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世界史16〜18
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    問題一覧

  • 1

    アメリカ合衆国憲法制定過程で、憲法制定を主導し、連邦政府の権限強化を主張したハミルトンらが中心となった党派。

    連邦派

  • 2

    アメリカ合衆国憲法制定過程で各州の独立性を主張した党派。

    反連邦派

  • 3

    連邦主義には反対し、反連邦派をひきいリパブリカン党を結成した人。

    トマス=ジェファソン

  • 4

    連邦党と対立した反連邦派が結成し、1801年のジェファソン大統領を実現させた党。

    民主共和党

  • 5

    アメリカ合衆国で、1854年、奴隷制反対論者が結成した政党。

    共和党

  • 6

    アメリカ独立戦争(1775年~83年)を指導して勝利に導き、1789年にアメリカ合衆国初代大統領(任期97年まで)となった人。

    ジョージ=ワシントン

  • 7

    アメリカ合衆国の伝統的な外交政策の原則とされた、ヨーロッパ諸国への不介入のと、その干渉を認めないという外交姿勢。

    孤立主義

  • 8

    2代大統領ジョン=アダムスによって首都はどこからどこへ変更されたか

    フィラデルフィア, ワシントン

  • 9

    1800年の大統領選挙で当選しフェデラリストに代わって政権を握り、民主主義政治の実現を図った人。

    トマス=ジェファソン

  • 10

    1812年~14年の戦争、第2次独立戦争とも言われ、アメリカ合衆国の経済的自立がもたらされた。

    アメリカ=イギリス戦争

  • 11

    アメリカ合衆国第5代大統領。1823年、モンロー教書を発表、アメリカ外交の基本姿勢を示す。リパブリカン党。

    モンロー

  • 12

    西部の農民出身。米英戦争でのインディアン討伐などで活躍、1829~37年大統領を務めた人。

    ジャクソン

  • 13

    アメリカ合衆国で19世紀前半のジャクソン大統領時代に民主主義が伸展したこと。

    ジャクソニアン=デモクラシー

  • 14

    19世紀初頭のジャクソン大統領の時に始まる、アメリカ独自のシステムで、これによって公務員の交替を促し、政党政治が徹底する利点を持っている。

    スポイルズ=システム

  • 15

    西部・南部の自営農民を基盤とし、19世紀前半はホイッグ党と交互に政権を担当した党。

    民主党

  • 16

    アメリカ合衆国でジャクソン大統領の独裁的手法に反発し、1834年頃結成された政党。

    ホイッグ党

  • 17

    1830年、アメリカのジャクソン大統領の時に制定された、ミシシッピ東岸のインディアンを中西部に強制移住させる法律。

    先住民強制移住法

  • 18

    1838~39年、ミシシッピ東岸から排除されたチェロキー=インディアンが、西部に集団移住を強制され、オクラホマの居留地に苦難に満ちた移住を行った道程のこと。

    涙の旅路

  • 19

    19世紀後半のアメリカで領土の西方への発展を天命と考える見方。

    マニフェスト=デスティニー

  • 20

    1803年、ジェファソン大統領の時、アメリカ合衆国がナポレオンと交渉し、買収した。これによってアメリカの領土は約2倍に広がった。

    ルイジアナ

  • 21

    16世紀スペインが占領、1763年にイギリス領、1783年に再びスペイン領となり、1819年、アメリカ合衆国が買収し、1845年に州となる。

    フロリダ

  • 22

    メキシコ領であったがアメリカ人の入植が続き、1836年にテキサス共和国の独立を宣言、メキシコ軍を破り、1845年にアメリカが併合した。

    テキサス

  • 23

    アメリカ北西部、ロッキー山脈西側一帯の地域。1818年、米英共同管理となったが、1846年に北緯49度以南がアメリカ領となる。

    オレゴン

  • 24

    アメリカ=メキシコ戦争の結果、1848年にアメリカ領となった。

    カリフォルニア

