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古語拾遺
  • Ichi Hiro

  • 問題数 41 • 6/15/2024

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    問題一覧

  • 1

    『古語拾遺』の御歳神の祭祀に関する文章は、【ア】の意義を的確に知るために大きく役立ちます。 【ア】の「延喜式祝詞」は、まず「天社(あまつやしろ)と国社(くにつやしろ)」(式内社)に祈り、次に御歳神、続いて八神殿の神をはじめとする神官の御巫(みかんなぎ)が奉斎する神、そして天照大御神に祈り、大和国の御県(みあがた)・【イ】・【ウ】の神々に祈るという形になっています。そして、この【ア】の祝詞を【エ】の祝詞と比較すると、ほとんどの詞句は同じです。 その祈る対象は、祭神としての御歳神で、具体的には大和国葛上郡の式内社である葛木御歳神社(現・奈良県御所市鎮座)、もしくは高市郡の御歳神社が中心的な神社でした。 【ア】に入る言葉として正しいものを選んでください。

    1.祈年祭

  • 2

    『古語拾遺』の御歳神の祭祀に関する文章は、【ア】の意義を的確に知るために大きく役立ちます。 【ア】の「延喜式祝詞」は、まず「天社(あまつやしろ)と国社(くにつやしろ)」(式内社)に祈り、次に御歳神、続いて八神殿の神をはじめとする神官の御巫(みかんなぎ)が奉斎する神、そして天照大御神に祈り、大和国の御県(みあがた)・【イ】・【ウ】の神々に祈るという形になっています。そして、この【ア】の祝詞を【エ】の祝詞と比較すると、ほとんどの詞句は同じです。 その祈る対象は、祭神としての御歳神で、具体的には大和国葛上郡の式内社である葛木御歳神社(現・奈良県御所市鎮座)、もしくは高市郡の御歳神社が中心的な神社でした。 【イ】【ウ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選んでください。

    1.イ、山口 ウ、水分(みくまり)

  • 3

    『古語拾遺』の御歳神の祭祀に関する文章は、【ア】の意義を的確に知るために大きく役立ちます。 【ア】の「延喜式祝詞」は、まず「天社(あまつやしろ)と国社(くにつやしろ)」(式内社)に祈り、次に御歳神、続いて八神殿の神をはじめとする神官の御巫(みかんなぎ)が奉斎する神、そして天照大御神に祈り、大和国の御県(みあがた)・【イ】・【ウ】の神々に祈るという形になっています。そして、この【ア】の祝詞を【エ】の祝詞と比較すると、ほとんどの詞句は同じです。 その祈る対象は、祭神としての御歳神で、具体的には大和国葛上郡の式内社である葛木御歳神社(現・奈良県御所市鎮座)、もしくは高市郡の御歳神社が中心的な神社でした。 【エ】に入る言葉として正しいものを選んでください。

    2.月次祭

  • 4

    以下は『延喜式』の中のある規定ですが、何の祭りのものでしょうか。 (前略)神の官人已下(いか)神部已上(かむべいじょう)は青摺衣(あおずりのきぬ)を著(つ)け、御巫(みかんなぎ)等を率ゐて入りて、庁上(ちょうじょう)の座に就け。内侍(ないし)は御服(みそ)を持ちて内より退出(まかで)よ。大膳職(だいぜんしき)、造酒司(みきづかさ)は八代物(やつしろもの)を供へて同時に参り、縫殿寮(ぬいとのりょう)は猿女をして参入(まい)らしめよ。(中略)神部堂上(どうじょう)に於て拍手を催せ。御巫及び猿女等例に依りて舞ひ、訖(おわ)りて即ち神官の(後略)

