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論理国語①
10問 • 3ヶ月前
  • 高谷駿
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    問題一覧

  • 1

    古代の狩猟民たちにとって、動物は射的場の的だったのではない。常に観えている自分たちと、自分たちと生存の場所を同じくする動物たちと、そしてその両者を守っている」と信じられる大いなる何者か、という立体的なひとつの世界、ひとつの生きた場を感じ続けていたはずだ。それはいまも極北のイヌイットたちの世界観である。その共通の場の中で、見えない至高の審判者(本来の法前と呼んでもいい)の見守る下で、狩猟民たちは動物たちと知恵比べのゲー私を生命がけでするのだ。その「知恵比べがたまらなく楽しい」とカナダ北極圏に住むインディアンの猟民たちは口々に言った、と文化人類学者の原ひろ子は報告している。(『ヘヤー・インディアンとその世界』)。 そう、は 、ということを私は納得しようとしている。呪術という形が、すぐれて精神的な、想像力にかかわる行為だということを。 農耕とくに高度の水田稲作も、種々の呪術的な儀式や祭りを伴っている。だが相手が植物でなく、しばしば反撃もし凶暴化もする動物たちの場合、そのゲームは生命がけである。知恵から暴力的衝動にわたる身使領域全体と、深く暗く熱くかかわらねばならない。 「狩猟は呪術的行為だ」を説明している最も適当なものを次の中から選べ。 ①狩猟は動物たちとの命がけの知恵比べであるため、 精神と想像力をはぐくむ。 ②狩猟は農耕とは異なり高度な知識を前提としないため、原始的な祈りの段階にある。 ③狩猟は動物を殺傷衝動にかかわる理性的な側面を有するため、現的である。 ④狩猟は人間の思い通りにならないため、人間を超えた存在への怖と働きかけを伴う。 ⑤狩猟は動物に依存していてバクチのようなものなので、幸運を呼び込む儀式を必要とする。

  • 2

    私たちは昼と夜をまったく別の空間として体験する。とくに夜の間のなかにいると、空間のなかに関が溶けているのではなく、逆にそのものが空間を形成しているのではないかと思えてくる。間と間は一体となって私たちにはたらきかける。ミンコフスキーは、夜の間を経の「明るい空間」に対立させたうえで、その積極的な価値に注目する。 夜は死せるなにものかでもない。ただそれはそれに固有の生命をもっている。夜にだても、私は島の鳴き声や仲間の呼び声を聞いたり、はるか遠くに微かな光が尾をひくのを認めたりすることがある。しかしこれらすべての印象は、明るい空間が形成するのとは全然異なった盤の上に、繰り広げられるであろう。この基盤は、生ける自我と一種待別関係にあり、明るい空間の場合とはまったく異なった仕方で、自我に与えられるであろう。 明るい空間のなかでは、私たちは視覚によってものをとらえることができる。私たちともののあいだ、私たちと間のあいだを距離がへだてている。距離は物前で測定できる量的なもので、この距離を媒介にして、私たちは空間と間接的な関係を結ぶ。私たちと空間のあいだを「距離」がへだてているため、空間が私たちに直接触れることはない。 一友、開は「明るい空間」とはまったく別の方法で私たちにはたらきかける。明るい空間のなかでは気が優先し、その結果、他の身体が抑制される。ところが関のなかでは、視覚にかわって、明るい空間のなかで抑制されていた身体感度がよびきまされ、その身体による問が活発化する。私たちの身体は空間に直接触れ合い、市間が私たちの身体に浸透するように感じられる。空間と私たちはひとつに溶けあう。それは「物質的」で、「手触り」のあるものだ。 明るい空間はよそよそしいが、暗い空間になれなれしい。恋人たちの愛のささやきは、明るい空間よりも暗い空間のなかでこそふさわしい。 闇のなかでは、私たちと空間はある共通の雰囲気に参与している。私たちを配するのは、ミンコフスキーが指摘するように、あらゆる方向から私たちを包みこむ「深さ」の次元である。それは気配に満ち、神性を飛びている。「深さ」は私たちの前にあるのではない。私たちのまわりにあって、私たちを包みこむ。しかも私たちの五感全体をつらめき、身体全体に浸透する共感覚的な体験である。 (野敏次「住居間の心身論―『奥」の日本文化」/センター本試験・二〇〇) 「闇は「明るい空間」とはまったく別の方法で私たちにはたらきかける」とあるが、そのはたらきかけは私たちにどのような状況をもたらすか。その説明として最も適当なもの、次の①~⑤のうちから一つ選びなさい。