  • 25

    19世紀のアメリカ合衆国での西部開拓をすすめた西部への移住運動。

    西漸運動

  • 26

    アメリカ合衆国の西端に接する未開の地

    フロンティア

  • 27

    西部開拓を進めたアメリカ人の中に芽生えた、自然の脅威やインディアンの抵抗などにもめげずに、独立独歩で自己の生活基盤を築いていくという精神。

    フロンティア=スピリット

  • 28

    1848年のカリフォルニアの金鉱発見から始まったアメリカ人口の西方大移動。

    ゴールド=ラッシュ

  • 29

    自国の産業を保護するため外国からの輸入品に高関税を掛けたり数量制限をする貿易政策。(アメリカ北部)

    保護関税政策

  • 30

    入植者が現地人・奴隷を労働力として単一作物を栽培する大農園。(アメリカ南部、タバコ,綿花,藍など)

    プランテーション

  • 31

    国歌による貿易統制を最小限に留めることを主張する政策。(アメリカ南部の貿易政策)

    自由貿易政策

  • 32

    背景:アメリカ北部

    連邦主義, 共和党

  • 33

    1820年、アメリカ合衆国の自由州と奴隷州の均衡を図るために定められた協定。ミズーリ州を奴隷州とする代わりに、自由州のメイン州をつくってバランスを取り、事後は北緯36度30分以北には奴隷州をおかないこととした。

    ミズーリ協定

  • 34

    アメリカ合衆国で、1854年、ミズーリ協定を否定し、準州が州昇格の際に自由州か奴隷州かを住民が選択できるとした法。

    カンザス=ネブラスカ法

  • 35

    第16代アメリカ合衆国大統領(共和党、在任1861~65年)。

    リンカン

  • 36

    1852年、ストウ夫人が発表した小説で、黒人奴隷のおかれた状況を愛情を持って描き、奴隷解放運動の高揚をもたらした。

    アンクル=トムの小屋

  • 37

    1861年2月に結成されたアメリカ南部諸州の連合国家。アメリカ合衆国から分離し、北部とのあいだで南北戦争となる。

    アメリカ連合国

  • 38

    1861年、アメリカ南部諸州が結成したアメリカ連合国の大統領。南北戦争で敗れた。

    ジェファソン=デヴィス

  • 39

    1862年、アメリカ大統領リンカンが出した西部の農民創出法。自営農地法とも言う。 21歳以上の男女の合衆国市民に公有地を貸与し、5年以上開拓に従事すれば、160エーカー(約65ヘクタール)の土地を無償で与えるというもの。

    ホームステッド法

  • 40

    1863年1月1日、南北戦争のさなか、アメリカ大統領リンカンが公布し、黒人奴隷の解放を宣言した。

    奴隷解放宣言

  • 41

    1863年7月の南北戦争での最大の戦闘となった戦い。リンカンの有名な演説が行われた場所としても知られる。

    ゲティスバーグの戦い

  • 42

    アメリカ合衆国ヴァージニア州の州都。南北戦争の時期、アメリカ連合国(=南部)の首都となった。

    リッチモンド

  • 43

    アメリカの南北戦争後、南部に広がった黒人の小作制度。分益小作人。

    シェアクロッパー

  • 44

    南北戦争後のアメリカ合衆国南部で白人の至上主義を掲げ、黒人に対する暴力行為を組織的に行った秘密結社。

    KKK

  • 45

    1869年に開通した、アメリカ大陸の東部と西部を結ぶ鉄道。南北戦争の後のアメリカ合衆国の工業発展を可能にした。

    大陸横断鉄道

  • 46

    19世紀末~20世紀初頭に急増したアメリカへの東欧・南欧からの移民。

    新移民

  • 47

    アメリカ工業発展の労働力とされた中国人、インド人などアジア系労働者。

    クーリー

  • 48

    1886年、アメリカで結成された全国的な労働組合組織。

    アメリカ労働総同盟

  • 49

    14~20世紀初頭まで存在したイスラム教スンナ派の大帝国。

    オスマン帝国

  • 50

    1535年、オスマン帝国のスレイマン1世がフランソワ1世のフランスに与えたとされる通商特権。領事裁判権も含み、後にフランス以外にも拡大され、ヨーロッパ列強の侵出の口実とされた。