    4.鎮魂祭

  • 5

     磯城の瑞垣宮に都した【ア】の御代、次第に神様の霊威を恐れ畏(かしこ)むようになり、ご神体を同じ宮殿の内に留めておくのは畏(おそ)れ多い、と感じられるようになりました。そこで、斎部氏に命じて石凝姥神・天目一箇神の子孫たちに新たに鏡、剣を作らせ、天皇をお守りするしるしとしました。これらは、今、天皇がご即位される時に、斎部氏が奉る神璽の鏡・剣です。そして、大和国の笠縫邑に磯城の(神聖な)神籬を建て、天照大神のご分身の鏡と、草薙剣をお遷し申し上げ、皇女・豊鍬入姫命にお祀りさせました。 巻向の玉城宮に都した【イ】の御代になり、倭姫命にお命じになって、天照大神をお祭りなさいました。大神の教えに従って、お社を伊勢国の五十鈴川の川上に建てました。この地は、天照大神が高天原で予め密かにお約束をされて、まず、【ウ】をお降しなさったという、深い理由があったのです。この天皇の御代に、新羅国の王子、海檜槍(あまのひほこ)が来朝して、今の但馬国出石郡(いずしのこおり)に住み、後に大きなお社にお祀りされました。 【ア】【イ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選んでください

    2.ア、崇神天皇 イ、垂仁天皇

  • 6

     磯城の瑞垣宮に都した【ア】の御代、次第に神様の霊威を恐れ畏(かしこ)むようになり、ご神体を同じ宮殿の内に留めておくのは畏(おそ)れ多い、と感じられるようになりました。そこで、斎部氏に命じて石凝姥神・天目一箇神の子孫たちに新たに鏡、剣を作らせ、天皇をお守りするしるしとしました。これらは、今、天皇がご即位される時に、斎部氏が奉る神璽の鏡・剣です。そして、大和国の笠縫邑に磯城の(神聖な)神籬を建て、天照大神のご分身の鏡と、草薙剣をお遷し申し上げ、皇女・豊鍬入姫命にお祀りさせました。 巻向の玉城宮に都した【イ】の御代になり、倭姫命にお命じになって、天照大神をお祭りなさいました。大神の教えに従って、お社を伊勢国の五十鈴川の川上に建てました。この地は、天照大神が高天原で予め密かにお約束をされて、まず、【ウ】をお降しなさったという、深い理由があったのです。この天皇の御代に、新羅国の王子、海檜槍(あまのひほこ)が来朝して、今の但馬国出石郡(いずしのこおり)に住み、後に大きなお社にお祀りされました。 下線部の「そこで、斎部氏に命じて石凝姥神・天目一箇神の子孫たちに新たに鏡、剣を作らせ、天皇をお守りするしるしとしました」について書かれた以下のうち正しいものを選んでください。

    4.このことは『古語拾遺』のみに書かれている。

  • 7

     磯城の瑞垣宮に都した【ア】の御代、次第に神様の霊威を恐れ畏(かしこ)むようになり、ご神体を同じ宮殿の内に留めておくのは畏(おそ)れ多い、と感じられるようになりました。そこで、斎部氏に命じて石凝姥神・天目一箇神の子孫たちに新たに鏡、剣を作らせ、天皇をお守りするしるしとしました。これらは、今、天皇がご即位される時に、斎部氏が奉る神璽の鏡・剣です。そして、大和国の笠縫邑に磯城の(神聖な)神籬を建て、天照大神のご分身の鏡と、草薙剣をお遷し申し上げ、皇女・豊鍬入姫命にお祀りさせました。 巻向の玉城宮に都した【イ】の御代になり、倭姫命にお命じになって、天照大神をお祭りなさいました。大神の教えに従って、お社を伊勢国の五十鈴川の川上に建てました。この地は、天照大神が高天原で予め密かにお約束をされて、まず、【ウ】をお降しなさったという、深い理由があったのです。この天皇の御代に、新羅国の王子、海檜槍(あまのひほこ)が来朝して、今の但馬国出石郡(いずしのこおり)に住み、後に大きなお社にお祀りされました。 下線部の「斎部氏が奉る神璽の鏡・剣」に関する問題です。律令制下において、忌部の重要な役割は、天皇践祚(即位)、および大嘗祭の際に「鏡・剣」を奉ることにありました。「神令」には以下のような規定がありますが、空欄【 】に入る言葉として正しいものを選んでください。 「中臣は【 】を奏して、忌部は神璽之鏡剣を上(たてまつ)れ」

