問題一覧
1
国際連合の設立は大戦中に〜〜〜で構想発表された
大西洋憲章
2
サンフランシスコ会議で、〜〜〜を採択し、10月に国際連合発足
国際連合憲章
3
国際連合の本部
ニューヨーク
4
国連の議決機関、加盟国が一国一票で多数決、法的拘束力なし
総会
5
国連は〜〜〜の採択(1948)国際社会に理念を示す役割を果たす
世界人権宣言
6
国連の中にある、15カ国で構成、集団安全保障による軍事制裁権限、法的拘束力あり
安全保障理事国
7
安全保障理事国の中で拒否権を保有するのは?
常任理事会
8
常任理事会を構成する国(主要戦勝国)は?
米 英 ソ 中 仏
9
第二次世界大戦勃発の原因は、 世界恐慌時、〜〜〜による 国際貿易縮小と各国の相互不信 が挙げられる
ブロック経済
10
第二次世界大戦再発防止のために、 アメリカが〜〜〜の構築と〜〜〜を目指す
自由貿易体制 通貨価値の安定
11
米国中心の戦後国際経済体制
ブレトンウッズ体制
12
ブレトンウッズ体制の内容… 金と兌換可能な米ドルを基軸通貨とした〜〜〜
固定相場制
13
国際通貨基金
IMF
14
国際復興開発銀行、通称世界銀行
IBRD
15
赤字国、途上国への融資を担当した国連の専門機関2つ
IMF IBRD
16
関税と貿易に関する一般協定
GATT
17
関税引き下げ、非関税障壁の撤廃を促進、最恵国待遇の原則を取り、公平な自由貿易体制を担保した国連の協定は?
GATT
18
日本が降伏して ポツダム宣言に基づき米軍占領下へ 極東委員会のもと〜〜〜が 日本政府を介して間接統治
GHQ
19
GHQは〜〜〜指令を出した (内容)… 女性解散(女性参政権) 労働組合の奨励 教育の民主化 秘密警察の廃止 経済の民主化
五代改革指令
20
五代改革指令の内容
女性解放 労働組合の奨励 教育の民主化 秘密警察の廃止 経済の民主化
21
GHQによる五大改革指令により 軍国主義が排除された… 日本軍の武装解除、 戦争関係者の〜〜〜、 〜〜〜の逮捕・処罰 (〜〜〜を『〜〜〜』で訴追=〜〜〜)
公職追放, 戦争犯罪人, A級戦犯, 平和に対する罪, 東京裁判
22
軍国主義が排除され 天皇は免責、『〜〜〜』で〜〜〜に移行 =天皇の権威を占領統治に利用
人間宣言, 象徴天皇制
23
第二次世界大戦後、 軍国主義を支えたとされる日本の経済構造(財閥、寄生地主製)を転換した 〜〜〜)三井、三菱、住友などの財閥を解体 →〜〜〜で企業結合を禁止 〜〜〜)地主・小作関係の除去 →土地を保有する〜〜創設を推進
財閥解体, 独占禁止法, 農地改革, 自作愛
24
第二次世界大戦後、 日本は海外侵略の温床と考えられていた 低賃金構造の解消を後押しした 〜〜〜を制定 (労働組合法、労働関係調整法、労働基準法)→〜〜〜の結成を奨励
労働三法, 労働組合
25
労働三法3つ答えろ
労働組合法, 労働関係調整法, 労働基準法
26
〜〜〜の制定 明治憲法の部分改正をGHQが拒否して草案を提示
日本国憲法
27
日本国憲法は 〜〜〜 〜〜〜 〜〜〜を3大原則とする憲法
国民主権, 基本的人権の尊重, 平和主義
28
日本国憲法制定の時の内閣総理大臣
吉田茂
29
日本国憲法の憲法〜条で〜〜〜を規定 天皇制維持を警戒する国際世論の納得を得る →日本本土防衛のために、統治米軍直接統治下だった〜〜〜を軍事基地化
9, 戦争放棄, 沖縄
30
ドイツの分割占領 西部はどの国が?
米 英 仏
31
ドイツの分割占領 東部はどこが?
