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江戸時代-2-
100問 • 1年前
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    問題一覧

  • 1

    魚市は江戸の(◽️◽️)と大阪の(◽️◽️)に、青物位置は江戸の(◽️◽️)と大阪の(◽️◽️)に設けられた。

    日本橋

  • 2

    金貨は(◽️◽️)貨幣であり、銀貨は(◽️◽️)貨幣である。

    計数

  • 3

    金座では、(◽️◽️)や(◽️)金などの計数貨幣が鋳造された。

    小判

  • 4

    1601年には、(◽️◽️)・(◽️◽️)とよばれる銀貨を鋳造・発行した。

    丁銀

  • 5

    銭座は江戸と(◽️)に設置されたあと、全国各地に設けられた。

    近江坂本

  • 6

    当時の金貨の単位は(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)で、(◽️◽️)進法であった。

  • 7

    銀貨の単位は(◽️◽️)・(◽️◽️)・分・厘・毛である。

  • 8

    1609年に公定された比率で金一両と交換される銀の量は(◽️)匁である。

    50

  • 9

    元禄期頃の銭の交換比率は、金1両に対して銭(◽️)貫文であった。

    4

  • 10

    1670年、本両替のうち、大阪の両替仲間を支配した者が(◽️)に整備された。

    十人両替

  • 11

    熊野の豪商で材木とみかんの商売で大成功した人物は(◽️)、深川の材木商で日光東照宮の修理で富を得た人物は( )である。

    紀伊国屋文左衛門

  • 12

    大阪の豪商の( )は、18世紀はじめに驕奢を理由に全財産を没収された。

    淀屋辰五郎

  • 13

    林家の家塾である(◽️)は、林羅山が江戸上野の忍ケ岡にある孔子廟に開いた。

    弘文館

  • 14

    林羅山と子の(◽️◽️)は、幕命で日本史の編纂にとり組み、『(◽️◽️◽️)』を完成させた。

    林鵞峰

  • 15

    (◽️)の門人である(◽️◽️◽️)は加賀前田家に仕え、のちに綱吉の侍講となった。

    松永尺五

  • 16

    『六諭衍義大意』・『兼山麗沢秘策』の著者は(◽️)である。

    室鳩巣

  • 17

    『( )』は室鳩巣の随筆集である。

    駿台雑話

  • 18

    新井白石の著した『(◽️◽️◽️)』は、6代将軍徳川家宣のために進行した内容を整理したものである。

    読史余論

  • 19

    新井白石は『(◽️◽️)』を著して、『日本書紀』の合理的解釈を下した。

    古史通

  • 20

    朱子学は、藤原惺窩を祖とする京学と、土佐の(◽️)により確立した南学が展開した。

    谷時中

  • 21

    土佐藩家老(◽️)は、谷時中に朱子学を学んだ。

    野中兼山

  • 22

    明の王陽明が始めた陽明学は、「近江聖人」とよばれた(◽️◽️◽️)が広めた。

    中江藤樹

  • 23

    陽明学は(◽️)の立場で体制を批判し、その矛盾を改めようとしたため、幕府からは警戒された。

    知行合一

  • 24

    中江藤樹の門下からは(◽️◽️◽️)が出て、岡山の池田光政に仕えた。

    熊沢蕃山

  • 25

    熊沢蕃山は『(◽️◽️◽️)』で武士土着論を説いたため、下総古河に幽閉された。

    大学或問

  • 26

    『聖教要録』を著して朱子学批判をした古学派の人物は(◽️◽️◽️)である。

    山鹿素行

  • 27

    『中朝事実』の著者は(◽️)である。

    山鹿素行

  • 28

    『武家事紀』の著者は(◽️)である。

    山鹿素行

  • 29

    山鹿素行は『(◽️◽️◽️)』を著し、朱子学を批判したため赤穂に流された。

    聖教要録

  • 30

    『論語』や『孟子』の古典に直接立ち返ろうとし、経験的知識を重視した(◽️◽️◽️)は、京都の堀川で私塾としての(◽️◽️)を開いた。

    伊藤仁斎

  • 31

