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日本史 江戸時代-21
  • 南里真太郎

  • 問題数 66 • 10/10/2024

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    問題一覧

  • 1

    儒学においては、18世紀後半に諸説を調和しようとした〈 〉が誕生した。

    折衷学派

  • 2

    18世紀後半になると、古典を確実な典拠により研究しようとする〈 〉が生まれた。

    考証学派

  • 3

    〈 〉は、江戸時代の大名が、藩士の子弟教育にあてるため建てられた。

    藩校

  • 4

    岡山藩の〈 〉は、最も古い私塾である。

    花畠教場

  • 5

    〈 〉は、秋田藩の藩校で佐竹義和の創設になる。

    明徳館

  • 6

    米沢藩の藩校は〈 〉である。

    興譲館

  • 7

    熊本藩の藩校は〈 〉である。

    時習館

  • 8

    会津藩の藩校は〈 〉である。

    日新館

  • 9

    水戸藩の藩校は〈 〉である。

    弘道館

  • 10

    長州藩の藩校は〈 〉である。

    明倫館

  • 11

    薩摩藩の藩校は〈 〉である。

    造士館

  • 12

    仙台藩の藩校は〈 〉である。

    養賢堂

  • 13

    尾張藩の藩校は〈 〉である。

    明倫堂

  • 14

    福岡藩の藩校は〈 〉である。

    修猷館

  • 15

    藩では、藩士のための教育施設とは別に、庶民教育のための〈 〉を設ける藩もあった。

    郷学

  • 16

    岡山藩の〈 〉は、郷学の最も早い例である。

    閑谷学校

  • 17

    1717年、摂津国の平野郷に設けられた〈 〉は、庶民教育への要求に応えて設けられた私塾である。

    含翠堂

  • 18

    大坂には、1724年、町人の出資で〈 〉が開かれ、南都大坂にふさわしい合理主義的教育方法を採用した。

    懐徳堂

  • 19

    〈 〉は、懐徳堂の学主で、「草茅危言」を松平定信へ献呈した。

    中井竹山

  • 20

    懐徳堂は、中井竹山の父の〈 〉が設立し、〈 〉が初代学主に迎えられた。

    中井甃庵, 三宅石庵

  • 21

    懐徳堂で学んだ〈 〉は、儒教・仏教・神道を歴史的立場から批判した「〈 〉」を著した。

    富永仲基, 出定後語

  • 22

    〈 〉で学んだ富永仲基は、儒教・仏教・神道を歴史的立場から批判した「出定後語」を著した。

    懐徳堂

  • 23

    懐徳堂で学んだ〈 〉は、無鬼論を主張し、神代の物語は歴史的事実ではないと主張し、物価は需給関係であると説く「〈 〉」を著した。

    山片蟠桃, 夢の代

  • 24

    〈 〉で学んだ山片蟠桃は、無鬼論を主張し、神代の物語は歴史的事実ではないと主張し、物価は需給関係であると説く「夢の代」を著した。

    懐徳堂

  • 25

    広瀬淡窓が開いた私塾は〈 〉である。

    咸宜園

  • 26

    〈 〉が開いた私塾は咸宜園である。

    広瀬淡窓

  • 27

    咸宜園は〈 〉の日田におかれた。

    豊後

  • 28

    広瀬淡窓は〈 〉学派の儒学者である。

    折衷

  • 29

    〈 〉では庶民の実用的な「読み・書き・そろばん」の教育が行われた。

    寺子屋

  • 30

    京都の〈 〉は、〈 〉を唱え、儒・仏・神・道教をとり入れて生活倫理を平易に説いた。

    石田梅岩, 心学

  • 31

    〈 〉の石田梅岩は、心学を唱え、儒・仏・神・道教をとり入れて生活倫理を平易に説いた。

    京都

  • 32

    石田梅岩の著作に、営利・商業の正当性を主張した「〈 〉」がある。

    都鄙問答

  • 33

    心学者では、明倫舎を創設した〈 〉や、江戸で心学の黄金時代を築いた〈 〉が有名である。

    手島堵庵, 中沢道二

