インド・ヨーロッパ語族に属する古代イタリア人一派。前11世紀ごろイタリア半島中部に南下しラティウム地方に定住しローマなどの都市を建てた
ラテン人
イタリア半島中部のティベル川北部一体の地名とそこに居住した人々。民族系統は不明で前7世紀から前6世紀ごろまで繁栄し一時はローマも支配した。しかし
前6世紀終盤に王がローマから追放され更にローマとの戦いに敗れて衰退した。前264年にはほぼ征服されてしまった。またこの地方で初めてイタリアの鉄器文明が始まったエトルリア
古代ローマにおける世襲的貴族階級。前509年エトルリアの王を追放し貴族共和政を樹立した。次第に身分的特権を独占しようとし平民から貴族になることができないようにした。これには国防を担った平民や経済的困窮に落ちる平民たちが貴族の特権に反発し、身分闘争へと繋がった。パトリキ
古代ローマにおいて中小農民や商工業としてローマの一般市民層を構成した人々。民会があったものの、実質的な参政権は無くコンスルや元老院議員はパトリキが世襲していたため政権は独占されていた。しかし半島統一の過程で平民は重装歩兵で武力の中心となったことで発言力を増し身分闘争を展開していったプレブス
ローマにおいて国政と軍事の最高権力を握る機関。民会の一つである兵員会で選出され、任期は1年で必ず2人が選出され互いに拒否権を有しているなど権力の集中を避けた。また他の官職には無い命令権を有してもいた。当初その地位はパトリキに独占されていたが前364年のリキニウス・セクスティウス法で平民からも選出されるようになったコンスル
ローマ共和制から帝政に続いた最高機関。パトリキの中から選出され終身議員だった。初めはコンスルの諮問機関という位置づけであったが共和制中期には最高機関として機能するようになった。しかし平民と貴族の差が縮まると富裕な平民も選出されるようになった元老院
ローマ市民権を持つものが議論のために行った集会。しかしローマ共和制初期は元老院が実権を握り議論の場でなく採決の権限しかなかった。また採決の内容も元老院の承認が必要だった。しかし身分闘争が発展すると平民のみで構成される平民会が生まれホルテンシウス法が可決されると元老院の承認がなくても国法を採決できるようになり正式に最高機関となった民会
前494年に起こった身分闘争の発端となった事件。他の都市との戦争に駆り出された平民が借金の棒引き、土地の再分配、平民代表の政治参加を要求し立てこもった事件。北方の異民族に悩まされていた元老院が折れ要求をのみ平民の勝利に終わった聖山事件
前494年の聖山事件によって設けられた民会を構成する重要な国家機関。平民のみで構成され護民官を選出し議長を務めた。はじめの頃は決議が平民のみにしか及ばず国法になるには元老院の承認が必要だった。前287年にホルテンシウス法が制定されると元老院の承認が無くても国法になることとなった平民会
前494年聖山事件の結果設置された官職。平民会で選出され議長を務めコンスルの決定や元老院の議決に拒否権を持った。リキニウス、セクスティウスやグラックス兄弟もこの官職を務めた。護民官
前450年に編纂された慣習法を成文化したもの。それまで法律はパトリキによって独占されていたため平民は知ることが出来なかったが開示を請求したことに元老院が承諾し編纂された。これによって法のまえでは貴族と平民は対等になった十二表法
前445年十二表法において貴族と平民の通婚は禁止されていたが身分闘争が進行するなか制定された貴族と平民の通婚を認める法律。これによって有力な平民は貴族と結婚し政界に進出したカヌレイウス法
リキニウス・セクスティウス法により貴族と平民の政治的平等が実現したことでコンスルなどの高い地位に就いた平民のこと。彼らは元老院議員にも選出され名門と認められた。しかし誰もがなれたわけでなくローマの高官は無俸給で出費も多かったため平民の中でも極一部の上層のみだったノビレス
非常時に元老院から1名のコンスルに国家大権を与えられた官職。任期は6ヶ月で再任もされなかった。ホルテンシウスが例であり任期は守られ独裁者として権力を行使したわけではなかった。しかし前82年スラは終身的にこの地位であると宣言したが軍事力で権力を握っただけなのでただの独裁者であったディクタトル
ローマ市民権を持つ市民にのみ適用される法律。当初は都市国家としてのローマ市民にのみ適用されていたが帝国が形成されると市民権を持つ領民とそうでない領民を含むようになり統一的支配が徹底できなかった。212年アントニヌス勅令ですべての自由民に適用されるようになり万民法となった市民法
ローマ官職のひとつで5年に一度の戸口調査を主任務とし市民の財産を調査する任務であったが次第に権限が大きくなり国家財政の監察をする様になった。アッピウスはアッピア街道建設のために無産市民に投票権を与え下層階級の不満を抑え税金を負担させたケンソル
サムニウム戦争などの半島統一戦争で勝利し支配領土が広がるとその土地は有力者に分配されたため平民の中で貧富の差が広がった。不満を持った一部の平民がローマから退去し近くの山に立て籠もった。その反抗を防ぐため前287年に制定した法律。これにより平民会の議決が元老院の承認が無くてもローマの国法となったホルテンシウス法
前367年に制定された法律。コンスルの1人を平民からも出すことや公有地の占有面積を制限するなどを課した。これにより平民の地位は実質的に貴族と同等になりローマ共和制への転機といえるリキニウス・セクスティウス法
ローマの海外領土である属州を統治する最高責任者。任期は1年で抽選によって決められた。徴税権を有しており、実際の徴税額よりも高値で徴税代行権を請負人に売りその差額を着服することで莫大の富を得ることができた総督
前135〜132年に起こった属州シチリアの農民奴隷反乱。またこの反乱はデロス島やラウレイオン銀山の奴隷たちに波及した。また前104年〜99年にも剣闘士奴隷の反乱が起きスパルタクスの乱の先駆となったシチリアの奴隷反乱
