問題一覧
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【イギリスの諸改革と産業革命】 (1 )18世紀のイギリスで始まった技術革新と機械を用いた大最生産体制の確立及び、これまでの農業を基盤とした社会から工業を 基盤とした社会の急激な変化の総称
産業革命
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【イギリスの諸改革と産業革命】 〈産業革命の背景〉 ①イギリスが広大な(1 )を保有し、大きな市場を得ていたこと。 ②17 世紀の(2 )を経て経済活動が自由になったこと。 ⇒ピューリタン革命及び名誉革命 ③農業技術の発展(=(3 ))によって農業生産量が向上していたこと。 →工場労働に必要な(4 )が増加。
海外植民地, 市民革命, 農業革命, 労働力
3
【産業革命の開始】 産業革命は需要のあったインド産の(1 )を国内で生産しようとする試みから始まる。 ※技術革新が進むにつれて<原材料の(2 )を海外から輸入し(アメリカ)>、国内で綿織物を大量生産して輸出するようになる。
綿織物, 綿花
4
【産業革命の開始】 技術革新について答えよ。
飛び杼, ジョン=ケイ, 糸, アークライト, 蒸気機関, ワット, 蒸気船, 蒸気機関車, スティーヴンソン
5
【動力革命と交通革命】 自然力に代わるエネルギーとして蒸気機関が発明 =(1 ) →蒸気機関は蒸気機関車・蒸気船に応用され交通手段が発展 =(2 )
動力革命, 交通革命
6
【資本主義と機械文明の出発】 (1 )…生産手段や資金を資本として所有する(2 )が労働者を雇い、労働者の生産した製品を販売して利潤を手に入れ、他方労働者は支払われた賃金で生活する社会。
資本主義社会, 資本家
7
【労働運動の発生】 資本主義の発展につれて、(1 )、低賃金、長時間労働などの間題が発生し、イギリスでは(2 )が制定。 →労働者が選挙権を求める(3 )を発展 また、大人から力がなくても大丈夫なため子供も働くようになった。
児童労働, 工場法, チャーティスト運動
8
【社会主義運動の発生】 資本主義の下での芳働者の貧困の現状から(1 )思想が生まれる。 →(2 )・エングルスが(『3 』)を発する。 ⇒貧困の原因を資本家が生産手段を支面配していることだと考え、労働者が政権を握り、(4 )と生産手段の共有化を主張。
社会主義, マルクス, 共産党宣言, 私有財産の廃止
9
【七月革命と二月革命】 (1 )においてフランスでは王政(ルイ18 世、シャルル10世)が復活。 →旧貴族や教会などを 優遇するなど旧体制よりの政策を実施。 (2 )(1830年)…シャルル10世を廃し、王族で自由主義的な(3 )が新国王に即位。 =(4 ) ※下の絵画はその革命を描いたものと王政の風刺画である。また、それは(5 )を表している。
ウィーン体制, 七月革命, ルイ=フィリップ, 七月王政, 民衆から集めた税
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【ウィーン体制の崩壊】 (1 )(1848年)…富裕な商工業者や金融業者ばかりが優遇される政治に対し、選挙権の拡大と議会の改革を求める運動が高まり、1848年峰起。王政は廃止され、(2 )が成立。 フランスで起こった二月革命は各地に伝わり、ウィーン体制に不満を持つ人々が各地で蜂起。 →ドイツでは(3 )が起こり、ウィーン民衆の暴動によって(4 )が亡命を余儀なくされる。 =ウィーン体制の崩壊
二月革命, 第二共和政, 三月革命, メッテルニヒ
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ウィーン体制について答えよ。 フランスの七月革命と(1 )革命はヨーロッパ各地の自由主義・ナショナリズムを刺激し、ウィーン体制を励城させた。特にオース トリアでは(2 )が失脚するなど動揺が大きかった。 また、七月革命を描いた下の絵画の名前は(3 )である。
二月, メッテルニヒ, 民衆を導く自由の女神
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〈ドイツ統一の間題〉 三月革命の自由主義の高まりの中(1 )が開催。ドイツ統一が議論されるが、大ドイツ主義と小ドイツ主義が対立し、統一は達成されず。 (2 )…ドイツ統一の中心を(3 )にすべきであるという考え。 <問題点>(4 )が同じではない。(5 )人以外が入ってしまっているから。 (6 )…ドイツ統一の中心を(7 )にすべきであるという考え。 <問題点>(8 )人である人が入っていない。仲間はずれになっている。
フランクフルト国民議会, 大ドイツ主義, オーストラリア, 言葉, ドイツ, 小ドイツ主義, プロイセン, ドイツ
13
【ナショナリズムと国民国家】 19世紀後半のヨーロッパでは、一つの民族(国民)は一つの国家((1 ))をつくることを理想とする(2 )が高揚した。
国民国家, ナショナリズム
