環境では継続して通所するのは難しいとの孫の意見があったため、当院施設内にあるデイケアへの通所を調整しました。見学当初は本人はあまり乗り気ではなかったのですが、本人が興味を持ちそうな、菜園や料理といった活動を見学してもらい、それによりデイケアへの興味が出てきたことから通所の調整を行うことが出来た。
8
第一症例で困ったことは何か
薬の選択で困りました。糖尿病があり、また高齢であるため、転倒のリスクを考慮するとかなり選択が狭まるため、出来るだけ鎮静がかからずに本人の妄想に対して効果のある薬を考えた所、ルラシドンという選択になりました。
9
第一症例で恐らく聞かれるであろう質問
長谷川式で23点と高得点を出しているが認知症の診断をつけて良いか。 本人は日々計算問題に取り組んでいたりクロスワードパズルを行ったり、また一人暮らしをしていた際にバレーボールや卓球などを嗜み、他者と交流を持つことが多かった事から脳の機能が維持されていたと考えられる。
10
第一症例の外来経過について
入院中にデイケアや訪問看護の調整を行なった結果、孫宅で内服を安定して服用することが出来、日中はデイケアに通所し、特に物取られ妄想や大声を出すといった迷惑行為は認めなかった。(もし何かいうとすれば、外来中に介護の面で)
11
第二症例について診断名、副病名、診断の根拠について説明せよ。
アルコール使用によるせん妄を伴う離脱状態。副病名アルコール使用による依存症候群。肝硬変を来す程の飲酒があり、一時的に飲酒を辞めた後から不眠、手指振戦、精神運動障害が出現し、入院時の診察でも幻視を疑うような行動を認めた点からアルコール使用によるせん妄を伴う離脱状態と診断した。
12
第二症例について入院に至った経緯について説明せよ。
アルコール性肝硬変に罹患するほどの飲酒を続けていた方が体調不良により突然飲酒出来なくなり、そこから包丁で自身を傷つける行為や手指振戦といった症状が出現し、緊急性の高い身体疾患も見受けられなかったためアルコールによる精神疾患が疑われ、当院受診となった。診察時には、幻視を疑うような行動を認め、手指振戦、焦燥感を認めたことからこれまでの経過を踏まえ、アルコール使用によるせん妄を伴う離脱状態と診断し、入院が必要と判断されたが、本人はせん妄による意識障害のため同意できる状態になく、指定医の診察の結果、医療保護入院としましたが告知に際し、母親は告知を理解出来るものの本人は意識障害をきたしていたため告知を延期とした。
13
第二症例について入院後の経過で隔離後の経過について述べよ。
隔離を実施。ロラぜパム1.5mgによる薬物治療を行いました。その後、自傷行為について改善が得られたため指定医と協議し隔離を解除し、意識障害の改善も得られたため、指定医が本人や同意を行った母に対して医療保護入院に関する事項を口頭と書面で告知しました。
14
第二症例で使用した薬剤とどんな指導を受けたかについて説明せよ。
ロラぜパムとアカンプロサートを使用。アルコール性肝硬変であるためできる限り、肝臓への負担をかけないような薬剤の選択を行なった。 まずはラポール形成を行い、本人が飲酒を行わないといけない理由等を確認していく方針としていました。しかし本人は否認が強かったため、主治医1人ではなく、多職種で関わるように話し合った。
15
第二症例で本人との関わり方についてどうであったか説明せよ。
本人の気持ちに配慮しつつ、飲酒を大量に行なった経緯について確認した。また看護師や心理士等、多職種と連携し疾患教育を行い断酒に向けての動機づけを行った。
16
第二症例について本人の変化について説明せよ
入院当初は否認が強く、治療に対してもあまり積極的ではなかったが看護師や心理士と協力して疾患教育を行い、その中で頭部CT画像を見せ、飲酒が今後続くようであれば肝臓だけではなく、脳への影響も出てくること説明したところ、本人の治療に対する意欲が上がり、アカンプロサートの内服に繋がった。
17
第二症例で本人の治療にあたり関わった人とのやり取りについて説明せよ。
看護師や心理士等、多職種と連携し、疾患教育を行なった。
18
第二症例に関して本人の退院にあたり関わった人とのやりとりについて説明せよ。