ソ連
32
ドイツの、〜〜〜は東部にあるが西側と分割占領されていた
ベルリン
33
ドイツの分割占領で 〜〜〜実施(ナチス関係者処罰) 〜〜〜でナチスの犯罪行為を処罰
非ナチ化, ニュルンベルク裁判
34
ドイツの分割占領において 米 英 仏(西部)、ソ連(東部) の4国協調による占領体制は、早期に破綻 →西部は〜〜〜を優先 3国の占領地区の統合 東部は〜〜〜を優先 西部との経済格差が発生
経済復興, 現物賠償取り立て
35
資本主義 共産主義 西側:米 VS 東側:ソ連 この1947〜89ごろに起きた対立をなんというか?
東西冷戦
36
〜〜〜の背景 大戦中は米英とソ連が提携して 枢軸国(日独伊)を打倒したが、 戦後両者の提携理由が消えて イデオロギー対立が表面化
東西冷戦
37
米ソ対立の開始 →直接手を交えることなく対立=『〜〜』
冷戦
38
ソ連は対戦による被害が大きく、安全保障を追求した。そのために〜〜〜を〜〜〜しようとした。 終戦直後に〜〜〜で戦後の〜〜〜を巡って米英と対立。英の〜〜〜元首相はソ連の東欧政策を批判した=『〜〜〜』演説
東欧諸国, 共産化, ヤルタ会談, ポーランド代表権, チャーチル, 鉄のカーテン
39
米ソ対立で、米国は 共産主義国の拡大を ソ連の『対外膨張』と解釈して警戒 →ソ連の『〜〜〜』へ また経済的に疲弊して共産党が台頭してきた西欧諸国の対処を図る
封じ込め
40
米大統領〜〜〜による〜〜〜 西欧その他諸国の共産化を阻止へ →冷戦本格化
トルーマン, 封じ込め政策
41
トルーマンによる封じ込め政策とは 1)〜〜〜 :不安定なギリシャ、トルコへの支援を表明 2)〜〜〜 :欧州に120億ドルの支援 →西欧の経済危機を救済
トルーマン=ドクトリン, マーシャルプラン
42
トルーマンによる封じ込め政策に ソ連が対抗(国際組織を設立し東欧確保へ →『〜〜〜』を形成) 1)〜〜〜:各国の共産党が参加し情報交換 2)〜〜〜:経済関係の強化 →西欧の経済危機を救済
ソ連圏, コミンフォルム, コメコン
43
東西冷戦において ソ連の米に対する対抗策で 各国の共産党が参加して情報交換した のは?
コミンフォルム
44
コミンフォルムの別名
共産党情報局
45
共産党情報局の別名
コミンフォルム
46
東西冷戦において ソ連の米に対する対抗策で 経済関係の強化という体でソ連が収奪したのは?
コメコン
47
コメコン別名
経済相互援助会議
48
経済相互援助会議の別名
コメコン
49
〜〜〜とヨーロッパ冷戦の本格化 背景)米英のドイツ復興策vsソ連の対独賠償 →ドイツの東西で経済格差
ドイツ分断
50
ドイツ分断とヨーロッパ冷戦において 米国(西部)で〜〜〜を実施 ソ連(東部)で〜〜〜を実施
通貨改革, ベルリン封鎖
51
ヨーロッパ冷戦によって 〜〜〜(米)、〜〜〜(ソ連)の成立 東西ドイツの分断固定化(欧州冷戦の最前線)
西ドイツ, 東ドイツ
52
ドイツ分断とヨーロッパ冷戦によって 米ソは軍事同盟を結成した 米(西):NATO(〜〜〜) SEATO(〜〜〜) METO(〜〜〜) ソ(東):WTO(〜〜〜)
北大西洋条約機構, ワルシャワ条約機構, 東南アジア条約機構, 中東条約機構
53
北大西洋条約機構
NATO
54
ワルシャワ条約機構
WTO
55
東アジア条約機構
SEATO
56
中東条約機構
METO
57
NATO
北大西洋条約機構
58
wTO
ワルシャワ条約機構
59
SEATO
東アジア条約機構
60
METO
中東条約機構
61
〜〜〜: 日本軍敗退後の中華民国で国境対立が再燃
第二次国共内戦
62
第二次国共内戦において 〜〜〜率いる〜〜〜 〜〜〜 (政権党であり米国が支援)vs率いる〜〜〜
蒋介石, 国民党, 毛沢東, 共産党
63