    京都の伊藤仁斎・(◽️)父子の学派は(◽️◽️)とよばれる。

    伊藤東涯

  • 32

    『孟子古義』の著者は(◽️)である。

    伊藤仁斎

  • 33

    『論語古義』の著者は(◽️)である。

    伊藤仁斎

  • 34

    古文辞学派の創始者である(◽️◽️◽️)は、将軍徳川吉宗の諮問に答え、幕政改革の意見書『(◽️◽️◽️)』を著した。

    荻生徂徠

  • 35

    荻生徂徠が創始した学派を(◽️◽️◽️)とよぶ。

    古文辞学派

  • 36

    荻生徂徠の一派は、徂徠が開いた塾の名から(◽️)とよばれた。

    蘐園学派

  • 37

    (◽️◽️◽️)は、荻生徂徠の弟子で、徂徠の説を発展させ、武士の商業活動の必要性を主張した。

    太宰春台

  • 38

    (◽️◽️◽️)は、『経済録』を著した。

    太宰春台

  • 39

    太宰春台は、武士が商業活動を行い、藩が(◽️◽️)制度をとり入れるよう提案している。

    専売

  • 40

    加賀藩主前田綱紀に仕えた稲生若水派、本草学の大著『(◽️◽️◽️)』を著した。

    庶物類纂

  • 41

    『庶物類纂』の著者は(◽️◽️)である。

    稲生若水

  • 42

    貝原益軒は、明の李時珍の著書『本草綱目』の分類をふまえながら、独自の観察にもとづいて『(◽️◽️◽️)』を著し、日本の本草学の基礎を築いた。

    大和本草

  • 43

    数学の民間普及書『塵劫記』を著したのは(◽️◽️)である。

    吉田光由

  • 44

    吉田光由の著した数学入門書を『(◽️◽️◽️)』という。

    塵劫記

  • 45

    関孝和は1674年に『(◽️◽️)』を著し、代数による筆算法を考案し、多元高次の方程式を解くことを可能にした。また、彼は円周率計算なども行った。

    発微算法

  • 46

    江戸時代になると、800年間も使われてきら(◽️)暦は、実際の天体現象との間に誤差が出ていた。1685年から使われ始めたのが(◽️◽️)暦である。

    宣明

  • 47

    (◽️◽️◽️)は、徳川光圀の要請を受けて『万葉集』の注釈書『(◽️◽️◽️)』を完成させた。

    契沖

  • 48

    『(◽️)』は、江戸時代の大商人などを題材とし、1688年に刊行された井原西鶴の浮世草子である。

    日本永代蔵

  • 49

    (◽️◽️)は貞門派の創始者で、(◽️◽️)は談林派の創始者である。

    松永貞徳

  • 50

    『曽根崎心中』は、大阪で人形浄瑠璃として初演された。その際の浄瑠璃の語り手は(◽️◽️)である。

    竹本義太夫

  • 51

    竹本義太夫が人形浄瑠璃の芝居小屋竹本座を大阪の道頓堀に創設し、人形遣いの(◽️)と組んで人気を博した。

    辰松八郎兵衛

  • 52

    (◽️◽️◽️)は、和事の名手である上方の歌舞伎役者である。

    坂田藤十郎

  • 53

    (◽️)は、京都の土佐派に対抗した大和絵の一派である(◽️)派を復興させた。

    住吉如慶

  • 54

    大和絵系統の画家である(◽️◽️)は江戸へ召し出されて、幕府御用絵師となった。彼の代表作に『洛中洛外図巻』がある。

    住吉具慶

  • 55

    (◽️◽️)は色絵を完成し、京焼の祖とよばれた。

    野々村仁清

  • 56

    (◽️)は、元禄頃に(◽️)という染め物を始めた。

    宮崎友禅

  • 57

    (◽️)は、鉈彫の仏像彫刻を多数残した。

    円空

  • 58

    吉宗は、『民間省要』を著した農政科で東海道川崎宿の名主である(◽️◽️)を登用した。

    田中丘隅

  • 59

    吉宗は(◽️◽️◽️)や(◽️◽️◽️)らの儒者を侍講に招いた。

    荻生徂徠

  • 60

    吉宗は、(◽️)年に、諸大名に石高1万石につき米100石を上納させる(◽️◽️◽️)を実施した。

    1722

  • 61

    吉宗は、微税法を(◽️◽️◽️)法から(◽️◽️◽️)法へ転換した。

    検見

  • 62

    吉宗が勘定奉行に登用した(◽️)は、「胡麻の油と百姓は、絞れば絞るほど出るものなり」といった。

