問題一覧
1
近代世界システムは南北アメリカ征服による①を基軸に誕生 最初の中南米資源開発は②と③ アフリカを巻き込んで欧州に大量の④を蓄積 イギリスで⑤が発達し、①を通じて⑥を輸出しながらどれ位労働力のアフリカ、⑦の中南米、製造業のヨーロッパの三地域で分業システムを作り上げた これ以前は中国インド中東欧州の地域システムである⑧が世界経済の基軸だった
環大西洋ルート, スペイン, ポルトガル, 金銀, 製造業, 工業製品, 食料・原材料, ユーラシア経済ルート
2
人類は20万年ほほど前に①に出現、②によって7万年ほど前に世界各地に広がる
エチオピア, 最終氷河期
3
古代ギリシア人は①周辺に都市国家②を形成して暮らしていた 紀元前9世紀から③各地に植民地を建設した 移住元は④という。文化的つながりを保っており、経済ネットワークを作り協力
エーゲ海, ポリス, 地中海, 母都市
4
古代ギリシア人は①沿岸にも植民地を建設した ①の北は遊牧民族により、中央アジアやシベリアからの物品がもたらされたためである 紀元前8世紀に植民を開始し、イオニア地方の②などから多数の植民者が送られた ①に移住した人々は③周辺のポリスの連合体から生まれ、独自の政治的発展を遂げた④のようなものもあった。 内陸部では先住民社会も残った ①沿岸の⑤⑥⑦⑧は古代ギリシア人の作ったポリスを起源にしているが、現在の住民のほとんどはギリシア人ではない ①沿岸には⑨と呼ばれるギリシア系の人々が今も暮らすが、その数はわずか
黒海, ミレトス, クリミア半島, ボスポロス王国, イスタンブル, トラブゾン, ケルチ, ヴァルナ, ポントス人
5
植民地時代初期の目的は、①や②や土地を手に入れる目的で、③による大量虐殺だけでなく、④、⑤、⑥、⑦、⑧など様々である。
貴金属, 象牙, 直接的暴力, 病原体, 奴隷制と強制労働, 強制移住, 意図的な飢餓制作, 教育・伝道を通じた先住民の強制的同化
6
1492年に①がアメリカ大陸を発見してからスペイン人の征服が始まり、②条約(1494)によってローマ教皇に征服の優先権が認められ、新たな土地は③に属することとなった。
クリストバル・コロン, トルデリシャス, スペイン国王
7
スペインの蛮行の目撃証言として、①の②が有名である。③で制服戦争に参加後、彼は④に入会し、インディオ虐待の中止を求め活動した。
バルトロメ・デ・ラス・カサス, インディアスの破壊に関する簡潔な報告, イスパニョーラ島, ドミニコ会
8
スペインが最初に征服したのは①の②である。最初の植民都市は、③。騙し討ちや④によって虐殺を行った。先住民の減少に伴い、⑤から奴隷の輸入が始まった。
大アンティル諸島, イスパニョーラ島, サント・ドミンゴ, 病原体, アフリカ人
9
イスパニョーラ島だけでなく大アンティル諸島では、①や②や③で殺戮を行い、ラス・カサスはこれについて、述べている。 ①は当時は④という名前で、バハマ諸島には⑤と呼ばれる先住民がいた。
プエルトリコ, ジャマイカ, キューバ島, サン・フワン島, ルカーヨ族
10
スペインは1517年には①の征服に着手。②率いる征服者たちは1521年に③を滅亡させた。その後彼らのような④は中央アメリカ征服に取り掛かり、1524年には、グアテマラの⑤、翌年に⑥を征服、その3年後には⑦も征服された。
メキシコ, エルナン・コルテス, アステカ帝国, コンキスタドール, マヤ系諸王国, エルサルバドル, ニカラグア
11
15世紀の南アメリカでは①が繁栄していた。しかし、ヨーロッパからの病原菌で弱体化。そこを狙った②は1526年には③に到達、そこで①の存在を知り、スペイン国王③の許可を貰い1531年に征服を開始した。
インカ帝国, フランシスコ・ピサロ, カルロス一世
12
ピサロは11月に①でインカ帝国の皇帝②に面会。 その後帝国の首都である③に入り、傀儡を立ててインカを支配した。