    2.天神之(あまつかみの)寿詞

  • 8

     磯城の瑞垣宮に都した【ア】の御代、次第に神様の霊威を恐れ畏(かしこ)むようになり、ご神体を同じ宮殿の内に留めておくのは畏(おそ)れ多い、と感じられるようになりました。そこで、斎部氏に命じて石凝姥神・天目一箇神の子孫たちに新たに鏡、剣を作らせ、天皇をお守りするしるしとしました。これらは、今、天皇がご即位される時に、斎部氏が奉る神璽の鏡・剣です。そして、大和国の笠縫邑に磯城の(神聖な)神籬を建て、天照大神のご分身の鏡と、草薙剣をお遷し申し上げ、皇女・豊鍬入姫命にお祀りさせました。 巻向の玉城宮に都した【イ】の御代になり、倭姫命にお命じになって、天照大神をお祭りなさいました。大神の教えに従って、お社を伊勢国の五十鈴川の川上に建てました。この地は、天照大神が高天原で予め密かにお約束をされて、まず、【ウ】をお降しなさったという、深い理由があったのです。この天皇の御代に、新羅国の王子、海檜槍(あまのひほこ)が来朝して、今の但馬国出石郡(いずしのこおり)に住み、後に大きなお社にお祀りされました。 【ウ】に入る言葉として正しいものを選んでください。

    2.猨田彦大神

  • 9

     磯城の瑞垣宮に都した【ア】の御代、次第に神様の霊威を恐れ畏(かしこ)むようになり、ご神体を同じ宮殿の内に留めておくのは畏(おそ)れ多い、と感じられるようになりました。そこで、斎部氏に命じて石凝姥神・天目一箇神の子孫たちに新たに鏡、剣を作らせ、天皇をお守りするしるしとしました。これらは、今、天皇がご即位される時に、斎部氏が奉る神璽の鏡・剣です。そして、大和国の笠縫邑に磯城の(神聖な)神籬を建て、天照大神のご分身の鏡と、草薙剣をお遷し申し上げ、皇女・豊鍬入姫命にお祀りさせました。 巻向の玉城宮に都した【イ】の御代になり、倭姫命にお命じになって、天照大神をお祭りなさいました。大神の教えに従って、お社を伊勢国の五十鈴川の川上に建てました。この地は、天照大神が高天原で予め密かにお約束をされて、まず、【ウ】をお降しなさったという、深い理由があったのです。この天皇の御代に、新羅国の王子、海檜槍(あまのひほこ)が来朝して、今の但馬国出石郡(いずしのこおり)に住み、後に大きなお社にお祀りされました。 下線部の「大きなお社」とはどこでしょうか。

    2.出石神社

  • 10

     日臣命は来目部を率いて、宮殿の門を警護し開閉を掌(つかさど)りました。饒速日命は内物部を率いて【ア】を作りました。これらが整ったところで、【イ】は斎部たちを率いて、天璽(あまつしるし)を捧げ持ち、天皇の宮殿に安置申し上げました。また、宮殿の中に玉を懸け、神様へのお供え物をならべて、宮殿の祭りの祝詞を奏上しました(この祝詞は【ウ】に記載されています)。  その後に物部は【ア】を立て、大伴・来目は門を開き、各地から朝貢する人々が参上し、天皇の位が貴いことを知らしめたのでした。 【ア】に入る言葉として正しいものを選んでください。

    1.矛と盾

  • 11

     日臣命は来目部を率いて、宮殿の門を警護し開閉を掌(つかさど)りました。饒速日命は内物部を率いて【ア】を作りました。これらが整ったところで、【イ】は斎部たちを率いて、天璽(あまつしるし)を捧げ持ち、天皇の宮殿に安置申し上げました。また、宮殿の中に玉を懸け、神様へのお供え物をならべて、宮殿の祭りの祝詞を奏上しました(この祝詞は【ウ】に記載されています)。  その後に物部は【ア】を立て、大伴・来目は門を開き、各地から朝貢する人々が参上し、天皇の位が貴いことを知らしめたのでした。 【イ】【ウ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選んでください。