第二次国共内戦において 土地改革で農民の支持を得た共産党が勝利 →〜〜〜を建国 そしてソ連との間に〜〜〜を締結(1950) 敗れた国民党は〜〜〜へ逃げる:〜〜〜 →〜〜〜(←国名) (1971まで〜〜〜を持っていた)
中華人民共和国, 中ソ友好同盟相互援助条約, 台湾, 中華の分断, 中華民国, 国連代表権
64
〜〜〜:終戦時 朝鮮半島北部にソ連軍が侵入 米軍が半島南部を確保
朝鮮の分断
65
朝鮮の分断において ソ連側は〜〜〜(指導者〜〜〜) 米国側は〜〜〜(大統領〜〜〜)になり 北朝鮮は半島の武力統一を図り、 当初スターリンは米ソ開戦を危惧し慎重に ※スターリンはソ連の首相
北朝鮮, 金日成, 韓国, 李承晩
66
朝鮮の分断において スターリンは米ソの開戦を危惧していたが 中国共産化、ソ連の〜〜〜開発に対し 米は介入しないと予想した。 そこで米ソ開戦に許可を出す
原爆
67
〜〜〜:北朝鮮軍が〜〜〜を超えて南下 →釜山周辺まで制圧 →米国中心に〜〜〜が編成された (ソ連は中国代表権問題でボイコット中) →反撃し北上 →〜〜〜参戦 (北朝鮮側に多数の義勇軍を送る) →北緯38度線で戦線膠着 →スターリン死後、 〜〜〜で〜〜〜が成立 =南北朝鮮分断が固定化
朝鮮戦争, 北緯38度線, 国連軍, 中国, 板門店, 朝鮮休戦協定
68
米による日本の占領政策の転換 GHQ戦後改革の方向性は 『〜〜〜』『非軍事化』 これにより〜〜〜増加 〜〜〜の躍進←日本経済、社会 が混乱してため
民主化, 労働組合, 共産党
69
戦後の〜〜〜:多数の〜〜〜、生産低迷 →物不足、〜〜〜 →米国からの経済援助、 食糧援助に依存 (米国の余った小麦を利用し給食にパ ンを採用) →政府は〜〜〜などの 基幹産業に集中して 回復を図る=〜〜〜
インフレ, 復員引揚げ, 食糧難, 石炭鉄鋼, 傾斜生産方式
70
石炭や、鉄鋼など基幹産業に、集中投資して回復を図る方式の名前
傾斜生産方式
71
米国は〜〜〜の影響で 共産党への警戒心が高まり、 日本の占領政策を転換(『〜〜〜』) して 日本の自立、保守勢力の復帰を促した。
中国共産化, 逆コース
72
米国の占領政策の転換(逆コース)の内容 1(経済))〜〜〜:緊急予算でインフレ解消 →〜〜〜のレートで、 国際貿易へ復帰 さらに〜〜〜で税制改革 =〜〜〜(所得税)中心主義で 徴税力を強化 →徴税強化、歳出削減で インフレ終息 →デフレで景気が悪化しつつ 経済構造を改革 2(社会))歳出削減のために政府を 国鉄公務員を人員整理すると 組合が猛反発、〜〜〜が激化 →〜〜〜の発生を機に共産党員、 組合員逮捕(〜〜〜)
ドッジ=ライン, 1ドル=360円, シャウプ勧告, 直接税, 労働運動, 国鉄三事件, レッドパージ
73
〜〜〜(1950)によって、 さらに逆コースが強まる 経済)日本が米軍の後方基地になり、 軍需品の調達で〜〜〜に沸き 日本は不況から脱出 軍事)米軍が朝鮮半島へ出撃して 日本本土防衛のために 〜〜〜を創設して再軍備した 国際)〜〜〜で日本強化のために主権回復 (※第二次〜〜〜政権) さらに〜〜〜で米陣営へ組み込んだ →日米安保体制へ 政治)〜〜〜で保守政治家が復帰した。 そこで左派は警戒して〜〜〜が統一 保守陣営も対抗して〜〜〜を結成 (※初代総裁〜〜〜) ⇨〜〜〜vs〜〜〜 (社会党) (自民党:議席の3分の2) の保革対立へ 『〜〜〜の成立』
朝鮮戦争, 特需景気, 警察予備隊, サンフランシスコ平和条約, 吉田茂, 日米安全保障条約, 公職追放解除, 日本社会党, 自由民主党, 鳩山一郎, 護憲派, 改憲派, 55年体制
74
自由民主党の初代総裁
鳩山一郎
75
東西冷戦の激化の原因2つ
朝鮮戦争, 米ソの水爆開発
76
ビキニ環礁水爆実験で被災してしまったのは?