共和政末期に元老院に対抗して民会を基盤として台頭した政治党派。元老院になることのできない騎士階級の貴族層が基盤となった。閥族派と対立し内乱の一世紀の間争いが繰り返された。代表的な人物としてマリウスやその血縁であるカエサルがいる平民派
共和政ローマ末期に生まれた元老院などの保守層を中心とした政治勢力。元老院の既得権に反発することの多かった平民派と対立した。代表例としてスラがいる。またポンペイウスやクラッススもスラの腹心の軍人であったが途中元老院と対立し平民派となった閥族派
中小農民が没落したことで無産市民が増加し食事や娯楽を求めて有力者に要求したこと。無産市民となっても平民会の選挙権は有していたため民衆の支持を得るために有力者も率先してこれに応えたパンと見世物
大土地所有地、大農園のあり方の総称。パトリキや、ノビレス、騎士が属州からの不当な利益を蓄積し、その富によって行われた。これは海外領土でえた奴隷が使われた。そのため中小農民の没落は進み平等な市民が重装歩兵として軍事力を担うというローマの基盤が揺らぎグラックス兄弟による改革が始まったラティフンディア
前3世紀頃から現れた富裕市民。彼らは徴税請負人として総督に代わって徴税や公共事業を請け負い富を蓄えるようになった。元老院議員は商業活動が禁止されていたため彼らは商業の分野で進出し新たな階級層を形成した。共和政末期には平民派の支持の基盤となり閥族派と対立した騎士
属州の徴税や公共事業を総督に代わって請け負う人。旧来の貴族や新貴族ではなく新興勢力である騎士と言われる有力者が任命された。総督から依頼された徴税額より多く徴収し私腹を肥やし富豪に成長した。これらの人々は元老院クラスの下の支配階級を形成し新興勢力として平民派の支持の母体となった徴税請負人
新貴族出身の政治家、軍人。第2回ポエニ戦争でカルタゴと戦い前206年までにイベリア半島を平定した。またあのカンネーの戦いの生き残りでもあった。ハンニバルがイタリアにいる間にカルタゴ本国を攻撃する案を立て消極的な元老院を尻目に民衆の支持を得て軍を率いてカルタゴに上陸した。カルタゴに戻ったハンニバルと前202年ザマの戦いでぶつかり大勝した。次いでセレウコス軍も破ると独裁化を恐れたカトーなどに告発され政界を退いたスキピオ
前202第2回ポエニ戦争でスキピオ率いるローマ軍がハンニバル率いるカルタゴ軍を破った戦い。カンネーの戦いでハンニバルが見せた騎兵による挟撃を模倣されカルタゴ軍は大敗した。その後スキピオはカルタゴに海外領土の放棄、軍縮、多額の賠償金などの厳しい条約を結びカルタゴを存続させた。カルタゴ元老院はこの条約に反対したがハンニバルの説得演説で反対をおさえたザマの戦い
アレクサンドロス帝国の解体後イタリア半島とマケドニアの間にあったエペイロス王国の国王。また前280年〜275年に起こったローマとエペイロス王国のイタリア南部を巡る戦い。ローマ軍の南下を恐れたタレントゥムがエペイロス王国に支援を依頼したことでイタリア進出を狙っていたエペイロス王国が承認し出兵した。エペイロス軍は緒戦、連勝していたが決定打を与えれず撤退。狙いをシチリアに変えたがこれもカルタゴの抵抗があり失敗してしまった。よって前272年にタレントゥムは降伏したピュロス王
古代カルタゴの将軍。第2回ポエニ戦争でアルプス超えを成し遂げ各地でガリア人と協力しローマ軍を破った。ファビウスが持久戦をしたことで苦戦したがファビウスが罷免されたことでカンネーの戦いで大勝した。ローマ本都市を攻撃することは無く同盟市などの反乱で内側からの崩壊を企てたが失敗した。長期にわたる滞在から補給も途絶えた頃カルタゴ本国にスキピオが出軍し急遽カルタゴに帰還した。そしてザマの戦いで大敗を喫し、責任を取られ亡命を繰り返した。その都度ローマに対抗したが前183年ローマの追跡を受け自殺したハンニバル
前216年第2回ポエニ戦争でカルタゴとローマ双方の大軍が東南部イタリアで衝突した戦い。カルタゴ軍をハンニバル指揮のものとで大勝した。それまでファビウスが決戦を避け持久戦を持ち込む戦術を取っていたがローマ市民が痺れを切らし短期決戦に転換したため起こった。カルタゴ軍は撤退する形でローマ主力を盆地に引きつけ両側から当時最強だったカルタゴ騎士兵で包囲殲滅したカンネーの戦い
前3〜2世紀にかけてローマとカルタゴの地中海の覇権をめぐる3回にわたる戦争。前264年〜241年の第一次ではシチリア島をめぐってカルタゴと対立していたシラクサがローマに援軍要請し起こった。海軍育成に成功したローマが勝利し初めての属州としてシチリア西部を手に入れた。前218年〜201年の第二次ではイベリア半島を巡って衝突した。カンネーの戦いで敗れたがカルタゴ本国への奇襲を成功させ勝利した。前149〜146はカルタゴの破壊活動で属州アフリカとして支配した。ポエニ戦争
ローマが半島統一を進める過程で主に最初に支配下に入ったラテン人都市に見られた支配体制。独立は失ったが一定の自治権が認められた。しかし外交・軍事・裁判などの権限はローマに握られたため限定的であった。また市民権は上層の者にしか認められずそのうえ参政権や役人への立候補は認められなかった自治市
ローマが半島統一を進めるなかで市民権も自治権も認められず完全服従させられた都市。内乱の一世紀の時には各地で反乱を起こした同盟市
ローマが半島統一を進める過程で軍人を入植させて建設した都市。市民権が認められたが自治権は認められてなく独立性は薄くローマに服従した植民市
ローマが半島統一戦争で服従させた都市に対し一律支配でなく与える市民権、自治権の程度によって植民市、自治市、同盟市の3種類にわけ支配し都市間の関係を認めず個別支配した統治体制分割統治
リキニウス・セクスティウス法が制定され共和制国家体制を作り上げ重装歩兵の強力な戦力を持つに至ったローマが行った征服活動。中部のサムニウム人とラテン人の都市を破りその後タレントゥムやその援軍であるギリシアカルタゴ軍と戦い南部も征服した。これらと並行して共和制の形成が行われた半島統一戦争