    2.イ、天富命 ウ、別巻

  • 12

     日臣命は来目部を率いて、宮殿の門を警護し開閉を掌(つかさど)りました。饒速日命は内物部を率いて【ア】を作りました。これらが整ったところで、【イ】は斎部たちを率いて、天璽(あまつしるし)を捧げ持ち、天皇の宮殿に安置申し上げました。また、宮殿の中に玉を懸け、神様へのお供え物をならべて、宮殿の祭りの祝詞を奏上しました(この祝詞は【ウ】に記載されています)。  その後に物部は【ア】を立て、大伴・来目は門を開き、各地から朝貢する人々が参上し、天皇の位が貴いことを知らしめたのでした。 下線部の「宮殿の中に玉を懸け、神様へのお供え物をならべて、宮殿の祭りの祝詞を奏上しました」は何の祭りを表しているでしょうか。

    1.大殿祭

  • 13

    『古語拾遺』では、神官の八神殿に祀られている神を「高皇産霊・神産霊・魂留産霊・生産霊・足産霊・大宮売神・事代主神・御膳神」、国土の神を「生嶋」、宮殿の敷地の神を「坐摩」としていますが、それでは、内裏の御門に祀られている神は、どなたとしているでしょうか。

    4.櫛磐間戸神(くしいわまとのかみ)・豊磐間戸神(とよいわまとのかみ)

  • 14

    『古語拾遺』の「天石窟」神話に書かれていることの特徴として、間違っているものを選んでください。

    4.『古事記』でも『古語拾遺』でも祝詞を読むのは天児屋命の役割である。

  • 15

     天富命に斎部の配下の諸氏を率いて、さまざまな神宝(かむだから)、鏡・玉・矛・盾・木綿・麻などを作らせました。櫛明玉命の子孫は、御祈玉(みほきたま)を作りました。その子孫は、今、【ア】に住んでいます。毎年、貢ぎ物と一緒にその玉を献上しています。天日鷲命の子孫は木綿と布(古い言葉にアラタエといいます)を作りました。また、天富命に命じて、日鷲命の子孫に肥沃な土地を探させ、【イ】に派遣してカジノキ・麻を植えさせました。その子孫は今もその国に住み、大嘗祭の時、木綿・麻布の他さまざまの物を献上します。そのことから、居住している郡は「麻殖(おえ)」と呼ばれています。天富命はさらに肥沃な土地を求め、東国の関東の地に【イ】の斎部の一部を移住させ、麻・カジノキを植えました。それらがよく育ち、国の名を総国(ふさのくに)と名付けました。また、手置帆負命の子孫は矛・竿を作り、今は【ウ】に居住しています。毎年の調・庸のほかに、数多くの竿を献上しています。これらの事実がすべて古の事跡を証明しているのです。 【ア】【ウ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選んでください。

    1.ア、出雲国 ウ、讃岐国

  • 16

     天富命に斎部の配下の諸氏を率いて、さまざまな神宝(かむだから)、鏡・玉・矛・盾・木綿・麻などを作らせました。櫛明玉命の子孫は、御祈玉(みほきたま)を作りました。その子孫は、今、【ア】に住んでいます。毎年、貢ぎ物と一緒にその玉を献上しています。天日鷲命の子孫は木綿と布(古い言葉にアラタエといいます)を作りました。また、天富命に命じて、日鷲命の子孫に肥沃な土地を探させ、【イ】に派遣してカジノキ・麻を植えさせました。その子孫は今もその国に住み、大嘗祭の時、木綿・麻布の他さまざまの物を献上します。そのことから、居住している郡は「麻殖(おえ)」と呼ばれています。天富命はさらに肥沃な土地を求め、東国の関東の地に【イ】の斎部の一部を移住させ、麻・カジノキを植えました。それらがよく育ち、国の名を総国(ふさのくに)と名付けました。また、手置帆負命の子孫は矛・竿を作り、今は【ウ】に居住しています。毎年の調・庸のほかに、数多くの竿を献上しています。これらの事実がすべて古の事跡を証明しているのです。 【イ】に入る言葉として正しいものを選んでください。

