問題一覧
1
20世紀初と列強の二極分化が進み、 ( )と( )の対立が深まった。
協商国, 同盟国
2
対立の焦点となったのは、新たに独立した国々が平等を巡って、にらみ合い、列強も介入の野心を持つ( )で、その状況から「( )」と呼ばれた。
バルカン半島, ヨーロッパの火薬庫
3
1908年、( )によるオスマン帝国の混乱に乗じて、オーストラリアはベルリン会議で行政権を得ていた→( )した。
青年トルコ革命, ボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合
4
バルカン同盟, 第一次バルカン戦争, 第二次バルカン戦争
5
1914年6月ボスニアヘルツェゴビナの中心都市( )で、オーストラリアの帝位継承者おっと妻がセルビア人によりアン殺された。
サライェヴォ
6
こうして、戦争が地球規模に広がり ( )となった。
第一次世界大戦
7
ドイツは中立国( )し、フランスに新劇したが、やがて進軍は阻止された。
ベルギーに侵入
8
以後、西部戦線では、塹壕に篭り、機関銃で相手の突撃を阻止する( )となり、膠着状態が続いた。状況を打破するために、 ( )・( )・( )といった新兵器の開発・投入が促された。
塹壕戦, 毒ガス, 戦車, 飛行機
9
戦争は( )側と( )側に別れて、戦われたオスマン帝国も( )に加わったオーストラリアと対立する ( )三国同盟にもかかわらず、当初は中立の関係であったが、1915年に連合国側で参戦した。同年にはブルガリアが( )側に加わった。
同盟国, 協商国, 同盟国, イタリア, 同盟国
10
従来の戦争は、通常は短期戦であり、前線付近を除いては、日常生活も平常の状態を維持した。それに対し、第一次世界大戦は長期戦となり、かつ日常生活を大きく巻き込む史上初の( )となった。
総力戦
11
各国で労働者政党を含む諸政党が、自国政府の戦争遂行を支持する姿勢を示し、( )がしかれた。このため ( )は、事実上崩壊した。
挙国一致体制, 第2インターナショナル
12
( )が、工場労働者、電話交換手、トラック運転手、警官などの職について活躍した。
女性
13
( )が始まると、イギリスは日本に対して軍事的な協力を要請してきた。 ( )の ( )は、これを中国における日本の権益をさらに確実なものにする好機と捉えた。
第一次世界大戦, 第2次大隈重信内閣, 加藤高明外務大臣
14
日本は1914年8月に( )が ( )ら元老の慎重論をおし切る形で参戦した。
加藤外務大臣, 山県有朋
15
日本は10月にドイツ領南洋諸島を占領し、11月には( )省( )のドイツ軍を破ってドイツの東アジアにおける拠点を奪った。
山東, 青島
16
1915年1月日本政府は、中華民国の遠征外政権に対して中国における日本の権益を確保と拡大のため五号計20ヶ条からなる要求 ( )を突きつけた。
二十一カ条の要求
17
アメリカ大統領( )は、公正なを追求し、1918年1月に発表した( )の平和原則の中で、秘密外交の廃止、植民地問題の構成な調整、国際平和機構の創設などを提唱した。
ウィルソン, 十四カ条
18
1917年11月にロシアで社会主義革命が起こると同盟国は18年3月にロシアと ( )を結び、東部戦線での戦闘を終わらせた。
ブレスト=リトフスク条約
19
第一次世界大戦の開戦後、ロシアでは ( )が成立せず、皇帝政府と諸政党と民衆の間には溝があった。
挙国一致体制
20
( )年( )月、食料不足の理由に首都( )で、労働者と兵士が反乱を起こすと、( )追い込まれ帝政は崩壊した( )別名 ( )。自由主義者を中心として ( )が成立したが、イギリスやフランスとの関係に配慮して、臨時政府も戦争持続路線を取ったため、民衆の支持は得られなかった。
ペトログラード, 皇帝ニコライ2世, 二月革命, 三月革命, 臨時政府, 1917, 3
21
一方、社会主義者は、民衆の意見を代表するための( )を各地に作るとともに ( )、( )、( )立場で、講和を実現するよう、全世界に呼びかけた。
ソヴィエト, 無併合, 無償金, 民族自決
22
1917年4月( )の指導者 ( )が亡命地のスイスから帰国して、即時の戦争終結と臨時政府打倒を唱えたことで、国内はいっそう混乱した。
ボリシェヴィキ, レーニン
23
ボリシェヴィキ以外の社会主義者は、臨時政府を支えるために入閣し、社会主義者の ( )が首相になったが、即時の戦争終結唱える( )への支持が、民衆の間では広まっていた。
ケレンスキー, レーニン
24
1917年11月ボリシェヴィキは、ペトログラードで武装放棄し、臨時政府を打倒して、史上初の社会主義政権を樹立した( )別名( )。
十月革命, 十一月革命
25
このソビエト政権は「( )」で即時、講和を更新国に呼びかけた。また、 「( )」で、土地の私的所有を廃止して地主が所有していた土地を ( )した。
平和に関する布告, 土地に関する布告, 国有化
26
選挙では農民の指示する( )が第一党となったため、レーニンは会議を閉鎖した。
エスエル
27
3月には、同盟国による領土と賠償金の要求を受け入れ( )を結び、首都も安全な内陸部の( )に移した。
ブレスト=リトフスク条約, モスクワ
28
10月革命を認めない自由主義者や社会主義者軍事が反革命勢力とソビエト政権とのあいだで、まもなく内戦が起こった。さらに革命の拡大を恐れる。連合国も、ロシアに登校した元、オーストリア軍兵士からなるチェコスロヴァキア軍団が反乱を起こすと、それを支援する名目でロシアに派兵した→( )
シベリア出兵
29
( )は、新しい軍隊として、( )をつくり、中央集権的な行政・経済機構を確立し、政治警察による監視体制を聞くことで、内戦を戦い抜き、列強の干渉も跳ね返した。この過程で( )の一党独裁体制が形成された。
レーニン, 赤軍, 共産党
30
1921年厳しい統制経済体制に対する民主の抗議活動が激しくなるとレーニンは ( )別名( )を宣言し、市場経済を部分的に容認した。
新経済政策, ネップ
31
1919年には世界革命を目指す ( )「( )、 ( )」がモスクワで形成された。
コミンテルン, 第3インターナショナル, 共産主義インターナショナル
32
1922年にソビエトロシアと、これらの民族共和国は連合し( )が結成された。
ソヴィエト社会主義共和国連邦