    神尾春央

  • 63

    吉宗は、良質の(◽️)金銀を発行していたが、米価上昇をはかるため、質の悪い(◽️)金銀に改鋳した。

    享保

  • 64

    公事方御定書の下巻を『(◽️)』ともいう。

    御定書百箇条

  • 65

    吉宗は、江戸幕府が開かれて以来出されてきた単行法令を集めて「(◽️)」をまとめた。

    御触書寛保集成

  • 66

    吉宗は、甘藷以外に(◽️)・(◽️)・(◽️)などの栽培を奨励した。

    甘蔗

  • 67

    吉宗は、(◽️◽️)や(◽️◽️)にオランダ語を学ばせた。

    青木昆陽

  • 68

    江戸の三代飢饉のうち、最も早い(◽️◽️)の飢饉は、( )年、うんかの大発生によって西日本一帯の稲が枯れ、不作にいたったものである。

    享保

  • 69

    幕府は、株仲間とよばれる特定商人に専売権を与え、(◽️◽️◽️)・(◽️◽️◽️)を課した。

    運上

  • 70

    (◽️◽️)は、老中田沼意次が鋳造した定量計数銀貨である。

    南鐐弍朱銀

  • 71

    田沼意次は、下総国の(◽️◽️)・(◽️◽️)の干拓を進めた。

    印旛沼

  • 72

    田沼意次は、『(◽️◽️)』の著者である(◽️◽️)の意見を入れて蝦夷地の開発計画を立てた。

    赤蝦夷風説考

  • 73

    田沼意次は、蝦夷地開発の一環として(◽️◽️)を蝦夷地に派遣した。

    最上徳内

  • 74

    江戸時代初期の百姓一揆は、村役人層が中心となった(◽️)が多かった。

    代表越訴型一揆

  • 75

    江戸時代中期におこった、農民全階層が参加した一揆を(◽️◽️)という。

    惣百姓一揆

  • 76

    元文一揆や福山一揆は、( )の代表例である。

    全藩一揆

  • 77

    1686年信濃国松本藩の( )、1738年陸奥国磐城平藩の( )など、藩の全領域に及んだ一揆もあった。

    嘉助騒動

  • 78

    村役人の不正等を村民が領主に訴える運動を(◽️)という。

    村方騒動

  • 79

    岡山藩内でおこった、被差別部落民の蜂起を( )という。

    渋染一揆

  • 80

    豪農や在郷商人が、大都市の特権的な株仲間商人に対抗して、自由な経済活動を要求する動きを(◽️◽️)という。

    国訴

  • 81

    諸藩では家臣の俸禄を半分に削減する(◽️)を行うなどして、かろうじて財政の回復をはかってきた。

    半知

  • 82

    蔵元・掛屋などが大名に対して行った貸しつけのことを(◽️)という。

    大名貸

  • 83

    一部の有力な農民が村役人をつとめて、零細農民を年季奉公人として使役する地主経営を(◽️)という。

    地主手作

  • 84

    松平定信は、(◽️)の子で、(◽️)の孫にあたる。

    田安宗武

  • 85

    定信は、農政を預かる役人である(◽️)の大幅な異動を行った。

    代官

  • 86

    定信は、飢饉に備えて各大名に知行高1万石につき50石の割で貯蓄を命じる(◽️◽️◽️)を定めた。

    囲米

  • 87

    富裕者の寄付や課税によって運営する蔵を(◽️◽️)といい、住民が分相応に穀物を出し合って運営する蔵を(◽️◽️)という。

    義倉

  • 88

    松平定信は、都市政策の一環として、両替商を中心とした豪商10名を幕府に登用した。彼らを( )とよぶ。

    勘定書御用達

  • 89

    定信は、飢饉で荒廃した農村復興策として他国出稼制限令や(◽️◽️)を発布した。

    旧里帰農令

  • 90

    農村の生産人口の減少を食い止めるため、1767年に幕府が出した施策を( )という。

    赤子養育法

  • 91

    定信は、江戸の(◽️◽️)に(◽️◽️◽️)をおいて、不浪人や無宿人などを収容した。

    石川島

  • 92

    石川島の人足寄場は、火付盗賊改の( )の提議によって設けられた。

    長谷川平蔵

  • 93

    松平定信は、江戸の貧民対策として、町入用を節約して飢饉や災害に備える(◽️◽️◽️)という制度を設けた。

    七分積金(七分金積立)