家族、訪問看護師、グループホーム職員、就労継続支援事業所職員と退院後の生活について、話を行った。本人の飲酒が母親から叱責を受けることによるストレスが原因の1つであったため、母親とも距離を取るためにもグループホームへの入居を勧めた。また日中の活動促進のために就労継続支援事業所の紹介も行った。本人と退院後生活環境相談員とで数カ所、グループホームを見学しました。
19
第二症例で困ったことは何か
入院当初は否認が強く、治療に対してもあまり積極的ではなかったが看護師や心理士と協力して疾患教育を行い、その中で頭部CT画像を見せ、飲酒が今後続くようであれば肝臓だけではなく、脳への影響も出てくること説明したところ、本人の治療に対する意欲が上がり、アカンプロサートの内服に繋がった。
20
第二症例で聞かれるであろう質問
告知を延期したことに対してもう少し早く告知をする事は出来なかったのか。(意識障害を認めず、変動がないことも確認する必要があった)
21
第三症例について診断名、副病名、診断の根拠を説明しなさい。
診断名は統合失調症、副病名はなし。診断の根拠は抗精神病薬の内服中断による幻聴、注察妄想が増悪した経過や自宅で自閉的な生活を送るなどの陰性症状、また診察時に認めた孝想伝播から統合失調症と診断した。
22
第三症例について入院に至った経緯について説明せよ。
2022年3月頃から注察妄想を疑うような行動を認め、精神科病院を受診し、統合失調症の診断を受け医療保護入院となりました。その後治療が奏功し自宅退院となるも自宅で自閉的な生活を送るようになっていった。自宅近くの別の病院に転医して後から内服を中断するようになり症状が再燃し、通院が途絶え、心配した両親の説得で当院初診となりました。診察時に「誰かに見られている感じがある」と話し、家族と本人と相談し、外来治療を行う方針となった。しかしその後も拒薬は続き、2022年11月14日に窃盗により警察に逮捕された。留置場内では、被害妄想、幻聴を認めていた。その後、検察官より精神保健及び精神障害者福祉に関する法律に基づく通報が県知事になされ精神保健指定医2名の診察のもと、幻覚妄想状態及び精神運動興奮状態による他害の恐れがあり措置入院を要すると指定医2名の診断が一致し当院へ措置入院が決定した。
23
第三症例について隔離、拘束を行なっているのであればその経過を説明せよ。
隔離を実施。隔離を開始し、パリペリドンを始める前は視線は鋭く、主治医に対してやや威圧的な発言を認めていました。パリペリドンの内服を始めた後は徐々に幻覚妄想状態は落ち着いてきたため隔離を解除しました。しかし症状に波がある状態であった。時効性注射剤へ変更してからは徐々に症状の波も収まり、本人から自身の犯した窃盗についても「声が聞こえてそうしないといけないと思ってしまった」「もうあのような事はしない」と振り返ることが出来たため措置解除となった。
24
第三症例に関して使用した薬剤、どんな指導を受けたか。
症状再燃時に本人が拒薬をする可能性があったため、指導医と相談しながら、本人や家族には時効性注射剤を勧めました。また時効性注射剤であれば、20歳と若く仕事や生活などの点からも3ヶ月に1度の受診で通院が出来れば本人にとっても生活はしやすいと考えました。
25
第三症例に関して本人との関り方について説明せよ。
入院当初は薬や医療従事者に対して不信感や猜疑心を抱いていたため、先ずは薬の説明を十分に行い、本人へ内服を促しました。薬の内服を継続することで徐々に本人の精神状態は安定しましたが、薬に対する不信感は依然としてあったため、看護師、薬剤師等、多職種と連携し疾患教育を行いました。
26
第三症例に関して本人の変化について説明せよ。
パリペリドンを始める前は視線は鋭く、主治医に対してやや威圧的な発言を認めていました。パリペリドンの内服を始めた後は徐々に幻覚妄想状態は落ち着いてきたものの症状に波がある状態であった。時効性注射剤へ変更してからは徐々に症状の波も収まり、本人から自身の犯した窃盗についても「声が聞こえてそうしないといけないと思ってしまった」「もうあのような事はしない」と振り返ることが出来たため措置解除となった。
27
第三症例で本人の治療に関った人とのやり取りについて説明せよ。