    4.阿波国

  • 17

     現在、一般的に用いられることの多い【ア】系では、「天御中主神、高皇産霊神、神産霊神」と、『日本書紀』一書・『古事記』と同様の記述で順に列記され、しかも、「記紀」同様、各々の神に明確な関係は見出せません。しかし、【イ】系で見ると、「天御中主神。其子有二三男一(その子は三男有り)」と親子関係が明記されていて、長男が高皇産霊神、次男が津速産霊神、三男が神産霊神となっています。ここが【ア】系、【イ】系写本の大きな違いです。 【ア】【イ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選んでください

    2.ア、卜部本   イ、伊勢本

  • 18

     現在、一般的に用いられることの多い【ア】系では、「天御中主神、高皇産霊神、神産霊神」と、『日本書紀』一書・『古事記』と同様の記述で順に列記され、しかも、「記紀」同様、各々の神に明確な関係は見出せません。しかし、【イ】系で見ると、「天御中主神。其子有二三男一(その子は三男有り)」と親子関係が明記されていて、長男が高皇産霊神、次男が津速産霊神、三男が神産霊神となっています。ここが【ア】系、【イ】系写本の大きな違いです。 下線部の津速産霊神は、【イ】系の写本で見ると誰の祖神とされているでしょうか。『新撰姓氏録』にも同じ記載があります。

    4.中臣氏

  • 19

    『古語拾遺』を考える場合、「延喜式祝詞」との関連も見ていく必要があります。『延喜式』の祝詞では、「高天原に神留坐(かむづまりま)す、皇(すめら)が親(むつ)【ア】【イ】の命以(みこともち)て」といったフレーズのある祝詞が、「祈年祭」「月次祭」「大祓」などいくつかあります。 【ア】【イ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選んでください。

    4.ア、カムロギ   イ、カムロミ

  • 20

    『古語拾遺』を考える場合、「延喜式祝詞」との関連も見ていく必要があります。『延喜式』の祝詞では、「高天原に神留坐(かむづまりま)す、皇(すめら)が親(むつ)【ア】【イ】の命以(みこともち)て」といったフレーズのある祝詞が、「祈年祭」「月次祭」「大祓」などいくつかあります。 下線部「命以て」の意味として最もふさわしいものを選んでください。

    2.命令を委任されて

  • 21

     奈良時代末期から平安時代初期にかけては、『古語拾遺』と同様に、氏族に伝えられた古伝承をまとめた書物が作られていきます。これら【ア】は、正史である『日本書紀』などに多くを依拠しつつまとめられているという特徴があります。編纂以降、朝廷では「日本紀講筵」が度々行われました。そのなかで、『日本書紀』だけでは解釈できない箇所、記述がなされていない事項などについての議論が蓄積されていきます。それらに対する回答の一つとして、各氏の伝承を記録した【ア】が注目されるようになったとも考えられています。 そのなかで、天皇の日常の食事を司る「内膳司(ないぜんし・うちのかしわでのつかさ)」に奉仕していた二つの氏族の間に起こった論争に際して、一氏族側がまとめて朝廷に進上したのが【イ】で、天地開闢から伊弉諾尊の禊による底筒之男・中筒之男・表筒之男神の出現までが詳しく語られているのが【ウ】です。 【ア】に入る言葉として最もふさわしいものを選んでください。

    4.氏文

  • 22

     奈良時代末期から平安時代初期にかけては、『古語拾遺』と同様に、氏族に伝えられた古伝承をまとめた書物が作られていきます。これら【ア】は、正史である『日本書紀』などに多くを依拠しつつまとめられているという特徴があります。編纂以降、朝廷では「日本紀講筵」が度々行われました。そのなかで、『日本書紀』だけでは解釈できない箇所、記述がなされていない事項などについての議論が蓄積されていきます。それらに対する回答の一つとして、各氏の伝承を記録した【ア】が注目されるようになったとも考えられています。 そのなかで、天皇の日常の食事を司る「内膳司(ないぜんし・うちのかしわでのつかさ)」に奉仕していた二つの氏族の間に起こった論争に際して、一氏族側がまとめて朝廷に進上したのが【イ】で、天地開闢から伊弉諾尊の禊による底筒之男・中筒之男・表筒之男神の出現までが詳しく語られているのが【ウ】です。 【イ】に入る言葉として正しいものを選んでください。