    カピチュレーション

  • 51

    1571年、スペイン、ローマ教皇、ヴェネツィアの連合艦隊がオスマン帝国艦隊を破った海戦。スペインが地中海の制海権を得てオスマン帝国の勢力は後退した。

    レパントの海戦

  • 52

    1683年、オスマン帝国は2回目のウィーン包囲を行ったが失敗した。その後、オーストリアはハンガリーを回復して大国化し、オスマン帝国は衰退が始まった。

    第2次ウィーン包囲

  • 53

    1699年、オスマン帝国がオーストリアなどと結んだ条約。ハンガリーなどを割譲し、帝国領の縮小の第一歩となった。

    カルロヴィッツ条約

  • 54

    ヨーロッパ列国がオスマン帝国領内の民族独立運動に介入して表面化した列強の対立。

    東方問題

  • 55

    19世紀初めのオスマン帝国のスルタン。イェニチェリの全廃などの改革を実行した。 しかしワッハーブ王国の出現、ギリシア独立運動、急速に台頭したエジプトのムハンマド=アリーとのエジプト=トルコ戦争など多難が外交が続き1839年に急死した。

    マフムト2世

  • 56

    オスマン帝国で征服地のキリスト教徒から徴兵された新軍団。皇帝直属軍として帝国の軍事行動の中心となって活動した。次第に政治勢力化し、改革の障害ともなった。

    イェニチェリ

  • 57

    19世紀中ごろのオスマン帝国スルタン。タンジマートを推進するとともに、クリミア戦争でロシアと戦った。

    アブデュルメジト1世

  • 58

    1839年にオスマン帝国のスルタン、アブドュルメジト1世の時に出された近代化をめざす勅令。イスラーム教徒・非イスラーム教徒の法の前の平等、身分保障、などを定めた。

    ギュルハネ勅令

  • 59

    オスマン帝国の衰退に歯止めをかけ、19世紀後半に新たな国家統合の理念として採用され、帝国内の全住民に、宗教・民族の差をなくし平等な権利を与えようとした理念。

    オスマン主義

  • 60

    1839年のギュルハネ勅令に始まるオスマン帝国の近代化策。司法・行政・財政・軍事などにわたる西欧化を表明した、アブデュルメジト1世の諸改革の総称。

    タンジマート

  • 61

    19世紀後半のオスマン帝国スルタン。ミドハト憲法を制定したが露土戦争勃発に際して停止し、専制政治を再開。

    アブデュルハミト2世

  • 62

    オスマン帝国のタンジマート時代の改革派官僚。ミドハト憲法を立案し「憲法の父」と言われる。

    ミドハト=パシャ

  • 63

    1876年に制定されたオスマン帝国の近代的憲法。議会の開設、オスマン主義の理念などを定めた、アジア最初の憲法であるが、翌年の露土戦争勃発を理由に停止された。

    ミドハト憲法

  • 64

    1877年~78年に起こった、ロシア帝国とオスマン帝国の戦争。オスマン帝国に圧勝しサン=ステファノ条約を締結、領土を拡張したが、イギリス・オーストリアが強く反発した。

    ロシア=トルコ戦争

  • 65

    19世紀末~20世紀初頭、オスマン帝国の近代化をめざして結集した「統一と進歩委員会」など軍人や知識人が結成した運動体.

    青年トルコ

  • 66

    オスマン帝国の近代化をめざす青年トルコの中心となった結社。

    統一と進歩団

  • 67

    18~20世紀、2度にわたりアラビアでイスラム改革を唱える派閥が、豪族サウード家と結んで建てた王国。 第1次はエジプトのムハンマド=アリーと戦って敗れ、1818年に滅亡。1823年、リヤドで再建(第2次王国)したが、1889年に半島北部のラシード家によって滅ぼされた。

    ワッハーブ王国