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日本経済史
  • 問題数 100 • 1/8/2025

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  • 1

    18世紀にイギリスを中心とする北西ヨーロッパ諸国が他の地域の国々を経済的な水準で大きく引き離して上昇していったことを「大分岐」と呼ぶ

  • 2

    「大分岐」が起きる前の日本は、国際的に見て経済的な先進地域であったと言える

    ×

  • 3

    日本は17世紀以降インドや中国を一人当たりGDPで追い越し、アジアの中で相対的に豊かな地域となったものの、19世紀にイギリスを中心とする先進地域とはむしろ格差が拡大した

  • 4

    日本が一人当たりGDPの水準でイギリスなどのヨーロッパ諸国と同レベルの水準に達したのは明治の産業革命期のことである

    ×

  • 5

    今日における中国の1人当たりGDPは日本よりも高いが、19世紀には日本の方が高かったと考えられている

    ×

  • 6

    中国のなかの先進地域の経済水準は、18世紀に入るまではヨーロッパの先進地域の経済水準に劣っていなかった

  • 7

    マルサスは産業革命による近代経済成長をモデル化した『人口論』の著者として知られている

    ×

  • 8

    マルサスは、生産量拡大のスピードが人口成長のスピードを長期的に上回ることはないと考えていた

  • 9

    マルサス・モデルの「図表1」で、初期の人口がL2より大きかった場合、定常状態の1人当たり所得はY2よりも小さくなる

    ×

  • 10

    マルサス・モデルの「図表1」で、初期の人口がL1より小さかった場合、定常状態での人口成長率はG1よりも高くなる

    ×

  • 11

    マルサス・モデルの「図表1」の状態から、その社会で生産性の低下が起こったとする。この状況下の定常状態における1人当たり所得は、Y0よりも小さくなる

    ×

  • 12

    マルサス・モデルの「図表1」の状態から、その社会で生産性の低下が起こったとする。この状況下の定常状態における人口成長率は0である

  • 13

    江戸時代の産業の中心は農業であり、GDPの構成比で見ても第一次産業の比率が一貫して上昇していた。一方、第二産業、第三次産業の成長はほとんど起こらなかったと推測されている