    ①視覚的な距離によってへだてられていた私たちの身体と空間とが親密な関係になり、ある共通の雰囲気にともに参与させられる。

  • 3

    森は、人間の生活、生産の場であると同時に、島や動物たちの棲息地でもある。 島や動物たちは、自分たちに適した場所を探して森の中に棲む、それが、時に、人間の生活あるいは生産の場所と重なりあう場合がある。「つんべえとからす」の話ではないが、島や動物たちの行動が、人間の生活と衝突する場合もしばしば生ずるのは事実である。 島や物たちの行動については、まだまだ人間の知らない部分の方が多い。そのために島や動物たちの行動の結果に対して「愛」したり、「止め」をかけたりするに当たって、きっちりとした一線を引くことが帰しい。そのことが鳥駅言の運をめぐって、人間社会の中でいろいろなトラブルを起こす因ともなる。 島にしても、害虫を食べてくれる場合には人間は歓迎する。樹木に害を与える目の昆虫の幼虫(毛)を好んで食 『るのは、カッコウ、ツツドリ、ホトトギス等のトケン科の鳥であり、卵のうちに食べるのは、カラ類(シジュウカラ、 エナガ等)の島である。これらの島は、樹木を虫害から守ってくれる所であるから、人々はそれらを追い払うことはし (林進「森の心森の知恵」/センター本試験・1999) 「きっちりとした一線を引くことが難しい」とあるが、「難しい」のはなぜか。その理由の明として最もきなものを、①~⑤のうちから一つ選べ。

    ⑤人間は鳥の生態について知っていることが少ないので、森における人間の生活や生産活動にとって有害とわかっていても、鳥獣の行動をどう制限してよいのか判断できないから。

  • 4

    次の文章を読んで、後の問に答えよ。 うまくいっている会社の経営者やプロジェクトのリーダーは、間違いなくクリアなヴィジョンをもって事に当たる。ヴィジョンは、いわゆる「理想」「夢」とはまったく違うものだ。 たとえば、本を作るとしても、私はAとしたプランは立てない。 「働かない若い世代が、やる気を掻き立てられるような内容で書こうと思う」ではダメだ。 (齋藤孝『座右のニーチェ』/青山学院大学) 問 空欄Aに入れるのに最適なものを、次の中から選べ。 ア、判然イ、呆然ウ、殺伐工、茫漠オ、洋洋

    茫漠

  • 5

    次の文章を読んで、後の問に答えよ。 まことに経験や実践は、いろいろな意味で今日、検討と究明が焦眉の急 (*)になっている。 ところが、これらは、日常生活と結びついて、昔から人間にとって親しく身近なものであるのに、いやかえってそのためであろうか、いざその在り様を考えようとすると、曖昧なところが多く、 捉えにくくて、(①困惑させられてしまう。)「距離のとり方がうまくいかないのである。しかし、それらのこと、とくに距離がうまくとれないということは、経験や実践がそれだけ複雑に、また深く〈現実〉とかかわっているためではないだろうか。 *焦眉の急・・・非常に差し迫った問題。 (中村雄二郎氏の文章による/國學院大学) 傍線部①の理由としてもっとも適当なものを、次のなかから一つ選べ。

    経験や実践は日常と深く結びついていて客観的に捉えにくいから。

  • 6

    次の文章を読んで、後の問に答えよ。 おそらくルネッサンスにたいするこういう見方は、あまりにもペシミスティックであるだろう。 おそらく人びとは、そこに私の死にたいする理由のない愛を見いだすでもあろう。しかし、ベーター(*)の描き出したようなルネッサンスは―――そうして、その後、いっぱんに流布するに至った、人間的な、あまりにも人間的なルネッサンスの影像は、とうてい私には信じがたい。それは( A )のような感じがする。ところでほんとうのルネッサンスは、火をつけると、めらめらと青い焔をたてて燃えあがる、強烈な酒のようなものであったのだ。転生期のもつ性格は無慈悲であり、必死の抵抗以外に再生の道はないのだ。ベーターのみたのは、再生してしまった健康なクラヴェリナの姿であった。しかるに、ルネッサンスにおいて私の問題にしたいのは、結果ではなく過程である。クラヴェリナの正体のうかがわれるのは、その死から生へのすさまじい逆行の過程においてであった。 (花田清輝『復興期の精神』/早稲田大学・2009・商) *ペーター・・・イギリスの作家、批評家。 *クラヴェリナ・・・ホヤの一種で再生機能をもつ。 間(A)に入る語句として最も適当なものを選べ。