カマハルカ, アタワルパ, クスコ
13
スペイン人はボリビアの①で銀山を見つけ、②と名付けられた。後に世界最大の鉱山となる。そこでは多くの奴隷が酷使されていた。
ポトシ, セロ・リコ
14
スペインでは、先住民を奴隷として働かせるために①という制度がとられた。
エンコミエンダ制
15
ラス・カサスも昔は、メキシコを征服した①の仲間であり、ドミニコ会士の主張に共感したことで考えを変えた。ドミニコ会士たちは、1512年の②において制服に反対し布教の方法を改めるよう求めた。聖書から捻り出した論理に基づいてラテン語で書かれた③(④)という仕組みが考え出された。
コルテス, ブルゴス会議, 歓降状, レクリミエント
16
新大陸に渡ったスペイン人はインディオの女性と子をもうけたが彼らもインディオとみなされ奴隷同然に扱われた。彼らは①と呼ばれる。①の増加により、肌の色での差別が始まり、②では20世紀にまでも民族抹殺政策がとられた。
メスティーソ, グアテマラ
17
先住民と征服者の土地に対する考え方の違いは北米先住民の①の②が14第北米大統領③に語った言葉に現れている。
スクアミシュ族, シアトル族長, フランクリン・ピアース
18
北米大陸入植肌17世紀に本格化した。 オランダは①を設立し、現在のニューヨークに②を形成した。フランスも③を中心としたカナダとカリブ海に面した④に植民地を建設した。イギリスも最初の植民地として⑤を開発した。
西インド会社, ニューネーデルラント植民地, ケベック, ルイジアナ, ヴァージニア
19
初期の北米への移民は迫害を受けていた①の人々が②に乗ってやってきた。 平和的な関係であった植民と先住民の関係は、③を筆頭とした④⑤⑥などの病原体と酒の中毒の蔓延、そして、⑦の生息地の縮小が挙げられる。
ピューリタン, メイフラワー号, 天然痘, コレラ, 麻疹, チフス, バイソン
20
北米における先住民と入植者の軋轢は①の②族と彼らの住む③に入植した白人入植者の間で起こった④が発端となり、先住民の虐殺が散発的に発生するようになった。
コネチカット州, ピクォート, マサチューセッツ湾, ピクォート戦争
21
1650年には①とフランス系植民地の対立が激化。①は毛皮の貿易路である②周辺で連合国家を作り、フランス人と交易していた。毛皮の値段のつり上げに伴った他部族との交戦の後、フランス入植者に攻撃を開始、③を包囲した。戦争は長期化したが、④の利益を考え、1701年に③で平和条約が結ばれた。対④政策のために両者は同盟関係となる。戦争によって⑤などの有力部族が中部平原地方に移住した。戦争のきっかけとなった毛皮の中で、特に⑥が珍重されたので⑥戦争とも呼ばれる。
イロコイ族, 五大湖, モントリオール, イギリス, スー族, ビーバー
22
イギリス入植地でも抗争が起こっており、①では1675年に②と白人入植者の戦いが起こった。同年に②は③を攻撃し、④⑤を含んだ①全域に及んだ。最初は優勢だったが後に反撃され敗れた。
ニューイングランド, ワンパノアグ族, プリマス入植地, マサチューセッツ, コネチカット
23
18世紀に入ると、①でも戦いが起こった。建設された②での有力部族である③は入植者と平和的な関係を築けていたが、非人道的なじけんがひんぱつしたことであ1711年に蜂起。②当局は④の助力を得て③を追いやった。その際に入植者と手を結んだ部族民は協定によつて領土を保持したが後に縮小されていった。
カロライナ植民地, ノースカロライナ, タスカローラ族, サウスカロライナ
24
カロライナのもうひとつの部族である①も②でサウスカロライナ軍の中核を担っていたが、イギリスとの交易品であった③と奴隷の確保が難しくなり、④の拡大で土地が侵食されたことで1715年に決起した。最初は有利に進んでいたものの、同盟を組んでいた⑤が1716年にサウスカロライナ側についたために入植者側が優勢となり、南部に追いやられた。