    ×

  • 14

    江戸初期から中期にかけて貿易統制が次第に緩和する中で生糸の輸入が増加し、その輸入品と競争するために国内の製糸業が発展したと考えられている

    ×

  • 15

    「在来産業」とは、海外に存在していた技術を日本に取り入れた産業のことを指す

    ×

  • 16

    江戸期における工業の中心は繊維産業と醸造業であったと考えられる

  • 17

    江戸時代には「谷戸田」を拡大する新田開発によって、耕地面積が大きく拡大した

    ×

  • 18

    江戸時代には、灌漑工事が進行したことで常時水を引くことができるようになり、田んぼの湿田化が進んだ

    ×

  • 19

    綿花を原料として糸を製造する産業を一般的に製糸業と呼ぶ

    ×

  • 20

    近世に発展した在来産業として、既製服を製造する織物業が挙げられる

    ×

  • 21

    近世の製糸業では、蒸気機関を利用した座繰器械が開発され、それによって大きく生産性が向上したと考えられる

    ×

  • 22

    近世に醸造業の発展がみられたが、その代表例は伊丹の清酒であった。伊丹の酒は江戸で人気を博し、菱垣廻船で江戸まで輸送されるようになった

  • 23

    近世において、絹を使った衣料に規制が行われたため、衣服の原料の中心は麻へと移っていった

    ×

  • 24

    近世に綿、絹を中心とした繊維産業が発展した背景の1つとして、国内の衣服の原料としてそれらの需要が拡大した点が挙げられる

  • 25

    江戸時代に発展した在来産業の1つとして、綿花から綿糸を生産する紡績業が挙げられる

  • 26

    産業革命が起こっていた江戸時代には、紡績業の中で「高機」と呼ばれる自動紡績機械が普及した

    ×

  • 27

    江戸時代には各地に綿織物の生産地が出現したが、久留米絣はその例の1つとして挙げることができる

  • 28

    江戸時代の後期には織物業において、蒸気動力を用いた力織機が普及した

    ×

  • 29

    江戸時代における在来産業の担い手は主として都市に在住する男性の職工であった

    ×

  • 30

    江戸時代の産業の中心は農業であるものの、農家の副業が在来産業の発展、ひいては江戸時代の経済成長に寄与していたと考えられる

  • 31

    日本は豊臣秀吉の「伴天連追放令」によって、近世の「鎖国」の体制が完成したと考えられている

    ×

  • 32

    江戸時代の初期には、幕府は貿易相手国を増やそうとしていた

  • 33

    江戸時代には、ヨーロッパ諸国との貿易が制限された一方で、中国との貿易は続いた。その理由は、ポルトガルやオランダとは私的な貿易関係だったのに対し、中国とは正式な国交の中で公的な貿易が行われていたからである

    ×

  • 34

    江戸時代に「鎖国」体制が築かれた大きな要因は、キリスト教への警戒が強まっていき、最終的に貿易拡大の利益よりもキリスト教布教の懸念が強くなった点にあると考えられる

  • 35

    オランダは一連の「鎖国令」によって日本との貿易が禁止された上で、出島に閉じ込められることとなった

    ×

  • 36

    ポルトガル軍との戦争である「島原の乱」に幕府が勝利したことにより、1630年代、幕府はポルトガルを追放することとなった

    ×

  • 37

    .

    フランス, ドイツ

  • 38

    ドイツにおいて、農産物1単位の生産は、何単位の工業品生産を犠牲にして行われているか?(=農産物1単位の生産をやめると、その分の労働力で工業品を何単位生産できるか?)

    0.2

  • 39

    フランスにおいて、農産物1単位の生産は、何単位の工業品生産を犠牲にして行われているか?(=農産物1単位の生産をやめると、その分の労働力で工業品を何単位生産できるか?)

    0.16

  • 40

    ドイツにおいて、工業品1単位の生産は、何単位の農産物生産を犠牲にして行われているか?(=工業品1単位の生産をやめると、その分の労働力で農産物を何単位生産できるか?)

    5

  • 41

    フランスにおいて、工業品1単位の生産は、何単位の農産物生産を犠牲にして行われているか?(=工業品1単位の生産をやめると、その分の労働力で農産物を何単位生産できるか?)

    6.25

  • 42

    この時、2カ国の間で、農産物生産に比較優位を持つのは (1) であり、工業品生産に比較優位を持つのは (2) である。

    フランス, ドイツ

  • 43

    アメリカが日本に開国を求めた大きな理由の1つは、アメリカ西海岸から太平洋を横断してアジアにたどり着く航路を獲得することであった

  • 44

    安政の5か国条約締結後、外国人は日本国内で場所を選ばず商売をすることができるようになった

    ×

  • 45

    開国後の日本において、綿糸輸入が進む中で需要が急激に拡大し、綿糸価格の上昇が生じた

    ×

  • 46

    輸入物価が上昇すると、「交易条件」は改善する

    ×

  • 47

    開港後、日本の生糸輸出が盛んになり、それに伴って国内でも生糸生産が増大した

  • 48

    開港後の1860年代、生糸生産のための大規模な機械制工場が各地に建設された

    ×

  • 49

    開港後の金銀比価の問題について、他の条件(国際的な金銀交換の相場など)が同じで、もし日本の金銀比価が1対10であった場合、どのようなことが起こったと考えられるか。以下の中から適当なものを選びなさい。金銀比価を調整する政策は特にとらないものとする。

    金が日本から海外に流出し、銀は海外から日本に流入する

  • 50

    開港後の金銀比価の問題について、他の条件(国際的な金銀交換の相場など)が同じで、もし日本の金銀比価が1対30であった場合、どのようなことが起こったと考えられるか。以下の中から適当なものを選びなさい。金銀比価を調整する政策は特にとらないものとする。