看護師や薬剤師、多職種と連携し疾患教育を行いました。具体的には当院では疾患教室というものがあり、同じ病気を抱えている方々が集まり週一回、統合失調症の知識や薬、どういったサービスを受けられるかなどの説明を行なっていました。本人は主治医がいるとグループであまり話さなくなるため、参加した看護師や薬剤師から話を聞き、どのようであったかを確認していました。
28
第三症例に関して本人の退院にあたり関った人とのやり取りについて説明せよ。
退院後生活環境相談員や本人、家族と面談を行い、退院後の生活について話し合った。本人には事業所や訪問看護ステーションについて情報提供を行いましたが、「祖父の所で畜産業の仕事をしながらゆっくり働いていきたい」と話たため、本人の希望に沿う形で対応した。
29
第三症例で困ったことは何か
薬物治療に対して懐疑的な意見が見られ、病識もなかったため、本人にどのようにして病識を持ってもらい、薬物治療の必要性についてわかってもらえるか、その対策が大変でした。内服は継続して行うことが出来ていましたが、病識に関しては多職種と連携し、疾患教育を行いました。
30
第三症例で恐らく聞かれるであろう質問
2022/12/6から2023/2/9までの間、ずっと措置入院となっていたが何故長く措置入院となっていたのか。 症状の変動を認め、本人が自身の犯したことに対する反省が見られなかったから❓
31
第四症例の診断名、副病名、診断の根拠について説明せよ。
診断名はうつ病エピソード。副病名はなし。診断の根拠は病歴から抑うつ気分、易疲労感、自信の低下、将来に対する悲観的な見方を認めており、また診察時には希死念慮や不安、焦燥感、不眠を認めていたことや頭部CTで器質的な異常も認めず、躁病エピソードも確認されていなかったことからうつ病エピソードと診断した。
32
第四症例について入院に至った経緯について説明せよ。
新型コロナウイルス感染症の蔓延に伴い、家業の畜産業の経営が悪化し、また一緒に畜産業をしていた父が病気を患ってしまったことにより本人の負担が増えていった。借金をして経営を立て直そうとしたが上手くいかず、先行きの不安から不眠、抑うつ、易疲労感を自覚するようになった。その後、精神科を受診し入院を勧められるも本人、家族が拒否したため自宅での薬物治療となった。しかしその後も症状の改善が得られず、また器質的な疾患も認めなかった。希死念慮が強くあったため当院受診となった。診察時には希死念慮や不安、焦燥感、不眠を認め、病歴からもうつ病エピソードと診断し、本人に入院し薬物治療が必要と説明を行なったが、抑うつ状態であり、病識は欠如し現実検討能力は著しく低下していたためしていたため指定医の診察のもと医療保護入院となった。
33
第四症例に関して隔離、拘束を行なっているのであれば、その経過について説明せよ。
隔離を実施。妻から離婚話を切り出された事を機に不安焦燥が強まり、自殺企図を認めたため指定医が一般の精神病室では医療及び保護を図ることは困難であると判断し隔離を開始しました。不安焦燥が強かったためオランザピンの内服を開始したところ、徐々に焦燥感は改善し自身の行動について反省を認めたためその後は隔離解除となった。
34
第四症例について使用した薬剤、どんな指導を受けたか。
ボルチオキセチン10mgとスボレキサント20mgによる治療を実施。副作用が少ないという点からボルチオキセチンを選択しました。指導医とは本人の診察時の行動以外にも注意を払うようにとの指導を受けました。具体的には本人がよくなっているように見えても実際には一時的なものでその後に症状の悪化を来す可能性があるなど
35
第四症例について本人との関わり方について説明せよ
薬物療法と非薬物療法の両方で治療を行いました。非薬物療法は主に認知行動療法や支持的精神療法を実施しています。認知行動療法や支持的精神療法の中で本人は「新型コロナウイルス感染症の蔓延で牛の出荷量が減った」「借金をして経営が立て直そうとしたけど出来なかった」「頼りだった父も病気になってしまい先の見通しが立たなくなった」と自身の抑うつ状態に至るまでの経緯を話すことが出来た。
36
第四症例に関して本人の変化について説明せよ。