    生ぬるい牛乳

  • 7

    次の文章を読んで、後の問に答えよ。 古代の狩猟民たちにとって、動物は射的場の的だったのではない。常に飢えている自分たちと、自分たちと生存の場所を同じくする動物たちと、そしてその両者を『見守っている」と信じられる大いなる何者か、という立体的なひとつの世界、ひとつの生きた場を感じ続けていたはずだ。 それはいまも極北のイヌイットたちの世界観である。その共通の場の中で、見えない至高の審判者(生態系の法則と呼んでもいい)の見守る下で、狩猟民たちは動物たちと知恵比べのゲームを生命がけでするのだ。その「知恵比べがたまらなく楽しい」とカナダ北極圏に住むインディアンの狩猟民たちは口々に言った、と文化人類学者の原ひろ子は報告している。『ヘヤー・インディアンとその世界』)” そう、(①狩猟は呪術的行為だ)、ということを私は納得しようとしている。呪術という形が、すぐれて精神的な、想像力にかかわる行為だということを。 農耕とくに高度の水田稲作も、種々の呪術的な儀式や祭りを伴っている。だが相手が植物でなく、しばしば反撃もし凶暴化もする動物たちの場合、そのゲームは生命がけである。知恵から暴力的衝動にわたる身体城全体と、深く暗く熱くかかわらねばならない。 (日野時二『書くことの秘儀』/早稲田大学・2009,文化構想) 傍線部「狩は呪術的行為だ」を説明しているもっとも適当なものを次の中から選べ。

    狩猟は人間の思い通りにならないため、人間を超えた存在への畏怖と働きかけを伴う。

  • 8

    次の文章を読んで、後の問に答えよ。 森は、人間の生活、生産の場であると同時に、鳥や動物たちの棲息地でもある。 鳥や動物たちは、自分たちに適した場所を探して森の中に棲む。それが、時に、人間の生活空間あるいは生産の場所と重なりあう場合がある。「ごんべえとからす」の話ではないが、鳥や動物たちの行動が、人間の生活と衝突する場合もしばしば生ずるのは事実である。 鳥や動物たちの行動については、まだまだ人間の知らない部分の方が多い。そのために鳥や動物たちの行動の結果に対して「受忍」したり、「歯止め」をかけたりするに当たって、(①きっちりとした一線を引くことが難しい。)そのことが鳥獣害の処理をめぐって、人間社会の中でいろいろなトラブルを起こす因ともなる。 鳥にしても、害虫を食べてくれる場合には人間は歓迎する。樹木に害を与える鱗翅目の昆虫の幼虫(毛虫)を好んで食べるのは、カッコウ、ツツドリ、ホトトギス等のトケン科の鳥であり、 卵のうちに食べるのは、カラ類(シジュウカラ、エナガ等)の島である。これらの鳥は、樹木を虫害から守ってくれる益為であるから、人々はそれらを追い払うことはしない。 (林進『森の心森の知恵』/センター本試験・1999) ①「きっちりとした一線を引くことが難しい」とあるが、「難しい」のはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを一つ選べ。

    人間は鳥獣の生態について知っていることが少ないので、森における人間の生活や生産活動にとって有害とわかっていても、鳥獣の行動をどう制限してよいのか判断できないから。

