問題一覧
1
784年、〈 〉天皇は〈 〉京に遷都した。
桓武, 長岡
2
〈 〉年、桓武天皇は長岡京に遷都した。
784
3
桓武天皇は、父〈 〉天皇の施政方針を受け継いだ。
光仁
4
〈 〉天皇は、父光仁天皇の施政方針を受け継いだ。
桓武
5
長岡京は〈 〉国にある。
山背
6
785年、造長岡宮使である〈 〉が暗殺された。
藤原種継
7
〈 〉年、造長岡宮使である藤原種継が暗殺された。
785
8
藤原種継暗殺への関与を疑われ、桓武天皇の弟にあたる皇太子〈 〉がとらえられ死去した。
早良親王
9
藤原種継暗殺の際、旧来の豪族である〈 〉氏、〈 〉氏が退けられた。
大伴, 佐伯
10
藤原種継は藤原〈 〉家である。
式
11
藤原種継は、藤原〈 〉の孫で、藤原〈 〉・〈 〉の父である。
宇合, 仲成, 薬子
12
794年、〈 〉の建議により〈 〉への遷都が行われた。
和気清麻呂, 平安京
13
〈 〉年、和気清麻呂の建議により平安京への遷都が行われた。
794
14
平安京遷都により、〈 〉国は〈 〉国に改められた。
山背, 山城
15
〈 〉遷都により、山背国は山城国に改められた。
平安京
16
〈 〉著の「池亭記」には、低温で居住にふさわしくない〈 〉の荒廃した様子が描かれ、平安京の変質がうかがえる。
慶滋保胤, 右京
17
慶滋保胤著の「〈 〉」には、低温で居住にふさわしくない右京の荒廃した様子が描かれ、平安京の変質がうかがえる。
池亭記
18
780年、蝦夷の首長〈 〉は、按察使紀広純を殺害し、一時は〈 〉をおとしいれた。
伊治呰麻呂, 多賀城
19
〈 〉年、蝦夷の首長伊治呰麻呂は、按察使〈 〉を殺害し、一時は多賀城をおとしいれた。
780, 紀広純
20
伊治呰麻呂が紀広純を殺害したときの天皇は〈 〉天皇である。
光仁
21
朝廷は788年に〈 〉を征東大使とし、翌年東北地方に派遣したが、蝦夷の族長〈 〉はこれを撃退した。
紀古佐美, 阿弖流為
22
797年に〈 〉は征夷大将軍となり、蝦夷平定にあたった。
坂上田村麻呂
23
〈 〉天皇のとき、蝦夷平定のため坂上田村麻呂が〈 〉に任命された。
桓武, 征夷大将軍
24
802年、坂上田村麻呂は〈 〉の率いる蝦夷を投降させた。
阿弖流為
25
802年、坂上田村麻呂は北上川の中流域に〈 〉を築いて、そこに〈 〉を移した。
胆沢城, 鎮守府
26
〈 〉年、坂上田村麻呂は〈 〉の中流域に胆沢城を築いて、そこに鎮守府を移した。
802, 北上川
27
803年には胆沢城の北方に対蝦夷戦争の前線拠点として〈 〉が築かれた。
志波城
28
〈 〉年には胆沢城の北方に対蝦夷戦争の前線拠点として志波城が築かれた。
803
29
811年、嵯峨天皇の命を受けた〈 〉が蝦夷を征討して以降、蝦夷の征討はなくなった。
文室綿麻呂
30
〈 〉年、〈 〉天皇の命を受けた文室綿麻呂が蝦夷を征討して以降、蝦夷の征討はなくなった。
811, 嵯峨
31
平安時代初期、日本海側では〈 〉川流域まで政府の支配が及ぶようになった。
米代
32
蝦夷征討の結果、帰順同化した蝦夷は〈 〉とよばれた。
俘囚
33
東国から移住させて開拓と防衛にあたらせた農民を〈 〉という。
柵戸
34
878年には〈 〉がおこり、秋田城が焼き討ちにあった。
元慶の乱
35
878年には元慶の乱がおこり、〈 〉城が焼き討ちにあった。
秋田
36
桓武天皇は〈 〉という令外官を設置して、国司の交代を厳しくとりしまった。
勘解由使
37
〈 〉天皇は勘解由使という〈 〉を設置して、国司の交代を厳しくとりしまった。
桓武, 令外官
38
国司が在任中に不正がなかったことを示す証明書を〈 〉という。
解由状
39
792年、九州・東北以外の諸国では〈 〉を廃止して、〈 〉というあらたな兵制が採用された。
軍団, 健児の制
40
〈 〉年、〈 〉・〈 〉以外の諸国では軍団を廃止して、健児の制というあらたな兵制が採用された。
792, 九州, 東北
41
792年に採用されたあらたな兵制では、〈 〉の子弟などが採用された。
郡司
42
健児の制では、〈 〉日交替で国府などの警備にあたらせた。
60
43
801年には、班田を〈 〉年に1度行うことに改めた。この制度を〈 〉という。班田の励行を目的に行われた。
12, 一紀一班
44
桓武天皇は、〈 〉の利率を〈 〉割から〈 〉割にし、雑徭を〈 〉日以内から〈 〉日以内に軽減した。
公出挙, 5, 3, 60, 30
45
