問題一覧
1
光仁天皇が亡くなる直前に即位していた天皇
桓武天皇
2
桓武天皇は784年に都を平城京からどこに移したか。
山城国の長岡京
3
桓武天皇は長岡京から794年にどこに都を移したか。
平安京
4
天皇の腹心で長岡京造営を主導していた(①)が暗殺され、その首謀者とされた皇太子の(②)が地位を追われる事件がおきた。
①藤原種継, ②早良親王
5
蝦夷地域への支配の浸透がはかられたが、光仁天皇の780年に、服属していた蝦夷の豪族 ( )が反乱を起こし、一時は多賀城をおとしいれて焼き払うという、大規模な戦いへと発展した。
伊治呰麻呂
6
坂上田村麻呂は802年に(①)を築き、(②)を服属させ、さらに翌年、北上川上流に(③)を築造し、東北経営の前進拠点とした。 これにともない、多賀城におかれていた(④)は(①)に移された。
①胆沢城, ②阿弖流為, ③志波城, ④鎮守府
7
桓武天皇は徳政相論を裁定して、2つの事業を打ち切ることにした。その2つの事業とはなにか。
東方地方での戦い(蝦夷征伐), 平安京の造営
8
805年に桓武天皇が東北地方での戦い(蝦夷征伐)と平安京の造営という二大政策を打ち切った議論。
徳政相論
9
桓武天皇の789年には、(①)を征東大使として大軍を進め、北上川中流の(②)地方の蝦夷を制圧しようとしたが、蝦夷の部長(③)の活躍により政府軍が大敗する事件も起こった。
①紀古佐美, ②胆沢, ③阿弖流為
10
【桓武天皇の政治改革】 国家財政悪化の原因となった地方政治の緩みをなくそう! ・新たに(①)を設けてら国司の交替の際の事務引き継ぎをきびしく監督させた。 ・増えていた定員外の(②)や(③)を廃止 ・792年に東北や九州などの地域を除いて(④)と(⑤)を廃止。 ・郡司の子弟や有力農民の志願による少数精鋭の(⑥)を採用する。
①勘解由使, ②国司, ③郡司, ④軍団, ⑤兵士, ⑥健児
11
天皇の命令を速やかに太政官組織に伝えるために設けられた天皇の秘書官長。
蔵人頭
12
嵯峨天皇が設けた、平安京内の警察。
検非違使
13
令に定められていない新しい官職
令外官
14
【嵯峨天皇の法制の整備】 律令制定後、社会の変化に応じて出された法令を、律令の補足・修正法である(①)と施行細則である(②)に分類・編集し、(③)がつくられた。
①格, ②式, ③弘仁格式
15
全体を取り囲む外郭の中に、政庁を中心として役所群や倉庫群が配置された施設。
城柵
16
国司在任中の租税徴収や官有物の管理などに問題がない場合に、新任国司から前任国司に与えられる文書。
解由状
17
810年に嵯峨天皇が平城京に再遷都しようとする兄の平城太上天皇と対立したことで何と呼ばれる政治的混乱が生じたか。
「二所朝廷」
18
三代格式をこたえよ。
弘仁格式、貞観格式、延喜格式
19
蔵人頭に任命されたのはだれか。
藤原冬嗣
20
「二所朝廷」から、嵯峨天皇・藤原冬嗣が迅速に兵を展開して、(①)を出家に追い込み、その寵愛を受けていた(②)は自殺、(③)は射殺された。
①平城太上天皇, ②藤原薬子, ③藤原仲成(薬子の兄)
21
【桓武天皇による農民の負担軽減政策】 ・班田の期間 6年に1回→(①)年に1回 ・公出挙の利率 5割→(②)割 ・雑徭の日数 年60日→年(③)日
①12, ②3, ③30
22
調、庸などの未納によって中央の国家財政の維持が困難に ↓ ・国司・郡司たちの不正・怠慢の取締り ・823年 大宰府管内:(①) ・879年 畿内:(②) 有力農民を使った(③)で収益をはかる。 →(②)は諸司田に分割されて各官庁の独自の財源となり、官人も自らの墾田を増やして国家財政に対する依存を弱めた。 ・天皇:(④) 皇族:(⑤) ・(⑥)が国家財政を圧迫しつつ勢力をふるうようになった。
①公営田, ②官田, ③直営方式, ④勅旨田, ⑤賜田, ⑥院宮王臣家
23
徳政相論で戦った2人 ①「軍事・造作をやめるべき!!」 ②「軍事・造作をやめないべき!!」
①藤原緒嗣, ②菅野真道
24
勘解由使の役割を簡潔に答えよ。
国司の交代の際の事務引き継ぎを監督する