ヤマシー族, タスカローラ戦争, 鹿皮, 米作プランテーション, チェロキー族
25
北米で起きたイギリスとフランスの植民地をめぐる闘争は①とも呼ばれる。1688年から1697年には②、③が起きると北米でも④(1702〜1713)が起こり、⑤に呼応して⑥(1744〜1748)が、⑦(1756〜1763)と連動して⑧が起こった。戦いが起こる度に両者ともいずれかの先住民と同盟を結んだ。フランスが⑨と同盟を結ぶと、イギリスは⑩と同盟を結んだ。
北米での百年戦争, ウィリアム王戦争, スペイン継承戦争, アン女王戦争, オーストリア継承戦争, ジョージ王戦争, 七年戦争, フレンチ・インディアン戦争, チョクトー族, チカソー族
26
北米をめぐる両者の抗争は①の勝利に終わり、1793年の②によって③は北米の植民地を実質的に放棄した。①は③や④と同盟して敵対した先住民を追い出し始めた。従来からの親仏派部隊は⑤の⑥酋長の斡旋もあり、1793年に同盟し、①の⑦を襲撃した。⑧では入植者が⑨に逃げ込んだが同じように包囲された。①軍の⑩は敵を弱らせるために天然痘を利用した作戦を立案した。 結局①は⑪で⑥と和平条約を調印したが、内容は、⑫、⑬というものだった。ここまでの一連の戦いを⑥戦争という。
イギリス, パリ条約, フランス, スペイン, オタワ族, ポンティアック, デトロイト砦, ペンシルベニア, ピット砦, アマースト将軍, オンタリオ砦, 先住民族側が土地は割譲しない, 捕虜は帰さない
27
ポンティアック戦争を踏まえて政府は入植者と①の西にあるインディアンの土地との間に境界線を引き入植を禁止した。①から②、および③から④までが実質的に先住民の領土となった。
アパラチア山脈, ミシシッピ川, フロリダ, ニューファンドランド島
28
アメリカ史の文脈では、植民地搾取は入植者が「①」をスローガンに自由と人権を求めて独立をめざしたと説明される。
代表なくして課税なし
29
①の支配階級はポンティアック戦争後の取り決めや②の分離もあり、不満を持っており、パリ条約から12年後の1775年に③となって爆発した。
ニューイングランド, カナダ, アメリカ独立戦争
30
1773年、①南まで侵入した開拓者に先住民が反発し、抗争が起きた。当時のヴァージニア知事である②は軍隊を送り、先住民を屈服させた。これで先住民と入植者の全面的な対立が再燃した。 先住民は開拓者の侵略から土地を守るために③側につき、これに対し④は多数の非戦闘員を虐殺した。
オハイオ川, ダンモア, イギリス, 合衆国軍
31
1774年に独立戦争が勃発すると先住民はイギリス側につき侵略から土地を守ろうとした。合衆国軍は無差別虐殺を行い、中でも①の指揮下にある②の行動は最悪で、③の居住地に出発した後、居住地を完全に破壊して多くの囚人を捉える④を展開した。生き残った人々はカナダに逃げる最中に「⑤」によって多く凍死した。 この命令を出したのは⑥で、彼は⑦への従軍経験があった。
ジョン・サリバン将軍, サリバン遠征隊, イロコイ族, 焦土作戦, 飢餓の冬, ジョージ・ワシントン, フレンチ・インディアン戦争
32
合衆国独立後、1787年に①を発布して従来の境界線を否定した。立ち上がった先住民はじめはワシントンの鎮圧軍を破ったが、1794年の②で破れ、翌年の③に調印して④の全域と⑤の一部を割譲した。
北西部条約, フォールン・ティンバーズの戦い, グリーンビル条約, オハイオ, インディアナ
33
(1812年〜1814年)の①が勃発すると先住民はイギリスと同盟して②で米軍を苦しめたが、イギリスの途中離脱によって合衆国は1819年までに③までの土地を
米英戦争, 西部戦線, フロリダ
34
第3代大統領①は先住民に対して②と③というふたつの政策を推進した。②の結果④⑤⑥⑦⑧の5つの先住民族は文明化されていると考えられ、⑨と呼ばれた。