    金が海外から日本に流入し、銀は日本から海外に流出する

  • 51

    開港に伴って生じた金の流出については、国内における金の相対的価値が低いことに問題があるため、金の価値を上げる政策がとられた

    ×

  • 52

    金の海外への流出を止めるための政策は人々の購買力の増加につながったため、激しいインフレが生じることとなった

    ×

  • 53

    日本の「産業革命」は日清戦争以降に始まったとされる

    ×

  • 54

    日本の「産業革命」の開始を主導したのは紡績業や製糸業などの繊維産業であったと考えられる

  • 55

    日本の「産業革命」期は、同時に企業の設立が相次いだため「企業勃興」期とも呼ばれている

  • 56

    イギリスでは日本に先んじた産業革命を経て製糸業が発展しており、製糸業の機械として「ミュール紡績機」が発明されていた

    ×

  • 57

    イギリスでは1800年の時点で、動力の大部分が蒸気機関となっていた

    ×

  • 58

    日本において江戸時代から在来産業として綿紡績業が発展したのは、江戸時代にイギリスからミュール紡績機などの紡績機械を輸入していたことが大きな要因の1つのであった

    ×

  • 59

    日本は開国直後から、綿糸が輸出品の代表的商品となっていたが、明治期の産業革命を経て、日本の紡績業は輸出産業としてさらに発展した

    ×

  • 60

    政府は国内に存在していた民間の紡績工場を払い下げてもらい、それらを模範工場として運営した

    ×

  • 61

    政府の直接的な関与によって1880年代に創設された綿紡績工場は「二千錘紡績」と呼ばれ、イギリスの工場と同等の規模のものであった

    ×

  • 62

    1880年代の日本では、イギリスの産業革命期における中心的な紡績機械であった「リング紡績機」が導入されるようになった

    ×

  • 63

    大阪紡績会社の1つの特徴は、株式会社形態によって多額の資金を集め、それまで国内に存在したものよりも大きな規模の工場を造ったことである

  • 64

    大阪紡績会社は官営模範工場として成功を収め、その後の多数の紡績会社の誕生につながった

    ×

  • 65

    明治の初頭に生糸生産方法の改良が求められた背景として、蚕の流行病によって日本の蚕の量が激減した点が挙げられる

    ×

  • 66

    明治期に富岡製糸場が開業されたものの、それ以前の、開国した当初から製糸業は日本の輸出産業の中心であった

  • 67

    富岡製糸場ではフランスからミュール紡績機を輸入したほか、フランス人の技師や工女を雇うことで海外の製糸技術を導入した

    ×

  • 68

    渋沢栄一が中心となって有力な商人らから資金を集めたことで、株式会社形態の富岡製糸場を設立することができた

    ×

  • 69

    富岡製糸場では、生産を拡大するために粗製濫造の問題が発生した

    ×

  • 70

    富岡製糸場では全国から工女が集められたことで、その器械製糸技術が各地に伝播した

  • 71

    近世の日本で行われていた「たたら製鉄」では高炉が建設されたものの、その生産性は低かった

    ×

  • 72

    「製鉄」とは一般に、酸化鉄として存在する鉄鉱石から酸素を取り除いて鉄を取り出す工程を指す

  • 73

    兵器のほか、鉄道などの産業のために鉄鋼需要が高まったものの、国内での鉄鋼生産が進んでいないことにより、1880年代以降、鉄鋼を主として海外からの輸入で賄うという状況が生じていた