  • 9

    次の文章を読んで、後の問に答えなさい。 フロイトによれば、人間の自己愛は過去に三度ほど大きな痛手をこうむったことがあるという。一度目は、コペルニクスの地によって地球が天体店の中心から追放されたとき、二度目は、ダーウィンの進化論によって人類が動物世界の中心から追放されたときに、そして三度目は、フロイト自身の無意識の見によって自己意識が人間の心的世界の中心から追放されたときに。 しかしながら実は、人間の自己愛には、すくなくとももうひとつ、フロイトが語らなかった傷が秘められている。だが、 それがどのような傷であるかを語るためには、ここでいささか回り道をして、まずは「ヴェニスの商人」について語らなければならない。 ヴェニスの商人――それは、人類の歴史の中で「ノアの洪水以前」から存在していた商業資本主義の体現者のことである。海をはるかへだてた中国やインドやペルシャまで航海をして組やコショクや誠続を安く買い、ヨーロッパに持ちかえって高く売りさばく、遠隔地とヨーロッパとのあいだに存在する価値の差異が、莫大な利潤としてかれの手元に残ることになる。すなわち、ヴェニスの商人が体現している商業資本主義とは、地理的に離れたふたつの国のあいだの価値の差異を介して利潤を生み出す方法である。そこでは、利潤は差別から生まれている。 だが、(①経済学という学間は、まさに、このヴェニスの商人を抹殺することから出発した。)کد 経済学という学問は、まさに、このヴェニスの商人を殺することから出発した」とあるが、それはどういうことか。最も適切なものを選べ。

    経済学という学問は、差異が利潤をもたらすという認識を退け、人間の労働を富の創出の中心に位置づけることから始まったということ。

  • 10

    実際、リカードやマルクスの前で進行しつつあった産業革命は、工場制度による大量生産を可能にし、一人の労働が生産しうる商品の価値(労働生産性)はその労需者がみずからの生活を維持していくのに必要な消費財の価値(実質賃金)を大きく上回るようになったのである。労働者が生産するこの剰余価値それが、かれらが見いだした産業資本主義における利間の源泉なのであった。もちろん、この利調は資本家によって搾取されてしまうものなのではあるが、リカードやマルクスはその源足をあくまでも労働する主体としての人間にもとめていたのである。 だが、革命から二百五十年を経た今日、ボスト産業資本主義の名のもとに、旧来の産業資本主義の急速な変貌が伝えられている。ポスト産業資本主義―それは、加工食品や細維製品機械製品や化学製品のような実体的な工業生産物にかわって、(①技術、通信、文化、広告、教育、娯楽といったいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態)であるという。そして、このポスト産業資本主義である。 「技術、通信、文化、広告、教育、娯楽といったいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態」とあるが、この場「そのもの」が「商品化」されるとはどういうことか。その具体的な説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

    多チャンネル化した有料テレビ放送が提供する多種多な娯楽のように、各人の好みに応じて視聴される番組が、 商品としての価値を持つようになること。

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  • 1

    古代の狩猟民たちにとって、動物は射的場の的だったのではない。常に観えている自分たちと、自分たちと生存の場所を同じくする動物たちと、そしてその両者を守っている」と信じられる大いなる何者か、という立体的なひとつの世界、ひとつの生きた場を感じ続けていたはずだ。それはいまも極北のイヌイットたちの世界観である。その共通の場の中で、見えない至高の審判者(本来の法前と呼んでもいい)の見守る下で、狩猟民たちは動物たちと知恵比べのゲー私を生命がけでするのだ。その「知恵比べがたまらなく楽しい」とカナダ北極圏に住むインディアンの猟民たちは口々に言った、と文化人類学者の原ひろ子は報告している。(『ヘヤー・インディアンとその世界』)。 そう、は 、ということを私は納得しようとしている。呪術という形が、すぐれて精神的な、想像力にかかわる行為だということを。 農耕とくに高度の水田稲作も、種々の呪術的な儀式や祭りを伴っている。だが相手が植物でなく、しばしば反撃もし凶暴化もする動物たちの場合、そのゲームは生命がけである。知恵から暴力的衝動にわたる身使領域全体と、深く暗く熱くかかわらねばならない。 「狩猟は呪術的行為だ」を説明している最も適当なものを次の中から選べ。 ①狩猟は動物たちとの命がけの知恵比べであるため、 精神と想像力をはぐくむ。 ②狩猟は農耕とは異なり高度な知識を前提としないため、原始的な祈りの段階にある。 ③狩猟は動物を殺傷衝動にかかわる理性的な側面を有するため、現的である。 ④狩猟は人間の思い通りにならないため、人間を超えた存在への怖と働きかけを伴う。 ⑤狩猟は動物に依存していてバクチのようなものなので、幸運を呼び込む儀式を必要とする。

