問題一覧
1
〈 〉は君臣上下の秩序を重んじたため、幕藩体制の秩序維持に役立った。
朱子学
2
朱子学は〈 〉によって独自に体系化され、京学派がおこされた。
藤原惺窩
3
朱子学は藤原惺窩によって独自に体系化され、〈 〉派がおこされた。
京学
4
藤原惺窩は京都の〈 〉寺の僧であった。
相国
5
藤原惺窩の門人〈 〉は、徳川家康に登用された。
林羅山
6
林羅山の別名
道春
7
林家の家塾である〈 〉は、林羅山が江戸上野の忍ヶ岡にある孔子廟に開いた。
弘文館
8
林家の家塾である弘文館は、〈 〉が江戸上野の〈 〉にある孔子廟に開いた。
林羅山, 忍ヶ岡
9
林羅山と子の〈 〉は、幕命で日本史の編纂にとり組み、「〈 〉」を完成させた。
林鵞峰, 本朝通鑑
10
〈 〉と子の林鵞峰は、幕命で日本史の編纂にとり組み、「本朝通鑑」を完成させた。
林羅山
11
〈 〉の門人である〈 〉は加賀前田家に仕え、のちに綱吉の侍講となった。
松永尺五, 木下順庵
12
松永尺五は〈 〉の門弟である。
藤原惺窩
13
新井白石と室鳩巣は、〈 〉の門人である。
木下順庵
14
「六諭衍義大意」・「兼山麗沢秘策」の著者は〈 〉である。
室鳩巣
15
「〈 〉」・「〈 〉」の著者は室鳩巣である。
六諭衍義大意, 兼山麗沢秘策
16
「〈 〉」は室鳩巣の随筆集である。
駿台雑話
17
新井白石の著した「〈 〉」は、6代将軍徳川家宣のために進講した内容を整理したものである。
読史余論
18
〈 〉の著した「読史余論」は、6代将軍徳川家宣のために進講した内容を整理したものである。
新井白石
19
新井白石は「〈 〉」を著して、「日本書紀」の合理的解釈を下した。
古史通
20
〈 〉は「古史通」を著して、「〈 〉」の合理的解釈を下した。
新井白石, 日本書紀
21
「〈 〉」は新井白石の自伝である。
折たく柴の記
22
「折たく柴の記」は〈 〉の自伝である。
新井白石
23
藩の系譜である「〈 〉」や、国語辞書の「〈 〉」も新井白石の著書である。
藩翰譜, 東雅
24
朱子学は、藤原惺窩を祖とする京学と、土佐の〈 〉により確立した南学が展開した。
谷時中
25
朱子学は、藤原惺窩を祖とする京学と、〈 (国名)〉の谷時中により確立した南学が展開した。
土佐
26
土佐藩家老〈 〉は、谷時中に朱子学を学んだ。
野中兼山
27
土佐藩家老野中兼山は、〈 〉に朱子学を学んだ。
谷時中
28
南学の系統をひく〈 〉は、神道を儒教的に解釈して、神の道と天皇の徳が一体であるとする〈 〉を説いた。
山崎闇斎, 垂加神道
29
山崎闇斎は〈 〉派を形成した。
崎門学
30
山崎闇斎の垂加神道は、伊勢神道・唯一新道に、〈 〉が創始した吉川神道を土台にした。
吉川惟足
31
明の王陽明が始めた陽明学は、「近江聖人」とよばれた〈 〉が広めた。
中江藤樹
32
明の王陽明が始めた陽明学は、「〈 〉」とよばれた中江藤樹が広めた。
近江聖人
33
中江藤樹が開いた私塾を、〈 〉という。
藤樹書院
34
陽明学は〈 〉の立場で体制を批判し、その矛盾を改めようとしたため、幕府からは警戒された。
知行合一
35
中江藤樹の門下からは〈 〉が出て、岡山の池田光政に仕えた。
熊沢蕃山
36
〈 〉の門下からは熊沢蕃山が出て、岡山の池田光政に仕えた。
中江藤樹
37
熊沢蕃山は「〈 〉」で武士土着論を説いたため、下総古河に幽閉された。
大学惑問
38
熊沢蕃山は「大学惑問」で武士土着論を説いたため、下総〈 〉に幽閉された。
古河
39
孔子・孟子の説に直接立ち返ろうとする学派のことを〈 〉という。
古学派
40
〈 〉・〈 〉の説に直接立ち返ろうとする学派のことを古学派という。
孔子, 孟子
41
「聖教要録」を著して朱子学批判をした古学派の人物は〈 〉である。
山鹿素行
42
「中朝事実」の著者は〈 〉である。
山鹿素行
43
「武家事紀」の著者は〈 〉である。
山鹿素行
44