  • 94

    七分金積立の「七分」とは(◽️◽️)の節約分の(◽️◽️)%を意味する。

    町入用

  • 95

    定信は、旗本・御家人を救済するため、(◽️◽️)の債権を放棄させる(◽️◽️◽️)を出した。

    札差

  • 96

    1790年、定信は(◽️◽️◽️)を出して、聖堂学問所での儒学の講義は朱子学のみとした。

    寛政異学の禁

  • 97

    「寛政の三博士」とは、(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)のことである。

    柴野栗山

  • 98

    「寛政の三博士」のうち、(◽️)が代官となったため、佐賀藩士の(◽️)にかわった。

    岡田寒泉

  • 99

    定信は、(◽️◽️◽️)が『(◽️◽️◽️)』などで海岸防備を説いたことを幕政批判として弾圧した。

    林子平

  • 100

    林子平は『(◽️)』を著し、日本を中心に朝鮮・琉球・蝦夷地を図示・解説した。

    三国通覧図説

  • シス単1021-1080

    シス単1021-1080

    NONO · 10問 · 1年前

    シス単1021-1080

    シス単1021-1080

    10問 • 1年前
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    シス単1201-1260

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    NONO · 10問 · 1年前

    シス単1201-1260

    シス単1201-1260

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    シス単1381-1440

    シス単1381-1440

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    シス単1381-1440

    シス単1381-1440

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    シス単1501-1560

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    シス単1501-1560

    5問 • 1年前
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    シス単1621-1680

    シス単1621-1680

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    シス単1621-1680

    シス単1621-1680

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    シス単1681-1740

    シス単1681-1740

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    シス単1681-1740

    シス単1681-1740

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    古文単語58-76

    古文単語58-76

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    古文単語58-76

    古文単語58-76

    6問 • 1年前
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    問題一覧

  • 1

    魚市は江戸の(◽️◽️)と大阪の(◽️◽️)に、青物位置は江戸の(◽️◽️)と大阪の(◽️◽️)に設けられた。

    日本橋

  • 2

    金貨は(◽️◽️)貨幣であり、銀貨は(◽️◽️)貨幣である。

    計数

  • 3

    金座では、(◽️◽️)や(◽️)金などの計数貨幣が鋳造された。

    小判

  • 4

    1601年には、(◽️◽️)・(◽️◽️)とよばれる銀貨を鋳造・発行した。

    丁銀

  • 5

    銭座は江戸と(◽️)に設置されたあと、全国各地に設けられた。