薬物療法と非薬物療法の両方で治療を行いました。非薬物療法は主に認知行動療法や支持的精神療法を実施しています。認知行動療法や支持的精神療法の中で本人は「新型コロナウイルス感染症の蔓延で牛の出荷量が減った」「借金をして経営が立て直そうとしたけど出来なかった」「頼りだった父も病気になってしまい先の見通しが立たなくなった」と自身の抑うつ状態に至るまでの経緯を話すことが出来た。
37
第四症例に関して本人の治療に関わった人とのやり取り
看護師や家族、作業療法士などです。
38
第四症例に関して本人の退院にあたり関わった人とのやり取りについて説明せよ。
退院後生活環境相談員や本人家族とやりとりを行いました。退院後は本人は元の畜産業には携わりたくないと話たため、本人や家族と面談を行い、公共職業安定所や就労継続支援B型事業所について情報提供を行ったものの、本人より「退院後は妻の実家の作業を手伝いたい」との意向を示したため本人の希望に沿う形で対応した。またなるべく負担の少ない仕事から始めるように助言した。
39
第四症例に関して困ったことは何か
当初は認知行動療法に対してあまり積極的ではなかったため、本人とのラポール形成を行いながら対応しました。本人が興味を持ちそうな子供の話であったりから会話を始めました。
40
第四症例で恐らく書きれるであろう質問
内服薬の経過かな❓
41
第五症例に関して診断名、副病名、診断の根拠について説明しなさい。
診断名は適応障害。副病名はなし。診断の根拠は本人からストレス性の出来事を確認でき、抑うつ気分、不安、心配と言った症状を認め、また自宅では妹と趣味のアニメを視聴したり家族と一緒に買い物に行ったりするなどの活動を認め、食事も摂れていた事からうつ病エピソードは非定的であったことや自閉症や注意欠陥多動症を疑うような行動も認めなかった事から適応障害と診断した。
42
第五症例について入院に至った経緯について説明せよ。
学校の文化祭でミスをしたことを機に教室に入る際に手の震えや腹痛、下痢などの腹部症状が出現し不登校となった。その後、不眠も出現したためクリニックを受診。薬物療法と精神療法による治療が開始された。しかし県立高校推薦入試で不合格の報告を受けたことをきっかけに自宅裏の崖から飛び降りようとしたため家族が制止した。その後クリニックの紹介を受けて当院受診となった。診察時、希死念慮や思考抑制を認め、「学校行事の練習で迷惑をかけてしまった」との自責的な内容のメモが見つかった。抑うつ状態を認め、入院し治療が必要と判断するも、病識は欠如しており入院の同意は得られなかったため、指定医の診察のもと両親の同意を得て医療保護入院となった。
43
第五症例について使用した薬剤、どんな指導を受けたか
ラメルテオン8mgを使用。指導医と相談したことは思春期患者への接し方です。診察時には本人からあまり話すことはなく、ラポール形成には本人が興味を持ちそうな話題を提供し対応しました。また高校受験を控えている状況であったため、本人の精神状態を鑑みつつ、受験勉強についても主治医が教えるなどの対応をし、ラポールの形成を行いました。
44
第五症例について本人との関わり方について説明せよ。
本人が興味を持ちそうなアニメや漫画、絵のことを話題に出し、また受験勉強を一緒に見てあげるなどを行いました。
45
第五症例について本人の変化について説明せよ。
入院当初は本人から積極的に話すことは無いものの、本人が興味を持ちそうなアニメや漫画、絵の話題を出すことにより関係性を構築することにより徐々に本人の口から学校生活の不安を述べるようになりました。また家庭内でも父や母は忙しく相談できる環境ではなかったことなど、話すようになりました。そんごは徐々に作業療法にも積極的に参加するようになり、入院中に受験勉強を集中して行うなどの行動が見られた。
46
第五症例に関して本人の治療に関った人とのやり取りについて説明せよ。
看護師や家族、作業療法士等と話し合い治療に当たった。主に家族との面談を行い、できる限り親子で話し合う姿勢を持つことを勧め、入院中に心理教育を行うように努めた。
47
第五症例で本人の退院にあたり関った人とのやり取りについて説明せよ。
退院後生活環境相談員や学校の先生と連絡を取り、退院後本人が安心して学校に通学が出来るように保健室登校をするなどの対応を行いました。
