問題一覧
1
武士が力を伸ばす中で、近衛家(公家・藤原氏)の信楽荘園は戦国末期まで維持された稀有な事例である。その信楽荘を実効支配して在地勢力として独立、明治維新まで代官として勢力を維持した甲賀武士は誰か。
多羅尾氏
2
甲賀武士たちは在地の独立領主の他、室町幕府に仕えていた者、また近江守護の佐々木六角氏に仕えていた者もいる。このうち「甲賀郡奉行」の役職で郡内の六角勢力を代表していた者は。
儀峨氏
3
近江甲賀の出身で通称を橘内、法名を詔春という人で、六角氏に仕え、後に柴田勝家、丹羽長秀等に仕えた。「甲賀ゆれ」に際して甲賀衆の多くの有力者が所領を没収される中で、豊臣秀吉にその才能を認められて右筆に抜擢され、1万石の大名にまで出世した甲賀者がいるが、その人物は誰か。
山中長俊
4
中世の甲賀はなぜか多くの有名人が逃げ込む先であった。では次の人物の内、甲賀に逃げ込まなかったのは誰か。
足利義満
5
天正伊賀の乱で徹底的な攻撃を受ける以前、伊賀の地侍衆の中にも織田信長の将来性を感じ取り抵抗することの無益を悟って、信長への協力を申し入れた者がいた。それは誰か。
福地氏
6
馬杉伝承による聖徳太子が物部守屋と戦った際、忍術を使って聖徳太子軍を助けたという「忍者の祖」と云われる人物は次の内誰か。
杉原斎入
7
ある英雄が蛇体となり地底から帰還したとして、諏訪湖畔に「お諏訪様」と親しまれて伝承されている武将は誰か。
望月三郎
8
真田十勇士の中でも、真田家を輩出した滋野三家の流れを汲む家の出身の者は、いわば同族であり真田家と密接な結びつきがあったため、実在説が強いという滋野三家出身は「根津甚八」「海野六郎」とあと一人は誰か。
望月六郎
9
甲南町馬杉の郷士・辻弥太郎の二男として生まれ、京都の山口卜真斉に師事した江戸時代の剣客で、江戸に道場を開き無外流居合道の祖となった人物は次の内誰か。この人は伴の系統を汲むと云われている。
辻月丹資茂
10
多喜氏は大伴氏伴家の分流で、滝村を本拠地とし、長享の乱で軍功あり、甲賀21家の南山六家の一つとして活躍。豊臣秀吉に用いられ、水口岡山城を築き城主となった多喜氏の子孫は次の内誰だったか。
中村一氏
11
関ヶ原の戦いで敗れ、水口岡山城まで逃げ帰り、池田輝政(又は池田三吉)の攻撃で開城降伏し近江日野で自刃し、西軍大将石田三成と共に京都三条河原で梟首されたのは誰か。
長束正家
12
西暦前541年から482年に、呉の兵法家孫武が兵法書を著した。その綱領に、「兵は詭道なり。故に能くすれども之を能くせざるを示す」これが忍術に大きな役割を果たしているとも云われる。では、この孫武の敬称は次の内どれか。
孫子
13
荒唐無稽な小説で、今日の忍者小説ブームの元祖的な存在と云える山田風太郎が「面白倶楽部」に昭和33年(1958)から連載開始され、次々と「忍法帖」を発表するが、彼が学生時代に先行していた学問は何か。
医学
14
忍術秘伝書「萬川集海」「正忍記」「忍秘伝」の内、「萬川集海」「正忍記」は同系列の書と説明されることが多いようである。著者の名前が良く似ており中国兵法を参考にした共通の基盤はあるが、正忍記には人相術についての記述があるのも特徴である。では、萬川集海の作者とよく似た名前の正忍記の作者は誰か。
藤林正武
15
家康の甲賀伊賀越えにも警護随従し、宇治田原から信楽小川城まで先導指揮したのはだれか。
山口光広
16
甲賀市観光企画推進室の調査団「ニンジャファインダーズ」が調べ、末裔と判明した甲賀五十三家の内の一家にもある、元を辿れば平安時代初期・応天門の変にも関わったとも考えられる氏族の子孫は次の内どれか。
伴氏
17