    近江坂本

  • 6

    当時の金貨の単位は(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)で、(◽️◽️)進法であった。

  • 7

    銀貨の単位は(◽️◽️)・(◽️◽️)・分・厘・毛である。

  • 8

    1609年に公定された比率で金一両と交換される銀の量は(◽️)匁である。

    50

  • 9

    元禄期頃の銭の交換比率は、金1両に対して銭(◽️)貫文であった。

    4

  • 10

    1670年、本両替のうち、大阪の両替仲間を支配した者が(◽️)に整備された。

    十人両替

  • 11

    熊野の豪商で材木とみかんの商売で大成功した人物は(◽️)、深川の材木商で日光東照宮の修理で富を得た人物は( )である。

    紀伊国屋文左衛門

  • 12

    大阪の豪商の( )は、18世紀はじめに驕奢を理由に全財産を没収された。

    淀屋辰五郎

  • 13

    林家の家塾である(◽️)は、林羅山が江戸上野の忍ケ岡にある孔子廟に開いた。

    弘文館

  • 14

    林羅山と子の(◽️◽️)は、幕命で日本史の編纂にとり組み、『(◽️◽️◽️)』を完成させた。

    林鵞峰

  • 15

    (◽️)の門人である(◽️◽️◽️)は加賀前田家に仕え、のちに綱吉の侍講となった。

    松永尺五

  • 16

    『六諭衍義大意』・『兼山麗沢秘策』の著者は(◽️)である。

    室鳩巣

  • 17

    『( )』は室鳩巣の随筆集である。

    駿台雑話

  • 18

    新井白石の著した『(◽️◽️◽️)』は、6代将軍徳川家宣のために進行した内容を整理したものである。

    読史余論

  • 19

    新井白石は『(◽️◽️)』を著して、『日本書紀』の合理的解釈を下した。

    古史通

  • 20

    朱子学は、藤原惺窩を祖とする京学と、土佐の(◽️)により確立した南学が展開した。

    谷時中

  • 21

    土佐藩家老(◽️)は、谷時中に朱子学を学んだ。

    野中兼山

  • 22

    明の王陽明が始めた陽明学は、「近江聖人」とよばれた(◽️◽️◽️)が広めた。

    中江藤樹

  • 23

    陽明学は(◽️)の立場で体制を批判し、その矛盾を改めようとしたため、幕府からは警戒された。

    知行合一

  • 24

    中江藤樹の門下からは(◽️◽️◽️)が出て、岡山の池田光政に仕えた。

    熊沢蕃山

  • 25

    熊沢蕃山は『(◽️◽️◽️)』で武士土着論を説いたため、下総古河に幽閉された。

    大学或問

  • 26

    『聖教要録』を著して朱子学批判をした古学派の人物は(◽️◽️◽️)である。

    山鹿素行

  • 27

    『中朝事実』の著者は(◽️)である。

    山鹿素行

  • 28

    『武家事紀』の著者は(◽️)である。

    山鹿素行

  • 29

    山鹿素行は『(◽️◽️◽️)』を著し、朱子学を批判したため赤穂に流された。

    聖教要録

  • 30

    『論語』や『孟子』の古典に直接立ち返ろうとし、経験的知識を重視した(◽️◽️◽️)は、京都の堀川で私塾としての(◽️◽️)を開いた。

    伊藤仁斎

  • 31

    京都の伊藤仁斎・(◽️)父子の学派は(◽️◽️)とよばれる。

    伊藤東涯

  • 32

    『孟子古義』の著者は(◽️)である。

    伊藤仁斎

  • 33

    『論語古義』の著者は(◽️)である。

    伊藤仁斎

  • 34

    古文辞学派の創始者である(◽️◽️◽️)は、将軍徳川吉宗の諮問に答え、幕政改革の意見書『(◽️◽️◽️)』を著した。

    荻生徂徠

  • 35

    荻生徂徠が創始した学派を(◽️◽️◽️)とよぶ。

    古文辞学派

  • 36

    荻生徂徠の一派は、徂徠が開いた塾の名から(◽️)とよばれた。

    蘐園学派

  • 37

    (◽️◽️◽️)は、荻生徂徠の弟子で、徂徠の説を発展させ、武士の商業活動の必要性を主張した。

    太宰春台

  • 38

    (◽️◽️◽️)は、『経済録』を著した。

    太宰春台

  • 39