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【フランス第二帝政】 二月革命後の大統領選挙において(1 )が当選。 →1852年、皇帝となって(2 )と名乗った。((3 )) フランスは積種極的な海外進出を行い、アジアでは(4 )と対立しつつもべトナムやカンボジアに勢力を拡大。 = (5 )連邦の建設に着手。 ドイツ統一に反対するも(6 )で敗北し、退位。 →第二帝政の崩壊。プロイセンへの降伏を拒むパリ市民は史上初の労働者政権である(7 )を成立させる。 パリ=コミューンは臨時政府軍により鎮圧され、(8 )が成立。
ルイ=ナポレオン, ナポレオン3世, 第二帝政, 清, 仏領インドシナ, 普仏戦争, パリ=コミューン, 第三共和制
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これまでのフランス政権の推移を答えよ
ルイ16世, 第一共和政, 第一帝政, ナポレオン1世, ウィーン会議, 七月王政, ルイ=フィリップ, 二月革命, 第二帝政
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【イタリア統一運動】 中世以来イタリアは自立した都市や教皇領など点在する分裂状態 サルデーニャ王国首相(1 )がイタリア統一を主導。 →領士割演を見返りにフランスの授助で続一に反対するオーストリアを破って統一を進める。 イタリア統一を目指す秘密結社(2 )出身の(3 )が残っていた南イタリアの両シチリア王国を征服し、サルデーニャ王に領士をささげる。 →サルデーニャ王(4 )が印位し(5 )が成立。
カヴール, 青年イタリア, ガリバルディ, ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世, イタリア王国
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【ビスマルクとドイツ統一】 プロイセン首相(1 )が軍備を拡張し、統一の準備を進める。 プロイセンは(2 )でオーストリアを破る。 Q なぜドイツ統一の過程でオーストリアと戦うのだろうか? A ドイツ統一を(3 )中心の(4 )で行うことを明確にするため。 普仏戦争でドイツ統一に反対するフランスを破る。 →プロイセン王(5 )が皇帝に即位し(6 )が成立。 帝国宰相となったビスマルクは社会主義運動を弾圧しつつも社会保障制度を整え、ドイツは急速な経済成長を遂げ列強の一角へと発展。 ドイツ統一の主導権を握れなかったオーストリアはハンガリー人の自立を認め国家の解体 を回避。=(7 ) ビスマルクはフランスの復に備えるため、オーストリア・イタリアと(8 )を結び、フランスを国際的に孤立させた。 →結果として第一次世界大戦まで列強の衝突は回避。(ビスマルク体制)
ビスマルク, 普墺戦争, プロイセン, 小ドイツ主義, ヴィルヘルム1世, ドイツ帝国, オーストラリア=ハンガリー二重帝国, 三国同盟
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【西部の発展】 ①(1 ) ②ミシシッピ以東…イギリスから取得。 ③ (2 ).…フランスより購入。 ④、⑤スペインより割譲。 ⑥イギリスより割譲。 ⑦(3 )…スペインより購入。 ⑧イギリスとの国境協定。 ⑨、11.テキサス…併合 ⑩オレゴン 12.(4 )…メキシコより割譲 13.メキシコより購入。
独立13州, ルイジアナ, フロリダ, カリフォルニア
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【西部の発展】 建国以来アメリカは西部へ領士を拡大。その過程で多くの人々が開拓民となり西部を開拓。 →(1 )(開拓地と未開拓地の境界)は徐々に<西へ移動>。 1848年に(2 )で金が発見。((3 )) →西部の人口が急増し、新しい州が次々と誕生。
フロンティア, カリフォルニア, ゴールド=ラッシュ
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【リンカンと南北戦争】 南部では(9 )を使役する(10 )が発展。
工業中心, 農業中心, 反対, 賛成, 保護貿易, 自由貿易, 共和党, 民主党, 黒人奴隷, 綿花プランテーション
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【リンカンと南北戦争】 北部が保護貿易、南部が自由貿易を求めたのはなぜか。補足資料を見て考えてみよう。 [北部が保護貿易を求めた理由] (1 )以前、アメリカは工業力が(2 )に劣っており、工業が産業の中心である北部は(2と同答 )製品に対抗するために保護貿易を求めた。 [南部が自由貿易を求めた理由] 南部の中心産業は(3 )生産などの農業であり、生産した(3と同答 )を(4 )する上で都合がよい自由貿易を求めた。 →南北両地域は奴隷制や貿易政策などで対立し、 西部に新しい州が誕生すると自身の側に付けようと争う。
南北戦争, イギリス, 綿花, 輸出