  • 2

    私たちは昼と夜をまったく別の空間として体験する。とくに夜の間のなかにいると、空間のなかに関が溶けているのではなく、逆にそのものが空間を形成しているのではないかと思えてくる。間と間は一体となって私たちにはたらきかける。ミンコフスキーは、夜の間を経の「明るい空間」に対立させたうえで、その積極的な価値に注目する。 夜は死せるなにものかでもない。ただそれはそれに固有の生命をもっている。夜にだても、私は島の鳴き声や仲間の呼び声を聞いたり、はるか遠くに微かな光が尾をひくのを認めたりすることがある。しかしこれらすべての印象は、明るい空間が形成するのとは全然異なった盤の上に、繰り広げられるであろう。この基盤は、生ける自我と一種待別関係にあり、明るい空間の場合とはまったく異なった仕方で、自我に与えられるであろう。 明るい空間のなかでは、私たちは視覚によってものをとらえることができる。私たちともののあいだ、私たちと間のあいだを距離がへだてている。距離は物前で測定できる量的なもので、この距離を媒介にして、私たちは空間と間接的な関係を結ぶ。私たちと空間のあいだを「距離」がへだてているため、空間が私たちに直接触れることはない。 一友、開は「明るい空間」とはまったく別の方法で私たちにはたらきかける。明るい空間のなかでは気が優先し、その結果、他の身体が抑制される。ところが関のなかでは、視覚にかわって、明るい空間のなかで抑制されていた身体感度がよびきまされ、その身体による問が活発化する。私たちの身体は空間に直接触れ合い、市間が私たちの身体に浸透するように感じられる。空間と私たちはひとつに溶けあう。それは「物質的」で、「手触り」のあるものだ。 明るい空間はよそよそしいが、暗い空間になれなれしい。恋人たちの愛のささやきは、明るい空間よりも暗い空間のなかでこそふさわしい。 闇のなかでは、私たちと空間はある共通の雰囲気に参与している。私たちを配するのは、ミンコフスキーが指摘するように、あらゆる方向から私たちを包みこむ「深さ」の次元である。それは気配に満ち、神性を飛びている。「深さ」は私たちの前にあるのではない。私たちのまわりにあって、私たちを包みこむ。しかも私たちの五感全体をつらめき、身体全体に浸透する共感覚的な体験である。 (野敏次「住居間の心身論―『奥」の日本文化」/センター本試験・二〇〇) 「闇は「明るい空間」とはまったく別の方法で私たちにはたらきかける」とあるが、そのはたらきかけは私たちにどのような状況をもたらすか。その説明として最も適当なもの、次の①~⑤のうちから一つ選びなさい。

    ①視覚的な距離によってへだてられていた私たちの身体と空間とが親密な関係になり、ある共通の雰囲気にともに参与させられる。

  • 3

    森は、人間の生活、生産の場であると同時に、島や動物たちの棲息地でもある。 島や動物たちは、自分たちに適した場所を探して森の中に棲む、それが、時に、人間の生活あるいは生産の場所と重なりあう場合がある。「つんべえとからす」の話ではないが、島や動物たちの行動が、人間の生活と衝突する場合もしばしば生ずるのは事実である。 島や物たちの行動については、まだまだ人間の知らない部分の方が多い。そのために島や動物たちの行動の結果に対して「愛」したり、「止め」をかけたりするに当たって、きっちりとした一線を引くことが帰しい。そのことが鳥駅言の運をめぐって、人間社会の中でいろいろなトラブルを起こす因ともなる。 島にしても、害虫を食べてくれる場合には人間は歓迎する。樹木に害を与える目の昆虫の幼虫(毛)を好んで食 『るのは、カッコウ、ツツドリ、ホトトギス等のトケン科の鳥であり、卵のうちに食べるのは、カラ類(シジュウカラ、 エナガ等)の島である。これらの島は、樹木を虫害から守ってくれる所であるから、人々はそれらを追い払うことはし (林進「森の心森の知恵」/センター本試験・1999) 「きっちりとした一線を引くことが難しい」とあるが、「難しい」のはなぜか。その理由の明として最もきなものを、①~⑤のうちから一つ選べ。

    ⑤人間は鳥の生態について知っていることが少ないので、森における人間の生活や生産活動にとって有害とわかっていても、鳥獣の行動をどう制限してよいのか判断できないから。