ケンソルを務めたアッピウスなによって前312年の第二次サムニウム戦争時に軍を迅速に南下させるために建設された軍道。当初はローマからカプアまでだったが半島統一を進めるとともにタレントゥム、ブルンディシウムと南下していった。このような道路が各地に張り巡らせ『すべての道はローマに通ず』と言われたアッピア街道
ローマの征服活動によってイタリア半島外の地中海各地に得た領土。ポエニ戦争で初めてシチリアを獲得、続いてヒスパニアも手に入れた。前146年にはマケドニアとアフリカ、前129年にはアシアと広げていった。また奴隷と穀物が大量にローマに入り中小農民を没落させた。富裕層は総督や徴税請負人として税を不当に搾取しその得た富でラティフンディアを行った。その結果貧富の差は増す一方だった属州
第二次ポエニ戦争と並行して行われたアンティゴノス朝との3度に渡る戦争。前215年〜205年に行われた第一回ではカンネーの戦いの直後だったため苦戦したがギリシア諸都市、ペルガモンの反乱もあり和平に持ち込んだ。前200〜196年の第二回ではセレウコス朝と結びついたことにアテネ、ペルガモンなどが危機感を持ちローマに救援したことで起き、ローマが連合軍に勝利した。前171〜167の第三回ではヒュドナの戦いで大勝しアンティゴノス朝を4つに分割、前146年に属州マケドニアとしたマケドニア戦争
ラティウム地方のラテン人都市らは同盟を結んでいたが独立を脅かされるとし前340年にローマに戦いを挑んだが前338年に敗れた。有力都市は独立が認められたが名目上であった。またローマ市民権に次ぐラテン権という権利が与えられた。またこの戦争はサムニウム戦争と並行して行われたラテン同盟戦争
前167年にマケドニアが滅ぼされ前146年にはコリントが滅ぼされギリシア全土が属州として支配されると征服を恐れたペルガモン王国は前133年に国土をローマに献上した。これに対して不満を持った民が起こした反乱。しかし前130年には鎮圧されてしまい属州アシアとされ終わった。またこの土地はグラックス兄弟が平民に分配しようとしていた土地でありグラックス兄弟の改革が始まった前133と同年代であるアリストニコスの蜂起
第2回ポエニ戦争でイベリア半島東部に作った属州。拠点として植民市であるコルドバを建設した。また勢力を西部まで及ぼせようとすると以前から西部にいたルシタニア人が抵抗した。これをルシタニア戦争と言い指導したウァリアトゥスはポルトガルの英雄とされている。イベリアで作られた穀物は安価でローマに入り中小農民を没落させた属州ヒスパニア
ローマ共和制末期の政治家。ザマの戦いで勝利したスキピオが戦利品を不当独占し個人崇拝を得ようとしているとしたことに強く反発して元老院で告発した。またカルタゴとの共存を強く否定しカルタゴを滅ぼすべきだと演説したカトー
ローマより南のカンパニアから東南部のアペニン山脈で生活していたイタリア人一派と三次に渡る戦争。前343〜341年カンパニアの都市が山地の都市から攻撃されローマに支援を要求したことで内紛に参加した。カンパニアの都市はかえってローマの支配を恐れたため反旗を翻したがローマに敗れ支配された。前326〜305年の2次ではアッピア街道を建設し勝利した。前298〜290年エトルリア人やガリア人と同盟を結び抗ったがローマが各地で勝利し諸種族を服従させイタリア中部の覇権を確立したサムニウム戦争
非常時に元老院から1名のコンスルに国家大権を与えられた官職を。任期は6ヶ月再任もされなかった。ホルテンシウスが例であり独裁者として権力を行使しなかったがスラの終身的なこの地位は軍事的に権力を握っていたため正式でなかったディクタトル
カエサルの武将。カエサルの死後有力となったアントニウスとオクタウィアヌスは反目しがちであったが両者を仲介して第二回三頭政治を成立させた。しかし二人の関係は悪化していき7年後の前36年に失脚させられ政界から退いたレピドゥス
カエサルの養子でローマ帝国時代アウグストゥス。元老院の保守派を抑えるため第二回三頭政治を立ち上げ一角を担った。しかしアントニウスとの対立が深まりアクティウムの海戦で破りプレマイオス朝を滅ぼした。その後50万の兵から30万人を農業につかせたり国家に対する負債を帳消しにするなどの財政を行い前27年にアウグストゥスの称号を与えられローマ皇帝となったオクタウィアヌス
前43年〜32年カエサルの死後のローマにおける有力な後継者アントニウス・オクタウィアヌス・レピドゥスが半元老院という政治的立場で一致し行われた共同統治。しかしアントニウスとオクタウィアヌスの対立が深まり崩壊した第二回三頭政治
プトレマイオス朝最後の女王。前48年プトレマイオス13世と対立していたがカエサルを味方につけ前47年に平定した。カエサルの死後政権が不安定だったためアントニウスを誘惑し味方につけた。しかしオクタウィアヌスが有力になっていき前30年に自殺したクレオパトラ7世
前31年オクタウィアヌス軍とアントニウス・プトレマイオス連合軍のギリシア西北の地中海での戦い。オクタウィアヌス軍は数で劣っていたがアグリッパの指揮によって大勝。アントニウスはアレクサンドロスへと敗走した。これにより内乱の一世紀、ヘレニズム時代が終わりオクタウィアヌスの東地中海覇権が確立したアクティウムの海戦
ローマ皇帝の称号の一つで『市民の第一人者』という意味。カエサルの独裁的姿勢の失敗を繰り返さないため共和政の伝統を尊重する姿勢をとったプリンケプス
古代地中海で用いられた多数の漕ぎ手の櫂と補助的な帆によって進む船。アクティウムの海戦で使用され中世でも使われたガレー船
前48年に起こったポンペイウス・カエサル間の戦い。前49年にカエサルがローマへ進軍するとポンペイウスはギリシアに撤退し軍備を整えた。カエサル軍は数では圧倒的に思っていたが質の差によってカエサルが勝利した。ポンペイウスはそのままエジプトへ逃れたが暗殺されたファルサルスの戦い
前45年敵勢力をやすべて打ち負かしたカエサルがローマに凱旋した祭に贈られた称号。皇帝を意味するemperorの語源となったインペラトル
スパルタクスの乱の鎮圧以降軍事的実績がなくカエサル・ポンペイウスが戦果を挙げたことで焦りを感じたクラッススがパルティア遠征を実施し前53年に衝突した戦い。パルティア軍の軽装部隊に翻弄され大敗を期してしまった。結果クラッススも死亡したカルラエの戦い