  • 34

    心学者では、〈 〉を創設した手島堵庵や、江戸で心学の黄金時代を築いた中沢道二が有名である。

    明倫舎

  • 35

    手紙類の形態をとって編纂された子供向けの教科書を〈 〉という。

    往来物

  • 36

    18世紀の学者である〈 〉は、京都で尊王思想を説いて2度にわたって幕府から処罰された。

    竹内式部

  • 37

    18世紀の学者である竹内式部は、〈 〉で尊王思想を説いて2度にわたって幕府から処罰された。

    京都

  • 38

    1758年に、竹内式部が京都所司代へ告発されて重追放となった事件を〈 〉という。

    宝暦事件

  • 39

    1758年に、〈 〉が京都所司代へ告発されて重追放となった事件を宝暦事件という。

    竹内式部

  • 40

    「柳子新論」で尊王斥覇を説いた〈 〉は、1767年の〈 〉で死罪となった。

    山県大弐, 明和事件

  • 41

    「〈 〉」で尊王斥覇を説いた山県大弐は、〈 〉年の明和事件で死罪となった。

    柳子新論, 1767

  • 42

    林子平は、〈 〉・〈 〉と共に寛政の三奇人といわれた。

    蒲生君平, 高山彦九郎

  • 43

    〈 〉は、蒲生君平・高山彦九郎と共に寛政の三奇人といわれた。

    林子平

  • 44

    〈 〉は、江戸時代後期、「寛政の三奇人」の一人と目された人物で、陵墓の荒廃を嘆き、近畿の陵墓を踏査して「山陵志」を著した。

    蒲生君平

  • 45

    蒲生君平は、江戸時代後期、「寛政の三奇人」の一人と目された人物で、陵墓の荒廃を嘆き、近畿の陵墓を踏査して「〈 〉」を著した。

    山陵志

  • 46

    「〈 〉」は、頼山陽による歴史書である。

    日本外史

  • 47

    「日本外史」は、〈 〉による歴史書である。

    頼山陽

  • 48

    徳川斉昭の側用人であった〈 〉は、「弘道館記述議」を著して尊王攘夷論を説いた。

    藤田東湖

  • 49

    徳川斉昭の側用人であった藤田東湖は、「〈 〉」を著して尊王攘夷論を説いた。

    弘道館記述義

  • 50

    徳川斉昭の側用人であった藤田東湖は、「弘道館記述議」を著して〈 〉を説いた。

    尊王攘夷論

  • 51

    藤田東湖は〈 〉学の中心人物であった〈 〉の子である。

    水戸, 藤田幽谷

  • 52

    水戸学の〈 〉は、「新論」を著して尊攘論を唱えた。

    会沢安

  • 53

    水戸学の会沢安は、「〈 〉」を著して尊攘論を唱えた。

    新論

  • 54

    会沢安の別名

    会沢正志斎

  • 55

    八戸の医師である〈 〉は、万人が直耕する平等な社会を理想とした。

    安藤昌益

  • 56

    〈 〉の医師である安藤昌益は、万人が直耕する平等な社会を理想とした。

    八戸

  • 57

    安藤昌益は、「〈 〉」を著し、封建社会を厳しく批判した。

    自然真営道

  • 58

    安藤昌益は、「自然真営道」の他に晩年に「〈 〉」を著した。

    統道真伝

  • 59

    〈 〉は、「稽古談」の中で、貨幣商品経済の発展を是認した。

    海保青陵

  • 60

    海保青陵は、「〈 〉」の中で、貨幣商品経済の発展を是認した。

    稽古談

  • 61

    〈 〉は、「西域物語」などを通じて、西洋諸国の情勢を述べると共に、積極的な海外貿易論を説いた。

    本多利明

  • 62

    本多利明は「〈 〉」や「〈 〉」を著した。

    西域物語, 経世秘策

  • 63

    〈 〉は、「農政本論」・「経済要録」などの著作がある。

    佐藤信淵

  • 64

    佐藤信淵は、「〈 〉」・「〈 〉」などの著作がある。

    農政本論, 経済要録

  • 65

    「玄語」・「価原」の作者は、〈 〉である。

    三浦梅園

  • 66

    由利公正に影響を及ぼした、熊本藩出身の儒学者は〈 〉である。

    横井小楠