48
第五症例で困ったことは何か。
思春期患者であるため、どのようにして関係性を構築した方が良いか、本人の気持ちを聞くことが出来るようになれるのかその方法を考えることが大変でした。本人の話に合わせるためにアニメや漫画を見たり等し、ラポールの形成を行いました。
49
第五症例に関して恐らく聞かれるであろう質問は何か
自閉症スペクトラム障害の可能性は無かったのか。 診察以前に相互的社会的関係、コミュニケーション、限局した反復的な行動といった行動を認めていない点。
50
第一症例の入院から退院までの経過を述べよ。
親類が亡くなった事をきっかけに
51
第二症例の入院から退院までの経過を述べよ
肝硬変を患うほどの
52
第三症例の入院から退院までの経過を述べよ
入院する以前に注察妄想を認め、精神科病院を受診。統合失調症の診断で医療保護入院となった。薬物治療により症状が改善したため退院するも、自閉的な生活を送っていた。自宅近くにあるクリニックに転医後は拒薬を認め、症状が再燃し、心配した家族に伴われ当院受診となった。当院受診時に注察妄想を認めるも診察には協力的で本人と家族の希望により外来で治療を行う方針となるも、拒薬は続いていた。その後、幻聴に左右された行動により窃盗を行い警察に逮捕。留置場内でも幻聴や被害妄想を認めていた。その後、検察官通報により県知事は精神保健指定医2名に診察をさせ、他害の恐れがあると判断され措置入院が決定した。精神運動興奮による不穏、多動、爆発性を認め指定医の診察の結果、隔離対応となった。パリペリドンによる治療を開始したところ、精神運動興奮は改善され、隔離を解除した。また、家族より拒薬による症状の再燃の懸念の声があり本人、家族と相談し、錠剤から時効性注射剤への変更を行った。徐々に幻覚妄想は改善し、自身の行った行動に対しても反省が得られたため、措置入院を解除した。しかし幻覚妄想状態(被害的な 他責的)は変動を認め、薬物治療に対しては不信感を抱いていた。病状や治療の必要性の理解が不十分であり退院後の環境調整も必要であったため入院継続の必要性を説明したが本人から同意が得られなかったため指定医の診察の結果、医療保護入院となった。その後、多職種による疾患教育を行い、病識が得られ、幻覚妄想に関しても変動を認めなかったことから任意入院への変更を行った。その後、退院後は事業所や訪問看護の情報提供を行うも本人より祖父の畜産業の手伝いを行うとの意向を認めたため、退院とした。
53
第四症例の入院から退院までの経過を述べよ。
新型コロナウイルス感染症に伴う家業の畜産業の経営が悪化したことや一緒に経営を行っていた父がレビー小体型認知症を患ったことにより本人の負担が大きくなった。先行きの不安から不眠、抑うつ、易疲労感を認め、自傷行為を認めたため家族に伴われ精神科を受診し入院を勧められるも本人、家族が拒否したため、外来で薬物治療の方針となった。しかし症状の改善が得られず、また器質的な要因も考慮され神経内科を受診するも異常を認めなかった。そのため家族に伴われ、当院受診となった。診察時は希死念慮や不安、焦燥感、不眠を認め、経過からうつ病エピソードと診断した。抑うつ状態で入院し薬物治療を行う必要があると説明するも本人は入院を拒否したため、妻同意のもと医療保護入院とした。ボルチオキセチンとスボレキサントによる治療を開始し経過を見たが、妻から離婚の話を切り出されたことをきっかけに自殺企図を認めたため、指定医の診察の結果、隔離が必要との判断となり、隔離開始となった。焦燥感が強かったため、副作用や適応外使用であることを説明し、オランザピン5mgによる治療を開始。徐々に症状の改善が得られたため、オランザピンは漸減、中止とし、自殺企図に関して反省が得られたため隔離を解除した。その後、非薬物療法を行い家族に対しても疾患教育を行った。また本人から家業の畜産業には関わりたくないとの希望があったため、事業所や職業安定所について情報提供を行った。本人より妻の実家の作業を手伝いたいとの希望があったためその希望に沿う形で対応した。その後症状の安定を認め、医療保護入院の必要性はなくなりまた同時に任意入院を要する状態にもないと判断したため、退院とした。