前111年〜105年にカルタゴの西にあったヌミディア王国との戦い。元々は属国であったが反乱を起こしたため鎮圧が行われた。しかし中小農民が没落していので緒戦は苦戦したが前107年マリウスがコンスルとなり兵制改革を実施し前105年に鎮圧したユグルタ戦争
ユグルタ戦争・イタリア同盟市戦争でマリウスの副官として実績を挙げた人物。閥族派の中心的な位置につき、前88年ミトリダテス戦争の全権を委任され出兵するがその間にマリウス率いる平民派がローマでクーデターを起こしたため前83年に講和をし帰還。マリウスはすでに死んでいたため政権を奪取し前82年終身ディクタトルを名乗り3年に渡る恐怖政治を行ったスラ
前58年〜51年までカエサルが行った軍事遠征。カエサルの巧みな戦術でガリア人を抑えさらにライン川を越えてゲルマン部族を破った。更に前55年にはブリテン島に初めて到達した。ガリア遠征
平民派の将軍でマリウスの甥。前60年にポンペイウス・クラッススとともに三頭政治を行った。また翌年にはコンスルに選出された任期が終わるとガリア遠征を行った。しかしポンペイウスが元老院と結びついたため前49年ローマに進軍しファルサルスの戦いでポンペイウスを破りクレオパトラと結婚、前46年にローマに凱旋しディクタトルに就任したが独裁化を恐れた共和派に前44年暗殺されたカエサル
前91年から88年に同盟市が市民権を求め蜂起した戦争。マリウスが鎮圧に当たったが苦戦し前89年全イタリアの民に市民権が与えられた。そのままスラによって反乱は鎮圧されたが結果的にすべての同盟市は自治市となった同盟市戦争
平民出身の軍人で前107年にコンスルに選出されると全面的な兵制改革でユグルタ戦争に勝利した。騎士層からの支持を受け平民派寄りの施策をし実権を握った。前88年のミトリダテス戦争でスラが不在になったときを狙い保守派を惨殺し恐怖政治を敷いたが前86年に死亡したマリウス
重装歩兵をになっていた中小農民が没落したことで国防が弱体化していた。そこでマリウスによって前107年に無産市民を志願兵として募り職業軍人に育成することで新たに軍を編成した改革。しかしこの兵は国家に対して忠誠を誓うのではなく私人に雇われているため将軍による権力争いに繋がった兵制改革
前一世紀に入るとローマ社会は大きく変化し、同盟市戦争、ミトリダテス戦争、スパルタクスの乱と立て続けに起こった。それを有力な将軍が鎮圧し、その将軍同士で覇権を目指し争った期間内乱の一世紀
ポエニ戦争やマケドニア戦争によって軍事力を担っていた中小農民が没落しローマ共和制が崩壊すると考え護民官だった兄弟が起こした農地改革。前133年兄は共有地を制限しその土地を農民に返還しようとしたが保守派によって撲殺された。弟も兄の意思を継いだが前127年に自殺したグラックス兄弟の改革
ローマ市民権を持つ市民にのみ適用される法律。当初は都市国家としての市民にのみ適用されていたが帝国化が進むと市民権を持つ領民とそうでない領民を含むようになり統一が徹底できなかった。しかし212年のアントニヌス勅令で万民法となった市民法
カエサルの武将を務めた人物。第二回三頭政治で一角を担いオクタウィアヌスの姉と結婚した。しかし東方遠征でパルティアと戦うためプトレマイオスに支援を要求しようとクレオパトラと面会すると虜になってしまいエジプトに入り浸った。そのためオクタウィアヌスとの対立が深まり前31年アクティウムの海戦が起こり敗北、翌年に自殺したアントニウス
ローマ共和制の政治家かつ弁論家。前70年には弁護士として属州の不当な統治に有罪を言い渡した。しかしブルートゥスのカエサル暗殺に加担してるとしてアントニウスが処刑を目論んでいた。オクタウィアヌスは擁護していたが三頭政治が成立すると保護を受けれなくなり殺されたキケロ
スラの腹心で閥族派の軍人。前73年に起こったスパルタクスの反乱の本陣を迎撃しスパルタクスを自殺に追い込んだ。その後元老院と対立し平民派として施策を進めた。しかしポンペイウスとの関係が悪化するとカエサルの仲介で三頭政治の一角を担い関係を修復させた。しかし前53年パルティア遠征を行いカルラエの戦いで死亡したクラッスス
前60年から49年まで続いた政治同盟。カエサルはガリア総督ポンペイウスはヒスパニア総督、クラッススはシリア遠征の軍事指揮権を認めることで合意し結束を固めた。しかしクラッススの死亡とポンペイウスに嫁がせていたカエサルの娘が死亡し関係は悪化し前49年ガリアからの帰還と同時にローマに侵攻したことで崩壊した第一回三頭政治
スラの腹心で閥族派の軍人。ミトリダテス戦争の鎮圧やシリアの属州かなど東方領土の拡大をなした。その結果かクラッススと対立したが三頭政治で収まった。しかしクラッススが死ぬと次はカエサルと対立するようになりファルサルスの戦いで敗れるとエジプトに敗走しそこで殺害されたポンペイウス
前73年〜71年にかけて起こったローマ史上最大の奴隷反乱。トラキア出身者とガリア出身者で意見が割れ対立してしまい隙を突かれクラッスス軍に破られ鎮圧された。また残党もポンペイウスに掃討されたスパルタクスの反乱
前88年から前63年まで残った三次に渡るポントス王国の反乱。前88年同盟市戦争に乗じて反乱しアテネや小アジアを解放した。しかしスラが派遣されると劣勢となり講和を飲んだ。2次も講和で終わったが前70年の反乱はポンペイウスによって圧倒され終結したミトリダテス戦争
ローマ市民への見せ物として互いに戦闘を強制させられたり猛獣と戦わされた奴隷。多くは戦争の捕虜の中から選抜されて養成所で育成され『パンと見世物』のために酷使させられた。しかし前72年スパルタクスが反乱を起こした。しかし鎮圧され404年まで中止されなかった剣奴
前44年3月15日元老院の会議場でカエサルを襲撃し殺害した人物。ローマ共和制の熱心な支持者で最初はカエサルを支持していていたが独裁化が強まると暗殺を計画した。前42年オクタウィアヌス・アントニウスの軍に敗れ自殺したブルートゥス