    1.高橋氏文

  • 23

     奈良時代末期から平安時代初期にかけては、『古語拾遺』と同様に、氏族に伝えられた古伝承をまとめた書物が作られていきます。これら【ア】は、正史である『日本書紀』などに多くを依拠しつつまとめられているという特徴があります。編纂以降、朝廷では「日本紀講筵」が度々行われました。そのなかで、『日本書紀』だけでは解釈できない箇所、記述がなされていない事項などについての議論が蓄積されていきます。それらに対する回答の一つとして、各氏の伝承を記録した【ア】が注目されるようになったとも考えられています。 そのなかで、天皇の日常の食事を司る「内膳司(ないぜんし・うちのかしわでのつかさ)」に奉仕していた二つの氏族の間に起こった論争に際して、一氏族側がまとめて朝廷に進上したのが【イ】で、天地開闢から伊弉諾尊の禊による底筒之男・中筒之男・表筒之男神の出現までが詳しく語られているのが【ウ】です。 【ウ】に入る言葉として正しいものを選んでください。

    2.住吉大社神代記

  • 24

    『新撰亀相記』は【ア】を引用した最古の書の一つであるという意味でも注目を浴びています。さらに、「鎮火祭」「大祓」の起源について独自の主張が記されていて、この本の成立には、平安初期の卜部氏が神官における地位を上昇させていく際に、自らの由緒を確立しようとしたことが考えられ、神代まで遡る「【イ】の家」としての卜部氏を主張したものです。 【ア】に入る言葉として正しいものを選んでください。

    2.古事記

  • 25

    『新撰亀相記』は【ア】を引用した最古の書の一つであるという意味でも注目を浴びています。さらに、「鎮火祭」「大祓」の起源について独自の主張が記されていて、この本の成立には、平安初期の卜部氏が神官における地位を上昇させていく際に、自らの由緒を確立しようとしたことが考えられ、神代まで遡る「【イ】の家」としての卜部氏を主張したものです。 【イ】に入る言葉として正しいものを選んでください。

    3.亀卜

  • 26

    『先代旧事本紀』は、平安時代中期頃から、「記紀」に先行する正しい国史であるという説が出されるほど重視されていました。「天孫本紀」に【ア】の祖の子、宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が神武天皇の即位にあたって鎮魂の儀礼を司ったことが描かれ、「天皇本紀」の神武天皇即位の記述には律令祭祀の大嘗祭・新嘗祭で行われた鎮魂祭の起源伝承があります。「天神本紀」には、天照大神から皇孫に「【イ】神宝(かむだから)」を授けられたとも記され、「国造本紀」には、「記紀」に見られない地方の国造(くにのみやつこ)の氏族伝承が豊富に見られます。聖徳太子や蘇我馬子の撰という部分は偽りですが、完全な「偽書」とは言い難い書物です。 【ア】に入る言葉として正しいものを選んでください。

    4.物部氏

  • 27

    『先代旧事本紀』は、平安時代中期頃から、「記紀」に先行する正しい国史であるという説が出されるほど重視されていました。「天孫本紀」に【ア】の祖の子、宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が神武天皇の即位にあたって鎮魂の儀礼を司ったことが描かれ、「天皇本紀」の神武天皇即位の記述には律令祭祀の大嘗祭・新嘗祭で行われた鎮魂祭の起源伝承があります。「天神本紀」には、天照大神から皇孫に「【イ】神宝(かむだから)」を授けられたとも記され、「国造本紀」には、「記紀」に見られない地方の国造(くにのみやつこ)の氏族伝承が豊富に見られます。聖徳太子や蘇我馬子の撰という部分は偽りですが、完全な「偽書」とは言い難い書物です。 【イ】に入る言葉として正しいものを選んでください。

