暗記メーカー
ログイン
古代インドの王朝②
  • すり身ちくわ

  • 問題数 23 • 10/27/2023

    記憶度

    完璧

    3

    覚えた

    10

    うろ覚え

    0

    苦手

    0

    未解答

    0

    アカウント登録して、解答結果を保存しよう

    問題一覧

  • 1

    マウリヤ朝、クシャーナ朝&サータヴァーハナ朝の後にインドに現れた王朝が①。②以来の③で、④を築いた。都は⑤。

    グプタ朝, マウリヤ朝, 北インド統一王朝, インド古典文化の黄金時代, パータリプトラ

  • 2

    グプタ朝の初代の王が①。クシャーナ朝滅亡後の混乱を収め、②を征服した。

    チャンドラグプタ1世, ガンジス川中流域

  • 3

    グプタ朝の3代目の王が①。②や③で④を実現、⑤を築いた。また、文芸の奨励によりインド古典文化が黄金時代を迎えた。

    チャンドラグプタ2世, 北インドの支配, サカ族の併合, 最大版図, グプタ朝の最盛期

  • 4

    6世紀、グプタ朝は中央アジアの騎馬遊牧民①の侵入で衰退し、滅亡した。

    エフタル

  • 5

    グプタ朝時代の文化として①の成立がある。②に③などが融合し、①が成立した。

    ヒンドゥー教, バラモン教, 先住民の土着信仰

  • 6

    ヒンドゥー教の特徴は多神教。中でも三大神の①(創造神)・②(破壊神)・③(維持神)が特に信仰を集める。

    ブラフマー, シヴァ, ヴィシュヌ

  • 7

    ヒンドゥー教の特徴として①の肯定がある。バラモン教の影響であり、②の中では各ヴァルナの権利や義務が説かれている。

    ヴァルナ, マヌ法典

  • 8

    【漢字注意】ヒンドゥー教の特徴として民衆の支持がある。①ことで、民衆の暮らしの中に深く根付いていった。

    冠婚葬祭などの人々の日常生活に関わる

  • 9

    グプタ朝では①の教義研究や、美術・建築が盛んだった。

    仏教

  • 10

    ①の僧②が来訪(②は著書『③』でインドの様子を記した)。

    東晋, 法顕, 仏国記

  • 11

    また、仏教学院の①が開かれた。

    ナーランダー僧院

  • 12

    7世紀には①の僧②(著書『③』)と④の僧⑤(著書『⑥』)が訪れている。

    唐, 玄奘, 大唐西域記, 唐, 義浄, 南海寄帰内法伝

  • 13

    陸→海のルートを通ったのは?

    法顕

  • 14

    陸路の僧は?

    玄奘

  • 15

    海路の僧は?

    義浄

  • 16

    グプタ朝では①の②が栄え、多くのマトゥラー仏が造られた。また、③(地名)やエローラには④が建設され、内部に多くの壁画が描かれた。

    純インド風, グプタ美術, アジャンター, 石窟寺院

  • 17

    ところが、人々の生活にまで関わる①の勢いに押され、②の民間信仰は衰えていった。その結果、仏教徒の数はインドよりも東アジア・東南アジアで増えることに。

    ヒンドゥー教, 仏教

  • 18

    ①文学は②(古代インドの共通語)で書かれた文学。宮廷詩人の③は④を著した。また、長い間インドで語り継がれてきた叙事詩『⑤』と『⑥』が現在に伝わる形に完成した。

    サンスクリット, サンスクリット語, カーリダーサ, シャクンタラー, マハーバーラタ, ラーマーヤナ

  • 19

    グプタ朝のその他の文化として、①の発見や②の使用などがある。

    ゼロの概念, 十進法

  • 20

    ①はグプタ朝の次に建国された王朝。②が建国した、③。都は④。

    ヴァルダナ朝, ハルシャ王, 北インド最後の統一王朝, カナウジ

  • 21

    ①はヒンドゥー教・仏教を保護し、文芸を奨励。②からは③が来訪し、ヴァルダナ朝の④で学んでいる。しかし、王の死後、ヴァルダナ朝は急速に衰退して滅亡した。

    ハルシャ王, 唐, 玄奘, ナーランダー僧院

  • 22

    7世紀、南インドでおこった①(神への絶対的な帰依を説く②の宗教運動)は、14世紀に北インドに波及した。

    バクティ運動, ヒンドゥー教

  • 23

    ①の滅亡後、北インドでは②と呼ばれる諸民族が各地に小王国を建て、互いに争った。8〜13世紀の北インドは③と呼ばれる。

    ヴァルダナ朝, ラージプート, ラージプート時代