インド・ヨーロッパ語族に属する古代イタリア人一派。前11世紀ごろイタリア半島中部に南下しラティウム地方に定住しローマなどの都市を建てた
ラテン人
イタリア半島中部のティベル川北部一体の地名とそこに居住した人々。民族系統は不明で前7世紀から前6世紀ごろまで繁栄し一時はローマも支配した。しかし
前6世紀終盤に王がローマから追放され更にローマとの戦いに敗れて衰退した。前264年にはほぼ征服されてしまった。またこの地方で初めてイタリアの鉄器文明が始まったエトルリア
古代ローマにおける世襲的貴族階級。前509年エトルリアの王を追放し貴族共和政を樹立した。次第に身分的特権を独占しようとし平民から貴族になることができないようにした。これには国防を担った平民や経済的困窮に落ちる平民たちが貴族の特権に反発し、身分闘争へと繋がった。パトリキ
古代ローマにおいて中小農民や商工業としてローマの一般市民層を構成した人々。民会があったものの、実質的な参政権は無くコンスルや元老院議員はパトリキが世襲していたため政権は独占されていた。しかし半島統一の過程で平民は重装歩兵で武力の中心となったことで発言力を増し身分闘争を展開していったプレブス
ローマにおいて国政と軍事の最高権力を握る機関。民会の一つである兵員会で選出され、任期は1年で必ず2人が選出され互いに拒否権を有しているなど権力の集中を避けた。また他の官職には無い命令権を有してもいた。当初その地位はパトリキに独占されていたが前364年のリキニウス・セクスティウス法で平民からも選出されるようになったコンスル
ローマ共和制から帝政に続いた最高機関。パトリキの中から選出され終身議員だった。初めはコンスルの諮問機関という位置づけであったが共和制中期には最高機関として機能するようになった。しかし平民と貴族の差が縮まると富裕な平民も選出されるようになった元老院
ローマ市民権を持つものが議論のために行った集会。しかしローマ共和制初期は元老院が実権を握り議論の場でなく採決の権限しかなかった。また採決の内容も元老院の承認が必要だった。しかし身分闘争が発展すると平民のみで構成される平民会が生まれホルテンシウス法が可決されると元老院の承認がなくても国法を採決できるようになり正式に最高機関となった民会
前494年に起こった身分闘争の発端となった事件。他の都市との戦争に駆り出された平民が借金の棒引き、土地の再分配、平民代表の政治参加を要求し立てこもった事件。北方の異民族に悩まされていた元老院が折れ要求をのみ平民の勝利に終わった聖山事件
前494年の聖山事件によって設けられた民会を構成する重要な国家機関。平民のみで構成され護民官を選出し議長を務めた。はじめの頃は決議が平民のみにしか及ばず国法になるには元老院の承認が必要だった。前287年にホルテンシウス法が制定されると元老院の承認が無くても国法になることとなった平民会
前494年聖山事件の結果設置された官職。平民会で選出され議長を務めコンスルの決定や元老院の議決に拒否権を持った。リキニウス、セクスティウスやグラックス兄弟もこの官職を務めた。護民官
前450年に編纂された慣習法を成文化したもの。それまで法律はパトリキによって独占されていたため平民は知ることが出来なかったが開示を請求したことに元老院が承諾し編纂された。これによって法のまえでは貴族と平民は対等になった十二表法
前445年十二表法において貴族と平民の通婚は禁止されていたが身分闘争が進行するなか制定された貴族と平民の通婚を認める法律。これによって有力な平民は貴族と結婚し政界に進出したカヌレイウス法
リキニウス・セクスティウス法により貴族と平民の政治的平等が実現したことでコンスルなどの高い地位に就いた平民のこと。彼らは元老院議員にも選出され名門と認められた。しかし誰もがなれたわけでなくローマの高官は無俸給で出費も多かったため平民の中でも極一部の上層のみだったノビレス
非常時に元老院から1名のコンスルに国家大権を与えられた官職。任期は6ヶ月で再任もされなかった。ホルテンシウスが例であり任期は守られ独裁者として権力を行使したわけではなかった。しかし前82年スラは終身的にこの地位であると宣言したが軍事力で権力を握っただけなのでただの独裁者であったディクタトル
ローマ市民権を持つ市民にのみ適用される法律。当初は都市国家としてのローマ市民にのみ適用されていたが帝国が形成されると市民権を持つ領民とそうでない領民を含むようになり統一的支配が徹底できなかった。212年アントニヌス勅令ですべての自由民に適用されるようになり万民法となった市民法
ローマ官職のひとつで5年に一度の戸口調査を主任務とし市民の財産を調査する任務であったが次第に権限が大きくなり国家財政の監察をする様になった。アッピウスはアッピア街道建設のために無産市民に投票権を与え下層階級の不満を抑え税金を負担させたケンソル
サムニウム戦争などの半島統一戦争で勝利し支配領土が広がるとその土地は有力者に分配されたため平民の中で貧富の差が広がった。不満を持った一部の平民がローマから退去し近くの山に立て籠もった。その反抗を防ぐため前287年に制定した法律。これにより平民会の議決が元老院の承認が無くてもローマの国法となったホルテンシウス法
前367年に制定された法律。コンスルの1人を平民からも出すことや公有地の占有面積を制限するなどを課した。これにより平民の地位は実質的に貴族と同等になりローマ共和制への転機といえるリキニウス・セクスティウス法
ローマの海外領土である属州を統治する最高責任者。任期は1年で抽選によって決められた。徴税権を有しており、実際の徴税額よりも高値で徴税代行権を請負人に売りその差額を着服することで莫大の富を得ることができた総督
前135〜132年に起こった属州シチリアの農民奴隷反乱。またこの反乱はデロス島やラウレイオン銀山の奴隷たちに波及した。また前104年〜99年にも剣闘士奴隷の反乱が起きスパルタクスの乱の先駆となったシチリアの奴隷反乱