    4.十種

  • 28

    近世における『古語拾遺』の評価のされ方に関して書かれた以下の文章を読んで設問に答えてください。 『古語拾遺』についてのまとまった評価としては、日下部勝皐(かつたか、奈佐勝皐)の【ア】が有名です。勝皐は、塙保己一の門人として【イ】に所収された書籍の校訂に携わった人物です。【イ】は古代から江戸時代初期までに成った史書や文学作品、計1273種を収める一大シリーズで、塙保己一が編纂しました。  寛政3年(1791)に刊行された【イ】第二十五輯(しゅう)の中に日下部勝皐が校訂した『古語拾遺』が収録されています。それに先立つ安永2年(1773)、勝皐は【ア】を著しました。そこでは、『古語拾遺』は斎部氏の「愁訴状」であって、広成が自分の立場を正当化するために事実を曲げて記述しているのだと批判的に捉えています。それに対して『古語拾遺【ア】弁』を著し反論したのが【ウ】です。 【ア】に入る言葉として正しいものを選んでください。

    1.疑斎(ぎさい)

  • 29

    近世における『古語拾遺』の評価のされ方に関して書かれた以下の文章を読んで設問に答えてください。 『古語拾遺』についてのまとまった評価としては、日下部勝皐(かつたか、奈佐勝皐)の【ア】が有名です。勝皐は、塙保己一の門人として【イ】に所収された書籍の校訂に携わった人物です。【イ】は古代から江戸時代初期までに成った史書や文学作品、計1273種を収める一大シリーズで、塙保己一が編纂しました。  寛政3年(1791)に刊行された【イ】第二十五輯(しゅう)の中に日下部勝皐が校訂した『古語拾遺』が収録されています。それに先立つ安永2年(1773)、勝皐は【ア】を著しました。そこでは、『古語拾遺』は斎部氏の「愁訴状」であって、広成が自分の立場を正当化するために事実を曲げて記述しているのだと批判的に捉えています。それに対して『古語拾遺【ア】弁』を著し反論したのが【ウ】です。 【イ】に入る言葉として正しいものを選んでください。

    4.群書類従

  • 30

    近世における『古語拾遺』の評価のされ方に関して書かれた以下の文章を読んで設問に答えてください。 『古語拾遺』についてのまとまった評価としては、日下部勝皐(かつたか、奈佐勝皐)の【ア】が有名です。勝皐は、塙保己一の門人として【イ】に所収された書籍の校訂に携わった人物です。【イ】は古代から江戸時代初期までに成った史書や文学作品、計1273種を収める一大シリーズで、塙保己一が編纂しました。  寛政3年(1791)に刊行された【イ】第二十五輯(しゅう)の中に日下部勝皐が校訂した『古語拾遺』が収録されています。それに先立つ安永2年(1773)、勝皐は【ア】を著しました。そこでは、『古語拾遺』は斎部氏の「愁訴状」であって、広成が自分の立場を正当化するために事実を曲げて記述しているのだと批判的に捉えています。それに対して『古語拾遺【ア】弁』を著し反論したのが【ウ】です。 【ウ】に入る言葉として正しいものを選んでください。

    3.本居宣長

  • 31

    以下の文章を読んで空欄【 】に入る言葉として最もふさわしいものを選んでください。 『延喜式』によると、神官の行う祭祀に用いる【 】の調製にも神官内の9人の忌部が携わります。また、神官内に忌部の定員が不足した場合、他の役所の忌部氏を充(あ)てよ、と規定されるほど、忌部が関与することが必須であったようです。「忌部」とは、「祭祀を司る民」の意味であり、【 】の調製・供進という、国家の祭祀にとって大事な要素を司っていたことが理解できます。

    3.幣帛

  • 32

     これらが、すっかり整ったところで、【ア】 は斎部たちを率いて、天璽を捧げ持ち、天皇の宮殿に安置申し上げました。また、宮殿の中に玉を懸け、神様へのお供え物をならべて、宮殿の祭りの祝詞を奏上しました(この祝詞は【イ】に記載されています)。 【ア】【イ】に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選んでください。

    2.ア、天富命 イ、別巻

  • 33

     これらが、すっかり整ったところで、【ア】 は斎部たちを率いて、天璽を捧げ持ち、天皇の宮殿に安置申し上げました。また、宮殿の中に玉を懸け、神様へのお供え物をならべて、宮殿の祭りの祝詞を奏上しました(この祝詞は【イ】に記載されています)。 下線部の「宮殿の中に玉を懸け、神様へのお供え物をならべて、宮殿の祭りの祝詞を奏上しました」は何の祭りを表しているでしょうか。