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【リンカンと南北戦争】 奴隷制反対を掲げる(1 )の(2 )が大統領に選出。 →南部諸州は合衆国を離脱し、(3 )(南部)を結成。 合衆国側(北部)はこれを認めず(4 )(1861~1865年)が勃発。 北部は当初劣勢であったが、(5 )を定め、支持を拡大して盛り返す。 →1863 年(6 )が行われ、黒人奴隷や国際世論の支持を得て勝利。
共和党, リンカン, アメリカ連合国, 南部戦争, ホームステッド法, 奴隷解放宣言
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【南北戦後の発展と残された課題】 戦後合衆国は経済発展が急激に進み、(1 )も開通。 (2 )(1898年)を契機として圧倒的経済力を背景に帝国主義政策を推進。
大陸横断鉄道, 米西戦争
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【植民地の形成】 18世紀後半(1 )は衰退し、各地で地方勢力が乱立。 →イギリスは(2 )を通じてインドの植民地化を推進。 1757年(3 )でフランス・ベンガル太守連合を破り、フランス勢力を駆逐。 中部デカン高原のヒンドゥー教王国の連合である(4 )を服属。 19世紀半ばには直轄領と間接統治する(5 )を合わせてインド全域を植民地。
ムガル帝国, 東インド会社, プラッシーの戦い, マラーター同盟, 藩王国
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【インド大反乱】 1857年(1 )(東インド会社に雇われたインド人兵土)が反乱を起こす。 →イギリス支配に不満を持つ多くの人々を巻き込んだ反乱に発展=(2 ) 反乱を何とか鎮圧したイギリスは、ムガル帝国を滅亡させ、東インド会社による間接統治から(3 )を導入。 →77年ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼任する(4 )が成立。
シパーヒー, インド大反乱, 直接統治, 英領インド帝国
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【国民会議派の形成と展開】 植民地支配の中でインド人はイギリス人と比べ差別的な扱いを受ける。 →1885 年ヒンドゥー教徒を中心に(1 )(後の国民会議派)が結成。インド人の地位向上を日指す。 →(2 )などのインドの古い慣習の廃止に努め、インドの近代化を推進。 (3 )(1905年)…イギリスはヒンドゥー教徒とムスリムの対立を利用し、統治を円滑に推進しようと画策。 →国民会議派は(4 )(民族独立)、(5 )(国産品愛用)をスローガンに反対闘争を実施。 →反対闘争の結果ベンガル分割令は1911年に廃止。 (6 )(1906年)が結成。 …ヒンドゥー教徒主体の国民議会派の運動に対して、イギリスの支援で結成。イギリスによる分割統治を支持。
インと国民会議, サティー, ベンガル分割令, スワラージ, スワデーシー, 全インド=ムスリム連盟
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【国民会議派の形成と展開】 英領インドを形成した南アジアの三国の宗 教分布がインドと残りの二国で大きく異な るのはなぜか?
英領インド内でムスリムの多い地域がパキスタン、バングラデシュとして分離独立したから。
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【アヘン戦争】 イギリスは18 世紀後半よりヨーロッパと清との貿易をほぼ独占。 →清側はイギリスとの貿易を(1 )とみなし、多くの制限を加えた。 イギリスでは喫茶の習慣が普及し、清からの(2 )の輸入が急増し、大量の(3 )が国外に流出。 →植民地のインドと清、イギリスの間で(4 )を実施。 →結果大量の(5 )が清に流入。 清の大臣(6 )がアヘン貿易を禁止し処分。 →イギリスは自由貿易をロ実として(7 )を引き起こす。 清は敗北し、(8 )を締結。 →清(中国)が諸外国と結んだ最初の不平等条約で、 従来の朝貢貿易の仕組みは崩れた。
朝貢, 茶, 銀, 三角貿易, アヘン, 林則徐, アヘン戦争, 南京条約
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【洪秀全と太平天国】 (1 )は自ら天王を名乗り、重税に苦しむ人々を率いて挙兵。 →(2 )を建国。 (2と同答 )は(3 )(清の打倒と漢人王朝の復興)を掲げ勢力を拡大。 →南京を占領して都とし、中国南部を支配下に置く。 太平天国鎖圧に苦しむ清をみた英仏は利権拡大を日指し、(4 )を起こす。 →清は譲歩して天津条約を結ぶも、英仏の使節が攻撃されたことを契機に戦闘を再開。 →清は降伏し(5 )(1860 年)を結ぶ 。 ※有利な条件を獲得した英仏は太平天国の鎮圧に協力。 漢人官僚の曾国藩(そうこくはん)や(6 )が各地で義勇軍を組織し、各地で大平天国軍を破る。 →1864年、太平天国国は誠亡。太平天国の乱、アロー戦争を経て中国の半植民地化が進む。