共和政末期に元老院に対抗して民会を基盤として台頭した政治党派。元老院になることのできない騎士階級の貴族層が基盤となった。閥族派と対立し内乱の一世紀の間争いが繰り返された。代表的な人物としてマリウスやその血縁であるカエサルがいる平民派
共和政ローマ末期に生まれた元老院などの保守層を中心とした政治勢力。元老院の既得権に反発することの多かった平民派と対立した。代表例としてスラがいる。またポンペイウスやクラッススもスラの腹心の軍人であったが途中元老院と対立し平民派となった閥族派
中小農民が没落したことで無産市民が増加し食事や娯楽を求めて有力者に要求したこと。無産市民となっても平民会の選挙権は有していたため民衆の支持を得るために有力者も率先してこれに応えたパンと見世物
大土地所有地、大農園のあり方の総称。パトリキや、ノビレス、騎士が属州からの不当な利益を蓄積し、その富によって行われた。これは海外領土でえた奴隷が使われた。そのため中小農民の没落は進み平等な市民が重装歩兵として軍事力を担うというローマの基盤が揺らぎグラックス兄弟による改革が始まったラティフンディア
前3世紀頃から現れた富裕市民。彼らは徴税請負人として総督に代わって徴税や公共事業を請け負い富を蓄えるようになった。元老院議員は商業活動が禁止されていたため彼らは商業の分野で進出し新たな階級層を形成した。共和政末期には平民派の支持の基盤となり閥族派と対立した騎士
属州の徴税や公共事業を総督に代わって請け負う人。旧来の貴族や新貴族ではなく新興勢力である騎士と言われる有力者が任命された。総督から依頼された徴税額より多く徴収し私腹を肥やし富豪に成長した。これらの人々は元老院クラスの下の支配階級を形成し新興勢力として平民派の支持の母体となった徴税請負人
新貴族出身の政治家、軍人。第2回ポエニ戦争でカルタゴと戦い前206年までにイベリア半島を平定した。またあのカンネーの戦いの生き残りでもあった。ハンニバルがイタリアにいる間にカルタゴ本国を攻撃する案を立て消極的な元老院を尻目に民衆の支持を得て軍を率いてカルタゴに上陸した。カルタゴに戻ったハンニバルと前202年ザマの戦いでぶつかり大勝した。次いでセレウコス軍も破ると独裁化を恐れたカトーなどに告発され政界を退いたスキピオ
前202第2回ポエニ戦争でスキピオ率いるローマ軍がハンニバル率いるカルタゴ軍を破った戦い。カンネーの戦いでハンニバルが見せた騎兵による挟撃を模倣されカルタゴ軍は大敗した。その後スキピオはカルタゴに海外領土の放棄、軍縮、多額の賠償金などの厳しい条約を結びカルタゴを存続させた。カルタゴ元老院はこの条約に反対したがハンニバルの説得演説で反対をおさえたザマの戦い
アレクサンドロス帝国の解体後イタリア半島とマケドニアの間にあったエペイロス王国の国王。また前280年〜275年に起こったローマとエペイロス王国のイタリア南部を巡る戦い。ローマ軍の南下を恐れたタレントゥムがエペイロス王国に支援を依頼したことでイタリア進出を狙っていたエペイロス王国が承認し出兵した。エペイロス軍は緒戦、連勝していたが決定打を与えれず撤退。狙いをシチリアに変えたがこれもカルタゴの抵抗があり失敗してしまった。よって前272年にタレントゥムは降伏したピュロス王
古代カルタゴの将軍。第2回ポエニ戦争でアルプス超えを成し遂げ各地でガリア人と協力しローマ軍を破った。ファビウスが持久戦をしたことで苦戦したがファビウスが罷免されたことでカンネーの戦いで大勝した。ローマ本都市を攻撃することは無く同盟市などの反乱で内側からの崩壊を企てたが失敗した。長期にわたる滞在から補給も途絶えた頃カルタゴ本国にスキピオが出軍し急遽カルタゴに帰還した。そしてザマの戦いで大敗を喫し、責任を取られ亡命を繰り返した。その都度ローマに対抗したが前183年ローマの追跡を受け自殺したハンニバル
前216年第2回ポエニ戦争でカルタゴとローマ双方の大軍が東南部イタリアで衝突した戦い。カルタゴ軍をハンニバル指揮のものとで大勝した。それまでファビウスが決戦を避け持久戦を持ち込む戦術を取っていたがローマ市民が痺れを切らし短期決戦に転換したため起こった。カルタゴ軍は撤退する形でローマ主力を盆地に引きつけ両側から当時最強だったカルタゴ騎士兵で包囲殲滅したカンネーの戦い
前3〜2世紀にかけてローマとカルタゴの地中海の覇権をめぐる3回にわたる戦争。前264年〜241年の第一次ではシチリア島をめぐってカルタゴと対立していたシラクサがローマに援軍要請し起こった。海軍育成に成功したローマが勝利し初めての属州としてシチリア西部を手に入れた。前218年〜201年の第二次ではイベリア半島を巡って衝突した。カンネーの戦いで敗れたがカルタゴ本国への奇襲を成功させ勝利した。前149〜146はカルタゴの破壊活動で属州アフリカとして支配した。ポエニ戦争
ローマが半島統一を進める過程で主に最初に支配下に入ったラテン人都市に見られた支配体制。独立は失ったが一定の自治権が認められた。しかし外交・軍事・裁判などの権限はローマに握られたため限定的であった。また市民権は上層の者にしか認められずそのうえ参政権や役人への立候補は認められなかった自治市
ローマが半島統一を進めるなかで市民権も自治権も認められず完全服従させられた都市。内乱の一世紀の時には各地で反乱を起こした同盟市
ローマが半島統一を進める過程で軍人を入植させて建設した都市。市民権が認められたが自治権は認められてなく独立性は薄くローマに服従した植民市
ローマが半島統一戦争で服従させた都市に対し一律支配でなく与える市民権、自治権の程度によって植民市、自治市、同盟市の3種類にわけ支配し都市間の関係を認めず個別支配した統治体制分割統治
リキニウス・セクスティウス法が制定され共和制国家体制を作り上げ重装歩兵の強力な戦力を持つに至ったローマが行った征服活動。中部のサムニウム人とラテン人の都市を破りその後タレントゥムやその援軍であるギリシアカルタゴ軍と戦い南部も征服した。これらと並行して共和制の形成が行われた半島統一戦争