織田信長の重臣で甲賀・大原氏の一族。天正4年(1576)伊勢長嶋城を拠点にし、員弁・朝明・三重・桑名の四郡と鈴鹿郡の一部を支配したのは誰か。
滝川一益
18
天下を震撼させた鈎の陣で、甲賀・伊賀の忍びが忍法「亀六の法」を駆使し、ゲリラ戦を展開したが、この秘伝を伝授した氏族は何氏か。
佐々木氏
19
北陸路の朝倉攻めに失敗した帰途、織田信長軍は一旦引き揚げた京都から四面楚歌状態の中、鈴鹿山中の千草峠を岐阜へ帰還するが、この時信長を支援したのは次の内誰か。
蒲生親子
20
戦国時代の諸大名はこぞって甲賀衆を雇い入れるが、中でも甲賀衆の諜報組織をつくり、全国の情報を収集していたとされる特に有名な大名は、次の内誰か。
前田利家
21
古来の豪族で、忍者の祖ともいわれる伴(トモノ)善男・中庸(ナカツネ)父子は紀氏共々中央政界から追放されて没落する結果となった。では、この応天門の変(866年)は誰の陰謀といわれているか。
藤原良房
22
近江輿地志略にも出てくる加藤段蔵、通称「飛び加藤」は幻術を用い「呑牛の術」を妙技としていたが、武将の中にはこれを〝空恐ろしい術”と感じ、家来に命じて討たせたものがいた。その武将とは誰か。
武田信玄
23
永禄8年(1565)、将軍足利義輝の殺害を受けて、和田惟政は幽閉されていた義輝の弟覚慶を甲賀・和田に迎える。その後に惟政は覚慶と松平家康が協力することを確認して、覚慶の命を受けて彼が出会った人物とは。
織田信長
24
永禄10年(1567)、和田惟政は織田信長の命を受け、大和の平定に赴き、その功によりある城の城主となった。ではどこの城主になったのか。
摂津高槻
25
寛政元年(1789)、上野八左衛門、大原数馬と共に幕府に嘆願書と「萬川集海」を提出したのは誰か。
隠岐守一郎
26
国立公文書館蔵「享禄天文之記」(コピー)によると、天正伊賀の乱に於いて筒井方が大和・十市城を攻めたときの伊賀衆の大将は誰か。
木猿
27
江戸時代、尾張徳川家に召し抱えられた甲賀忍者5人を率いた頭領であり、彼の門弟による忍術書「甲賀忍之傳未来記」で知られる、甲賀火術の枠をこらした自知流砲術(鉄砲の戦術)の祖は誰か。
木村奥之助
28
中世の頃、甲賀と伊賀は「甲伊一国」と云われていた。甲賀衆と伊賀衆が寄り合いをしていたとの記録もある。しかし、その少し前までは、隣村同士の小競り合いもあったようだ。大永年間に馬杉村等を領有していた馬杉丹後守を攻めた伊賀者がいる。伊賀忍者の有力者の縁者だが、それは誰だったか。
伊室氏
29
忍者は他人の感情を揺さぶり、思うように動かすことが出来た。これを五情五欲の理(ことわり)という。五情の理とは「喜」「怒」「哀」「樂」ともう1つは何か。
恐
30
正忍記に書かれていることであるが、相手の感情や性格を把握する方法で、ある条件下に置かれた相手の、その環境に反応して表わす突出した感情を素早く見抜くことが大切で、その感情の逆手を取って先手を打つことがその真髄であると云う。それは次の内どれか。
心相の事
31
忍者が隠れる際に使った術は「陰法十術」、その中に女忍者を予め女中として潜入させ、後に長櫃(ヒツ)等の荷物を取り寄せ、その荷物に別の女忍者が忍び込む術があるが、その術はどう云われているか。
隠蓑の術
32
兵法書「用間加篠伝目口義」下「第十マカクレノ伝」にある、敵に見られないようにすることを「まがくれ」と言うが、それは具体的にどうする術なのか。
薬を敵に振り掛けて目をくらます
33
萬川集海に「秋月」、「花ノ曙」、「梅花月」などと紹介されているのは忍者が使った道具の名前であるが、ではこれは何の種類か。
松明
34
敵に追跡された時、通行人になりすまし嘘の逃走先を伝え、自分はそのまま別方向に逃げおおせる。この忍び技は何と呼ばれているか。
狸退き
35