洪秀全, 太平天国, 滅満興漢, アロー戦争, 北京条約, 李鴻章
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【アヘン戦争以後の中国と東アジアについて】 イギリスでは清から(1 )の輸入が急増し、大量の銀が国外に流出したため、三角貿易を実施し大量のアヘンを清に輸出した。その結果アヘン戦争が勃発し、敗れた清は(2 )を締結し、(3 )を割譲した。
茶, 南京条約, 香港
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【明治維新】 17世紀以降、(1 )政策をとっていた日本も欧米諸国が来航し、通商を要求。 アメリカの(2 )の艦隊が来航し、強く通商を要求。 →1854年(3 )、1858年(4 )を締結。 ※続いて欧米の諸外国とも条約を結んだが、これらの条約は領事裁判権の承認や関税自主 権の喪失などを含むな日本に不利な不平等条約であった。 日本国内では懐夷と開国をめぐって激しく対立する中で尊王攘夷運動は倒幕運動に発展。 →薩摩藩や長州藩を中心として幕府が倒され、1868年明治政府が成立。 →明治政府は天皇中心の中央集権国家への転換を目指して諸改革を実施。 =(5 )
鎖国, ペリー, 日米和親条約, 日米修好通商条約, 明治維新
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【洪秀全と太平天国】 以下を埋めよ。
アヘン戦争, 香港島, 領事裁判権, 関税自主権, 最恵国待遇, アロー戦争, キリスト教布教
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【アジアにおける工業化と日清戦争】 清では太平天国の乱の鎮圧で活躍した曽国藩(そうこくはん)、(1 )が軍事力強化を目指して西洋の技術の導入を推進((2 )) →この時の清の改革は(3 )をスローガンとし、抜本的な改革とはならなかった。 Q (3と同答 )とはどういうことか? A (4 )などは昔からの中国のまま、(5 )の技術だけを取り入れること。
李鴻章, 洋務運動, 中体西用, 国家体制, 西洋
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【アジアにおける工業化と日清戦争】 明治維新後の日本は朝鮮と不平等条約である(1 )を締結し、朝鮮に進出。 →朝鮮をめぐって日本と清が対立。 (2 )(1894年〜1895年)…日本が勝利し(3 )を締結。 〈条約の内容〉 ①朝鮮の独立の承認。 ②(4 )、(5 )の割譲 ③多額の賠償金の支払い。 清での利権拡大を狙う(6 )・ドイツ・フランスが(7 )を行う。
日清修好条規, 日清戦争, 下関条約, 遼東半島, 台湾, ロシア, 三国干渉
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【戊度の政変と義和団事件】 日清戦争の敗北で技術のみの導入を図る洋務運動が挫折。 →(1 )は日本を模範とし、(2 )と議会を設置し、近代化を図るよう主張。 =(3 )(制度を変え、 国を強める) 1898年、(4 )は変法自強の考えに沿った改革に着手。 →(5 )を中心とした保守派の反発で改革は圧され失敗 =(6 ) 改革が失敗した後、中国の半植民地化が進む中で西欧諸国やキリスト教への反感が高まる。 →貧困に苦しむ農民が中心となった(7 )が(8 )(清を助け、外国を滅ぼす)を唱えて蜂起。 清の保守派は義和団と協力して外国勢力に宣戦布告するも列強の連合軍により敗北。 →多額の賠償金や、北京に駐兵することを認める(9 )調印。 中国の半植民地化が一層進む。
康有為, 憲法, 変法自強, 光緒帝, 西太后, 戊戌の政変, 義和団, 扶清滅洋, 北京議定書
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【日露戦争】 (1 )をとり、朝鮮に進出しようとするロシアと日本が対立。 中央アジアでロシアと対立するイギリスは日本と1902年、(2 )を締結。 1904年(3 )勃発。 …日本は(4 )で勝利するも日露双方が戦争を継続することが困難となる。 (5 )(1905年) …アメリカの調停で締結。日本は(6 )を獲得し、南満州鉄道の利権を獲得。 日露戦争終結後に日本は本格的に朝鮮半島に進出し、三度の(7 )で保護国化。 →1910年(8 )を強行し、朝鮮を完全に植民地とした。
南下政策, 日英同盟, 日露戦争, 日本海海戦, ポーツマス条約, 南樺太, 日韓協約, 韓国併合
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【日露戦争】 次の空白をA〜E順に埋めよ。
フランス, ドイツ, イギリス, 三国, 日英
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清の四つのスローガンについて順に答えよ。 ・(1 )(太平天国) ・(2 )(洋務運動) ・(3 ) ・(4 )(義和団)
滅満興漢, 中体西用, 変法自強, 扶清滅洋