  • 4

    次の文章を読んで、後の問に答えよ。 うまくいっている会社の経営者やプロジェクトのリーダーは、間違いなくクリアなヴィジョンをもって事に当たる。ヴィジョンは、いわゆる「理想」「夢」とはまったく違うものだ。 たとえば、本を作るとしても、私はAとしたプランは立てない。 「働かない若い世代が、やる気を掻き立てられるような内容で書こうと思う」ではダメだ。 (齋藤孝『座右のニーチェ』/青山学院大学) 問 空欄Aに入れるのに最適なものを、次の中から選べ。 ア、判然イ、呆然ウ、殺伐工、茫漠オ、洋洋

    茫漠

  • 5

    次の文章を読んで、後の問に答えよ。 まことに経験や実践は、いろいろな意味で今日、検討と究明が焦眉の急 (*)になっている。 ところが、これらは、日常生活と結びついて、昔から人間にとって親しく身近なものであるのに、いやかえってそのためであろうか、いざその在り様を考えようとすると、曖昧なところが多く、 捉えにくくて、(①困惑させられてしまう。)「距離のとり方がうまくいかないのである。しかし、それらのこと、とくに距離がうまくとれないということは、経験や実践がそれだけ複雑に、また深く〈現実〉とかかわっているためではないだろうか。 *焦眉の急・・・非常に差し迫った問題。 (中村雄二郎氏の文章による/國學院大学) 傍線部①の理由としてもっとも適当なものを、次のなかから一つ選べ。

    経験や実践は日常と深く結びついていて客観的に捉えにくいから。

  • 6

    次の文章を読んで、後の問に答えよ。 おそらくルネッサンスにたいするこういう見方は、あまりにもペシミスティックであるだろう。 おそらく人びとは、そこに私の死にたいする理由のない愛を見いだすでもあろう。しかし、ベーター(*)の描き出したようなルネッサンスは―――そうして、その後、いっぱんに流布するに至った、人間的な、あまりにも人間的なルネッサンスの影像は、とうてい私には信じがたい。それは( A )のような感じがする。ところでほんとうのルネッサンスは、火をつけると、めらめらと青い焔をたてて燃えあがる、強烈な酒のようなものであったのだ。転生期のもつ性格は無慈悲であり、必死の抵抗以外に再生の道はないのだ。ベーターのみたのは、再生してしまった健康なクラヴェリナの姿であった。しかるに、ルネッサンスにおいて私の問題にしたいのは、結果ではなく過程である。クラヴェリナの正体のうかがわれるのは、その死から生へのすさまじい逆行の過程においてであった。 (花田清輝『復興期の精神』/早稲田大学・2009・商) *ペーター・・・イギリスの作家、批評家。 *クラヴェリナ・・・ホヤの一種で再生機能をもつ。 間(A)に入る語句として最も適当なものを選べ。

    生ぬるい牛乳

  • 7

    次の文章を読んで、後の問に答えよ。 古代の狩猟民たちにとって、動物は射的場の的だったのではない。常に飢えている自分たちと、自分たちと生存の場所を同じくする動物たちと、そしてその両者を『見守っている」と信じられる大いなる何者か、という立体的なひとつの世界、ひとつの生きた場を感じ続けていたはずだ。 それはいまも極北のイヌイットたちの世界観である。その共通の場の中で、見えない至高の審判者(生態系の法則と呼んでもいい)の見守る下で、狩猟民たちは動物たちと知恵比べのゲームを生命がけでするのだ。その「知恵比べがたまらなく楽しい」とカナダ北極圏に住むインディアンの狩猟民たちは口々に言った、と文化人類学者の原ひろ子は報告している。『ヘヤー・インディアンとその世界』)” そう、(①狩猟は呪術的行為だ)、ということを私は納得しようとしている。呪術という形が、すぐれて精神的な、想像力にかかわる行為だということを。 農耕とくに高度の水田稲作も、種々の呪術的な儀式や祭りを伴っている。だが相手が植物でなく、しばしば反撃もし凶暴化もする動物たちの場合、そのゲームは生命がけである。知恵から暴力的衝動にわたる身体城全体と、深く暗く熱くかかわらねばならない。 (日野時二『書くことの秘儀』/早稲田大学・2009,文化構想) 傍線部「狩は呪術的行為だ」を説明しているもっとも適当なものを次の中から選べ。