忍びの心得を五七五七七で詠んだ歌がある。その1つに「しのびには ならひの道は おほけれど まづ第一は ○○○○○」で○○○○○に入る語を選べ。
敵に近づけ
36
もとは鈴鹿山の山賊で、のちに源義経の家臣となり数々のの戦いで勇名をあげた人物で、「軍法侍用集」には、彼の作とされる「忍びの歌」があるが、それは誰か。
伊勢三郎義盛
37
万川集海に忍者のあり方について「音もなく 嗅いもなく 智名もなし 勇名もなし」とある。それに関連した鍛錬として「三無忍」というものがあるが、三つの内一つは呼吸音を無くす「無息忍」、もう一つ臭いを無くす「無臭忍」、では残りのもう一つは次のうちどれか。
足音を無くす「無足忍」
38
忍術秘伝書の正忍記初巻には「水鳥の教え」という忍者が行動を起こす際に配慮すべきことが示されている。「水鳥のように水中では懸命に足を動かしていても何事もないように振る舞うこと」ともう1つ端的に示していることがあるがそれはどういうことを意図しているのか。
環境の変化に注意をする
39
忍者が敵陣に侵入するときは夜中が殆どである。その為日頃から闇の中でも自由に動き回れるよう修行していた。人間本来の五感を高めることは基本であり闇夜でも行動可能な視力を身につける為に明眼の法という特別訓練をしたという。では、この夜でも行動できる術を何というか。
闇夜の習い
40
忍者は心を落ち着かせ且つ自分の存在を相手に気付かせぬ為に呼吸を整えた。「吸→吐→吐→吸→吐→吸→吸→吐」の順で息を止めずに静かに長く呼吸をしたと云う。ではこの呼吸法を何と云うか。、
二重息吹
41
萬川集海巻第13にある、敵の忍者が屋敷に忍び込まないよう用心する方法「用害術六カ条」がある。屋敷内に仕掛ける様々な罠のようなものであるが、次の内用害六カ条に含まれないのはどれか。
捕者玉の事
42
忍者は敵と味方を区別する為、合言葉・符牒を用いていたが、割符としてある物を使った。それは何だったか。
かんざし
43
リアル忍者文書「渡辺俊経家文書」中の『忍法行巻』に出て来る火術の項のひとつ「火口(ほくち)の方」には「鉄炮薬9匁 硫7匁 葉9匁 ゑんせう9匁 多葉粉のくき黒焼き5匁」と有る。さてこの「火口(ほくち)の方」とは、何のことであるか。
火縄銃の導火線のレシピ
44
忍びの諜報術の一つ。主君と仲違いし追放され(たように見せかけて)、主君の敵に仕官し仕える。そのまま敵の内部から、かつての主君に情報を流すやり方を何というか。
やまびこの術
45
秘伝書の「正忍記」に、忍術の達人になる方法として4つの段階を挙げている。「敵になる」「敵の心を落す」「敵に離るる」そして最終段階はどんなこととされているか。
分かれて合う
46
忍者には目的に応じて歩き方を工夫していた。足の小指から徐々に体重を乗せていく歩き方は「忍び足」、ほかに「浮足」「指し足」などがあるが、最も音の出ない歩き方で、地面や床に着いた手の上に足を乗せて歩く歩き方は何と言われているか。
深草兎歩
47
忍者に十足有りと云う。音のしない歩き(ぬき足)、足を摺って歩く(摺り足)、飛び足、きざみ足、片足、常足、割足、しめ足、とあと2つの呼び名は何か。
大足・小足
48
桶狭間の戦い(1560年)で、岡部美濃守長教に属していた甲賀の高峰蔵人は、刈屋城攻めに際し火を放つ「門破りの火攻め」で敵を錯乱させ苦しめたが、それに関する高峰家に残る秘伝書とは次のうちどれか。
火術之傳
49
隠れる術は忍者にとって重要だが、それに関する次の説明文を読んで、四つのうちからそれに当てはまるものはどれか考え、正しいものを選べ。「敵が近づいてきたら壁や木などの物陰に身を寄せ、顔を袖で隠し、目は半開きのまま動かさず、呼吸を出来るだけ目立たなくしつつ相手を観察する」。