  • 74

    明治期の日本において釜石製鉄所が建設され、それが成功を収めたため、官営の八幡製鉄所が造られることとなった

    ×

  • 75

    官営製鉄所の立地として八幡が選択された大きな要因は、製鉄の原料となる砂鉄をその近くから入手しやすいという点にあった

    ×

  • 76

    八幡製鉄所は鉄鋼生産を増大させることができなかったため失敗に終わったと評価できるが、その技術は、後の神戸製鋼所などの民間製鉄会社の発展に役立ったと言える

    ×

  • 77

    近世の日本における主要な交通機関は人力車や馬車であった

    ×

  • 78

    明治時代にイギリスから鉄道技術が取り入れられたことで、江戸時代から存在した日本式の鉄道が洋式の鉄道にかわることとなった

    ×

  • 79

    明治初頭の日本では鉄道技術がイギリスから導入されたが、それはこの時期の紡績機械や製糸機械なども含めて、技術のほとんどがイギリスから輸入されていたからである

    ×

  • 80

    開港以降、外国人から日本の鉄道建設事業計画がいくつも提案されたのは、日本の国力を引き上げて、日本と軍事的な同盟を結ぶことが主な目的であった

    ×

  • 81

    明治期の1880年代以降、民間企業としての鉄道会社が大きく成長したが、あちこちに自由に鉄道が敷設されることで混乱が生じた

    ×

  • 82

    今日における日本の鉄道の軌間が国際的に見て狭いのは、明治期のイギリス国内の鉄道において狭軌が中心であり、その技術をそのまま日本に導入したことが大きく影響している

    ×

  • 83

    五箇条の御誓文の中で世界に智識を求めることが謳われたように、明治維新では積極的に海外からの技術等の導入が図られた

  • 84

    日米修好通商条約の調印のために渡米した岩倉使節団では、外国の視察も行われた

    ×

  • 85

    明治政府は外国から知識・技術を導入する方策の1つとして、多くの外国人を直接雇用した

  • 86

    明治初頭における日本の鉄道建設は、雇用したイギリス人によって主導されたと言える

  • 87

    日本では江戸時代から鉄道の敷設が始まっていたことから、明治期には清よりも多くの鉄道が敷設されていたと考えられる

    ×

  • 88

    清では「洋務運動」という外国を排斥する運動が起こったために、海外からの技術導入が妨げられた

    ×

  • 89

    江戸時代における繊維産業の労働者は主に男性であったのに対し、明治期の繊維産業では女性がその労働者の中心となった

    ×

  • 90

    繊維工業労働者に女性が多かった大きな要因として、繊維工業では女性の賃金が男性のそれよりも高い傾向にあり、女性労働者が集まったことが挙げられる

    ×

  • 91

    1900年代初頭に行われた農商務省による工場の調査では、繊維産業全体で、深夜業を含む昼夜操業が一般的であったことが確認できる

    ×

  • 92

    繊維女工の死亡率は一般よりも高く、紡績工場で特に高かった

  • 93

    1911年に制定された「工場法」では、15歳未満の女子について労働時間の規制を行ったが、15歳未満の男子に対しては適用されなかった

    ×

  • 94

    1911年に制定された「工場法」では、1日12時間を超える労働をすべての労働者に禁止した

    ×

  • 95

    第一次世界大戦期の日本は、イギリス・アメリカなどの先進国との格差を縮小させるほどの成長を果たした

    ×

  • 96

    産業革命期の日本では重工業化が進展した一方、第一次大戦期には綿織物業の発展から軽工業化が大きく進展した

    ×

  • 97

    第一次世界大戦に伴って戦争参加国が軍事目的に各国の船舶を利用する結果、海運市場における船舶不足が生じ、船舶価格および貨物運賃の高騰が生じた

    ×

  • 98

    第一次大戦は貿易にも大きな影響を与え、日本では鉄鋼の輸入が難しくなった結果、国内の鉄鋼生産をさらに増大させる必要が生じた

  • 99

    第一次大戦期の日本では繊維産業の成長も進んだが、中でも綿糸紡績業はその中心であった

    ×

  • 100

    1900年代以降、綿糸紡績業における紡績機械がリング紡績機から力織機へ転換され、綿糸生産の生産性が大きく上昇した

    ×