問題一覧
1
( )が中国を統一 (589年)
隋
2
・朝鮮半島 ・( )が半島南部に進出 ・( )・( )が( )諸国へ進出 ・残存する( )を( )が併合
高句麗, 百済, 新羅, 加耶, 加耶, 新羅
3
朝鮮半島政策の失敗により( )が失脚、 ( )氏が権力を強める、 百済より伝来した( )の受容をめぐって( )氏と対立
大伴金村, 蘇我, 仏教, 物部
4
蘇我馬子は587年に( )をほろぼし、592年には( )天皇を殺害させる
物部守屋, 崇峻
5
( )天皇が即位すると、甥の( )(厩戸王)が蘇我氏と結んで新しい国家体制に取り組み、603年に( )の制度、604年に( )を定めた
推古, 聖徳太子, 冠位十二階, 憲法十七条
6
607年、小野妹子を( )として隋へ
遣隋使
7
608年、隋が滅び、( )にかわる
唐
8
( )、( )が山背大兄王を滅ぼす
蘇我蝦夷, 蘇我入鹿
9
王族中心の中央政権を目指す中大兄皇子と中臣鎌足が( )をすすめようとした
大化の改新
10
改新の詔 (1)( )制の確立 (2)地方行政組織と軍事・交通制度の整備 (3)( )・( )の作成と( )法の施行 (4)統一的な新しい税制の実施
公地公民, 戸籍, 計帳, 班田収授
11
唐が( )と同盟を結び676年に朝鮮半島を統一、倭は旧百済勢力を助けるために大軍を送ったが( )の戦いで大敗
新羅, 白村江
12
中大兄皇子は唐や新羅の進攻に備えて、九州統治の中心部を守るため、( )や( )をつくるなど改革を急いだ
水城, 古代山城
13
中大兄皇子は668年に即位して( )天皇となり、670年には最初の全国的な戸籍である( )をつくった
天智, 庚午年籍
14
天智天皇が亡くなると( )の乱が起こり、672年、天皇の弟の( )は天智天皇の子の大友皇子を倒した
壬申, 大海人
15
大海人皇子は都を( )に戻して即位して( )天皇となり、( )を制定して豪族の身分秩序を再編成した
飛鳥, 天武, 八色の姓
16
天武天皇の死後、事業を引き継いだ( )天皇のもとで( )令が施行された。また、本格的な都城である( )を完成させた
持統, 飛鳥浄御原, 藤原京
17
701年大宝律令が制定された。律は( )にあたり、令は( )に関するさまざまな法規で、唐の( )を手本として作られた
刑法, 行政, 律令
18
律令による政治を担った中央官庁は ( )・( )である
二官, 八省
19
二官とは( )と( )で、( )が国政を担当した。国政は左大臣、右大臣などの( )が会議を行い、天皇が決定を下す形式をとった
神祇官, 太政官, 太政官, 公卿
20
太政官の下には実務を担当する八省がおかれ、各役所には、( )・( )・( )・( )の ( )がおかれた。
長官, 次官, 判官, 主典, 四等官
21
全国は畿内、( )に行政区分され、国・郡・里が設けられ、国司・郡司・里長が任じられた
七道
22
国司には中央から貴族が派遣され、役所である( )(国衙)を拠点として国内を統治した。郡ごとに現地の豪族から任命された( )を指揮して、人民を( )に登録し、これを50戸ずつの( )に編成した
国府, 郡司, 戸籍, 里
23
外交・軍事の要地である九州北部には( ) を設置
大宰府
24
役所に勤務する官人には、( )とこれに応じた給与が、あたえられ、大部分の税も免除された。
位階
25
司法制度では、刑罰に笞・杖・徒・流・死の ( )がある
五刑
26
人々は戸に編成されたうえで、6年ごとに作られる( )に登録され、6歳以上になると( ) にもとづいて、性別・身分に応じた面積の( )をわけあたえられた
戸籍, 班田収授法, 口分田
27
庶民の負担は、口分田に課せられる( )として収穫の3%程度を負担したほか、成人男性には一定量の布や特産品などをおさめる( )や、歳役のかわりに布などをおさめる( )の負担があった。これらを中央政府まで運ぶ ( )も義務付けられた
租, 調, 庸, 運脚
28
正丁には3〜4人に1人の割合で兵役の義務も課せられた。諸国の軍団に配属されたが、京の警備にあたる( )や、九州などの防衛にあたる ( )となる者もあった
衛士, 防人
29
日本は全盛期を迎えた唐に( )を派遣し、その文化を取り入れようとした。 使節や留学生は唐の文物・制度や仏教の経典などをもたらしたが、玄防や( )のように、帰国後に中央政界で活躍する者も出た。 唐僧の鑑真は何度も失敗したが、日本に( )を伝えた。