観音隠れ
50
忍びの諜報活動には大きく分けて「遠入り」と「近入り」があるが、戦が始まる前の「遠入り」で敵に顔を知られていない忍者を送り込む事を「○男の術」という。、この○に入る漢字を次から選べ。
桂
51
忍者は、地域や時代によって、様々な呼ばれ方があったとされる。次のうち忍者に関連する語として、最も適切でないものはどれか。
天狗
52
戦国時代、各地の大名のもとには忍者集団がいたとされる。その中には、江戸時代に書かれた文書からしか存在を確認できないものもあるが、大名家と忍者集団の名称の組合せとして、正しいものを選べ。
伊達ー黒脛巾組
53
忍術で、人の心の中にある門は、城や家の門のように目に見えない。それを見通すことが大切と云う教えを何と云うか。
無門の一関
54
忍者が使った技の一つで、雪道やぬかるみ等で行われる「乱足沓の事」とは何をすることか。
足跡をわざと残す
55
佐賀県立図書館に所蔵される「蓮池日誌略」に鍋島直澄が1667年当時の役人田原安右衛門を使って島原藩の動静を探らせていた記録が残っている。「蓮池日誌略」には、安右衛門は何と云う呼び名で使われていたか。その呼び名は九州地方に広くみられる間者や忍びと同義である。
細作
56
戦国時代には武将がこぞって甲賀忍者や伊賀忍者を使ったが、武田信玄が使った忍者集団は「間見」「見分け」「目付」の役割を担っていたと云う。では、この忍者集団は何と呼ばれていたか次の内から答えよ。
三つ者
57
忍者使った術の中で、木の葉、草葉、芝隠れ、観音・狐・狸・鶉隠れ、隠れ蓑・隠れ笠・扇子隠れの術がある。これは何法の十術というか。
陰法
58
五遁の術は、水遁の術・木遁の術・火遁の術・金遁の術・土遁の術、であるが、金遁の術とは次のうちどのような術であったのか。
金属製の物を利用して光や音で敵を惑わした
59
信州松本藩松平家に仕えた甲賀忍者の芥川九郎左衛門は、不思議な術を使う人として知られていた。「甲賀隠術極秘」の中には、城を火攻めにする為にどんな方法が記されているか。
大凧に乗って火種を落とす
60
万川集海 陰忍五 忍夜討ちの編による忍夜討ちの作法に八種類の作法として、物見二か条、出立四か条、命令七か条、夜討ち前の諜略四か条、忍び夜討ちの作法○○か条、剛盗夜討ち十ニか条、召捕二十か条が記されている。では、忍び夜討ちの作法は何か条あるか。
十八
61
万川集海 天時遁甲編 によると日取り、時取り、方取りには方法がある。しかしこれに縛られて行動を決定すべきではないが、敢えて捨てる必要もないと記されている。専用すべきでない理由はなにか。、
日時は天下皆同じだから
62
万川集海による歩法四か条には、敵の屋敷に入った時は浮足の狐走りや犬通りという歩行法があると記されている。浮足とはどういう方法で移動することか。
木に登った猿のように移動
63
源義経は7歳のころから鞍馬山で鬼一法眼に剣術や兵法「六韜三略」を習い、その後天狗の面を被った東光坊阿闍梨蓮忍に剣や棒術を習った。これらを元に忍術の源流の一つ「義経流」を編み出したと云われている。では、「六韜三略」とは何か。
相手を打ち負かす兵法
64
五欲の理(ことわり)とは、人の持つ五種類の欲望を巧みに操って他人を意のままに動かす術である。ではその五つの欲とは、「食」「性」「名声」「財産」ともう1つは何か。
風流
65
「萬川集海」では、巻第二十一火器編の冒頭部に火器の利点を3つ挙げている。では、その3つに含まれていないのは次の内どれか。
懐炉として携帯
66
徳川家康がまだ若かりし頃、一般に鵜殿退治と呼ばれる戦闘において、家康から招かれて参戦し甲賀忍者たちは大活躍をしてこの戦いの目的を達した。この時甲賀忍者たちは次にあげるどの戦術を採ったと言われているか。