    太宰春台は、武士が商業活動を行い、藩が(◽️◽️)制度をとり入れるよう提案している。

    専売

  • 40

    加賀藩主前田綱紀に仕えた稲生若水派、本草学の大著『(◽️◽️◽️)』を著した。

    庶物類纂

  • 41

    『庶物類纂』の著者は(◽️◽️)である。

    稲生若水

  • 42

    貝原益軒は、明の李時珍の著書『本草綱目』の分類をふまえながら、独自の観察にもとづいて『(◽️◽️◽️)』を著し、日本の本草学の基礎を築いた。

    大和本草

  • 43

    数学の民間普及書『塵劫記』を著したのは(◽️◽️)である。

    吉田光由

  • 44

    吉田光由の著した数学入門書を『(◽️◽️◽️)』という。

    塵劫記

  • 45

    関孝和は1674年に『(◽️◽️)』を著し、代数による筆算法を考案し、多元高次の方程式を解くことを可能にした。また、彼は円周率計算なども行った。

    発微算法

  • 46

    江戸時代になると、800年間も使われてきら(◽️)暦は、実際の天体現象との間に誤差が出ていた。1685年から使われ始めたのが(◽️◽️)暦である。

    宣明

  • 47

    (◽️◽️◽️)は、徳川光圀の要請を受けて『万葉集』の注釈書『(◽️◽️◽️)』を完成させた。

    契沖

  • 48

    『(◽️)』は、江戸時代の大商人などを題材とし、1688年に刊行された井原西鶴の浮世草子である。

    日本永代蔵

  • 49

    (◽️◽️)は貞門派の創始者で、(◽️◽️)は談林派の創始者である。

    松永貞徳

  • 50

    『曽根崎心中』は、大阪で人形浄瑠璃として初演された。その際の浄瑠璃の語り手は(◽️◽️)である。

    竹本義太夫

  • 51

    竹本義太夫が人形浄瑠璃の芝居小屋竹本座を大阪の道頓堀に創設し、人形遣いの(◽️)と組んで人気を博した。

    辰松八郎兵衛

  • 52

    (◽️◽️◽️)は、和事の名手である上方の歌舞伎役者である。

    坂田藤十郎

  • 53

    (◽️)は、京都の土佐派に対抗した大和絵の一派である(◽️)派を復興させた。

    住吉如慶

  • 54

    大和絵系統の画家である(◽️◽️)は江戸へ召し出されて、幕府御用絵師となった。彼の代表作に『洛中洛外図巻』がある。

    住吉具慶

  • 55

    (◽️◽️)は色絵を完成し、京焼の祖とよばれた。

    野々村仁清

  • 56

    (◽️)は、元禄頃に(◽️)という染め物を始めた。

    宮崎友禅

  • 57

    (◽️)は、鉈彫の仏像彫刻を多数残した。

    円空

  • 58

    吉宗は、『民間省要』を著した農政科で東海道川崎宿の名主である(◽️◽️)を登用した。

    田中丘隅

  • 59

    吉宗は(◽️◽️◽️)や(◽️◽️◽️)らの儒者を侍講に招いた。

    荻生徂徠

  • 60

    吉宗は、(◽️)年に、諸大名に石高1万石につき米100石を上納させる(◽️◽️◽️)を実施した。

    1722

  • 61

    吉宗は、微税法を(◽️◽️◽️)法から(◽️◽️◽️)法へ転換した。

    検見

  • 62

    吉宗が勘定奉行に登用した(◽️)は、「胡麻の油と百姓は、絞れば絞るほど出るものなり」といった。

    神尾春央

  • 63

    吉宗は、良質の(◽️)金銀を発行していたが、米価上昇をはかるため、質の悪い(◽️)金銀に改鋳した。

    享保

  • 64

    公事方御定書の下巻を『(◽️)』ともいう。

    御定書百箇条

  • 65

    吉宗は、江戸幕府が開かれて以来出されてきた単行法令を集めて「(◽️)」をまとめた。

    御触書寛保集成

  • 66

    吉宗は、甘藷以外に(◽️)・(◽️)・(◽️)などの栽培を奨励した。

    甘蔗

  • 67

    吉宗は、(◽️◽️)や(◽️◽️)にオランダ語を学ばせた。

    青木昆陽

  • 68

    江戸の三代飢饉のうち、最も早い(◽️◽️)の飢饉は、( )年、うんかの大発生によって西日本一帯の稲が枯れ、不作にいたったものである。

    享保

  • 69

    幕府は、株仲間とよばれる特定商人に専売権を与え、(◽️◽️◽️)・(◽️◽️◽️)を課した。