ケンソルを務めたアッピウスなによって前312年の第二次サムニウム戦争時に軍を迅速に南下させるために建設された軍道。当初はローマからカプアまでだったが半島統一を進めるとともにタレントゥム、ブルンディシウムと南下していった。このような道路が各地に張り巡らせ『すべての道はローマに通ず』と言われたアッピア街道
ローマの征服活動によってイタリア半島外の地中海各地に得た領土。ポエニ戦争で初めてシチリアを獲得、続いてヒスパニアも手に入れた。前146年にはマケドニアとアフリカ、前129年にはアシアと広げていった。また奴隷と穀物が大量にローマに入り中小農民を没落させた。富裕層は総督や徴税請負人として税を不当に搾取しその得た富でラティフンディアを行った。その結果貧富の差は増す一方だった属州
第二次ポエニ戦争と並行して行われたアンティゴノス朝との3度に渡る戦争。前215年〜205年に行われた第一回ではカンネーの戦いの直後だったため苦戦したがギリシア諸都市、ペルガモンの反乱もあり和平に持ち込んだ。前200〜196年の第二回ではセレウコス朝と結びついたことにアテネ、ペルガモンなどが危機感を持ちローマに救援したことで起き、ローマが連合軍に勝利した。前171〜167の第三回ではヒュドナの戦いで大勝しアンティゴノス朝を4つに分割、前146年に属州マケドニアとしたマケドニア戦争
ラティウム地方のラテン人都市らは同盟を結んでいたが独立を脅かされるとし前340年にローマに戦いを挑んだが前338年に敗れた。有力都市は独立が認められたが名目上であった。またローマ市民権に次ぐラテン権という権利が与えられた。またこの戦争はサムニウム戦争と並行して行われたラテン同盟戦争
前167年にマケドニアが滅ぼされ前146年にはコリントが滅ぼされギリシア全土が属州として支配されると征服を恐れたペルガモン王国は前133年に国土をローマに献上した。これに対して不満を持った民が起こした反乱。しかし前130年には鎮圧されてしまい属州アシアとされ終わった。またこの土地はグラックス兄弟が平民に分配しようとしていた土地でありグラックス兄弟の改革が始まった前133と同年代であるアリストニコスの蜂起
第2回ポエニ戦争でイベリア半島東部に作った属州。拠点として植民市であるコルドバを建設した。また勢力を西部まで及ぼせようとすると以前から西部にいたルシタニア人が抵抗した。これをルシタニア戦争と言い指導したウァリアトゥスはポルトガルの英雄とされている。イベリアで作られた穀物は安価でローマに入り中小農民を没落させた属州ヒスパニア
ローマ共和制末期の政治家。ザマの戦いで勝利したスキピオが戦利品を不当独占し個人崇拝を得ようとしているとしたことに強く反発して元老院で告発した。またカルタゴとの共存を強く否定しカルタゴを滅ぼすべきだと演説したカトー
ローマより南のカンパニアから東南部のアペニン山脈で生活していたイタリア人一派と三次に渡る戦争。前343〜341年カンパニアの都市が山地の都市から攻撃されローマに支援を要求したことで内紛に参加した。カンパニアの都市はかえってローマの支配を恐れたため反旗を翻したがローマに敗れ支配された。前326〜305年の2次ではアッピア街道を建設し勝利した。前298〜290年エトルリア人やガリア人と同盟を結び抗ったがローマが各地で勝利し諸種族を服従させイタリア中部の覇権を確立したサムニウム戦争
非常時に元老院から1名のコンスルに国家大権を与えられた官職を。任期は6ヶ月再任もされなかった。ホルテンシウスが例であり独裁者として権力を行使しなかったがスラの終身的なこの地位は軍事的に権力を握っていたため正式でなかったディクタトル
カエサルの武将。カエサルの死後有力となったアントニウスとオクタウィアヌスは反目しがちであったが両者を仲介して第二回三頭政治を成立させた。しかし二人の関係は悪化していき7年後の前36年に失脚させられ政界から退いたレピドゥス
カエサルの養子でローマ帝国時代アウグストゥス。元老院の保守派を抑えるため第二回三頭政治を立ち上げ一角を担った。しかしアントニウスとの対立が深まりアクティウムの海戦で破りプレマイオス朝を滅ぼした。その後50万の兵から30万人を農業につかせたり国家に対する負債を帳消しにするなどの財政を行い前27年にアウグストゥスの称号を与えられローマ皇帝となったオクタウィアヌス
前43年〜32年カエサルの死後のローマにおける有力な後継者アントニウス・オクタウィアヌス・レピドゥスが半元老院という政治的立場で一致し行われた共同統治。しかしアントニウスとオクタウィアヌスの対立が深まり崩壊した第二回三頭政治
プトレマイオス朝最後の女王。前48年プトレマイオス13世と対立していたがカエサルを味方につけ前47年に平定した。カエサルの死後政権が不安定だったためアントニウスを誘惑し味方につけた。しかしオクタウィアヌスが有力になっていき前30年に自殺したクレオパトラ7世
前31年オクタウィアヌス軍とアントニウス・プトレマイオス連合軍のギリシア西北の地中海での戦い。オクタウィアヌス軍は数で劣っていたがアグリッパの指揮によって大勝。アントニウスはアレクサンドロスへと敗走した。これにより内乱の一世紀、ヘレニズム時代が終わりオクタウィアヌスの東地中海覇権が確立したアクティウムの海戦
ローマ皇帝の称号の一つで『市民の第一人者』という意味。カエサルの独裁的姿勢の失敗を繰り返さないため共和政の伝統を尊重する姿勢をとったプリンケプス
古代地中海で用いられた多数の漕ぎ手の櫂と補助的な帆によって進む船。アクティウムの海戦で使用され中世でも使われたガレー船
前48年に起こったポンペイウス・カエサル間の戦い。前49年にカエサルがローマへ進軍するとポンペイウスはギリシアに撤退し軍備を整えた。カエサル軍は数では圧倒的に思っていたが質の差によってカエサルが勝利した。ポンペイウスはそのままエジプトへ逃れたが暗殺されたファルサルスの戦い
前45年敵勢力をやすべて打ち負かしたカエサルがローマに凱旋した祭に贈られた称号。皇帝を意味するemperorの語源となったインペラトル
スパルタクスの乱の鎮圧以降軍事的実績がなくカエサル・ポンペイウスが戦果を挙げたことで焦りを感じたクラッススがパルティア遠征を実施し前53年に衝突した戦い。パルティア軍の軽装部隊に翻弄され大敗を期してしまった。結果クラッススも死亡したカルラエの戦い