トーマス・ジェファーソン, 同化, 排除, チェロキー族, チカソー族, チョクトー族, クリーク族, セミノール族, 文明化五分族
35
第5代大統領に就任した①は先住民の狩猟値の収公を進めた。1817年には②を徹底的な焦土作戦で滅亡させた。
ジェームズ・モンロー, セミノール族
36
モンローのジェノサイド提案は議会に受け入れられなかったが、第7代大統領の①は彼の意志を継承した。当時②と③の間では係争が起こっており、②は土地に対して主権を有するという規定した憲法があったが、金鉱床が発見されると白人開拓者が侵入するようになった。最高裁は③が連邦の④と矛盾する法律を作ることは違法だとし、侵入者を排除する義務があるとしたが、①は先住民たちに⑤と⑥の新しい土地の引き換えに保留地を自発的に出ていくよう促した。
アンドリュー・ジャクソン, チェロキー族, ジョージア州, インディアン条約, オクラホマ州, アーカンソー州
37
ジャクソンの交渉をいくつかの部族はこれを受け入れた。しかし、①の首長だった②はそれを拒否した。それは新しい土地が不毛の砂漠だったからである。ジャクソンは①を排除し、西に移送した。1836年には③も追放され、15000いた部族の3500が移送中に亡くなった。移動の跡は後に④と言われるようになった。
チョクトー族, プシュマタハ, クリーク族, 涙の道
38
チェロキー族は最高裁判決を縦に抵抗するがジャクソンノ軍投入により追いやられ収容所に送られた。彼らは①へ送られる途中で多くなくなり、ほかの部族も同じように抵抗した。 ②では③と④が⑤と⑥に割譲された土地を取り戻すために⑦を戦った。フロリダでも⑧が7年間行われ、1500人の先住民が殺された。
オールド・ノースウエスト, ソーク族, フォックス族, イリノイ州, ウィスコンシン州, ブラックホーク戦争, 第二次セミノール戦争, ①インディアン準州
39
1851年に合衆国議会は①を可決した。これにより多くの人々が亡くなった。1840年代にはミシシッピ以西の入植が本格化し、先住民との対立が激化した。特に代平原北部の②と南西部の③は激しく抵抗した。 ②は④や⑤といった優れた指導者に率いられた戦闘力の高い部族で、③もまた戦闘に長けていた。③は⑥などの部族と協力し、1895年まで抵抗したが次第に抑え込まれた。
インディアン収公法, スー族, アパッチ族, タタンカ・イヨタケ, タシュンケ・ウィトコ, ナバホ族
40
1867年に狭い保留地に移住させられた①が絶望的な抵抗に立ちあがつた。②と呼ばれるこの戦いは③で6週間続いたが、粉砕された。
サンティ・スー族, ダコタ戦争, ミネソタ州
41
1894年に入植者がコロラド州南東部の①と②の集落を遅い、人々を皆殺しにする③が発生した。これを機にスー族は再び抵抗を開始し、1868年には④でサウスダコタ州とワイオミング州の州境にある⑤一帯をスー族に永遠に与えることを約束した。
シャイアン族, アラパホ族, サンドクリークの虐殺, ララミー砦の条約, ブラックヒルズ
42
1874年にブラックヒルズで金鉱が見つかると開拓者が押し寄せ、合衆国は遠征軍を送ってスー族にブラックヒルズを放棄させようとした。スー族の主力部隊をおびき出し、手薄になった宿営地を①の別部隊で奇襲しようとした作戦は読まれ合衆国軍は全滅させられた。これを②という。しかし結局スー族は1877年の協定によつてブラックヒルズを奪われた。
カスター大佐, リトル・ビッグ・ホーンの戦い
43
1890年にはサウスダコタ州①に連行された②の1団を卑怯な手で虐殺した③も発生した。
ウンデッド・ニー, ミネコンジュー・スー族, ウンデッ・ドニーの虐殺
44
1847年にアメリカに売却されたカリフォルニア州北部には①という先住民がいたが保護民とされ、1849年に②によって多くの開拓者が押し寄せた。
ユキ族, ゴールドラッシュ