第五福竜丸
77
第五福竜丸がビキニ環礁水爆実験で被災し 世界各国で原水爆禁止運動が高揚した。 そこで1955年に広島で開催されたのは?
原水爆禁止世界大会
78
1953年に〜〜〜が死去しスターリン体制から解放された。 →〜〜〜:冷戦開始後初めての東西首脳会談 〜〜〜:ソ連第一書記〜〜〜が 過去のスターリン体制を否定 →西側との〜〜〜を推進、〜〜〜解散
スターリン, ジュネーヴ4巨頭会談, スターリン批判, フルシチョフ, 平和共存路線, コミンフォルム解散
79
50年代半ば以降のソ連社会の解放感、 東西緊張緩和の代名詞を冷戦の『〜〜〜』という
雪どけ
80
冷戦の雪どけの背景として 植民地の独立が進行して 〜〜〜(東西両陣営に属さない勢力)の台頭に対抗 というものがある
第三勢力
81
冷戦の雪どけでコミンフォルムが解散し、反共産党主義の運動が表面化した 1)〜〜〜 :ポーランドの反政府暴動 →ポーランド政府により鎮圧 2)〜〜〜:ハンガリーの反政府運動 →反ソ派政権が成立 →〜〜〜が介入、鎮圧
ポズナニ運動, ハンガリー事件, ソ連軍
82
冷戦の雪どけで中国は国内の動揺を避けるために〜〜〜を承認しなかった →〜〜〜:独自の社会主義建設のため急速な 工業化をしようとしたが失敗 →さらに中国側はソ連の〜〜〜を承認せず →核開発を推進、台湾問題で強硬姿勢 →ソ連は中国の姿勢、また対米核戦争に 巻き込まれる可能性を警戒 →〜〜〜:ソ連は中国への核技術給与を中止 →両国関係は急速に悪化 →中国は独自で〜〜〜開発、〜〜〜の発生
スターリン批判, 大躍進運動, スターリン批判, 中ソ対立, 原爆, 中ソ国境紛争
83
《冷戦再緊張》 ソ連上空で米偵察機を撃墜したことで 米ソは再び緊張関係になった。 そこでアメリカでは、〜〜〜政権が核戦力を拡大し、〜〜〜(ICBM)配備を推進した。 一方ソ連はICBM開発に先行していて、 1957年に人工衛星〜〜を打ち上げている。 このように米ソは核軍拡競争をしていた。 東ドイツでは、ベルリン経由で西ドイツへの亡命増加に対処するために〜〜〜を建設した 日本では日米安保条約が改定され、 米国に日本防衛義務が課され対等性が向上 →日本は西側への組み込み強化された →反対運動激化(〜〜〜)で〜〜〜政権は退陣
アイゼンハワー, 大陸間弾道ミサイル, スプートニク1号, ベルリンの壁, 安保闘争, 岸信介
84
《キューバ危機》 〜〜〜:〜〜〜と〜〜が新米独裁政権を打倒 →現地の米産業を接収 →米国はキューバと断交 →亡命キューバ人を上陸させ 革命政権の転覆を図るが失敗 →カストロは〜〜〜を宣言し キューバがソ連陣営を加わる ↓ソ連がキューバに〜〜〜を建設し 米本土が核攻撃の射程圏内へ 〜〜〜:米大統領〜〜〜が ソ連に基地撤去を要求し〜〜〜 →〜〜〜の危機 →ソ連首相〜〜〜は譲歩した 米のキューバ侵攻断念を条件に 基地撤去 ↓衝突直前で危機回避 核軍縮の試み:〜〜〜(PTBT)で〜、〜、〜 が核実験停止 →〜〜〜(NPT)を採択 非核保有国の核開発を禁止 (53か国参加)
キューバ革命, カストロ, ゲバラ, 社会主義革命, ミサイル基地, キューバ危機, ケネディ, 海上封鎖, 核戦争, フルシチョフ, 部分的核実験停止条約, 米, 英, ソ, 核拡散防止条約
85
《ソ連と東欧諸国の停滞》 フルシチョフが失脚して キューバ危機、農業政策失敗の責任を取らされた →書記長だった〜〜〜に交替して 改革停滞、東欧諸国への統制強化をした ↓ 東側陣営全体で政治経済が 停滞したことで不満が増えた 〜〜〜の民主化運動(『〜〜〜』)によって 言論の自由を保障された →ソ連は改革を許さず、 〜〜〜を介入させて弾圧した →ブレジネフ政権は『〜〜〜』を提唱した ↑ 共産陣営の全体利益は一国の 国益に勝る
