問題一覧
1
儒学においては、18世紀後半に諸説を調和しようとした〈 〉が誕生した。
折衷学派
2
18世紀後半になると、古典を確実な典拠により研究しようとする〈 〉が生まれた。
考証学派
3
〈 〉は、江戸時代の大名が、藩士の子弟教育にあてるため建てられた。
藩校
4
岡山藩の〈 〉は、最も古い私塾である。
花畠教場
5
〈 〉は、秋田藩の藩校で佐竹義和の創設になる。
明徳館
6
米沢藩の藩校は〈 〉である。
興譲館
7
熊本藩の藩校は〈 〉である。
時習館
8
会津藩の藩校は〈 〉である。
日新館
9
水戸藩の藩校は〈 〉である。
弘道館
10
長州藩の藩校は〈 〉である。
明倫館
11
薩摩藩の藩校は〈 〉である。
造士館
12
仙台藩の藩校は〈 〉である。
養賢堂
13
尾張藩の藩校は〈 〉である。
明倫堂
14
福岡藩の藩校は〈 〉である。
修猷館
15
藩では、藩士のための教育施設とは別に、庶民教育のための〈 〉を設ける藩もあった。
郷学
16
岡山藩の〈 〉は、郷学の最も早い例である。
閑谷学校
17
1717年、摂津国の平野郷に設けられた〈 〉は、庶民教育への要求に応えて設けられた私塾である。
含翠堂
18
大坂には、1724年、町人の出資で〈 〉が開かれ、南都大坂にふさわしい合理主義的教育方法を採用した。
懐徳堂
19
〈 〉は、懐徳堂の学主で、「草茅危言」を松平定信へ献呈した。
中井竹山
20
懐徳堂は、中井竹山の父の〈 〉が設立し、〈 〉が初代学主に迎えられた。
中井甃庵, 三宅石庵
21
懐徳堂で学んだ〈 〉は、儒教・仏教・神道を歴史的立場から批判した「〈 〉」を著した。
富永仲基, 出定後語
22
〈 〉で学んだ富永仲基は、儒教・仏教・神道を歴史的立場から批判した「出定後語」を著した。
懐徳堂
23
懐徳堂で学んだ〈 〉は、無鬼論を主張し、神代の物語は歴史的事実ではないと主張し、物価は需給関係であると説く「〈 〉」を著した。
山片蟠桃, 夢の代
24
〈 〉で学んだ山片蟠桃は、無鬼論を主張し、神代の物語は歴史的事実ではないと主張し、物価は需給関係であると説く「夢の代」を著した。
懐徳堂
25
広瀬淡窓が開いた私塾は〈 〉である。
咸宜園
26
〈 〉が開いた私塾は咸宜園である。
広瀬淡窓
27
咸宜園は〈 〉の日田におかれた。
豊後
28
広瀬淡窓は〈 〉学派の儒学者である。
折衷
29
〈 〉では庶民の実用的な「読み・書き・そろばん」の教育が行われた。
寺子屋
30
京都の〈 〉は、〈 〉を唱え、儒・仏・神・道教をとり入れて生活倫理を平易に説いた。
石田梅岩, 心学
31
〈 〉の石田梅岩は、心学を唱え、儒・仏・神・道教をとり入れて生活倫理を平易に説いた。
京都
32
石田梅岩の著作に、営利・商業の正当性を主張した「〈 〉」がある。
都鄙問答
33
心学者では、明倫舎を創設した〈 〉や、江戸で心学の黄金時代を築いた〈 〉が有名である。
手島堵庵, 中沢道二
34
心学者では、〈 〉を創設した手島堵庵や、江戸で心学の黄金時代を築いた中沢道二が有名である。
明倫舎
35
手紙類の形態をとって編纂された子供向けの教科書を〈 〉という。
往来物
36
18世紀の学者である〈 〉は、京都で尊王思想を説いて2度にわたって幕府から処罰された。
竹内式部
37
18世紀の学者である竹内式部は、〈 〉で尊王思想を説いて2度にわたって幕府から処罰された。
京都
38
1758年に、竹内式部が京都所司代へ告発されて重追放となった事件を〈 〉という。
宝暦事件
39
1758年に、〈 〉が京都所司代へ告発されて重追放となった事件を宝暦事件という。
竹内式部
40
「柳子新論」で尊王斥覇を説いた〈 〉は、1767年の〈 〉で死罪となった。
山県大弐, 明和事件
41
「〈 〉」で尊王斥覇を説いた山県大弐は、〈 〉年の明和事件で死罪となった。
柳子新論, 1767
42
林子平は、〈 〉・〈 〉と共に寛政の三奇人といわれた。
蒲生君平, 高山彦九郎
43
〈 〉は、蒲生君平・高山彦九郎と共に寛政の三奇人といわれた。
林子平
44
〈 〉は、江戸時代後期、「寛政の三奇人」の一人と目された人物で、陵墓の荒廃を嘆き、近畿の陵墓を踏査して「山陵志」を著した。
蒲生君平
45
蒲生君平は、江戸時代後期、「寛政の三奇人」の一人と目された人物で、陵墓の荒廃を嘆き、近畿の陵墓を踏査して「〈 〉」を著した。
山陵志
46
「〈 〉」は、頼山陽による歴史書である。
日本外史
47
「日本外史」は、〈 〉による歴史書である。
頼山陽
48
徳川斉昭の側用人であった〈 〉は、「弘道館記述議」を著して尊王攘夷論を説いた。
藤田東湖
49
徳川斉昭の側用人であった藤田東湖は、「〈 〉」を著して尊王攘夷論を説いた。
弘道館記述義
50
徳川斉昭の側用人であった藤田東湖は、「弘道館記述議」を著して〈 〉を説いた。
尊王攘夷論
51
藤田東湖は〈 〉学の中心人物であった〈 〉の子である。
水戸, 藤田幽谷
52
水戸学の〈 〉は、「新論」を著して尊攘論を唱えた。
会沢安
53
水戸学の会沢安は、「〈 〉」を著して尊攘論を唱えた。
新論
54
会沢安の別名
会沢正志斎
55
八戸の医師である〈 〉は、万人が直耕する平等な社会を理想とした。
安藤昌益
56
〈 〉の医師である安藤昌益は、万人が直耕する平等な社会を理想とした。
八戸
57
安藤昌益は、「〈 〉」を著し、封建社会を厳しく批判した。
自然真営道
58
安藤昌益は、「自然真営道」の他に晩年に「〈 〉」を著した。
統道真伝
59
〈 〉は、「稽古談」の中で、貨幣商品経済の発展を是認した。
海保青陵
60
海保青陵は、「〈 〉」の中で、貨幣商品経済の発展を是認した。
稽古談
61
〈 〉は、「西域物語」などを通じて、西洋諸国の情勢を述べると共に、積極的な海外貿易論を説いた。
本多利明
62
本多利明は「〈 〉」や「〈 〉」を著した。
西域物語, 経世秘策
63
〈 〉は、「農政本論」・「経済要録」などの著作がある。
佐藤信淵
64
佐藤信淵は、「〈 〉」・「〈 〉」などの著作がある。
農政本論, 経済要録
65
「玄語」・「価原」の作者は、〈 〉である。
三浦梅園
66
由利公正に影響を及ぼした、熊本藩出身の儒学者は〈 〉である。
横井小楠