問題一覧
1
701年, 文武天皇の時代に、唐の政治のしくみを参考にして, 刑部親王らが()をつくりました。
大宝律令
2
律令制度のもとての地方(国)の長官を( )といい、都から 派遣された貴族がその仕事にあたりました。
国司
3
律令制度のもとては、男女は6歳になると()と呼ばれる土地をあたえられました。
口分田
4
口分田のようなしくみを( )といいます。
班田収授の法
5
奈良時代の税のうち、収穫した稲の約3%を地方の役所に収める税を、( )といいます。
祖
6
奈良時代の税のうち、地方の特産物を納める税を( )といい、農民が自分で都に運ばなければなりませんでした。
調
7
奈良時代の税のうち、都で10日間働く代わりに布を納める税を( )といいます。
庸
8
調で納めた特産物は、奈良時代の遺跡から発掘される、( )を調べることでわかります。
木簡
9
奈良時代の農民は、税を納めるだけでなく、兵士として九州の守りをする、( )などの兵役にもつかなければなりませんでした。
防人
10
710年元明天皇は都を藤原京から( )に移しました。
平城京
11
都には市が置かれ、708年につくられt( )という貨幣を使う者もいました。
和同開珎
12
( )は農民の苦しみを『貧窮問答歌』によみました
山上憶良
13
奈良時代の中期、貴族どうしの争いや天災が続き、国が乱れたことから( )天皇は、仏教の力で国を治めようとして、奈良に大仏をつくりました。
聖武
14
朝廷は農民を大仏づくりに協力させるため、農民に人気のあった、( )という僧に協力させました。
行基
15
奈良時代の農民の中には、土地を捨てて逃げ出す者もいました。そこで朝廷は土地を切り開いたものには、永久にその土地を自分のものにしてよいという( )という法を定めました。
墾田永年私財法
16
墾田永年私財法によって私有地がみとめられると、貴族や寺社は、農民を使って土地を開発しました。この私有地を( )といいます。
荘園
17
奈良時代に、朝廷は中国の進んだ文化を学ぶため船で( )を送りました。
遣唐使
18
遣唐使にしたがっって留学した者の中には、『天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも』の歌で知られる( )のように、一生を中国で過ごした者もいましたあした。
阿倍仲麻呂
19
( )は何度も来日に失敗し、目が見えなくなるという苦労をのりこえて日本にやってきて、仏教を盛んにした中国の僧です。
鑑真
20
聖武天皇のころの文化を( )文化といいます。
天平
21
聖武天皇の遺品を収めた建物は( )です。
正倉院
22
奈良時代には、( )や『日本書紀』といった歴史書がつくられました。
古事記
23
古代の歌を集めた日本最古の歌は( )です。
万葉集
24
奈良時代には、( )という地理書もつくられ、各地の名産や伝説が記録されました。
風土記
25
701年 がつくられる
大宝律令
26
708年 という貨幣がつくられる
和同開珎
27
710年 元明天皇が奈良の に都を移す
平城京
28
712年 太安万侶(おおのやすまろ)によって がつくられる
古事記
29
713年 をつくる命令が出される
風土記
30
720年 舎人親王らによって という歴史書が作られる
日本書紀
31
723年 が出され三代にわたって土地の私有が認められる
三世一身の法
32
741年 天皇によって、全国に を作る命令が出される
聖武, 国分寺
33
743年( )が出され 土地を永久に私有することが認められる
墾田永年私財法
34
743年 ( )天皇によって奈良の大仏をつくる命令が出される
聖武
35
753年 ( )が六度目にして来日に成功し 仏教を盛んにする
鑑真
36
鑑真が( )を建てる
唐招提
37
律令制度のもとで与えられた土地をなんといいますか
口分田
38
人々は他を与えられるかわりに税を納めることを義務付けられました。女子も納めなければいけなった税はなんでしょう。
祖
39
平城京は当時の( )をモデルとして作られた
長安
40
都に限らず当時の政治の仕組みや文化の多くは中国の影響を大きく受けてます。これは朝廷が中国に使いを送っていたからですが,この使いをなんといいますか
遣唐使
41
朝廷は大仏をつくりに( )という僧の協力を求めた
行基
42
大仏をつくる命令を出した聖武天皇の遺品は正倉院という建物に収められてます。正倉院はなんという寺にありますか
東大寺
43
正倉院は三角杉の木材を組み合わせて風通しをよくしています。このような造りをなんといいますか
校倉造