夜陰に乗じて城侵入
67
正忍記中巻に、忍ぶことの成功の為に重要なことが書かれている。「天動地動の習い」ということが書かれているがそれはどういうことかあ。、
人目をそらす環境を作ること
68
正忍記は原則的には独忍を本筋としているが、「三人忍びの事」も書かれている。条件がそろわないと効果が無いようではあるが、その内容はどんなものか。
熟練忍者の創意工夫
69
忍者志願者は忍術を習い始めるに当たり、先ずあることを学んだと云われるがそれは何か。
記憶術
70
軍法侍用集「第14窃盗に三のしるしといふ事」には、忍びには名しるし、道しるし、( )しるし の三つのしるしがあると書かれている。走る者等を尋ねるとき、この、しるしにはこぬかを撒くべし とされるが、( )の中に入る言葉は次の内どれか。
見付け
71
戸隠流忍者の武術教養として「忍者八門」があるが、剣術・槍術・体術・手裏剣・気合・遊芸・教門とあと一つは。
火術
72
萬川集海には忍者が陥ってはならない「忍の3病」を定義している。それは侮り・迷いと、もう一つは何か。
恐怖
73
細長い紙を斜めに棒に巻きつけ、そこに縦に文字を書くと紙を開いたとき判読できなくなる。このことを利用した密書伝達法を何というか。
隠文秘匿之法
74
「甲賀流砲術秘書」には、甲賀流の極意の一つとして「三段早打ち」を挙げている。これは、ア火矢 イ鉄砲 ウ焙烙玉 の三種類の火器を使う戦い方だが、これらの火器での攻撃順序は正しくは次のうちどれか。
ア→ウ→イ
75
万治2年(1659)9月に著されたと伝わる武術伝書に、ある真言を唱えれば一人が七人に分身出来たという、分身の術らしきものが見える。この伝書を伝える忍術の流派は何流か。
無極量情流
76
慶安4年(1651)、浪人を集め、駿府城と久能山を抑え、金、銀を奪い、江戸では丸橋忠弥や河原十兵衛が江戸城北の丸の焔硝倉に火をかけて町を焼き払うという計画を立てた由井正雪が兵法塾を開き、旗本や浪人に講釈をした軍学兵法とは何か。
楠木流
77
忍術は大きくは「陽忍」と「隠忍」に分けられる。では次の術の内で、隠忍に当たるのはどれか。
家忍
78
天文2年(1737)、尾張藩の軍学者 近松彦之進茂矩によって著され、尾張藩の雇っていた甲賀・伊賀忍者にインタビューをして彼らの伝える忍術を書いたものは次の内どれか。
用間加条伝目口義
79
萬川集海の家忍の中に、必ず入るべき夜八か条がある。その一つは風雨の夜のこと。風雨の夜は物音が聞こえる故に古来よりこの夜を忍びに用いる。且つ雨の夜は涼しく冬は暖かくなる。「人身安眠探し、この時忍び入りの地位なり」とある。この術を何と云うか。風雨の時に出るものである。
雨鳥の術
80
和田惟政の援軍が来た、と喜んだ織田信長が、雑賀孫一率いる雑賀衆に一斉の銃撃を浴びせられ、そして先の尖った青竹を仕掛けられて信長軍は散々苦しめられた。さて、雑賀衆のこの戦術とは何の術か。
捨て旗の術
81
ニセの密書を持った忍者を、わざと敵に捕らえさせる忍術を何というか。
蛍火の術
82
一甲賀者であった滝川一益は、のちに織田軍団の中で四天王と云われるまで上り詰めるが、滝川一益が信長に認められて採用された最大の理由は何であったと云われているか。
鉄砲の腕前
83
甲賀忍者は伝統的に火術を得意とし、目的に応じた火薬の配合や新規導入された鉄砲の操作にも長じていた。特に甲賀張りの火縄銃では長距離射程の鉄砲を命中させるために特別の照準を導入した。これを何というか。
矢倉
84
甲賀の忍術書には人物調査法として「望・聞・問・切」を内容とする四知の伝が出てくる。望とは何も言わずに人を観察すること、聞とは周囲の人に聞いて歩く聞き取り調査、問とは本人に直接質問して返答から判断すること、では切とは何をすることか。
