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文化論
  • くちぱっち

  • 問題数 42 • 9/6/2024

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    問題一覧

  • 1

    男性は、頭髪を中央から左右に分けて、束ね、耳のあたりで輪にして垂らした。これは( )と呼んだ。

    角髪

  • 2

    女性は、江戸時代の( )に似た大きな髷を乗せたスタイルであった。

    島田髷

  • 3

    体の関節や穴の開いたところに、腕は首飾り、耳飾り、腰飾り、足飾りなどの創味具が使用された。単なる装飾品ではなく、( )の強いものと考えられる

    呪術性

  • 4

    縄文時代の服装を知る手がかりとなるのは、土偶である。土偶は、( )や( )として用いられるもので、顔面や体型の表現が誇張されている。。

    呪術, 副葬品

  • 5

    7世紀後半には、男子では( )の制が定められた。幼年の髪型を改め、髪を頭部に束ねて切り揃え、その上に冠または( )をいただく儀式を行った。女子も同様に噛み上げを行い、髪を結い上げた。

    結髪加冠, 鳥帽子

  • 6

    平安時代に入り、次第に( )と呼ばれる日本独特の文化が育まれた。

    国風文化

  • 7

    貴族階級の女性は、成人となる16歳の6月16日に垂髪の左右の便の1部を分け目から60cmくらいのところで切り添いだ。髪上げに代わるに関わる儀式としてこの( )を行い、成人のしるしとした。

    鬢枇ぎ

  • 8

    垂髪の美意識の2つ目は( )である。

    顔隠し

  • 9

    奈良時代の美人の典型と言われる。『鳥毛立女屏風』を観察すると、美しい眉や、唐風の額の( )や唇脇脇の( )の化粧の存在を知ることができる。

    花鈿, 靨鈿

  • 10

    奈良時代に入り、唐の風俗が伝わると、先の『鳥毛立女屏風』や『吉祥天女画像』に描かれているように、古来、( )と呼ばれた、三日月型だが、やや太めの眉が描かれた。

    蛾眉

  • 11

    ( )したしるしとして眉を抜き、別の太い眉を額に描く化粧に変化していった。

    成人

  • 12

    ( )とは、歯を黒くする化粧のこと。

    お歯黒

  • 13

    平安時代に( )の女性の成人の印として行われるようになり、やがて貴族の男性も歯を染めるようになった

    貴族階級

  • 14

    男性の服装は、朝廷では、中国に習った服性を導入し、603年に先術の( )が定められている

    冠位十二階

  • 15

    8世紀初めには、服制はさらに整理され、儀礼服としての礼服、平常の宮廷出仕の際に着用する( )、下級官吏の制服( )の制度が定められた

    朝服, 三公服

  • 16

    平安貴族の男性が着用した。典型的な服装は、( )と呼ばれる朝服であった。

    束帯

  • 17

    貴族の男性の日常着としては、( )と( )があった。

    直衣, 狩衣

  • 18

    貴族女性の公式の清掃である( )である江戸時代には翌に( )と呼ばれるようになったが、実際を単を12枚重ねたわけではなかった。

    唐衣裳, 十二単

  • 19

    頭部を後頭部で、1つに束ねて根元を元や、細紐で結び、毛先を後ろに垂らす髪型が出てきた。これを( )と呼んでいる。

    たぶさ

  • 20

    頭髪を頭上で丸く束ねて曲げにする( )

    束ね髪

  • 21

    若侍などの髪型で、頭上で束ねた頭髪を2つに折りたたんで曲げにする( )

    二つ折

  • 22

    山伏の髪型で首の辺りで頭髪を切りそろえる( )などもあった。

    断髪

  • 23

    当初は頭髪を毛抜きで抜いていたが、やがてカミソリで剃るようになった。月代の風習は次第に広がって、( )の発生のもとにもなった。

    髪結床

  • 24

    同じ垂髪でも、平安時代よりは短くなり、上流社会の女性は普段は( )の垂髪で過ごすようになる

    短め

  • 25

    この時代は、髪型からもわかるように、( )ことは行われなかった。櫛も、髪を解かすことを目的とする実用的なものがほとんどであった。

    髪を飾る

  • 26

    公家や平氏の公達もまた女性と同じように( )をして白く( )を塗り、眉を書いていた

    お歯黒, おしろい

  • 27

    化粧が( )を表すシンボルだったのである

    身分階級

  • 28

    武士は( )を重んじ、日常着は簡素なスタイルを好んだ。

    質実剛健

  • 29

    貴族の日常義である( )や( )は、貴族や武家の幸福となった。

    直衣, 狩衣

  • 30

    後に( )が礼服になると、水干しはもっぱら少年の礼服として、また下級武士や従者の日常着として着用された。

    直垂

  • 31

    ( )と呼ばれた室町時代の礼装で、直垂の1種である。家の定紋を大きく染め抜いたもので、もともとは下級武士が主夏の紋を染めたものだった。

    大紋

  • 32

    女性の服装も簡略化されていった。前時代のような袿の重ね着が見られなくなり、さらに袖口の大きい袿のに変わって、肌着として着用されていた( )が表着として着用されるようになった。

    小袖

  • 33

    信長上洛の戦国末期の大きな変化は、男性では、中世まで残っていた鳥帽子などの被り物が消失し、( )が当たり前となったことである。

    露頭

  • 34

    女性では、依然として垂髪が続いたが、歌舞伎役者や遊女などの間から、徐々に( )への方向が芽生えていく。

    結髪

  • 35

    男性の( )を作る風習は、この時代には、庶民の間にも次第に広まっていった。その結果、頭頂部を露出させることが日常化し、中世で着用されていた( )は不必要なものとして、日常から消失していった。

    月代, 鳥帽子

  • 36

    安土桃山時代になると、女性の髪型は、水髪をわずらわしくないように、後頭部で束ねて垂らしたり、その末端を背で、丸い岩にした( )、あるいは首の後ろで束ねて曲げにしたり、その曲げを、さらに布で包んだりするのが一般的となった。なった。

    玉結び

  • 37

    武家の女性や一般の女性の頭髪が、さらに短く、後頭部で束ねて元結いを幅広く巻きつけた( )にした。

    根結い垂髪

  • 38

    宮中や武家の女性たちの公式の髪型は、基本的には垂髪で、部分的に変化しながら、江戸時代末期まで続いた。また、彼女たちの間で、長い垂髪がわずらわしい時に( )に頭髪を巻きつけて、一時的に髷を結うことがあったが、これは江戸時代の笄髷の期限と考えられる。

  • 39

    武家の男性の礼装は、袖の上に、上半身には肩衣、下半身には袴を重ねる( )に変化した。

    肩衣袴

  • 40

    もっぱら上級の武士や豪商の間だけであったが、いわゆる()の流入が目立った。

    南蛮衣装

  • 41

    男性は日常、袴をつけることはなく、いわゆる( )が一般化した。

    着流し

  • 42

    平安時代末期に月代をした理由を2つ書いてください

    髪のきわがでないように額際を美しく見せるため。, かぶとをかぶる際、のぼせるのを防ぐため。