    狩猟は人間の思い通りにならないため、人間を超えた存在への畏怖と働きかけを伴う。

  • 8

    次の文章を読んで、後の問に答えよ。 森は、人間の生活、生産の場であると同時に、鳥や動物たちの棲息地でもある。 鳥や動物たちは、自分たちに適した場所を探して森の中に棲む。それが、時に、人間の生活空間あるいは生産の場所と重なりあう場合がある。「ごんべえとからす」の話ではないが、鳥や動物たちの行動が、人間の生活と衝突する場合もしばしば生ずるのは事実である。 鳥や動物たちの行動については、まだまだ人間の知らない部分の方が多い。そのために鳥や動物たちの行動の結果に対して「受忍」したり、「歯止め」をかけたりするに当たって、(①きっちりとした一線を引くことが難しい。)そのことが鳥獣害の処理をめぐって、人間社会の中でいろいろなトラブルを起こす因ともなる。 鳥にしても、害虫を食べてくれる場合には人間は歓迎する。樹木に害を与える鱗翅目の昆虫の幼虫(毛虫)を好んで食べるのは、カッコウ、ツツドリ、ホトトギス等のトケン科の鳥であり、 卵のうちに食べるのは、カラ類(シジュウカラ、エナガ等)の島である。これらの鳥は、樹木を虫害から守ってくれる益為であるから、人々はそれらを追い払うことはしない。 (林進『森の心森の知恵』/センター本試験・1999) ①「きっちりとした一線を引くことが難しい」とあるが、「難しい」のはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを一つ選べ。

    人間は鳥獣の生態について知っていることが少ないので、森における人間の生活や生産活動にとって有害とわかっていても、鳥獣の行動をどう制限してよいのか判断できないから。

  • 9

    次の文章を読んで、後の問に答えなさい。 フロイトによれば、人間の自己愛は過去に三度ほど大きな痛手をこうむったことがあるという。一度目は、コペルニクスの地によって地球が天体店の中心から追放されたとき、二度目は、ダーウィンの進化論によって人類が動物世界の中心から追放されたときに、そして三度目は、フロイト自身の無意識の見によって自己意識が人間の心的世界の中心から追放されたときに。 しかしながら実は、人間の自己愛には、すくなくとももうひとつ、フロイトが語らなかった傷が秘められている。だが、 それがどのような傷であるかを語るためには、ここでいささか回り道をして、まずは「ヴェニスの商人」について語らなければならない。 ヴェニスの商人――それは、人類の歴史の中で「ノアの洪水以前」から存在していた商業資本主義の体現者のことである。海をはるかへだてた中国やインドやペルシャまで航海をして組やコショクや誠続を安く買い、ヨーロッパに持ちかえって高く売りさばく、遠隔地とヨーロッパとのあいだに存在する価値の差異が、莫大な利潤としてかれの手元に残ることになる。すなわち、ヴェニスの商人が体現している商業資本主義とは、地理的に離れたふたつの国のあいだの価値の差異を介して利潤を生み出す方法である。そこでは、利潤は差別から生まれている。 だが、(①経済学という学間は、まさに、このヴェニスの商人を抹殺することから出発した。)کد 経済学という学問は、まさに、このヴェニスの商人を殺することから出発した」とあるが、それはどういうことか。最も適切なものを選べ。

    経済学という学問は、差異が利潤をもたらすという認識を退け、人間の労働を富の創出の中心に位置づけることから始まったということ。

  • 10

    実際、リカードやマルクスの前で進行しつつあった産業革命は、工場制度による大量生産を可能にし、一人の労働が生産しうる商品の価値(労働生産性)はその労需者がみずからの生活を維持していくのに必要な消費財の価値(実質賃金)を大きく上回るようになったのである。労働者が生産するこの剰余価値それが、かれらが見いだした産業資本主義における利間の源泉なのであった。もちろん、この利調は資本家によって搾取されてしまうものなのではあるが、リカードやマルクスはその源足をあくまでも労働する主体としての人間にもとめていたのである。 だが、革命から二百五十年を経た今日、ボスト産業資本主義の名のもとに、旧来の産業資本主義の急速な変貌が伝えられている。ポスト産業資本主義―それは、加工食品や細維製品機械製品や化学製品のような実体的な工業生産物にかわって、(①技術、通信、文化、広告、教育、娯楽といったいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態)であるという。そして、このポスト産業資本主義である。 「技術、通信、文化、広告、教育、娯楽といったいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態」とあるが、この場「そのもの」が「商品化」されるとはどういうことか。その具体的な説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

    多チャンネル化した有料テレビ放送が提供する多種多な娯楽のように、各人の好みに応じて視聴される番組が、 商品としての価値を持つようになること。