〈 〉天皇は、公出挙の利率を5割から3割にし、雑徭を60日以内から30日以内に軽減した。
桓武
46
桓武天皇の死の直前に行われた〈 〉の裁定によって〈 〉(蝦夷の征討)と〈 〉(平安京の造営)は停止された。
徳政相論, 軍事, 造作
47
〈 〉天皇の死の直前に行われた徳政相論の裁定によって軍事(蝦夷の征討)と造作(平安京の造営)は停止された。
桓武
48
蝦夷征討・平安京造営の中止は〈 〉の建議で、〈 〉はこれに異を唱えた。
藤原緒嗣, 菅野真道
49
桓武天皇の次には、子の〈 〉天皇が即位し、その次には〈 〉天皇が即位した。
平城, 嵯峨
50
〈 〉天皇の次には、子の平城天皇が即位し、その次には嵯峨天皇が即位した。
桓武
51
〈 〉は兄の〈 〉と共に、平城遷都を主張する平城太上天皇の復位をはかった。この政変を〈 〉という。
藤原薬子, 藤原仲成, 平城太上天皇の変
52
平城太上天皇の変の別名
薬子の変
53
810年におこった薬子の変は、〈 〉太上天皇の重祚をはかって失敗した事件である。
平城
54
〈 〉年におこった〈 〉は、平城太上天皇の重祚をはかって失敗した事件である。
810, 薬子の変
55
薬子の変をきっかけに、藤原〈 〉家は衰えた。
式
56
〈 〉をきっかけに、藤原式家は衰えた。
薬子の変
57
薬子の変の際、天皇側の機密保持のために設けられた役所を〈 〉という。
蔵人所
58
〈 〉の際、天皇側の機密保持のために設けられた役所を蔵人所という。
薬子の変
59
〈 〉と〈 〉は、蔵人所の長官である〈 〉に初代として任命された。
藤原冬嗣, 巨勢野足, 蔵人頭
60
〈 〉天皇の信任を得た藤原冬嗣は、藤原〈 〉家の人物である。
嵯峨, 北
61
嵯峨天皇の時代に〈 〉がおかれ、京内の警察・裁判を司った。
検非違使
62
養老令のどの条文にも、その名称や役割の規定されていない官職や役所は〈 〉と総称される。
令外官
63
桓武天皇のときに令外官として設置されたのは〈 〉と〈 〉である。
勘解由使, 征夷大将軍
64
〈 〉天皇のときに令外官として設置されたのは勘解由使と征夷大将軍である。
桓武
65
嵯峨天皇のときに令外官として設置されたのは〈 〉と〈 〉である。
検非違使, 蔵人頭
66
〈 〉天皇のときに令外官として設置されたのは検非違使と蔵人頭である。
嵯峨
67
平安時代以前に設置された令外官は、〈 〉・〈 〉・〈 〉である。
中納言, 参議, 内大臣
68
平安時代に設置された令外官は、〈 〉・〈 〉・〈 〉・〈 〉・〈 〉・〈 〉・〈 〉である。
勘解由使, 征夷大将軍, 検非違使, 蔵人頭, 関白, 押領使, 追捕使
69
律令を補足修正した追加法を〈 〉、基本法の施行細則を〈 〉という。
格, 式
70
平安時代初期に編纂された格式を総称して〈 〉という。
三代格式
71
格や式の編纂事業は、〈 〉・〈 〉・〈 〉の3度にわたって行われた。
弘仁, 貞観, 延喜
72
820年に成立した弘仁格式は、〈 〉らの編で、当時の天皇は〈 〉天皇である。
藤原冬嗣, 嵯峨
73
〈 〉年に成立した弘仁格式は、藤原冬嗣らの編で、当時の天皇は嵯峨天皇である。
820
74
〈 〉は、弘仁格・貞観格・延喜格を分類・編集したものである。
類聚三代格
75
格は「〈 〉」という形で、式は「〈 〉」という形で現代に残っている。
類聚三代格, 延喜式
76
養老令の公撰注釈書は「〈 〉」で、私撰注釈書は「〈 〉」である。
令義解, 令集解
77
〈 〉の公撰注釈書は「令義解」で、私撰注釈書は「令集解」である。
養老令
78
平安時代に編纂された〈 〉によって、令はかなりの部分を知ることができる。
令義解
79
「令義解」は〈 〉の編、「令集解」は〈 〉の編である。
清原夏野, 惟宗直本
80
国司交替についての規定として、〈 〉、〈 〉、〈 〉の三代の〈 〉が制定された。
延暦, 貞観, 延喜, 交替式
81
9世紀に大宰府管内に設置された国家の直営田を〈 〉という。
公営田
82
〈 〉世紀に〈 〉管内に設置された国家の直営田を公営田という。
9, 大宰府
83
879年に畿内に設けられた直営田を〈 〉とよぶ。
官田
84
皇室財政収入のため開墾された土地を〈 〉とよぶ。また、皇族には天皇から〈 〉が与えられた。
勅旨田, 賜田
85
9世紀後半になると、天皇と親近な関係にある少数の皇族や貴族は、〈 〉とよばれ、その立場を背景に多くの土地を私的に所有し、勢いをふるうようになった。
院宮王臣家