ブレジネフ, チェコスロヴャキア, プラハの春, ワルシャワ条約機構軍, 制限主権論
86
《中国の混乱》 〜〜〜の失敗により 過剰なノルマ、不作で餓死者を多数出した →毛沢東は退任 →〜〜〜が後任して市場経済を取り入れた 経済再建へ ↓毛沢東は復権を目指す 〜〜〜:毛沢東による 権力闘争、社会変革運動 →毛沢東は青少年(〜〜〜)を扇動し 反毛沢東派を攻撃、粛清 →劉少奇ら失脚 →中国は内戦状態になり大混乱 →毛沢東の死去により終了 死者1000万人、被害者一億人、 経済は極度に疲弊 →〜〜〜による経済再建へ
大躍進運動, 毛沢東, 劉少奇, プロレタリア文化大革命, 紅衛兵, 鄧小平
87
《植民地の独立》 インド、東南アジアは英仏蘭の植民地だったが、対戦中、〜〜〜の進撃、占領を受けて動揺 →対戦後、英仏蘭は国力が低下し植民地の維持が困難に →インド、東南アジアは独立へ
日本
88
《インドの分離独立》 :英の分割統治により独立運動が分裂 ヒンドゥー教徒)〜〜〜→〜〜〜(首相〜〜) ※指導者〜〜〜は宗教融和を訴え →独立した翌年に 狂信的なヒンドゥー教徒に暗殺された イスラーム教徒)〜〜〜→〜〜〜 →両国は〜〜〜をめぐって対立(〜〜〜)
国民会議派, インド, ネルー, 全インド=ムスリム連盟, パキスタン, カシミール地方
89
《独立を図ったベトナム》 :大戦後、独立を図るが仏米が妨害 (仏は植民地主義、米は冷戦意識) 背景)対戦中、日本が占領 →〜〜〜の〜〜〜が抗日運動 →戦後に独立宣言した〜〜〜 VS 仏の傀儡政権である〜〜〜 →〜〜〜 →中ソの支援で北ベトナムが優勢に →米国は共産化を警戒し仏を支援 →〜〜〜で妥協して 〜〜〜で南北ベトナム分断 →疲弊した仏は撤退、 〜〜〜が南ベトナムを直接支援開始
インドシナ共産党, ホー・チ・ミン, 北ベトナム, 南ベトナム, インドシナ戦争, ジュネーヴ休戦協定, 北緯17度線, 米国
90
《第三世界の結集》 〜〜:戦後に独立したアジア、アフリカ諸国 →〜〜〜を掲げ東西陣営に対抗 1954年)〜〜〜 →インド、東南アジア5か国の首脳が会議 SEATO結成に反対 1954年)〜〜〜→〜〜発表(平和共存を主張) 1955年)〜〜〜(バンドン会議) →〜〜を発表(反植民地義を主張) これに対して先進国は対抗 →同年に〜〜〜で 平和共存を打ち出す ↓アフリカ植民地も独立の機運が高まる 1960年)『〜〜〜』→17か国が一斉に独立 ※指導者〜〜〜 またガーナだけ1957年に独立 ↓東側陣営内で独自路線を歩んでいた ユーゴスラヴィアも呼応 1961年)第1回〜〜〜が ユーゴスラヴィアの〜〜〜で開催 →国連加盟国が増える →総会で〜〜〜(経済格差)を主張 →さらに台湾支持に、 固執する日米に反発して 〜〜〜の〜〜〜を支持 (1971に獲得) 第三世界が抱えた問題 →第三世界結集の阻害要因となる 政情不安、内戦) 旧宗主国に従属した経済構造、民族分断を背景に、各国で〜〜〜発生 相互不和)〜〜〜、 チベット反乱を機に〜〜〜
第三世界, 非同盟主義, コロンボ会議, ネルー周恩来会議, 平和五原則, アジア、アフリカ会議, 平和十原則, ジュネーヴ4巨頭会談, アフリカの年, エンクルマ, 非同盟諸国首脳会談, ベオグラード, 南北問題、南南問題, 中国, 国連代表権, 内戦, インド=パキスタン戦争, 中印国境紛争