「〈 〉」の著者は山鹿素行である。
聖教要録, 中朝事実, 武家事紀
45
山鹿素行は「〈 〉」を著し、朱子学を批判したため赤穂に流された。
聖教要録
46
山鹿素行は「聖教要録」を著し、朱子学を批判したため〈 〉に流された。
赤穂
47
「論語」や「孟子」の古典に直接立ち返ろうとし、経験的知識を重視した〈 〉は、京都の堀川で私塾としての〈 〉を開いた。
伊藤仁斎, 古義堂
48
「論語」や「孟子」の古典に直接立ち返ろうとし、経験的知識を重視した伊藤仁斎は、〈 〉の堀川で私塾としての古義堂を開いた。
京都
49
京都の伊藤仁斎・〈 〉父子の学派は〈 〉とよばれる。
伊藤東涯, 堀川学派
50
「孟子古義」の著者は〈 〉である。
伊藤仁斎
51
「論語古義」の著者は〈 〉である。
伊藤仁斎
52
「童子問」の著者は〈 〉である。
伊藤仁斎
53
「〈 〉」の著者は伊藤仁斎である。
孟子古義, 論語古義, 童子問
54
古文辞学派の創始者である〈 〉は、将軍徳川吉宗の諮問に応え、幕政改革の意見書「〈 〉」を著した。
荻生徂徠, 政談
55
古文辞学派の創始者である荻生徂徠は、将軍〈 〉の諮問に応え、幕政改革の意見書「政談」を著した。
徳川吉宗
56
荻生徂徠が創始した学派を〈 〉とよぶ。
古文辞学派
57
荻生徂徠の一派は、徂徠が開いた塾の名から〈 〉とよばれた。
蘐園学派
58
荻生徂徠は、江戸に私塾「〈 〉」を開き、経世論を説くと共に詩文の革新につとめた。
蘐園塾
59
荻生徂徠は、江戸に私塾「蘐園塾」を開き、〈 〉を説くと共に詩文の革新につとめた。
経世論
60
〈 〉は、荻生徂徠の弟子で、徂徠の説を発展させ、武士の商業活動の必要性を主張した。
太宰春台
61
〈 〉は、「経済録」を著した。
太宰春台
62
〈 〉は、「経済録拾遺」を著した。
太宰春台
63
太宰春台は、「〈 〉」を著した。
経済録, 経済録拾遺
64
太宰春台は、武士が商業活動を行い、藩が〈 〉制度をとり入れるよう提案している。
専売
65
植物・動物・鉱物の薬用効果について研究する学問を〈 〉学という。
本草
66
加賀藩主前田綱紀に仕えた稲生若水は、本草学の大著「〈 〉」を著した。
庶物類纂
67
「庶物類纂」の著者は〈 〉である。
稲生若水
68
貝原益軒は、明の李時珍の著書「本草綱目」の分類をふまえながら、独自の観察にもとづいて「〈 〉」を著し、日本の本草学の基礎を築いた。
大和本草
69
「大和本草」の著者は〈 〉である。
貝原益軒
70
本草学者には、稲生若水・貝原益軒のほかに、〈 〉もいた。
小野蘭山
71
数学の民間普及書「塵劫記」を著したのは〈 〉である。
吉田光由
72
〈 〉は、筆算式代数学を開創し、〈 〉を大成させた。
関孝和, 和算
73
吉田の著した数学入門書を「〈 〉」という。
塵劫記
74
関孝和は1674年に「〈 〉」を著し、代数による筆算法を考案し、多元高次の方程式を解くことを可能にした。また、彼は円周率計算なども行った。
発微算法
75
江戸時代になると、800年間も使われてきた〈 〉暦は、実際の天体現象との間に誤差が出ていた。1685年から使われ始めたのが〈 〉暦である。
宣明, 貞享
76
貞享暦は〈 〉によってつくられた。
渋川春海
77
渋川春海の別名
安井算哲
78
「源氏物語湖月抄」などの注釈書を著した古典学者は〈 〉である。
北村季吟
79
「〈 〉」などの注釈書を著した古典学者は北村季吟である。
源氏物語湖月抄
80
〈 〉は「万葉集」などを研究して、「制の詞(和歌に使えない言葉)」が定められてきたことの無意味さなどを説き、中世以来の歌学を批判した。
戸田茂睡
81
〈 〉は、「梨本集」を著した。
戸田茂睡
82
戸田茂睡は、「〈 〉」を著した。
梨本集
83
〈 〉は、徳川光圀の要請を受けて「万葉集」の注釈書「〈 〉」を完成させた。
契沖, 万葉代匠記
84
契沖を徳川光圀に推挙した人物は〈 〉である。
下河辺長流