54
第五症例の入院から退院までの経過を述べよ。
学校の体育祭の練習でミスをしてしまった事を機に
55
第二症例の隔離要件について答えよ
自殺企図または自傷行為が切迫している状態
56
第三症例について隔離要件を述べよ。
急性精神運動興奮等のため、不穏、多動、爆発性などが目立ち、一般の精神病室では医療又は保護を図ることが著しく困難な状態
57
第一症例の入院から退院までの経過を述べよ。
症例は高齢で独居の女性の方です。入院の2年前に親族が亡くなったことを機に同じ話を繰り返したり、娘や孫に頻回に電話をかけたりするようになる等の行動が見られ、また同時期に物取られ妄想も確認されたことからクリニックを受信しました。そちらでアルツハイマー病型認知症の診断を受け薬物治療が開始され症状が一時的に改善されたのですが、友人が亡くなったことを機に再び症状が再燃し大声を上げる、短期記憶障害や遂行機能障害を認め、自宅での生活が困難となったため、当院を受診しました。診察にて物取られ妄想、を確認し頭部CTで海馬領域を含む側頭葉内側や頭頂葉の萎縮を認めたため晩発性アルツハイマー病型認知症の診断とし、入院の必要性について説明を行いましたが、本人は病識がなく現実検討能力は著しく低下していたため精神保健指定医の診察にて医療保護入院が適切と判断され、医療保護入院となりました。入院後は物取られ妄想を認めたため副作用や適応外使用について十分説明後にルラシドンを20mgから開始しました。最終的に30mgまで増量したところ症状の改善が得られました。その他にも日中の活動促進目的に理学療法や作業療法を導入しました。また1人暮らしでは症状が再燃する恐れがあったため退院後の環境調整を家族と話し合った所、本人と孫から同居したいとの希望があったため孫との同居の方針とした。また日中の活動促進や心身の機能維持目的にデイサービスの導入を検討するも、孫から本人が慣れていない環境では継続した通所は難しいとの意見があったため、当院施設内にあるデイケアであれば見慣れた場所であるため通所を提案した。その後、デイケアの見学を複数回行い、退院後の通所の調整を行った。さらに訪問看護の導入も行った。その後物取られ妄想や迷惑行為は認めず、医療保護入院を要する症状は消退し任意入院を要する状態にもないと判断し退院とした。
58
第五症例の入院から退院までの経過を述べよ。
学校の体育祭の練習でミスをしたことを機に教室に入る際に手の震えや腹痛、下痢などの腹部症状が出現し不登校となった。その後、不眠も出現したためクリニックを受診。薬物療法と精神療法による治療が開始された。しかし県立高校推薦入試で不合格の報告を受けたことをきっかけに自宅裏の崖から飛び降りようとしたため家族が制止した。その後クリニックの紹介を受けて当院受診となった。診察時、希死念慮や思考抑制を認め、「学校行事の練習で迷惑をかけてしまった」との自責的な内容のメモが見つかった。抑うつ状態を認め、入院し治療が必要と判断するも、病識は欠如しており入院の同意は得られなかったため、指定医の診察のもと両親の同意を得て医療保護入院となった。入院後はラメルテオン8mgによる治療を開始した。本人との関係性の構築を行うために患児が興味のあるアニメや漫画、絵の話を行った。診察を重ねていくごとに徐々に感情を表出できるようになった。併せて学校の話題を増やしていくと患児の口から学校生活に対する不安を認めた。学校内でのストレスの出来事が確認でき、自閉症を疑うような所見や注意血管多動症を疑うような所見も認めず、自宅でもアニメを見たり、外出するなどの行動からうつ病エピソードも否定的であったこと、病歴から適応障害と診断した。また両親に対しても心理教育を行うなどの対応をした。徐々に患児の表情が明るくなるのを認め、作業療法にも参加することができるようになり、症状の改善を認めた。また退院後の通学に関して患児が教室で勉強することに不安を感じていたため保健室登校を含めた学校での環境調整を要請した。希死念慮について確認すると「あんなことはもうしない」と行動化しないことを約束することができたため指定医と協議を行い医療保護入院を要する症状は消退し同時に任意入院を要する状態にもないと判断し、退院となった。