    運上

  • 70

    (◽️◽️)は、老中田沼意次が鋳造した定量計数銀貨である。

    南鐐弍朱銀

  • 71

    田沼意次は、下総国の(◽️◽️)・(◽️◽️)の干拓を進めた。

    印旛沼

  • 72

    田沼意次は、『(◽️◽️)』の著者である(◽️◽️)の意見を入れて蝦夷地の開発計画を立てた。

    赤蝦夷風説考

  • 73

    田沼意次は、蝦夷地開発の一環として(◽️◽️)を蝦夷地に派遣した。

    最上徳内

  • 74

    江戸時代初期の百姓一揆は、村役人層が中心となった(◽️)が多かった。

    代表越訴型一揆

  • 75

    江戸時代中期におこった、農民全階層が参加した一揆を(◽️◽️)という。

    惣百姓一揆

  • 76

    元文一揆や福山一揆は、( )の代表例である。

    全藩一揆

  • 77

    1686年信濃国松本藩の( )、1738年陸奥国磐城平藩の( )など、藩の全領域に及んだ一揆もあった。

    嘉助騒動

  • 78

    村役人の不正等を村民が領主に訴える運動を(◽️)という。

    村方騒動

  • 79

    岡山藩内でおこった、被差別部落民の蜂起を( )という。

    渋染一揆

  • 80

    豪農や在郷商人が、大都市の特権的な株仲間商人に対抗して、自由な経済活動を要求する動きを(◽️◽️)という。

    国訴

  • 81

    諸藩では家臣の俸禄を半分に削減する(◽️)を行うなどして、かろうじて財政の回復をはかってきた。

    半知

  • 82

    蔵元・掛屋などが大名に対して行った貸しつけのことを(◽️)という。

    大名貸

  • 83

    一部の有力な農民が村役人をつとめて、零細農民を年季奉公人として使役する地主経営を(◽️)という。

    地主手作

  • 84

    松平定信は、(◽️)の子で、(◽️)の孫にあたる。

    田安宗武

  • 85

    定信は、農政を預かる役人である(◽️)の大幅な異動を行った。

    代官

  • 86

    定信は、飢饉に備えて各大名に知行高1万石につき50石の割で貯蓄を命じる(◽️◽️◽️)を定めた。

    囲米

  • 87

    富裕者の寄付や課税によって運営する蔵を(◽️◽️)といい、住民が分相応に穀物を出し合って運営する蔵を(◽️◽️)という。

    義倉

  • 88

    松平定信は、都市政策の一環として、両替商を中心とした豪商10名を幕府に登用した。彼らを( )とよぶ。

    勘定書御用達

  • 89

    定信は、飢饉で荒廃した農村復興策として他国出稼制限令や(◽️◽️)を発布した。

    旧里帰農令

  • 90

    農村の生産人口の減少を食い止めるため、1767年に幕府が出した施策を( )という。

    赤子養育法

  • 91

    定信は、江戸の(◽️◽️)に(◽️◽️◽️)をおいて、不浪人や無宿人などを収容した。

    石川島

  • 92

    石川島の人足寄場は、火付盗賊改の( )の提議によって設けられた。

    長谷川平蔵

  • 93

    松平定信は、江戸の貧民対策として、町入用を節約して飢饉や災害に備える(◽️◽️◽️)という制度を設けた。

    七分積金(七分金積立)

  • 94

    七分金積立の「七分」とは(◽️◽️)の節約分の(◽️◽️)%を意味する。

    町入用

  • 95

    定信は、旗本・御家人を救済するため、(◽️◽️)の債権を放棄させる(◽️◽️◽️)を出した。

    札差

  • 96

    1790年、定信は(◽️◽️◽️)を出して、聖堂学問所での儒学の講義は朱子学のみとした。

    寛政異学の禁

  • 97

    「寛政の三博士」とは、(◽️◽️)・(◽️◽️)・(◽️◽️)のことである。

    柴野栗山

  • 98

    「寛政の三博士」のうち、(◽️)が代官となったため、佐賀藩士の(◽️)にかわった。

    岡田寒泉

  • 99

    定信は、(◽️◽️◽️)が『(◽️◽️◽️)』などで海岸防備を説いたことを幕政批判として弾圧した。

    林子平

  • 100

    林子平は『(◽️)』を著し、日本を中心に朝鮮・琉球・蝦夷地を図示・解説した。

    三国通覧図説