遣唐使, 吉備真備, 戒律
30
710年に、都が藤原京から( ① )に移された。①は唐の都長安にならい、( )で建設された。京内には大安寺・( )・元興寺・( )、 のちに( )・西大寺などの大伽藍が立ち並んだ。
平城京, 条坊制, 薬師寺, 興福寺, 東大寺
31
富本銭に続き( )がつくられ、畿内を中心に流通した。官道が整備され、約16kmごとに ( )を設け、都と地方を行き来する官人が利用した。
和同開珎, 駅家
32
東北地方の蝦夷に対し、出羽国をおき、秋田城を築き、陸奥国には( )を築いた。九州南部の( )に対しては薩摩国、大隅国をおいた。
多賀城, 隼人
33
( )の子の4兄弟は、729年に( )を自殺に追い込み、光明子を( )天皇の皇后にたてた。
藤原不比等, 長屋王, 聖武
34
4兄弟が疫病で倒れると、その後は、皇族出身の( )が政権をにぎった。これに反発した ( )は、九州で乱を起こし、敗死した。
橘諸兄, 藤原広嗣
35
聖武天皇は遷都を繰り返し、この間、( )建立や( )造立など、仏教の力で国家の安泰をはかろうとした。
国分寺, 大仏
36
孝謙天皇の時代には、( )(恵美押勝)が権力を独占したが、孝謙太上天皇と対立し、挙兵したが敗死した。称徳天皇のもとでは、( )が権勢をふるったが、天皇が亡くなると追放された。
藤原仲麻呂, 道鏡
37
農民の中には、重い負担から逃れるために、 ( )や逃亡する者も多かった。 722年、耕地を増やすために( )を出したが成果は上がらず、翌年には( )を出し、期限つきで土地の私有を認めて開墾を奨励した。
浮浪, 百万町歩開墾計画, 三世一身法
38
743年には( )を出し、開墾した土地の所有を認めた。この法は初期荘園が広がる原因ともなった。
墾田永年私財法
39
光仁天皇のあとをうけた( )天皇は、寺院勢力の強い平城京から、水陸交通の便利な山背の地へ都を移すことにした。まず784年に( )へ、ついで794年に( )へ遷都した。
桓武, 長岡京, 平安京
40
兵制も改め、諸国の( )を廃止し、あらたに郡司の子弟たちを( )とし、国府の守備などにあたらせた。
軍団, 健児
41
国司が交代するときの事務引継ぎの審査を厳しくするため( )を設けて、国司に対する監督を強めた。
勘解由使
42
東北地方では、奈良時代の末期から支配に服さない( ① )の反抗が激しくなっていた。坂上田村麻呂は( )として制圧をはかり、( ① )の族長( )を服従させた。
蝦夷, 征夷大将軍, 阿弖流為
43
平城太上天皇の変に際して、( )天皇は、天皇の秘書官長として( )を設け、( )らを任命して天皇の命令を速やかにつたえた。 また、都の治安維持のために( )が設けられた。このような、令に定められていない新しい新しい官職を( )という。
嵯峨, 蔵人頭, 藤原冬嗣, 検非違使, 令外官
44
嵯峨天皇は、律令をおきなったり改めたりする( )と、律令を施行する際の細則である( ) を分類・編集し、( )にまとめあげた。 これは、清和天皇の貞観格式、醍醐天皇の演技格式とあわせて( )と呼ばれる。
格, 式, 弘仁格式, 三代格式
45
百済から仏教が伝えられたときの天皇
欽明天皇
46
608年の使節に同行した留学生、留学層2人
高向玄理, 旻
47
父祖の位階に応じた位階を子に与える制度
蔭位の制
48
春に稲を貸し付け、秋の収穫時に利息とともに徴収する制度
出挙
49
陵戸・官戸・官奴婢のほか、家人・私奴婢を合わせて何と呼ぶか
賎民
50
唐の王朝の都(現在の西安)
長安
51
鑑真が平城京に健立した寺院
唐招提寺
52
高句麗滅亡後の中国東北地方に建国され、日本と友好関係を持った国
渤海
53
宮殿内の天皇の住まい
内裏
54
宮殿内の政務や儀式の場
大極殿, 朝堂院
55
初期の遣唐使がとった朝鮮半島沿いの航路
北路
56
8世紀以降の遣唐使がとった東シナ海を横断する航路
南路
57
地方から運ばれた産物や官人に支給される給与の布などが交換された場
市
58
和同開珎の後、10世紀半ばまで鋳造された12種類の銭貨の総称
本朝十二銭
59
出羽国に朝廷が築いた拠点
秋田柵
60
橘諸兄の政権において活躍した人物2名
玄坊, 吉備真備
61
藤原仲麻呂が賜った名前
恵美押勝
62
開墾した土地にたてた別荘や倉庫などと、まわりの墾田を合わせたもの
荘園