状況を作って行動を試す
85
聖徳太子が「志能便」を使った記されている書物は、次のうちどれか。
忍術応義伝
86
甲賀の忍術書に「四知の伝」というものがある。人間を知る為の甲賀忍者の四つの方法を意味している。「聞」「問」「切」ともう一つは何か。 ヒント:相手の風体、衣装、行動などを観察すること。
望
87
渡辺家文書「甲賀流砲術秘書」に記述されている「殺代焼の事」とは、火矢・棒火矢・大砲など火薬の持つ火力を最大限に活かして敵を焼き殺すものであろうとされているが、これは楠流兵法の何に通じた戦法か。
火戦之法
88
「正忍記」に、命・道徳などはどうでもいいが、自分を失ってはならないとの教えがあるが、これは何か。
敵防ぎと云う習い
89
忍者が最も活躍したのは戦国時代である。その忍者の役割は四つあるといわれる、それは「諜報」「防諜」「諜略」とあとひとつは何か。
不正規戦
90
諜略で戦いが始まる前に用いる術は「遠入り」で、戦いが始まってからの術は「近入り」である。その「近入り」で、城に立てこもった敵にチャンスを与えておびき出し、その混乱に乗じて敵城へと攻め込む術は何と云うか。
水月の術
91
忍術書「万川集海」にその名を挙げられる11人の忍術上手のひとりで、二人の忍者が協力して諜略を働く「双忍術」を得意とし、敢国神社の祭礼の日に、この術で男の腰の刀を盗み取ることをやってみせた忍者は誰か。
山田八右衛門
92
数々の諜略を駆使したことで有名な、毛利元就が用いた忍者集団で、駿河の国の今川氏の末裔とされ、安芸国(現在の広島県西部)に移り住んだのち、同国内の石身地方の高橋氏に仕えていた忍者集団は何か。
世鬼一族
93
忍びの起源は、古代中国の兵法書にもみられ、また「万川集海」や渡辺家文書「伊賀甲賀の唯法」にもその記述がみられる、次の中で敵情を探索する者として記述してないのはどれか。
潜
94
井原番衛門頼文は鳥取で生まれ、津藩藤堂家に仕えたが訳あって浪人し、江戸に移住し軍学を講じていた。その後、福井松平藩に軍法師範として召された。その井原番衛門が継承した忍術の源流ともいわれるものは何か。
義経流
95
忍者が使う隠語で「栗」は何を指すか。
伊賀者
96
天正13年(1585)、甲賀武士団解体(甲賀ゆれ)の直接の原因となった事件は秀吉の紀州雑賀攻めに際して起きた。甲賀武士が責任を問われたその事件とは。
水攻めで堤防決壊
97
福井藩に慶応2年(1866)まで忍組が存在していたという史料が近年になって発見された。松平春嶽の時代の藩士名簿「給帳」には忍之者が何人と記載されていたか。
10人
98
寛永14年(1637)、重税に苦しむ農民が一揆を起こした島原の乱。膠着状態の一揆制圧に、翌年寛永15年に甲賀忍者10名が加わった。偵察に入場した甲賀忍者は敵の食糧事情も探った。甲賀忍者が統率者松平伊豆守へ「敵が食べているのは海草と( )ばかり」と報告したことで、兵糧攻めが実行された。この( )の中に入る言葉は次の内どれか。
芝
99
甲賀者たちは近江守護・六角氏に協力してきたが、信長の近江侵攻に対しては抗しきれず、信長に降る者も出てきた。六角側に残った者たちも巻き返しを図って最後の決戦を挑んだが惨敗し、以後甲賀者は全て信長に従うことになった。
野洲河原の戦い
100
弘前藩2代藩主、津軽吉成は津軽一統志と呼ばれる鷹匠や商船の先導など、390人余りが殺されるなどして寛文9年(1669)に勃発したある戦いに甲賀忍者を活用して、それが後に忍者集団が結成されるキッカケとなった。ではその戦いとは次の内どれか。
シャクシャインの戦い