前111年〜105年にカルタゴの西にあったヌミディア王国との戦い。元々は属国であったが反乱を起こしたため鎮圧が行われた。しかし中小農民が没落していので緒戦は苦戦したが前107年マリウスがコンスルとなり兵制改革を実施し前105年に鎮圧したユグルタ戦争
ユグルタ戦争・イタリア同盟市戦争でマリウスの副官として実績を挙げた人物。閥族派の中心的な位置につき、前88年ミトリダテス戦争の全権を委任され出兵するがその間にマリウス率いる平民派がローマでクーデターを起こしたため前83年に講和をし帰還。マリウスはすでに死んでいたため政権を奪取し前82年終身ディクタトルを名乗り3年に渡る恐怖政治を行ったスラ
前58年〜51年までカエサルが行った軍事遠征。カエサルの巧みな戦術でガリア人を抑えさらにライン川を越えてゲルマン部族を破った。更に前55年にはブリテン島に初めて到達した。ガリア遠征
平民派の将軍でマリウスの甥。前60年にポンペイウス・クラッススとともに三頭政治を行った。また翌年にはコンスルに選出された任期が終わるとガリア遠征を行った。しかしポンペイウスが元老院と結びついたため前49年ローマに進軍しファルサルスの戦いでポンペイウスを破りクレオパトラと結婚、前46年にローマに凱旋しディクタトルに就任したが独裁化を恐れた共和派に前44年暗殺されたカエサル
前91年から88年に同盟市が市民権を求め蜂起した戦争。マリウスが鎮圧に当たったが苦戦し前89年全イタリアの民に市民権が与えられた。そのままスラによって反乱は鎮圧されたが結果的にすべての同盟市は自治市となった同盟市戦争
平民出身の軍人で前107年にコンスルに選出されると全面的な兵制改革でユグルタ戦争に勝利した。騎士層からの支持を受け平民派寄りの施策をし実権を握った。前88年のミトリダテス戦争でスラが不在になったときを狙い保守派を惨殺し恐怖政治を敷いたが前86年に死亡したマリウス
重装歩兵をになっていた中小農民が没落したことで国防が弱体化していた。そこでマリウスによって前107年に無産市民を志願兵として募り職業軍人に育成することで新たに軍を編成した改革。しかしこの兵は国家に対して忠誠を誓うのではなく私人に雇われているため将軍による権力争いに繋がった兵制改革
前一世紀に入るとローマ社会は大きく変化し、同盟市戦争、ミトリダテス戦争、スパルタクスの乱と立て続けに起こった。それを有力な将軍が鎮圧し、その将軍同士で覇権を目指し争った期間内乱の一世紀
ポエニ戦争やマケドニア戦争によって軍事力を担っていた中小農民が没落しローマ共和制が崩壊すると考え護民官だった兄弟が起こした農地改革。前133年兄は共有地を制限しその土地を農民に返還しようとしたが保守派によって撲殺された。弟も兄の意思を継いだが前127年に自殺したグラックス兄弟の改革
ローマ市民権を持つ市民にのみ適用される法律。当初は都市国家としての市民にのみ適用されていたが帝国化が進むと市民権を持つ領民とそうでない領民を含むようになり統一が徹底できなかった。しかし212年のアントニヌス勅令で万民法となった市民法
カエサルの武将を務めた人物。第二回三頭政治で一角を担いオクタウィアヌスの姉と結婚した。しかし東方遠征でパルティアと戦うためプトレマイオスに支援を要求しようとクレオパトラと面会すると虜になってしまいエジプトに入り浸った。そのためオクタウィアヌスとの対立が深まり前31年アクティウムの海戦が起こり敗北、翌年に自殺したアントニウス
ローマ共和制の政治家かつ弁論家。前70年には弁護士として属州の不当な統治に有罪を言い渡した。しかしブルートゥスのカエサル暗殺に加担してるとしてアントニウスが処刑を目論んでいた。オクタウィアヌスは擁護していたが三頭政治が成立すると保護を受けれなくなり殺されたキケロ
スラの腹心で閥族派の軍人。前73年に起こったスパルタクスの反乱の本陣を迎撃しスパルタクスを自殺に追い込んだ。その後元老院と対立し平民派として施策を進めた。しかしポンペイウスとの関係が悪化するとカエサルの仲介で三頭政治の一角を担い関係を修復させた。しかし前53年パルティア遠征を行いカルラエの戦いで死亡したクラッスス
前60年から49年まで続いた政治同盟。カエサルはガリア総督ポンペイウスはヒスパニア総督、クラッススはシリア遠征の軍事指揮権を認めることで合意し結束を固めた。しかしクラッススの死亡とポンペイウスに嫁がせていたカエサルの娘が死亡し関係は悪化し前49年ガリアからの帰還と同時にローマに侵攻したことで崩壊した第一回三頭政治
スラの腹心で閥族派の軍人。ミトリダテス戦争の鎮圧やシリアの属州かなど東方領土の拡大をなした。その結果かクラッススと対立したが三頭政治で収まった。しかしクラッススが死ぬと次はカエサルと対立するようになりファルサルスの戦いで敗れるとエジプトに敗走しそこで殺害されたポンペイウス
前73年〜71年にかけて起こったローマ史上最大の奴隷反乱。トラキア出身者とガリア出身者で意見が割れ対立してしまい隙を突かれクラッスス軍に破られ鎮圧された。また残党もポンペイウスに掃討されたスパルタクスの反乱
前88年から前63年まで残った三次に渡るポントス王国の反乱。前88年同盟市戦争に乗じて反乱しアテネや小アジアを解放した。しかしスラが派遣されると劣勢となり講和を飲んだ。2次も講和で終わったが前70年の反乱はポンペイウスによって圧倒され終結したミトリダテス戦争
ローマ市民への見せ物として互いに戦闘を強制させられたり猛獣と戦わされた奴隷。多くは戦争の捕虜の中から選抜されて養成所で育成され『パンと見世物』のために酷使させられた。しかし前72年スパルタクスが反乱を起こした。しかし鎮圧され404年まで中止されなかった剣奴
前44年3月15日元老院の会議場でカエサルを襲撃し殺害した人物。ローマ共和制の熱心な支持者で最初はカエサルを支持していていたが独裁化が強まると暗殺を計画した。前42年オクタウィアヌス・アントニウスの軍に敗れ自殺したブルートゥス