    1.大殿祭

  • 34

    以下の文章を読んで空欄 〚  〛に入る言葉として最もふさわしいものを選んでください。 『延喜式』によると、神祇官の行う祭祀に用いる〚  〛の調製にも神祇官内の9人の忌部が携わります。また、神祇官内に忌部の定員が不足した場合、他の役所の忌部氏を充てよ、と規定されるほど、忌部が関与することが必須であったようです。「忌部」とは、「祭祀を司る民」の意味であり、〚  〛の調製・供進という、国家の祭祀にとって大事な要素を司っていたことが理解できます。

    3.幣帛

  • 35

    以下の文章を読んで空欄 に入る言葉として正しいものを選んでください。 「高橋氏文」は、「高橋」と「〚  〛 」という二つの氏族の間に起こった争論に際し、高橋氏の立場から朝廷へ進上された記録です。古来、天皇のお食事を司る役の「膳部」の職能氏族としては、食物を献上して調理を奉る高橋氏と、海の民としても有名な〚  〛氏の2氏がありました。両氏は律令制下でも同様に、天皇の日常の食事を司る「内膳司(うちのかしわでのつかさ)」という「官司」(役所)に奉仕しています。

    1.安曇(あずみ)

  • 36

    近世における『古語拾遺』の受容のされ方に関する問題です。『古語拾遺』の理解に、直接、関わる研究は、近世にさらに深まっていきますが、まず、近世前期の比較的早い時期から『古語拾遺』を尊重した学派とはどれでしょうか。この学派は、『日本書紀』神代巻を重視したと思われがちですが、『日本書紀』を補うテキストとして『古語拾遺』があると考えていたようです。

    3.垂加神道

  • 37

    「地方の忌部」に関する問題です。出雲国の場合、「中央の忌部」に率いられたのは何氏だったでしょうか。

    3.玉作氏

  • 38

    以下の現代語訳の文章を読んで空欄 に入る言葉として正しいものを選んでください。  素戔嗚神が天照大神に、根の国に退くご挨拶をしようと天に昇った時、櫛明玉命がお迎えして大きく立派な〚  〛を献上しました。素戔嗚神はさらにこれを天照大神に献上しました。素戔嗚神が邪心の無いことを誓うため、子を生むこととなり、天照大神はその〚  〛から天祖吾勝尊をお生みなりました。

    3.曲玉

  • 39

    以下の現代語訳の文章を読んで ア イ ウ に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選んでください。  そこで天照大神は「私は天つ【ア】 と天つ磐境を設けて、私の子孫のためにお祭りをしよう。お前たち、天児屋命、太玉命の二神は天つ【イ】を持って葦原の中国へ降り、また我が子孫のためにお祭りをしなさい。そしてともに【ウ】にお仕えして、守護しなさい。私が高天原で作った神聖な稲穂をまた、我が子孫に授けなさい。太玉命は配下の神々を率いて、高天原にいた時と同様にその職分で奉仕しなさい」というお言葉を下されました。

    2.ア、神籬     イ、神籬 ウ、御殿

  • 40

    「神器」に関する以下の文章を読んで ア イ に入る言葉の組み合わせとして正しいものを選んでください。 神器というと、「三種の神器(みくさのかんだから)」を連想されるでしょう。実際に『古事記』『日本書紀』にも内容に若干の違いはあるものの、「鏡」「剣」「玉」であると書かれています。しかし『古語拾遺』では、神宝は【ア】なのです。「神祇令」の規定と、『古語拾遺』の伝承が表裏一体の関係にあって、「矛・【イ】は自ずからに従ふ」という従属的な意味を帯びているのでしょう。

    1.ア、剣と鏡 イ、玉

  • 41

    『古語拾遺』では、神祇官の八神殿に祀られている神を「高皇産霊・神産霊・魂留産霊・生産霊・足産霊・大宮売神・事代主神・御膳神」、国土の神を「生嶋」、宮殿の敷地の神を「坐摩」としていますが、それでは、内裏の御門に祀られている神は、どなたとしているでしょうか。

    4.櫛磐間戸神・豊磐間戸神