問題一覧
1
男性は、頭髪を中央から左右に分けて、束ね、耳のあたりで輪にして垂らした。これは( )と呼んだ。
角髪
2
女性は、江戸時代の( )に似た大きな髷を乗せたスタイルであった。
島田髷
3
体の関節や穴の開いたところに、腕は首飾り、耳飾り、腰飾り、足飾りなどの創味具が使用された。単なる装飾品ではなく、( )の強いものと考えられる
呪術性
4
縄文時代の服装を知る手がかりとなるのは、土偶である。土偶は、( )や( )として用いられるもので、顔面や体型の表現が誇張されている。。
呪術, 副葬品
5
7世紀後半には、男子では( )の制が定められた。幼年の髪型を改め、髪を頭部に束ねて切り揃え、その上に冠または( )をいただく儀式を行った。女子も同様に噛み上げを行い、髪を結い上げた。
結髪加冠, 鳥帽子
6
平安時代に入り、次第に( )と呼ばれる日本独特の文化が育まれた。
国風文化
7
貴族階級の女性は、成人となる16歳の6月16日に垂髪の左右の便の1部を分け目から60cmくらいのところで切り添いだ。髪上げに代わるに関わる儀式としてこの( )を行い、成人のしるしとした。
鬢枇ぎ
8
垂髪の美意識の2つ目は( )である。
顔隠し
9
奈良時代の美人の典型と言われる。『鳥毛立女屏風』を観察すると、美しい眉や、唐風の額の( )や唇脇脇の( )の化粧の存在を知ることができる。
花鈿, 靨鈿
10
奈良時代に入り、唐の風俗が伝わると、先の『鳥毛立女屏風』や『吉祥天女画像』に描かれているように、古来、( )と呼ばれた、三日月型だが、やや太めの眉が描かれた。
蛾眉
11
( )したしるしとして眉を抜き、別の太い眉を額に描く化粧に変化していった。
成人
12
( )とは、歯を黒くする化粧のこと。
お歯黒
13
平安時代に( )の女性の成人の印として行われるようになり、やがて貴族の男性も歯を染めるようになった
貴族階級
14
男性の服装は、朝廷では、中国に習った服性を導入し、603年に先術の( )が定められている
冠位十二階
15
8世紀初めには、服制はさらに整理され、儀礼服としての礼服、平常の宮廷出仕の際に着用する( )、下級官吏の制服( )の制度が定められた
朝服, 三公服
16
平安貴族の男性が着用した。典型的な服装は、( )と呼ばれる朝服であった。
束帯
17
貴族の男性の日常着としては、( )と( )があった。
直衣, 狩衣
18
貴族女性の公式の清掃である( )である江戸時代には翌に( )と呼ばれるようになったが、実際を単を12枚重ねたわけではなかった。
唐衣裳, 十二単
19
頭部を後頭部で、1つに束ねて根元を元や、細紐で結び、毛先を後ろに垂らす髪型が出てきた。これを( )と呼んでいる。
たぶさ
20
頭髪を頭上で丸く束ねて曲げにする( )
束ね髪
21
若侍などの髪型で、頭上で束ねた頭髪を2つに折りたたんで曲げにする( )
二つ折
22
山伏の髪型で首の辺りで頭髪を切りそろえる( )などもあった。
断髪
23
当初は頭髪を毛抜きで抜いていたが、やがてカミソリで剃るようになった。月代の風習は次第に広がって、( )の発生のもとにもなった。
髪結床
24
同じ垂髪でも、平安時代よりは短くなり、上流社会の女性は普段は( )の垂髪で過ごすようになる
短め
25
この時代は、髪型からもわかるように、( )ことは行われなかった。櫛も、髪を解かすことを目的とする実用的なものがほとんどであった。
髪を飾る
26
公家や平氏の公達もまた女性と同じように( )をして白く( )を塗り、眉を書いていた
お歯黒, おしろい
27
化粧が( )を表すシンボルだったのである
身分階級
28
武士は( )を重んじ、日常着は簡素なスタイルを好んだ。
質実剛健
29
貴族の日常義である( )や( )は、貴族や武家の幸福となった。
直衣, 狩衣
30
後に( )が礼服になると、水干しはもっぱら少年の礼服として、また下級武士や従者の日常着として着用された。
直垂
31
( )と呼ばれた室町時代の礼装で、直垂の1種である。家の定紋を大きく染め抜いたもので、もともとは下級武士が主夏の紋を染めたものだった。
大紋
32
女性の服装も簡略化されていった。前時代のような袿の重ね着が見られなくなり、さらに袖口の大きい袿のに変わって、肌着として着用されていた( )が表着として着用されるようになった。
小袖
33
信長上洛の戦国末期の大きな変化は、男性では、中世まで残っていた鳥帽子などの被り物が消失し、( )が当たり前となったことである。
露頭
34
女性では、依然として垂髪が続いたが、歌舞伎役者や遊女などの間から、徐々に( )への方向が芽生えていく。
結髪
35
男性の( )を作る風習は、この時代には、庶民の間にも次第に広まっていった。その結果、頭頂部を露出させることが日常化し、中世で着用されていた( )は不必要なものとして、日常から消失していった。
月代, 鳥帽子
36
安土桃山時代になると、女性の髪型は、水髪をわずらわしくないように、後頭部で束ねて垂らしたり、その末端を背で、丸い岩にした( )、あるいは首の後ろで束ねて曲げにしたり、その曲げを、さらに布で包んだりするのが一般的となった。なった。
玉結び
37
武家の女性や一般の女性の頭髪が、さらに短く、後頭部で束ねて元結いを幅広く巻きつけた( )にした。
根結い垂髪
38
宮中や武家の女性たちの公式の髪型は、基本的には垂髪で、部分的に変化しながら、江戸時代末期まで続いた。また、彼女たちの間で、長い垂髪がわずらわしい時に( )に頭髪を巻きつけて、一時的に髷を結うことがあったが、これは江戸時代の笄髷の期限と考えられる。
笄
39
武家の男性の礼装は、袖の上に、上半身には肩衣、下半身には袴を重ねる( )に変化した。
肩衣袴
40
もっぱら上級の武士や豪商の間だけであったが、いわゆる()の流入が目立った。
南蛮衣装
41
男性は日常、袴をつけることはなく、いわゆる( )が一般化した。
着流し
42
平安時代末期に月代をした理由を2つ書いてください
髪のきわがでないように額際を美しく見せるため。, かぶとをかぶる際、のぼせるのを防ぐため。